第12話 血の鎖
雨刃で動きを封じた相手に、雨夜は慎重に近づく。
まだ青い斬撃の残滓が路地にちらつく中、フードの人物の瞳を鋭く見据える。
(……フードの男の情報を持ってるといいけど………)
雨夜は刀を握ったまま、距離を詰めた。
その瞬間、相手の体から流れる血が、
まるで意志を持つかのように棘となり
飛び出してきた。
雨夜の腕や脚にかすめ、鋭い痛みが走る。
「っ……!?」
かろうじてかすり傷で済んだものの、視線は一瞬、血の棘に引き寄せられてしまう。
──その隙を逃さず、フードの人物は再び刃を振り抜いた。
「────っ!」
雨夜は受けきれず、一撃をまともに食らう。刃の感触が腕を貫き、血が滲む。
それでも表情を変えず、冷静に状況を把握する
「あはっあはははは!!やっとだぁ!!」
フードの人物の笑い声と共に、雨夜の血が剣に吸い込まれていく。
刃先で血がはじけると同時に
剣から禍々しい赤紫の光が蠢く。
空気が重く震え、冷たい闇の中で剣がより攻撃的な存在感を帯びた。
雨夜はその変化を見極め、さらに身構える。
(……ただの剣じゃない……この血を吸って、力を増す……!?)
フードの人物は楽しげに笑いながら、一歩踏み出す。
その背後から、赤紫の血が微かに光を帯び、剣を包むように蠢いている。
血の一滴、一滴がまるで意思を持ったかのように、刃を覆い、禍々しい気配を放つ。
夜の闇に溶け込むその光景に、雨夜の神経が研ぎ澄まされる。
「これはねぇ、血吸いって言うんだぁ」
低く響く声に、雨夜は眉をひそめる。
「相手の血を吸えば吸うほど強くなるんだよぉ」
笑みを浮かべたまま、フードの人物は剣を振り、血が刃に吸い込まれていく。
そのたびに刃先が鈍く、重く、そして硬く光を帯びるように変化していった。
「ここからはぼくも本気でいくねぇ」
雨夜は刀を握り直す。
直感で、これまで以上に危険な戦いになることを察知していた。
血の力で増す剣の重みと禍々しさに、後退しすぎると血縛の鎖に阻まれることを思い出す。
(……油断できない…………!)
────────
再び戦闘が始まる。
「ほら!ほら!ほら!こぉんな事もできちゃうんだよぉ!」
フードの人物が血の刃を振るうたび、赤紫の斬撃が雨夜の周囲を舞う。
雨夜は刀で受け流し、回避を試みるが、わずかに切っ先が肩や腕をかすめ、傷が増えていく。
雨夜は一瞬の隙を狙い、踏み込みながら反撃を試みる。
だが、血吸いで強化された剣の圧は、以前よりも確実に増していた。
(……厄介だな……)
闇夜に響く金属音と血の香りの中、二人の戦いはより苛烈さを増していった。
────────
澪は雨夜からの電話を受け取り
すぐにその場所へ向かおうとしていた。
「雨夜くん、今向かうからね。もう少し待ってて」
小走りで路地を進み、街灯の少ない暗がりを抜ける。
耳に残るのは、自分の足音と夜風に混ざるかすかな物音だけ。
──そのときだった。
「あれれぇ、こぉんな所でなぁにしてるんですかぁ?」
澪は思わず足を止め、声のする方へ視線を向ける。
そこには、フードを深く被った人物が立っていた。
男なのか女なのか判然としない中性的な体躯。
闇の中で、赤紫の瞳だけが異様に鮮やかに輝いている。
「……え?」
思わず息を飲む。
雨夜から聞いていた情報と、あまりにも一致していた。
────まさか。
雨夜くんが、負けるわけ……。
胸の奥を、冷たいものが走る。
混乱と警戒が一気に押し寄せるが、澪はすぐに自分を立て直し、拳を強く握った。
呼吸を整え、相手から目を逸らさない。
「あなたは……誰?」
「きゃははっ! あたしぃ? あたしはねぇ」
フードの人物は楽しげに笑いながら、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
夜の闇に赤紫の影が揺れ、そのたびに澪の心臓が小さく跳ねた。
「狂歌だよぉ。狂ちゃんでもいいしぃ、狂歌って呼び捨てでもいいよぉ」
……軽い。
あまりにも軽すぎる。
それに目立った外傷もない。
つまり雨夜くんの相手とは‘’別物‘’の可能性がある。
ふざけているのか、壊れているのか。
少なくとも、まともな相手ではない。
仲良くなれそうにない。
それだけは、はっきりと分かった。
すると狂歌と名乗る人物は、ぱちん、と手を合わせる。
「ごめんねぇ、お姉さん」
口元を歪め、にやりと笑い。
「ぼくのために──死んでくれる?」
その言葉と同時に、澪の背筋を走る殺気。
空気が、確かに変わった。
「――っ!」
澪が反応した瞬間には、すでに距離は詰められていた。
笑みを張り付けたまま振るわれる剣。
澪は身を捻って避けるが、完全には間に合わない。
ざくり、と浅く――しかし確かな手応え。
「……っ!」
肩口を裂かれ、血が夜気に散る。
その瞬間だった。
「あはぁぁ……♡」
狂歌の声が、明らかに変わる。
恍惚とした息と共に、剣が澪の血を舐め取るように赤紫に染まり、禍々しい気配を増していく。
剣が、喜んでいる――
澪の背筋を、ぞっとする感覚が走った。
「いいねぇ……やっぱり生きてる血はちがうよねぇ……」
狂歌は剣を軽く振り、楽しそうに首を傾げる。
「じゃあ次は逃げないで遊ぼっか」
足元で、ぴちゃり、と音がした。
澪が視線を落とした瞬間、地面に落ちた血が蠢き、赤紫の鎖へと形を変える。
「……なっ――!?」
鎖は一瞬で澪の足元に絡みつき、逃げ道を塞ぐ。
引っ張られる感覚はない。
だが、後ろに動こうとした瞬間、見えない壁にぶつかったような衝撃が走る。
(……なにこれ……!?)
狂歌は満足そうに笑った。
「だいじょーぶだよぉ。痛くはないでしょ?」
鎖が、二人の距離を否応なく固定する。
「ほらぁ……これでもっと遊べるねぇ」
夜の路地に、狂歌の笑い声だけが響いていた。




