第32話 選択
「選ぶのは、君や」
その言葉が落ちてから、
ほんの数秒。
誰も、動けなかった。
沈黙を破ったのは、七瀬だった。
「……せやなぁ」
気の抜けた声で、顎に手を当てる。
「まずは──」
視線が、烈へ向く。
「うるさい烈くんから、いこか」
一瞬。
烈の魔力が、明確に膨れ上がった。
「……上等だ」
踏み出そうとする烈の肩を、姫華が掴む。
「待って、烈……!」
「離せ、姫華!」
怒気が、抑えきれない。
七瀬は、その様子を眺めながら、
どこか楽しそうに続けた。
「実はな」
軽く指を鳴らす。
「千景ちゃんを拘束しとる“アレ”」
陽翔の視線が、千景へ走る。
金属製の拘束具。
床と天井、壁へと伸びる無数の固定具。
「爆発すんねん」
あまりにも、あっさりと。
「僕の魔力でな」
陽翔の背中に、冷たいものが走る。
「距離とか、関係あらへんで」
七瀬は、肩をすくめた。
「近くにおらんでも」
「触れてなくても」
にこりと、笑う。
「“合図”ひとつで──ボン、や」
千景の体が、びくりと跳ねた。
声にならない悲鳴。
(……やめろ)
陽翔の喉が、締め付けられる。
七瀬は、ようやく烈へ正面から向き直った。
「でや」
「今からな」
間を置いて、はっきりと言う。
「烈くんと僕で、殺し合いをする」
空気が、凍りついた。
「……は?」
陽翔の声が、掠れる。
烈は、笑った。
怒りを、隠しもしない笑み。
「面白ぇじゃねぇか」
一歩、前へ。
「今すぐ潰してやる」
「烈!!」
姫華が、叫ぶ。
七瀬は、指を立てた。
「まぁまぁ、落ち着き」
そして、陽翔を見る。
「助けたかったら、助けに入ってええで」
その言葉に、陽翔の心臓が跳ねた。
だが、次の一言が──
「ただな」
七瀬の声が、低くなる。
「助けに入った瞬間」
視線が、千景へ落ちる。
「千景ちゃんは……」
一拍。
「──ボン、や」
世界が、歪んだ。
「……っ!!」
陽翔の呼吸が、乱れる。
「ふざけんな……!」
烈が、歯を剥く。
七瀬は、なおも淡々と続けた。
「逆にや」
「助けに入らんかったら」
視線が、再び烈へ。
「烈くんはな」
少しだけ、申し訳なさそうに眉を下げる。
「100パー、死んでまう」
断言だった。
選択肢は、二つ。
烈を助ければ、千景が死ぬ。
助けなければ、烈が死ぬ。
どちらを選んでも、
誰かが確実に失われる。
千景が、必死に首を振る。
(来るな)
(逃げろ)
そう訴える目。
烈は、背中越しに言った。
「……陽翔」
振り返らない。
「手ぇ出すな」
その声は、静かだった。
「俺は、死なねぇ」
だが、陽翔には分かってしまう。
それが、嘘だと。
七瀬は、満足そうに頷いた。
「ええ顔や」
「ほんま、ええなぁ」
そして、最後に告げる。
「さぁ、赤月 陽翔」
「君の選択で」
「人が────死ぬで」
逃げ道は、なかった。
時間は、確実に進んでいる。
絶望は、
もう“可能性”じゃない。
現実として、
そこに立っていた。
「ほな、はじめよか」
一歩、前に出る。
そして、姫華へと視線を向ける。
「あ、それとヒメちゃん」
名前を呼ぶ声音だけは、妙に優しい。
「なんか怪しい動きした瞬間──」
目が、細くなる。
「……わかってるな?」
姫華は、答えない。
ただ、刀の柄を握る力を強めた。
(……一瞬でも動けば、千景が死ぬ)
その現実が、全身を縛りつける。
次の瞬間。
烈が、地を蹴った。
「テメェだけは──」
魔力が、爆ぜる。
「絶対許さねえ!!」
ハンマーが、唸りを上げて振り抜かれる。
だが。
七瀬は、避けない。
いや──
“そこにいない”。
烈の一撃が、空を切った。
「……?」
背後。
いつの間にか、七瀬は烈の死角に立っていた。
「別に」
軽い声。
「許してもらおうなんて、思おてへんよ」
次の瞬間。
衝撃。
烈の脇腹に、鈍い音が叩き込まれる。
「がっ──!!」
体が、横に吹き飛ぶ。
壁に叩きつけられ、床を転がる。
(……速い)
陽翔の目が、追いつかない。
さっきまで一緒にいた七瀬とは、
まるで別人だった。
烈は、すぐに立ち上がる。
「……っぐ」
血を吐きながら、歯を食いしばる。
「まだだ……!」
再び踏み込む。
だが、次は。
七瀬の拳が、烈の顔面を正確に捉えた。
鈍い音。
烈の視界が、裏返る。
「ッ……!」
続けて、膝。
腹。
肋。
一撃一撃が、致命点を外しながら、
確実に削ってくる。
(……殺さない)
(殺せるのに、殺してない)
それが、余計に恐ろしい。
「烈さん!!」
陽翔が、思わず一歩踏み出す。
「来るな!!」
烈の叫びが、空気を切り裂いた。
「ぜってぇ、来るな!!」
膝をつきながらも、烈は立ち上がる。
「……おーおー」
七瀬が、肩を回す。
「やっぱええ根性や」
そして、陽翔を見る。
「どないするん?」
声音は、完全に“観戦者”だった。
「このままやと」
視線が、烈へ戻る。
「烈くん、死んでまうで」
陽翔の心臓が、強く跳ねる。
(……俺は)
(俺は、どうすれば……)
視線が、千景へ向く。
拘束されたまま、必死に首を振る千景。
(千景さんも、烈さんも)
(どっちかを選ぶなんて……)
喉が、詰まる。
「……でき……ない」
陽翔の声は、震えていた。
「俺には……選べない……」
その時。
烈が、笑った。
血にまみれた顔で。
「……安心しろ、陽翔」
息は荒い。
足元は、ふらついている。
それでも、目だけは死んでいない。
「俺は……死なねぇし」
七瀬が、眉を上げる。
「ほぉ?」
烈は、ハンマーを握り直した。
「何がなんでも」
ぎし、と柄が軋む。
「こいつを、ぶっ飛ばす」
その背中を見て、陽翔は理解してしまう。
(……烈さんは)
(自分が死ぬ事を、受け入てる)
だからこそ。
この場で一番追い詰められているのは──
選ぶ側の、陽翔だった。
七瀬は、小さく笑った。
「ええ覚悟や」
そして、ゆっくりと構える。
「ほな、次いこか」
戦闘は、まだ終わらない。
そして選択は──
刻一刻と、迫っている。
七瀬は、烈を見下ろしたまま、ふっと息を吐いた。
「……ほんま、ええ顔するやん」
軽い声。
だが、そこに温度はなかった。
「せやけどな」
視線が、ゆっくりと陽翔へ移る。
「覚悟だけで勝てるほどこの世界は甘くないんや」
その言葉と同時に。
七瀬は、指を一本立てた。
「ほな──」
一拍。
「カウントダウン、始めよか」
空気が、凍る。
烈が、反射的に身構える。
「……っ、なんのつもりだ」
七瀬は構わない。
「ルールは簡単や」
視線を千景へ向ける。
拘束具に走る、微かな魔力の脈動。
それを、わざと見せつけるように続けた。
「ゼロになった瞬間」
七瀬は、指を軽く鳴らす。
「烈くんを殺す」
姫華の呼吸が、一瞬だけ乱れた。
「……っ」
だが、動けない。
(……一歩でも動けば、終わり)
七瀬は、今度は烈を見る。
「みんなにお別れの挨拶せんでええ?」
烈が、歯を剥いた。
「……クソ野郎が……」
七瀬は、楽しそうに笑った。
「ほな、いくで」
その声が、やけに響いた。
「5」
陽翔の心臓が、跳ね上がる。
(……5)
数字ひとつで、
世界が削られていく感覚。
烈が、ふらつきながら前に出る。
「……陽翔」
背中越しに、声を投げる。
「千景を救う事だけを考えろ!!」
「……ッ!」
「4」
七瀬が、烈に踏み込む。
拳が、烈の腹を抉る。
「がっ──!!」
膝が、床に叩きつけられる。
血が、吐き出される。
「烈さん!!」
陽翔の叫び。
「来るなって言ってんだろ!!」
烈が、怒鳴り返す。
「来たら……全部無駄になる……!!」
「3」
七瀬の蹴りが、烈の肩を砕く。
骨の軋む音。
烈の体が、横に転がる。
それでも、立ち上がる。
(……なんで)
陽翔の視界が、滲む。
(なんで、ここまで……)
「2」
七瀬は、わざと歩調を落とした。
余裕を、見せつける。
「ほら、陽翔くん」
優しい声で。
「まだ間に合うで?」
「一歩、踏み出すだけや」
視線が、千景へ。
拘束されたまま、必死に首を振る。
(烈を助けろ)
(私は大丈夫)
(私を選ぶな)
そう叫んでいるのが、分かる。
「……やめろ……」
陽翔の声は、震えていた。
「……やめてくれ……」
「1」
世界が、静かになる。
七瀬は、陽翔をまっすぐ見た。
逃げ場のない視線。
「────さぁ」
その声が、落ちる。
「選びや」
烈が、最後の力で叫ぶ。
「陽翔!!」
「千景を頼───」
言葉は、途中で途切れた。
その刹那。
七瀬の足元で、
きぃん、と金属音が鳴った。
何もなかった空間から、
“鉄”が生まれる。
刃。
細く、鋭く、無駄のない形。
──千景の鍛成と、寸分違わない生成。
「……っ!?」
陽翔の呼吸が、止まる。
七瀬は、それを確かめるように、軽く剣を振った。
「ええ出来や」
次の瞬間。
七瀬の姿が、消えた。
「──烈さん!!」
声が届くより先に。
ざくり、と
鉄が肉を裂く音。
七瀬は、烈の背後に立っていた。
千景の力で作られた鉄剣が、
烈の背中から深々と突き立てられている。
刃先は、胸元まで到達していた。
「……が……っ」
烈の口から、血が溢れる。
床に落ちた赤が、
鉄の刃に反射して、歪んだ光を返す。
七瀬は、囁くように言った。
「千景ちゃんの剣や」
楽しそうに。
「なぁ、ええセンスしとるやろ?」
ゆっくりと、剣を引き抜く。
血が、糸を引く。
烈の膝が、音を立てて床に落ちた。
倒れきらず、必死に体を支える。
「……く……」
視線だけで、前を見る。
陽翔を、見た。
「……千景を……」
それだけを、絞り出す。
「烈さん……?」
声が、震えて、形にならない。
七瀬は、剣を軽く振り、血を払った。
鉄の剣は、
その場で崩れ、砂のように消える。




