第31話 目的
千景の指が、わずかに動いた。
ほんの一瞬。
痙攣のような、反射にも見えるほどの微細な動き。
だが──
陽翔は、それを見逃さなかった。
「……千景さ」
声を出しかけて、喉で止まる。
千景は完全に固定されており、視線しか動かせない。
その中でまつ毛が、震えた。
一度。
二度。
ゆっくりと、目が開く。
焦点は、合っていない。
それでも、確かに“見ている”。
陽翔と、姫華と、烈を。
「……っ」
喉から、息だけが漏れる。
呼ぼうとして、
声にならない。
千景の唇が、かすかに動いた。
声は、出ない。
口元には、金属製の拘束具。
噛みしめる力すら、奪う構造。
首元。
手首。
足首。
それぞれが、床と天井、壁へと固定され、
人の形をしたまま“展示”されている。
逃げ場は、ない。
(……生きてる)
それが分かった瞬間、
(……生かされてる)
という事実が、追いかけてくる。
烈の喉が、鳴った。
「……っ」
声を出せば、踏み出してしまう。
分かっているから、耐えている。
姫華の手が、烈の腕を強く掴んだまま、離れない。
「……千景」
姫華が、低く呼ぶ。
千景の視線が、ほんのわずかに動いた。
それだけで。
胸が、締め付けられる。
七瀬は、その様子を見てから、
少しだけ首を傾げた。
「お、起きとるやん」
軽い。
本当に、いつも通りの口調。
「目ぇ覚めるの、思ったより早かったなぁ」
烈の奥歯が、軋む。
「……テメェ……」
七瀬は、気にした様子もなく続ける。
「安心せぇ。
今んとこ、命までは取らん」
その言葉に、
陽翔の背中に、冷たいものが走った。
「……今んとこ?」
思わず、問い返す。
七瀬は、振り返らない。
「せや」
淡々とした声に空気が、凍る。
「赤月の忌み子」
その呼び名が落ちた瞬間、
空気が、はっきりと冷えた。
烈の魔力が、揺れる。
怒りが、抑えきれずに滲み出る。
「……何言ってんだてめぇ」
低く、噛み殺した声。
七瀬は、ようやく振り返った。
軽く肩をすくめる。
「おや?知らんのかいな。これはこれは……」
悪びれた様子は、ない。
「せやけどな」
七瀬の視線が、陽翔に向く。
「それが“事実”であり〝現実〟や」
陽翔は、何も言えなかった。
否定も、肯定も、喉で絡まる。
七瀬は続ける。
「千景ちゃんはな大事な“鍵”や」
姫華が、即座に返す。
「……なんでこんな事を」
「そりゃ〝目的〟の為に決まっとるやん」
即答だった。
「それに」
七瀬は、千景を一瞥する。
「この子、逃げようとするやん」
その言葉に、
千景の指が、再び微かに動いた。
それを見て、陽翔の胸が痛む。
(……違う)
(逃げようとしてるんじゃない)
(“こっちに来るな”って……)
「目的を言え」
烈が、限界だった。
「回りくどい真似して、
何がしたい」
七瀬は、少しだけ考える素振りをしてから、笑った。
「単純やで」
「────君の〝魔眼〟がほしいんや」
その一言で、
世界の音が、すっと遠のいた。
「……は?」
陽翔の口から零れた声は、あまりに間抜けで、現実感がなかった。
魔眼。
その単語だけが、頭の中で何度も反響する。
七瀬は、ようやくこちらを振り返った。
いつもの軽い笑み。
仲間に向けるそれと、何ひとつ変わらない顔。
「……なんだよ、それ」
烈の声が、低く割れた。
「魔眼……?」
姫華も、思わず陽翔を見る。
その単語は知っている。
だが、ここで出てくる理由が分からない。
七瀬は、肩をすくめた。
「せや、魔眼や」
軽い。
あまりにも軽い言い方だった。
「ただ一度、開眼してから使こおてないんやろ?」
陽翔の胸が、強く脈打つ。
「それじゃあアカン」
七瀬は、指で自分の目元を軽く叩いた。
「ちゃんと“開眼”してもらわな」
一拍。
「ボクのコピーで、貰えへんやんか」
空気が、完全に凍りつく。
「……は?」
烈が一歩前に出る。
「コピー……だと?」
姫華の呼吸が、わずかに乱れた。
(……奪う、気か)
「魔眼の使い方なんて……」
陽翔が、歯を食いしばる。
「分かるわけねぇだろ!!」
声が、跳ねた。
七瀬は、怒らない。
笑いもしない。
「それがな」
静かに、言った。
「僕は、知っとるんよ」
一歩、近づく。
「0から1にするんは、確かに難しい。
方法も分からん」
陽翔の背中に、冷たい汗が伝う。
「せやけどな」
七瀬の声が、わずかに低くなる。
「1がある場所からなら……話は別や」
烈が、姫華の腕を振りほどこうとする。
「……てめぇ!!」
「烈!!」
姫華が必死に抑える。
七瀬は、続けた。
「負の感情を、大きく揺さぶることや」
淡々と。
「怒りでもええ。
悲しみでもええ。
絶望でも、後悔でも……なんでもな」
視線が、ゆっくりと千景へ落ちる。
「条件が揃えば、魔眼は“目ぇ覚ます”」
陽翔の喉が、ひくりと鳴った。
(……やめろ)
「やから」
七瀬は、もう一度陽翔を見る。
逃げ道を、完全に断つ目。
「君にはこれから」
一拍。
「辛い思い、してもらうで?陽翔くん」
その瞬間。
烈の魔力が、爆ぜかけた。
「殺す……!!」
「烈!! ダメ!!」
姫華が、全身で止める。
陽翔は、動けなかった。
千景の、震える指。
声を出せない口。
それでも必死に、来るなと訴える目。
(……俺の、せいで)
七瀬の言葉が、追い打ちをかける。
「勘違いせんでええ」
「選ぶのは、君や」
その“優しさ”を知っているからこそ、
最も残酷な選択。
絶望は、
ここから始まる。




