第10話 Lv2の入口
雨夜は少し考え込むように顎に手を当て、やがて言った。
「いい方法がある」
「まずは、身体強化は置いておこう」
「……え?」
「代わりに」
雨夜は、陽翔の両手を見る。
「純粋な魔力体を作る」
「形は……そうだな」
少し考えてから、指で円を描いた。
「最初は、サッカーボールくらいでいい」
「……そんなに?」
「君なら、むしろそれくらいが自然だよ」
陽翔は言われるまま、両手を前に出す。
体内から魔力を引き上げると、
空気が歪み、淡く赤い光が集まり始める。
やがて、両手の間に浮かぶ魔力の球。
サッカーボールほどの大きさで、
脈打つように揺れていた。
「……できました」
「うん。悪くない」
雨夜は頷き、続ける。
「次はこれを」
一拍置いて、はっきりと言う。
「野球ボールくらいまで、圧縮する」
「量は変えない」
「外に、一切漏らさずに」
陽翔は思わず息を呑んだ。
「……それ、できたら……?」
「身体強化Lv2に、かなり近づく」
陽翔は歯を食いしばり、魔力球に意識を集中させる。
(圧縮……押し込むんじゃない……)
魔力を内側へ、内側へとまとめる。
だが次の瞬間、
球体は耐えきれず、霧のようにほどけて消えた。
「……今のは失敗だ」
雨夜は落ち着いた声で言う。
「力で押した」
「それじゃ、魔力は逃げ場を探す」
雨夜は、指で小さく円を描く。
「包み込むように、内側へ畳む」
「圧縮っていうのは、
閉じ込めて、密度を上げることだよ」
陽翔は荒く息を吐き、再び魔力を集める。
(圧縮……)
魔力の球が、再び形を成す。
修行は、ここからが本番だ。
魔力を集めては、圧縮する。
失敗して、霧散して。
もう一度、集め直す。
ただそれだけの繰り返し。
額から汗が滴り落ち、
呼吸はいつの間にか荒くなっていた。
(……重い)
腕が、肩が、身体の内側が、
じわじわと鉛のように重くなる。
魔力を使い切った時の空虚感とは違う。
使い続けたことによる疲労。
陽翔は膝に手をつき、肩で息をした。
「……はぁ……はぁ……」
魔力の球は、まだサッカーボールほどの
大きさで揺れている。
だが、さっきまでよりもわずかに
締まって見えた。
(……あれ?)
もう一度、意識を集中させる。
力を込めるんじゃない。
押し潰すんじゃない。
内側へ畳む。
次の瞬間。
魔力の球が、
ほんの一回り――確かに小さくなった。
「……!」
陽翔の目が見開かれる。
雨夜は、その変化を見逃さなかった。
「今のだよ」
落ち着いた声で、でも少しだけ熱を帯びて言う。
「その感覚」
雨夜は指で、空中を軽くなぞる。
「無理に力を入れてないだろ?」
「……はい」
陽翔は息を整えながら、頷いた。
「魔力を“動かした”だけです」
「そう」
雨夜は満足そうに微笑む。
「それが、圧縮の入口だ」
陽翔は、再び自分の手の間に
浮かぶ魔力球を見つめる。
小さな変化。
だが、確かな一歩。
胸の奥に、じんわりと熱が灯る。
(……できる)
疲労で身体は重い。
それでも、今は不思議と、前より軽く感じた。
「……よし」
雨夜は、陽翔の手元に浮かぶ魔力球を
一瞥してから、静かに言った。
「今日はここまでだ」
「え……?」
陽翔は思わず顔を上げる。
「身体強化はね」
雨夜はそう前置きして、くるりと背を向ける。
「ここまで」
「え、あの、でも」
「十分だよ」
振り返った雨夜の表情は穏やかだったが、
どこか楽しそうでもあった。
「この短時間で、圧縮の感覚を掴んだ。
正直……相当なものになる」
その言葉に、陽翔の胸がわずかに高鳴る。
(……認めてもらえた)
だが次の瞬間。
雨夜は壁に立てかけられていた
木刀へと手を伸ばした。
「……え?」
陽翔の視線に気づいたのか
雨夜はあっさりと言った。
「次は、木刀で手合わせしようか」
「……は?」
思考が追いつかない。
「ちょ、ちょっと待ってください……!
身体強化の修行、今のでかなり……!」
「だからこそ、だよ」
雨夜は肩をすくめる。
「身体が疲れてる時に、どれだけ動けるか。
それを見る」
あまりにも自然に、あまりにも容赦なく。
陽翔は乾いた笑いを漏らした。
「……鬼じゃないですか」
「よく言われる」
雨夜は微笑み、2本の木刀を軽く構える。
「マジックルームは起動しないけど
安心して、痛くはしないから」
そう言ってから、一拍置いて付け加えた。
「多分ね」
「多分!?」
思わず声が裏返る。
それでも。
陽翔は、慌てて壁にある木刀を取る。
(……でも)
胸の奥に、恐怖よりも先に昂りが湧いた。
「……お願いします」
木刀を構える。
雨夜の目が、僅かに細くなった。
「いいね。その顔だ」
静かなトレーニングルームに、
二人分の気配が、鋭く張り詰める。
────────
湯船に身を沈めた瞬間、
陽翔の口から自然と息が漏れた。
「……っ、い゛っ……」
熱が、殴られた場所に染みる。
肩、脇腹、太腿。
どれも遠慮なく打ち込まれた記憶が、
今になって主張してきた。
「……痛くしないって……言ってたのに……」
天井を仰ぎながら、恨みがましく呟く。
『大丈夫、大丈夫。死なないから』
笑顔でそう言った雨夜の姿が、脳裏に浮かぶ。
「いててっ……!」
湯の中で身体を少し動かしただけで、
思わず声が出た。
気づいたら、普通にボコボコにされていた。
「……鬼だ、あの人……」
ぽつりと零れたその一言に、湯面が小さく揺れる。
でも、不思議と嫌な気分じゃなかった。
拳を握ると、まだ感覚が残っている。
魔力を集め、圧縮していくあの感触。
何度も何度も失敗してでも最後に
確かに“一回り小さく”なった魔力の塊。
『今の感覚、忘れないで』
あの時の声は、冗談抜きで真剣だった。
「……でも」
陽翔はそっと息を吸い、胸の奥を確かめる。
「……ちゃんと、見てくれてるんだよな……」
痛い。
きつい。
間違いなく鬼。
それでも。
「……ついていくって、決めたんだ」
強くなると決めた。
逃げないと決めた。
湯船の中で、陽翔は小さく拳を握る。
「……明日も、やるぞ……!!」
夜の静けさの中、湯気が静かに立ち昇っていた。
風呂から上がり、体を拭きながら、
陽翔は深く息をついた。
「……はぁ……」
さっきまでの痛みは、
湯に溶けた分だけ和らいでいる。
それでも体の奥には、確かな疲労が残っていた。
布団に倒れ込みたい衝動をこらえ、
陽翔は部屋の隅に腰を下ろす。
「……毎日、圧縮の練習はすること」
雨夜の声が、はっきりと蘇る。
『少しでいい。続けることが大事だからね』
「……わかってますよ……」
小さく呟き、陽翔は右手を前に出した。
掌に、ゆっくりと魔力を集める。
最初は不安定で、空気に滲むような、
ぼんやりとした塊。
サッカーボールほどの大きさになりかけて、
陽翔は眉をひそめる。
「……でかすぎ……」
息を整え、意識を集中する。
潰すんじゃない。
圧縮する。
魔力を、内側へ、内側へ。
逃げ場を塞ぐように、ぎゅっと、丁寧に。
じわり、と圧が高まり、魔力の球がわずかに縮む。
「……っ」
額に汗が滲む。
指先が震え、集中が途切れそうになる。
それでも、少しだけ、ほんの少しだけ、
小さくなった。
「……これが……今の感覚……」
陽翔は、ふっと息を吐き、魔力を解いた。
球体は霧のように散り、空気に溶ける。
「……今日は、ここまでだな……」
布団に潜り込み、天井を見上げる。
体は重く、瞼も自然と落ちてくる。
筋肉の痛みも、魔力の疲労も、すべてが心地よく混ざり合っていく。
「……明日も……頑張るぞ……」
そう呟いた声は、途中で溶けた。
陽翔は、そのまま深い眠りへと落ちていった。
────────
雨夜と陽翔が修行していた頃。
烈は、ビルの屋上に一人立っていた。
夜風が吹き抜け、汗の乾いた肌を冷やす。
だが、胸の奥に残った熱だけは、
どうしても消えなかった。
(……クソ)
思い出すのは、あの男。
圧倒的な殺気。
間合いに入ることすら許されなかった感覚。
「……逃げるしか、なかった」
拳を握る。
千景を背負って、
陽翔を連れて、
ただ生き延びるために走った。
判断としては、間違っていない。
そう分かっている。
それでも。
「……俺じゃ勝てなかった……」
唇の奥で、低く呟く。
背中に感じた、千景の体温。
血の匂い。
あの重さが、何度も脳裏をよぎる。
(強いつもりでいたのによ……)
歯を食いしばる。
拳を壁に叩きつけたい衝動を、必死に抑えた。
その時、ビルの奥から、
微かに響いてくる気配を感じた。
魔力の波。
(……薫兄ぃか)
いや……
(……陽翔か)
感じ取れるほど、真っ直ぐで、荒削りな魔力。
「……あいつ」
無意識に、口元が歪む。
怖かったはずだ。
昨日の戦いで、心が折れてもおかしくなかった。
それなのに。
(前に、進んでやがる)
烈は空を見上げる。
雲に隠れた月が、淡く光っていた。
「……置いてかれねぇように、しねぇとな」
逃げたことは、消えない。
後悔も、悔しさも、残る。
だが……!
(次は、逃げねぇ)
烈は深く息を吸い、拳を開いた。
同じ夜。
同じ時間。
それぞれが、
それぞれのやり方で、前に進んでいた。




