とある男子高校生の災難
☆
チュンチュン。そんな囀りによって目覚めた俺はカーテンの隙間から漏れる光を手で遮る。目覚めは悪くない。体調も良い。いっそのこと、世界でも救いに行くか…なんてな。偶然によって生み出された異端の存在である俺がそれをしようものなら、『定められた結末』が歪み、綻びを生じさせるのは必至。ならば俺様は今日も國が管理する秘密教育機関で身を潜めるとしよう。
黒一色で染められた部屋は朝というにはいささか暑く、お気に入りのシャツはじっとりと、少しばかり変色していた。
「取り敢えず、我が身を穢す不浄を洗い流…」
「チュンチュン」
どうやら、部屋の内から囀っていたようだ。それに、俺が鳥だと思っていたものは全く別の——動物の皮を被った怪物だった。
おかしい。非常におかしい。なぜかって——
「——貴様、どうやって入った」
この部屋には大規模な結界が張ってあったはずだ。恐る恐る、俺は声を絞り出す。よかった、どうやら聞こえたようだ。すると彼女は、ポケットから取り出したものを俺へと見せて、言った。
「合鍵ですっ」
…確か一昨日業者に電話して新しい鍵に張り直してもらったはずなのだが。
「因みにいつ創った?」
「体育の授業で、男子が教室からいなくなったのを確認して型を取りましたっ」
褒めて褒めて、と言わんばかりの表情。なるほど、詰めが甘かった。次に張り直すときは文字通り、肌身離さず首に下げて生活することにしよう。
そして最大の問題は、こいつをどうするか、だ。例によって、普通に命令してもこいつが聴くはずもない。俺の全ての力を持っても、こいつの監視下から逃れるのは容易なことではないだろう。ふむ…どう——ガシャン——したものか。…ん?
…………真っ先に感じたのは、両手に何か冷たく、硬い、そんな感覚。そして、それを追う形で下を見ると——
「えへへ」
無機質な、玩具とはまるで違う、手錠。
「…これ、なんだ?」
冗談、だろう。フハハ! 俺を驚かせる余興としては中々に面白いものだったぞ。
こいつは嬉しそうに、口元を吊り上げる。
「うーんとねー。二人を繋ぐ愛の鎖」
あっ、これやばい。俺の生存本能が全力でそう告げていた。こいつは相変わらず笑っている。——にっこり、というよりはニタァ、と。更に俺の中の生存本能が警鐘を鳴らす。
「ねえ、今日は学校休もうか?」
「は?」
思わずそう口から声が漏れる。手錠を掛けられたまま? ここに? 冗談じゃない。
「ふふ、俺様は刺客から姿を隠す身。学校など休んでは俺様がここにいるということをわざわざ敵に教えるようなものだ」
そうだ、俺は今言った通り、何の理由もなく休んでいる場合ではないのだ。
だがこいつは、ううん、違うよ、と首を横に振る。そしてニタァと笑って、
「これから学校に行けなくなるの。大丈夫、一週間くらいで治る程度に済ませるし、もし大事に至ったら一生責任取るよっ。とりあえず、今日は一緒に居られるね」
「ちょっと待て。お前の言っている意味が理解できないし、理解しようとも思わない。そうだ! 今日は久しぶりに共に教育機関へと赴こうじゃないか!」
一切微動だにせずに狂気の笑顔を作り続ける。待て、俺は気に触るようなことは言っていないはずだ。むしろ普段のこいつなら喜んで食いつく話。
部屋に流れる少しの静寂。だが、やがて、
「やったぁ! 早く行こっ!」
良かった。何とか生命の危機を回避できた。ひとまず、だがな。
「この手錠は…?」
「うーん、後でねっ!」
信じて良いのだろうか? いやまて、このままだと今日は授業を手錠を掛けた状態で受けないとならないのでは——
「行くよー!」
「止めろ! 引っ張るな!」
俺はなす術なく、教育機関へと引きずられていく。
☆
「…おかえり」
俺が帰宅すると玄関の先で、そう出迎えてくれた。いや、一度たりとも頼んでいないのだが。
俺は視線を逸らし、靴を脱ごうとしたとき、普段と雰囲気が違うことに気づいた。
「どうした?」
よく見ると長い長い黒の前髪が、若干俯いているせいか、顔を覆い、表情を読み取ることができない。
「…………た」
「は?」
小さな呟き。それはほとんど俺へは届かずに消える。…おかしい。普段なら飛びついてきてもおかしくないというのに。
小さかった呟きは、段々と大きくなっていき、やがて俺の耳にも入った。
「私以外の女と話した私以外の女と話した私以外の女と話した私以外の女と話した私以外の女と話した私以外の女と話した私以外の女と話した私以外の女と話した私以外の女と話した私以外の女と話した私以外の女と話し——」
そこにあったのは、一面を塗り潰すほどの狂気。朝に見せた鱗片の全てが、今、ここにあった。
「お、おい。落ち着け——」
俺が話し出すと同時、ぴたりと止んで、静かになる。だが、俺が全てを言い終わる前に再び口を開いた。
「ねえ? 私って誰? …うん幼馴染み。…それって特別ってことだよね? …うん、そうだと思うな」
その言葉は俺へと向けられた言葉ではなく、ぶつぶつとまるで自身と会話をしているように独り言を呟く。
「なあ——」
「朝! ……八時四十三分と二十五秒。一限が始まる前、女1の発言。『あれ? 白谷君、その手錠どうしたの?』とそれに対しての龍也の発言。『あっああ、これか? 少しばかり力を制御してるんだ。俺様にも少しばかりこれを制御するのは骨でな』」
…色々ツッコミたい。お前は俺と違うクラスなはずだが。それに、
「話しかけられたんだから仕方ねえだろ! 俺様は全てに平等なんだよ」
それは言い過ぎた。しかし、女を無下になんてできないし、お前にそんなことを言われる筋合いもない。…と言えたらカッコいいのだが、それを言ったらどうなるのか想像するだけで…。
「…私の能力『狂愛』。龍也が他の女と喋ったから罰を実行します」
そう言ってロープを取り出す。ようやく見えた目からは生気が消えていて、本格的にやばいと感じた俺は手錠による拘束で僅かに戸惑いながらも部屋の外へと出る。
部屋を飛び出した俺はとにかく助けを求めようと、隣の部屋の前へと駆け寄った。そして再度、手錠によって上手く扱えない手で、必死にドアを開こうとする。
開け開け開け開け!
見ると、俺の部屋のドアノブが回り始めている。やがて、もしかしたら鍵がかかっているのではないか、という心配も杞憂に終わりドアが開かれた。そして——
「ちょっと、誰か入ってきたわよ!」
「薫、見てこい」
「承知しました」
俺は部屋の中に倒れこむ形で、この部屋の住民と、その友であろう人々に助けを求めた。




