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星詠みの余白  作者: ジェミラン


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4/10

第四話「王城の話」

 エリナへの罪悪感は、思いのほか長く続いた。


 次の日の天文概論、アルネは自分の席から斜め前に座るエリナの背中を何度か見た。課題の答えを書き込んでいるノートが、遠目にも見える。解けたのだろう。誰かに聞いたか、自分で解いたか。アルネに聞けばよかったのに、とは思わない。アルネが答えなかったのだから。


 ただ、何かが喉の奥に刺さったままの感覚だけが残っている。


 授業が終わり、昼休みになった。アルネは足早に図書館へ向かう。今日は迷わない。鞄の中の本の重みが、もう慣れた重みになっていた。


---


 第三章の題は「時を制する者」。


 代筆屋の整った筆跡が、今日はどこか誇らしげに見える。テオが王城に召され、二十年分の観測記録をもとに作られた暦を王に献上した、という話。この場面も教科書に載っている。挿絵には、白髪の老人が王の前に一礼している絵があった。厳かで、遠い場面として記憶している。


---


 星詠みの賢者が王城に召されたのは、その名声が広く知れ渡ってから間もないことであった。王は賢者を「時を制する者」と称え、暦の制定という大業を賢者の手に委ねた。賢者はその重責を粛々と受け、王城にて数ヶ月を過ごしたのち、完成した暦を謹んで献上したという。以来この暦は国の基準として今日まで用いられ、農業・航海・祭祀の礎となっている。


---


 欄外の癖字は、本文の最初の一行が終わるか終わらないかのうちに始まっていた。今日は墨が濃い。筆に力がかかっている。


「呼ばれたくなかった」


 それだけで一行使っている。続きは少し間を開けて、詰め込むように書かれていた。


「二十年分の観測記録を整理していたら、弟子のひとりが勝手に城へ持ち込んだ。私は何も作っていない。記録していただけだ。あれを暦と呼ぶかどうかは王の側近が決めたことで、私には関係がない。記録は返してほしかった」


 さらに下。字が少し小さくなって、


「数ヶ月も城にいたのは、返してもらえなかったからだ。粛々と受けた、などという話ではまったくない」


 アルネは口元を押さえた。


 笑いそうになった。図書館で、声を立てて笑いそうになったのは初めてのことで、慌てて手で塞いだのだが、それがまたおかしくて肩が揺れる。返してもらえなかったから数ヶ月いた。教科書の挿絵の、あの厳かな一礼の裏にそういう事情があったとは。


 ひとしきり肩を揺らしてから、周りを見回した。近くに人はいない。よかった、と思う。それから少し、もったいない気もした。この話を誰かにしたら、きっと一緒に笑えるのに。


 でも今は、誰もいない。


 本文に戻る。


---


 賢者の献上した暦は、それまでの暦に比べ格段に精度が高く、農民は適切な種まきの時期を知り、船乗りは嵐の季節を予測できるようになった。賢者の業績は国中に広まり、その名は後世まで語り継がれることとなった。


---


 余白。今度は字が少し丸みを帯びていて、怒りというより呆れに近い筆跡に見えた。


「謁見の服がなかった。観測用の外套しか持っていなかったので、仕方なくそれで行ったら廷臣に顔をしかめられた。それ以外に着るものがなかったのだから仕方がない」


 アルネはまた笑いそうになるのを、今度は少しだけ堪えるのをやめた。口元を手で覆いながら、肩だけ揺れるのを許した。星詠みの賢者が王に謁見した日の服装の問題。教科書のどこにも書いていない情報。


 笑いが収まってから、もう一度その一行を読む。


 テオは怒っているのか、呆れているのか。おそらく両方だろう。でもその怒りや呆れの中に、惨めさや恥ずかしさは見当たらない。観測用の外套で行ったことを、テオは後悔していない。持っていなかったのだから仕方がない、それだけのことだ、という静けさがある。


 廷臣に顔をしかめられた。それで? という感じの書き方だ。


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 第三章の末尾には、弟子による短い付記があった。代筆屋の筆跡で、本文とは少し書き方が変わっている。


「ここまでを師に見せたところ、上記のような書き込みをいただいた。草稿とはいえ目を通していただけたことに感謝しつつ、本稿はここで一旦筆を置く。師はまだ王城滞在中であり、続きはまた日を改めて書かせていただく所存」


 アルネはその付記をゆっくり読んだ。


 つまり、この草稿がテオに見せられたのは、テオが王城にいた時期のこと。弟子は師の滞在中に草稿を書き上げて持参し、テオが余白に書き込みながら読んだ。そういう経緯だったのか。


 テオは王城で、返してもらえない観測記録を待ちながら、弟子が書いた自分の伝記を読んでいた。呼ばれたくなかった、とぼやきながら、服がなかった、とぼやきながら、それでも全部読んだ。


 なぜこの草稿が学校の図書館にあるのかは、まだわからない。弟子が後で公式版を出したことは蔵書ラベルからも知れるが、この書き込みだらけの草稿をどう処分しようとして、どういう経緯でここに流れ着いたのか。


 わからないまま、でも今はそれでいい。


 ページを閉じる前に、アルネは扉ページの一行をもう一度開いた。


「この本に書いてあることの半分は事実ではない。しかし全部嘘でもない。 テオ」


 王城滞在中に、観測用の外套を着て、廷臣に顔をしかめられながら、この草稿を読んでいたテオ。その人が書いた署名。


 テオ、とアルネは心の中で呼ぶ。


 今日は笑ったぞ、と思いながら。声は出さなかったが、それでもたぶん、テオには伝わる気がした。


---


 昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った。


 今日はちゃんと聞こえた。本を鞄に入れて立ち上がりながら、アルネはふと振り返る。図書館の入口の方で、誰かが棚を眺めているのが見えた。遠くてよくわからないが、同じ組の誰かのような気もする。


 気のせいかもしれない。アルネは出口へ向かった。


 廊下に出ると、外の光が昼の白さで満ちていた。

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