↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
6/8

第6話 侍、街で刀を抜く

「宗次さん、行きますよ!」


朱音はスマホをポーチに押し込み、坂を駆け下りた。


黒いケースを肩に担いだ宗次が、すぐ後ろについてくる。山を見上げていたときのあの顔が、頭から離れない。けれど今は、聞いている場合ではなかった。


「商店街には夕方の買い物客がいます。逃げ遅れた人がいるかもしれません!」


「承知した、主殿」


走りながら律に電話をかける。二回目の呼び出し音で、か細い声が出た。


「は、はい。どうしました?」


「律くん、配信の準備と、避難場所の情報をお願いします!商店街で小氾濫です!」


「しょ、小氾濫!?す、すぐ調べます。配信もこっちで見ます!」


「助かります。絶対に現場には来ないでくださいね!」


曲がり角の向こうから、人が次々と坂を駆け上がってきた。買い物袋を抱えたまま走る男の人も、片方の靴が脱げたままの女の人も、誰ひとり後ろを振り返らない。


大通りの先に、砂ぼこりが上がっていた。


◇


商店街の入口で、朱音は足を止めた。


いつもなら夕方の買い物客で賑わっている通りが、真ん中から割れていた。アスファルトがめくれ上がり、大きな穴が口を開けている。


その縁を、鉄のように黒光りする爪が掴んだ。


穴から這い上がってきたのは、軽自動車ほどもあるモグラ型の魔物だった。岩爪土竜(ロッククロウ・モール)だ。爪で地面を引っかくたびに、コンクリートの破片が跳ねる。


そのすぐ脇から、緑色のゴブリンが次々と這い出してくる。


店先の棚が倒れ、野菜が道いっぱいに散らばっていた。割れた看板の下で男の人が足を押さえ、その隣では女の人が額から血を流して座り込んでいる。


朱音は鞄から手持ちのカメラを出し、倒れた箱に立てかけて通りを映した。配信は律がつないでくれるはずだ。


「誰か!こっちに来ておくれ!動けない人がいるんだよ!」


八百屋の店先で、エプロン姿の年配の女性が手を振っていた。倒れた棚のそばから動けない数人をかばっている。


協会からの通知を開くと、近くの探索者への出動要請と、市街地での武器使用の許可が届いていた。応答を押すと到着の見込みが出る。一番近い探索者でも、十分以上かかる。


「なんでゲートじゃなくて、こんなところから……!」


追加の情報には、地下の古い用水路につながる穴が見つかったとあった。理由を考えるのは後だ。


「皆さん、そこを動かないでください!」


朱音は両手を突き出した。


透明な膜が広がり、八百屋の女性たちをまとめて包み込む。飛びかかってきたゴブリンが結界にぶつかり、指先に硬い骨の感触が返ってきた。


「おおっ、何だいこれ!?」


「結界です!中から出ないでくださいね!」


ゴブリンが爪を立てて結界を引っかく。破れはしない。けれど穴のほうでは、あの大きな爪がまた道路を砕いていた。


隣で金具が鳴った。宗次がケースの留め具に指をかけている。


「待ってください!外で抜いたら、今度こそ……!」


資格を取り消されたばかりの宗次には、探索者証も協会の通知もない。


宗次は朱音を一度だけ見て、留め具に指をかけたまま手を止めた。


「……承知した」


朱音は律との電話をいったん切り、茂木の番号を呼び出した。


出て、茂木さん。お願いだから出て。


「はい、協会鷹守支部、茂木です」


「水無瀬です!商店街にいます!宗次さんに刀を使う許可をください!」


「ええと、つまりですね、宗さんは資格が……え、商店街!?」


「分かってます!でも、ここには動けない人がいるんです!」


スピーカーにしたスマホを足元に置く。結界はまだ持っているが、ゴブリンが二匹、三匹とぶつかってくるたびに指先への衝撃が重なっていった。


「協会の人が来るまで十分以上かかるんです。結界が、それまで持つか……!」


岩爪土竜が頭を振った。爪に引っかかった看板が砕け、金属の破片がこちらへ飛んでくる。結界の外側で弾けた破片が、乾いた音を立てた。


右手の指先がしびれてきた。


宗次はケースに手をかけたまま、魔物を見据えて一歩も動かない。朱音が待てと言ったから、待っているのだ。


「茂木さん!」


「きょ、今日の当直責任者は、私なんです……」


電話の向こうで、紙をめくる音がした。


「緊急時なら、責任者の判断で一時的に……でも、そうすると私が、その責任を……」


「私も説明します!記録も全部残しますから!」


少しの間があった。茂木の荒い息づかいだけが聞こえる。


「……分かりました。私が責任を持ちます。許可、出します!宗さんに、刀を……!」


「ありがとうございます!」


朱音は振り返った。


「宗次さん、許可が出ました!」


茂木との電話を切って律にかけ直し、片手だけ結界から離して鞄のドローンを放り上げる。ドローンは自分で浮かび上がり、朱音の頭上で止まった。


「律くん!武器を使うので、配信をドローンに切り替えてください!」


「は、はい!切り替えました!」


宗次がちらりと頭上を見た。


「此度は斬らぬ」


「はい!絶対ですよ!」


宗次はケースを地面に下ろし、自分で蓋を開けた。長大な太刀を鞘ごと引き出し、左手で鞘をつかんだ。


八百屋の女性が息をのんだ。


「ちょっと……その刀、本当に使うのかい?」


宗次は答えずに、分厚い刃を鞘から抜いた。


「凛丸、参るぞ」


小さな声だった。それでも足元のスマホには、もう文字が流れ始めている。


『また何か言った』

『なんて言ってるの?』

『SNSで見て飛んできた』

『避難情報どこ?』

『商店街で大太刀振れるの?』

『結界先生、後ろの人たち頼む!』


最初のゴブリンが跳びかかった。


宗次が地面を強く踏む。次の瞬間には太刀が斜めに振り下ろされていて、ゴブリンは一太刀で黒い霧になった。


横から来た二匹目には、足を踏み替えて腰を沈め、そのまま横に薙ぐ。刃が通り過ぎたところで、二匹目も消えた。


振りが速いわけではない。一太刀ごとに、重たい踏み込みの音が通りに響く。なのに魔物のほうが、自分から刃の届くところへ入っていくように見えた。


穴の縁に残っていたゴブリンまで、宗次は一匹ずつ片づけていく。朱音が見ていたかぎり、二度斬られた魔物は一匹もいなかった。


「う、嘘だろ……あれ、普通の刀なんだよな?」


結界の中で、男の人が声を漏らした。


「まだ出ないでください!大きいのが残ってます!」


朱音は前に出ようとした八百屋の女性を止め、ぶつかってくるゴブリンが減った隙に結界を厚くした。指先にまたしびれが走り、右腕が肘から重くなる。


ちらりと見た画面の同接は、三万を超えてまだ増え続けていた。


『えぐ』

『は?一撃?』

『さっきの刀の名前か?』

『人が危ないのに撮影すんなよ』

『↑武器使うときは記録義務あるんだよ』

『【固定】避難場所は市の案内を確認。現場に近づかないで』


最後の行は、律が固定してくれた案内だった。


ありがとう、と心の中でつぶやいたとき、足元のアスファルトがぐっと盛り上がった。


地中に潜った岩爪土竜が、結界のすぐ手前で頭を突き出したのだ。爪が街灯の根元を削り、太い柱がぐらりと傾く。


「まずい……!」


朱音は両手を突き出し、人々の頭上にもう一枚結界を広げた。倒れてきた街灯が結界の上に乗り、その重さが指にずしりとのしかかる。


手が震える。結界の縁が、細かくほつれ始めた。


「姉ちゃん、もういい!あたしたちは放っといて逃げな!」


「嫌です!そこを動かないで!」


岩爪土竜が爪を振り上げる。


振り下ろされる直前、結界と爪のあいだに宗次が割って入った。刃を寝かせて爪を受け流すと、逸れた爪が横の道路を砕き、破片が散る。


宗次はすぐには斬り返さなかった。腰を落としたまま、黒い爪をじっと見ている。ほんの少しだけ、首を傾けた。


何を見ているのか、朱音には分からない。


二度目の爪が持ち上がった。


「宗次さん、避けて!」


宗次は引かなかった。


地面を踏む。


その振動が、結界越しに朱音の足の裏まで伝わってきた。大太刀が下から大きく弧を描く。


刃が、鉄の爪に食い込んだ。


黒い爪が割れ、刃はそのまま太い前脚を抜けて、岩爪土竜の胴を真っ二つにした。


巨体は左右に崩れ、地面に落ちる前に黒い霧へ変わっていった。あとには割れたアスファルトと、深い穴だけが残る。


朱音は結界を保ったまま、長い息を吐いた。指先の感覚がほとんどない。


『は????』

『鉄の爪ごと斬ったぞ』

『何今の踏み込み』

『今来た、誰か三行で』

『お前今来るなw』

『あの人たち無事!?』


「生きてる……みんな、生きてるよ!」


八百屋の女性が結界の内側から叫んだ。


「お侍さん!あんた、あとでうちに寄りな!野菜ならいくらでも持たせてやるからね!」


宗次は太刀を下げたまま、そちらへ小さく頷いた。


サイレンが近づいてくる。朱音はようやく結界を薄くして、けが人に声をかけて回った。


通りの入口にパトカーが止まった。


駆けつけた警察官に探索者証を見せると、一人が無線で確認を取って頷いた。


「水無瀬朱音さんですね。出動の記録があります」


けれど、ほかの警察官たちは抜き身の太刀を持った宗次から目を離さない。


「そちらの方、探索者証を見せてください」


宗次が懐から身分保護証を出すと、警察官の眉が寄った。


「これは探索者証ではありませんね。なぜ市街地で刀を抜いているんですか」


「待ってください!協会の茂木さんから許可をもらっています!」


「協会からは、そんな連絡は来ていません」


警察官たちが左右に回り込んだ。宗次は抜き身の大太刀を手にしたまま、三人に囲まれて立っている。


朱音は足元のスマホを拾い上げた。配信は、まだ続いている。


正面の警察官が一歩踏み出し、腰のホルスターに手をかけながら声を張り上げた。


「刀を置きなさい!」

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。