第3話 侍、配信者の家に居候する
朱音は何か言いかけて、そのまま口を閉じた。
震え続けるスマホをポーチから取り出し、画面に指を滑らせたところで固まる。
「……えっ」
「如何した」
「トレンド一位……『天正』です」
画面の字は宗次には読めない。ただ、朱音が同じところを何度も見直しているのは分かった。
「ちょっと待って、切り抜きもう出てる……律くん、仕事早すぎ……」
「何があった」
「宗次さんが巨鬼を斬ったところです。配信が終わって一時間も経ってないのに、百万再生!?」
朱音の声が一段高くなった。
「百万……人か」
「人数とは違うんですけど……今そこはいいです」
茂木がハンカチで額を押さえた。
「ええと、つまりですね。宗さん、しばらく宿から出ないでくださいね。中層に入った件も、こちらで確認しないといけませんし」
「承知した」
「茂木さん、これ、明日には宿の前に人が集まりますよ」
「えっ、まさかそこまでは……」
「一時間で百万です。来ます」
朱音はきっぱり言うと、スマホを口元に寄せた。
「律くん、ちょっと相談があるんですけど……あとで電話しますから、起きててくださいね」
話し終えて指で画面を叩くと、小さな音がした。律という誰かに、声を届けたらしい。
宗次は懐の魔石を手で確かめた。
◇
三日後、宿の戸を開けた宗次は、敷居の上で足を止めた。
道が人で埋まっている。十人や二十人ではきかない。
「侍さん!こっち向いて!」
「天正から来たってマジですか!?」
「切り抜き一千万いったぞ!」
四方から一斉にスマホを向けられる。
「宗さん!まだ出ないでくださいってば!」
茂木が細長い黒いケースを抱えて、人垣をかき分けてきた。もうハンカチで汗をぬぐっている。
「これ、刀を入れるものです。外では必ずケースに入れて運んでください。協会の決まりですから!」
「刀を隠せと申すか」
「抜けない状態で運ぶ決まりなんです!」
ケースを受け取って留め具を外したところで、茂木の手が刀のほうへ伸びかけた。宗次は半歩引いた。
「それには触れるな」
「は、はい!宗さんがご自分でどうぞ!」
太刀を鞘ごと収め、蓋を閉めて肩に担ぐ。
「これでよいか」
「はい。いや、よくはないんですが、人が多すぎて……」
茂木は二枚目のハンカチを取り出した。
そのとき、人だかりの向こうで怒鳴り声が上がった。
「オラァ!どけどけ!ヤラセ検証のお時間だ!」
人垣を押しのけて出てきたのは、金髪の大柄な男だった。耳に飾りが光り、日焼けした腕は太い。頭の上にはドローンがついてきている。
「おいコスプレ野郎!巨鬼を一撃?スキルなし?そんなもん信じる奴がどこにいんだよ!」
「レオさん!ここ協会の敷地ですから!」
茂木の声はざわめきに呑まれた。
男はドローンを指さして笑った。
「ほら、見てろよお前ら。二百万人の前で、このヤラセを――」
男の手が宗次の胸元へ伸びてくる。肩の開き方で、襟を掴む気だと分かった。
宗次はケースを担いだまま一歩だけ前に出て、男の目を見た。
それだけで、伸びてきた手が宙で止まった。
背丈はほとんど変わらないはずなのに、男の顎が引けて、上目づかいにこちらをうかがう形になっている。口は動いているが声が出ない。膝が小刻みに揺れていた。
「……あ?」
ざわめきが引いていった。さっきまで宗次に向いていたスマホが、一つ、また一つと金髪の男のほうへ向き直っていく。
「……レオ、固まってね?」
誰かのつぶやきをきっかけに、くすくすと笑いが広がった。
「金色の。用がないなら、道を空けよ」
「きょ、今日は下見だ!下見!本番は覚悟しとけよ!」
男は人波の向こうへ足早に消え、ドローンが慌ててその後を追っていった。
道が開いたところで、宗次は人垣のいちばん後ろに立つ男に気づいた。
くたびれた黒いスーツに、目の下の濃い影。缶コーヒーを手にしたその男だけが、スマホを構えずに宗次をじっと見ていた。
目つきが違う。
向き直ったとき前を人が横切り、もう一度見たときには男の姿はなかった。
「宗さん、お願いですから、もう刺激しないでください……!」
茂木が頭を抱えた。三枚目のハンカチまで、すっかり湿っている。
「協会ではもう、かくまいきれません。ほかの泊まり客からも苦情が来てまして……」
「茂木さん!」
人垣を抜けてきた朱音が、宗次の前に立った。
「うちの祖父の家があります。今は、うちの切り抜きをやってくれている子が住んでいるんですけど。宗次さんさえよければ、そちらへ」
「其方の家か」
「祖父の家です。私は別のところに住んでますから。話はもうつけてあります」
茂木は朱音の両手を取りそうな勢いで頭を下げた。
◇
朱音に連れられてきたのは、山側の道沿いに建つ古い日本家屋だった。
庭の奥には板張りの道場があった。祖父がここで剣道を教えていたのだと朱音が言う。使い込まれた床と柱を見て、宗次の肩からわずかに力が抜けた。
玄関の戸を開けると、上がり框に青年が一人立っていた。
背丈は宗次とそう変わらないのに、身を縮めているせいで小さく見える。色白で、長い前髪が目元まで隠していた。
「あ、あの……本当に来たんですね……」
「戸田律くんです。私の配信の切り抜きと編集をやってくれていて、この家の留守番もお願いしてるんです」
三日前朱音が声を届けた相手は、この青年だったらしい。
「と、戸田律です。よ、よろしくお願いします……」
「鷹守宗次にござる。世話になる」
律の背筋がびくりと伸びた。
「ほ、本物だ……声、切り抜きと同じ……」
「律くん、三日前にちゃんと電話で話したじゃないですか」
「く、来るとは聞きましたけど……ほんとに来るとは……」
「『分かりました』って言ってくれましたよね?」
「あれは、その……断れる感じじゃなかったというか……」
朱音は悪びれる様子もなく笑った。
「住むのはお二人だけです。律くんは奥の部屋で仕事してますから、宗次さんは手前の部屋を使ってください」
上がってみると、古いのは柱と天井くらいだった。居間には大きなモニターが三枚並び、台所では背の高い冷蔵庫が低くうなっている。
「……面妖な」
「家だけ古くて、中は律くん仕様なんです」
そのあと、案内された便所で一悶着あった。
用を済ませてから、便座の脇に並んだボタンの一つを押してみた。途端に、下から温かい水が噴き上がった。
「伏兵か!」
戸を蹴り開けて玄関の刀ケースへ向かったところで、廊下にいた朱音に袖を掴まれた。
「どこ行くんですか!?」
「厠に伏兵がおる」
「いません!それはそういう機械です!」
宗次は便所の戸をしばらく睨んでいた。
居間に戻ると、律がモニターの前で落ち着きなく指を動かしていた。
「そ、そうだ。さっきの金髪の人……レオの配信も、もう切り抜かれてて。固まったところ、自分のドローンで生配信しちゃってたんです……」
「登録者二百万人の前で、ですよね」
朱音が気の毒そうな顔をした。
「こ、コメントもすごくて。えっと、読みますね……」
律が画面に顔を寄せた。
『炎上王、目だけで負けてて草』
『膝ガクガクやん』
『下見(震え声)』
『レオ大丈夫かよ、あんな顔初めて見た』
『今来た。何が起きたん?』
『自分の配信で晒されてるの最高』
律は肩を震わせ、朱音も口元を押さえている。
「金色の者は、病でも患っておったのか」
「ち、違います!……たぶん!」
律がとうとう吹き出し、朱音が笑いをこらえながら言った。
「宗次さん、それ本人の前で言ったら、また燃えますよ」
何が燃えるのか分からず宗次が首を傾げると、二人はますます笑った。
「はいはい、ご飯にしましょう。私が作ると、その……いろいろあるので、買ってきました」
朱音が紙の包みを机に並べた。開けると、丸いパンの間に肉と野菜が挟まっている。焼けた肉の匂いが立ちのぼった。
「南蛮饅頭か」
「ハンバーガーです。まあ、好きに呼んでください」
かぶりつくと、柔らかいパンの奥から熱い肉汁があふれてきた。朱音が少し不安そうにこちらを見ている。
「……お口に合いません?」
宗次は答えず、二つ目の包みを開いた。
「あ、よかった。気に入ったんですね」
三つ目を半分ほど食べたところで、宗次はぽつりと口を開いた。
「……陣中で、これが食えたならな」
朱音の手が止まった。
「……今は、いくらでも食べられますよ。まだありますから」
「うむ」
律が黙って、もう一つ包みを差し出した。
食べ終わる頃、朱音が机の向こうで背筋を伸ばした。
「宗次さん。改めて、お願いがあります」
宗次も座り直した。
「住むところと食べるものは、私がなんとかします。その代わり、私の探索に付き合ってください。お互いにできないことを補い合う形で」
「それでよいのか」
「私には宗次さんの腕が必要です。宗次さんには、今の世の中のことを教える人が必要でしょう?」
宗次は居住まいを正し、畳に両手をついた。
「受けた恩は忘れぬ。其方の背は、それがしが守る」
朱音は一度まばたきをして、それからまっすぐに頷いた。
「じゃあ私は、宗次さんがここで困らないようにします」
約束を交わしたなら、形に残さねばならない。
宗次は、朱音が鞄から出して机の端に置いていた小刀に手を伸ばした。
「何してるんです?」
「血判を」
「待って待って!指切らないでください!」
「ち、血!?だめですって!」
朱音が小刀をひったくり、律も両手を前に突き出した。
「口約束でいいんです!信用してますから!」
「……左様か」
宗次は手を引き、深く頭を下げた。
「では、主殿。今後ともよしなに」
「主殿はやめてください」
「主殿」
「聞いてました!?」
律がまた笑い出した。
そのとき、机に置いた朱音のスマホが短く鳴った。
「協会からだ……宗次さん、携帯持ってないから、連絡先を私にしてもらってたんです」
画面を開いた朱音の指が止まった。眉がゆっくりと寄っていく。
「何があった、主殿」
朱音は一度唇を結んでから、硬い声で言った。
「読みますね。『鷹守宗次殿。保護探索者の仮許可を、本日付で取り消します』」




