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第2話 侍、スキルゼロと判明する

「……天正?」


朱音は思わず聞き返した。


泥と髭で表情はほとんど読めないが、ふざけている声には聞こえなかった。


「今は令和八年ですけど……」


「令和は聞いた。天正で申せば何年じゃ」


「……え?」


知っているなら、なぜ聞き直すのだろう。


助けを求めて配信画面へ目をやると、三万人を超える視聴者はこの状況を面白がっていた。


『天正ってなに』

『戦国時代?』

『【有識者】安土桃山時代の年号です。本能寺の変が天正十年』

『コスプレおじさん設定ガチ勢で草』


「天正って、安土桃山時代の年号らしいですよ」


「安土は存じておる。ももやま、とは何じゃ」


「さあ……?」


聞かれても困る。設定まで作り込んでいるらしい。


『天正で数えたら今って天正何年?』

『天正454年』

『天正十年って西暦何年?』

『1582』

『444年前じゃん』

『SNSで見て来た』

『初見です!』

『今来た』


「四百四十四年前……らしいです」


コメントをそのまま読み上げただけだった。


なのに、宗次の動きがぴたりと止まった。


いつの間にかまた柄にかけていた右手に、ぐっと力がこもる。


「……四百、四十四」


低く繰り返したきり、男は黙り込んだ。


「宗次さん?」


「……いや。是非もなし」


時代劇で聞いたことのある言い回しだ。たしか、仕方がないという意味だったはず。


けれど何が仕方ないのか、朱音にはさっぱり分からなかった。


とはいえ、今は年号どころではない。広間の入り口は岩で塞がれたままだ。


「それで、問題は帰り道なんですが」


「それがしの来た道がある」


宗次が顎で示したのは広間の奥、巨鬼が出てきた暗い通路だった。


「奥には何が?」


「鬼どもがおった。石を拾っておったら、其方の声が聞こえた」


「石?」


宗次は足元に転がっていた巨鬼の魔石を拾い上げ、袖で泥をぬぐった。


「これで米が買える」


「……はい?」


「しばらくは食うに困るまい」


真顔だった。


困るどころの話ではない。A級の魔石なら、朱音の食費の何か月分になるか分からない。


『A級魔石を米代www』

『それ数十万するぞ』

『米何俵買う気だよ』

『おじさん経済観念どうなってんの』


「宗次さん、それかなり高いものですよ」


「左様か。米が買えれば、それでよい」


欲がないのか、それともただ値段というものを知らないだけなのか、出会ってまだ十数分の朱音には判断のつけようがなかった。


歩き出そうとした途端に背中がずきりと痛んで、朱音は小さく声を漏らした。


「其方、怪我はないか」


「背中を打っただけです。歩けますから」


朱音はほどけかけた髪を組紐で結び直し、宗次の後ろについて通路へ入った。


足元に小さな魔石が落ちているたびに、宗次はしゃがみ込んで一つ残らず懐へしまっていく。


「今は拾わなくても大丈夫ですよ」


「捨て置くには惜しい」


「そうですけど……!」


ついさっきまで刀を振るっていた男が、道端の小銭でも拾うような顔をしている。先を探っておくつもりだったのに、朱音はすっかりそちらに気を取られていた。


かちん、と宗次の草鞋の下で乾いた音がした。


岩の隙間から、黄色く濁った霧が噴き出した。


「離れて!息を止めてください!」


口を覆って飛びのく。宗次も一歩退いたが、遅かった。


「ごほっ……!」


大きな体がぐらりと傾き、男は口元を押さえて膝をついた。顔を上げようとしては、またひどく咳き込む。


ついさっきA級を斬った人が、ひと息吸っただけでこれだ。


「っ、もう!」


朱音は両手を突き出し、二人をまとめて結界で包んだ。


外では黄色い霧が渦を巻いている。膜の表面を霧がなでるたび、ぬるりとした嫌な感触が指先に返ってきた。


霧の薄い天井側だけを少し開けて、空気を入れる。講座で何度も説明してきたやり方だが、人を抱えて実演する日が来るとは思わなかった。


『先生ナイス!!』

『え、侍おじさん!?』

『結界って毒も防げるの?』

『防げない』

『↑今まさに防いでるだろ』

『毒はダメなんだな』


「大丈夫です。ゆっくり息をしてください」


朱音はそばに膝をついた。こめかみを汗が伝っている。


「……かたじけない」


「お礼はあとでいいです。今は呼吸だけ」


魔素は巨鬼の拳を受けたときにほとんど使い切っていて、結界へ向けた指先がだんだんしびれてくる。それでも、助けてもらった分くらいはここで返しておきたかった。


霧が消えたのを確かめて結界を解くと、宗次はゆっくり立ち上がった。


「其方の術、見事なり」


「術というか、スキルですけど……ありがとうございます」


「すきる?」


「そこからですか……」


『スキル知らんの!?』

『なんか色々と演技力凄いねw』

『いや毒で倒れたのは演技じゃないだろ』

『この二人組めば最強じゃね』


さっき会ったばかりの人と組む前提で考えてどうする。朱音は小さく首を振った。


「ここからは私が前を見ます」


「委細承知」


朱音は結界をごく薄く引き延ばし、一瞬だけ通路の先へ波紋を広げた。二十メートルほど先で右に折れて、広い通路につながっている。


宗次は黙ってついてきた。頭上のドローンだけは、相変わらず睨みつけたままだ。


「……斬らないでくださいね?」


「承知しておる」


だったら柄から手を離してほしい。


朱音が肩のライトを強くすると、宗次がそちらに顔を向けた。


「宿の天井にも、火のない灯りがあった。持ち歩けるのか」


「持ち歩けるのもあるんです」


「ほう」


巨鬼を前にしたときより、よほど熱心な目でライトを眺めている。


しばらく進むと、前のほうから複数の足音が近づいてきた。


「協会の救助隊です!誰かいますか!」


「こちらです!」


隊員たちは朱音を見てほっとしかけ、隣の宗次を見て固まった。


「……鎧殻巨鬼は?」


「この方が倒しました。一太刀で」


隊員にまじまじと顔を見られたが、気持ちは分かる。自分の目で見ていなければ、朱音だって信じない。


『救助隊かわいそうwww』

『来たら終わってた』

『報告書どう書くんだこれ』

『↑「侍が斬りました」』


階層門の昇降機に乗せられた宗次は、扉が閉まった途端に壁へ背中を張りつけ、地上に着くまで一言もしゃべらなかった。


◇


地上に戻ったとき、朱音はようやく長い息を吐いた。


協会鷹守支部のゲートでは、職員たちが測定器を用意して待っていた。救助案件では、帰ってきた全員の魔素を測るのが決まりだ。


朱音が測定器に手を伸ばしかけたとき、奥から聞き覚えのある声が飛んできた。


「宗さん!?」


丸眼鏡をずり落としそうな勢いで駆けてきたのは、小太りの男性だった。協会の窓口でいつも世話になっている茂木だ。


「あ、茂木さん。お疲れさまです」


「水無瀬さん、ご無事で!いや、それより宗さん!?なんで中層に……しかもドローンは……!」


額から噴き出す汗に、ハンカチがまるで追いついていない。


「茂木殿。世話になっておる」


「ええ、ええ……いや、そういう問題じゃなくてですね!」


「お知り合いなんですか?」


「ええと、つまりですね。上層で噂になってた侍、宗さんのことなんですよ。私が担当してまして」


あの噂の侍は、本当にこの人のことだったらしい。


「それで宗さん、どうして二十八層に」


「石を拾いに参った」


「石……」


茂木の顔から、すうっと表情が抜けていった。


大変そうだ、この人。


「と、とにかく測定です!水無瀬さんからお願いします」


朱音の画面には、いつもどおり【スキル:結界】の文字と、見慣れた魔素反応の数値が並んだ。続いて宗次が、茂木の顔を一度うかがってから手を置く。


短い電子音のあと、画面に文字が出た。


【スキル:なし】

【魔素反応:0】


「……ゼロ?」


「も、もう一度お願いします」


二回目も三回目も、表示は変わらなかった。


「故障じゃなかったのか……」


茂木がぼそりとこぼした。


「故障?」


「二週間ほど前にも同じ数字が出たんです。てっきり機械の不具合だと……」


朱音は隣の男を見上げた。あの巨鬼を一太刀で斬った人に、スキルがない。魔素の反応すらない。


『ゼロ!?』

『えぐ』

『鑑定妨害だろ』

『↑鑑定じゃなくて測定な』

『噂の侍おじさん本物だった』

『スキルなしでA級斬ったってこと?』

『また売名の仕込みじゃね』


同接は三万四千を超えていた。


「ええと……武器も確認させてください」


「これは渡せぬ」


「ええ、持ったままで結構ですから!かざすだけで!」


宗次は刀を腰に佩いたまま、鞘ごと測定器へ近づけた。


画面が一度ちらついて、赤い文字に変わる。


【ERROR】


「……えっ」


朱音と茂木が固まるなか、宗次だけが平然と刀を引いた。


「済んだか」


「い、いえ、その……ええと……」


『ERROR草』

『本体ゼロで刀はエラーwww』

『伝説の武器だったりして』

『情報量多すぎて追いつけん』


ロビーへ向かうと、自動ドアが音もなく左右に開いた。


宗次の足がぴたりと止まり、その手がすっと柄にかかる。


「違います!それは斬らないでください!」


「……分かっておる。斬りはせぬ」


それでも柄からは手を離さず、宗次は扉を横目でにらんだまま通り抜けていく。


「妖術の門め」


すれ違いざまの低いつぶやきに、茂木が遠い目をした。


「……二週間、毎回これなんです。斬りはしないんですけどね」


『毎回wwww』

『分かってても警戒はするんだ』

『武士の本能で草』

『茂木さんの顔www』

『常識ゼロも確定』


朱音はとうとう吹き出した。気が抜けたのか、忘れていた背中の痛みまで戻ってくる。


「えー、みなさん。予定とずいぶん違う配信になりましたが、無事に帰ってこられました。救助を呼んでくださった方、本当にありがとうございました」


配信を切ったとたん、張りつめていたものがほどけて、どっと疲れが押し寄せてきた。


「宗次さん」


朱音は改めて男に向き直った。


「本当にありがとうございました。宗次さんが来てくれなかったら、私、帰ってこられませんでした」


「無事で何よりじゃ」


それから、ずっと引っかかっていたことを口にした。


「あの……天正って、設定ですよね?」


冗談半分だった。そういうキャラだと思わなければ、今日のことは何一つ飲み込めない。


宗次は朱音の顔をじっと見た。からかっている顔ではなかった。


ポーチの中でスマホが震えはじめる。二度、三度と、急かすように震え続けた。


「それがしは、天正十年の者にござる」

 

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