カラスと山男⑤
ハレは横に飛ぶ。
背後の木が砕けた。
「うわ、洒落にならねぇ」
だが、ハレはただ逃げたわけではない。
まっすぐではない。
相手が追いやすい角度。
見失わない程度の距離。
ゴライアスは踏み込む。
「逃がすか!」
その足が、ロープにかかった。
「なっ——」
次の瞬間、仕掛けが作動した。
足元をすくわれたゴライアスの体勢が崩れる。
同時に、隠していた熊よけスプレーが噴き出した。
「ぐあっ!?」
ゴライアスが顔を押さえる。
視界。
呼吸。
鼻と喉。
魔法の鎧でも、防ぎようがない。
「魔力反応が……ない……!」
ゴライアスが膝をつく。
ハレは距離を取りながら言った。
「そりゃそうだろ」
一拍。
「ただの道具だ」
ゴライアスは立ち上がろうとした。
だが、足がもつれる。
暑さ。
脱水。
刺激。
転倒。
それらが重なり、隊長格の身体から一瞬だけ力を奪っていた。
「くそ……地球の民ごときが……!」
ゴライアスが無理やり顔を上げる。
その瞬間、ハレは素早く仕掛けに近づいた。
「悪いな。これ、置いていくと高いんだよ」
ロープを外し、足元の道具を回収する。
ゴライアスの手が、再び魔力を掴もうとした。
ハレはそれを見逃さなかった。
「まだやる気かよ」
短く、もう一度だけスプレーを噴いた。
「ぐっ……!」
ゴライアスが再び顔を背ける。
ハレはそれ以上は追わない。
倒す必要はない。
止めればいい。
「サラ!」
ハレは振り返る。
「行くぞ。長くは止められない」
サラは目を見開いていた。
「今のは……魔法ではないのですか」
「熊よけスプレーとロープ」
「それで、ゴライアスを……」
「倒したわけじゃない。足止めだ」
ハレはサラを支える。
「でも、山で足元見ないやつは危ないんだよ」
サラは何か言おうとして、言葉を飲み込んだ。
二人は再び進む。
だが、森の奥。
別の視線があった。
キール・カルバスは、木陰から静かにそれを見ていた。
ゴライアスが地面に膝をつき、顔を押さえている。
魔法ではない。
罠。
道具。
誘導。
キールの目が、細くなる。
「……なるほど」
彼は、ハレの背中を見る。
「奇妙な戦い方をする」
キールは手のひらに小さな火を宿しかけた。
だが、すぐに消す。
火は目立ちすぎる。
ここは地球だ。
目撃されれば、騒ぎになる。
地球側の監視者に感知される可能性もある。
ならば、光も熱も抑えた一撃で、確実に仕留める。
風が動いた。
鳥が、ざわめく。
ハレの足が止まった。
「……っ」
背筋に嫌な感覚が走る。
鳥の声が乱れた。
右ではない。
前でもない。
背後。
「サラ、伏せろ!」
ハレが叫ぶと同時に、背後から魔力弾が撃ち込まれた。
地面が抉れる。
土と葉が舞い上がる。
ハレはサラを引き、木の裏へ滑り込んだ。
そこに、細身の男が立っていた。
ゴライアスとは違う。
静かで、冷たい。
感情よりも観察が先に立つ目。
サラが小さく言った。
「キール……カルバス」
キールはサラではなく、ハレを見ていた。




