帰宅しても休まらない①
月曜日は、来た。
来てしまった。
スマホのアラームが鳴った瞬間、ハレは見慣れた白い天井を見上げた。
八畳の部屋。
小さなテーブル。
本棚。
筋トレ道具。
キッチン。
テレビ。
そして昨日、異世界の王女と近衛兵が座っていた場所。
「……夢じゃないんだよな」
ハレは布団に顔を埋めた。
近所の神社には星門がある。
異世界には王国がある。
王女がいる。
火球を撃ってくる男もいる。
そして自分は今日、会社に行かなければならない。
「順番おかしいだろ……」
異世界で王宮の食糧庫を吹き飛ばした翌日。
普通に出勤。
人間社会、なかなか強い。
ハレは重い身体を起こし、スマホの画面を見る。
月曜日。
その三文字だけで、精神に少しダメージが入った。
昨日のサラの声が頭に残っている。
『明日、無理をしすぎないでください』
「無理しないで済む会社ならな……」
ハレはため息をつき、出勤の準備を始めた。
そして、その週は見事だった。
月曜。
「残業ー!」
火曜。
「残業ー!」
水曜。
「ちょっとだけ残業ー!」
木曜。
「今日中に頼むー!」
ハレは毎日、定時付近で部長の甲高い声に捕まった。
火球は避けられた。
飛んでくる方向も見えたし、伏せれば何とかなった。
だが、部長の「残業ー!」は違う。
避けたつもりでも、気づいた時にはもう食らっている。
精神に直撃する。
「……キールより厄介かもしれん」
木曜の夜、帰宅したハレはそう呟き、風呂にも入らず床に沈みかけた。
そして金曜日。
ハレは昼休みの机に突っ伏していた。
「……早く帰りたい」
心の底からの願いだった。
明日は土曜日。
キャンプ道具の手入れをするつもりだった。
バーナーの確認。
クッカーの洗浄。
ロープの点検。
熊よけスプレーの補充。
できれば、行きつけのアウトドアショップにも寄りたい。
普通なら、少し楽しみな金曜日のはずだった。
だが、ハレの会社には部長がいる。
定時付近になると、どこからともなく現れる。
そして、あの声で叫ぶ。
「残業ー!」
想像だけで、ハレは少し顔をしかめた。
その時だった。
「風間さん」
横から声がした。
ハレは顔を上げる。
そこに立っていたのは、見慣れない女性だった。
黒に近いショートヘア。
地味なスーツ。
薄い印象の顔立ち。
派手さはない。
だが、目だけは妙に冷静だった。
「あ、今日からこちらに配属になりました」
女性は軽く頭を下げた。
「八田美香です。よろしくお願いします」
「風間です。よろしく」
ハレも軽く頭を下げた。
八田美香。
どこかで聞いたような、聞いていないような名前だった。
八田はハレの机の上に置かれた書類を一瞬見て、それから淡々と聞いた。
「こちらの部署は、残業が多いんですか?」
「まあ……多いな」
「申請は事前ですか?」
「え?」
「残業申請です。勤怠システム上、事前申請が必要な形式に見えましたが」
ハレは少し固まった。
新人の第一声としては、かなり変わっている。
「いや、実際は部長がその場で言ってくること多いけど」
「なるほど」
八田は小さく頷いた。
「運用が規定とずれていますね」
「……新人でそこ見る?」
「確認は大事なので」
八田は淡々と言った。
その横顔に、妙な違和感があった。
緊張していない。
初日の新人なら、もう少し周囲を気にしそうなものだ。
だが八田は、会社の空気を読むというより、会社の構造そのものを見ているようだった。
そして定時前。
空気が変わった。
ハレはそれを感じ取った。
山で鳥のざわめきに気づいた時と、少し似ていた。
来る。
部長が来る。




