異世界より怖い月曜日⑥
サラとリオンが中へ入る。
八畳ほどの部屋。
ベッド。
小さなテーブル。
本棚。
筋トレ道具。
キッチン。
冷蔵庫。
テレビ。
サラは目を輝かせて部屋を見回した。
「ここが、ハレの家……」
リオンは真剣な顔で室内を確認する。
「窓が一つ。入口は一つ。防衛には不向きです」
「暮らすための部屋なんだよ」
ハレは靴を脱ぎながら言った。
「とりあえず座れ。お茶入れる」
「お茶……」
サラが嬉しそうに反応した。
リオンはテレビの前で足を止める。
「これは監視装置ですか?」
「テレビ」
「敵を見るものですか?」
「主にバラエティを見るものだな」
「ばらえてぃ」
「説明が面倒な単語増やすな」
ハレはキッチンでお湯を沸かす。
その間に、サラは静かに胸元のペンダントに触れた。
淡い光が小さく浮かぶ。
空中に、先ほどよりも簡易的な地図が現れた。
ハレの部屋周辺。
神社。
道路。
そして、この部屋。
サラは周囲を確認しながら、そっと一点に光を置いた。
ハレの家の位置。
地図に小さな印が刻まれる。
リオンが小声で聞く。
「よろしいのですか」
サラも小声で返す。
「今後、ハレの位置を把握する必要があります」
「本人に伝えなくても?」
サラは少しだけ目を逸らした。
「……後で伝えます」
「今ではなく?」
「後でです」
リオンは真面目な顔で頷いた。
「承知しました」
その会話は、キッチンで茶葉を探しているハレには聞こえていなかった。
「緑茶でいいか?」
「はい」
「たぶん口に合うと思う」
ハレは湯呑みにお茶を注いで戻ってくる。
サラはすでに何事もなかったような顔で座っていた。
リオンも背筋を伸ばして座っている。
「お前ら、なんかした?」
サラは微笑んだ。
「何も」
リオンも真顔で答える。
「異常ありません」
「逆に怪しいな」
ハレはそう言いながら、お茶を置いた。
サラは湯呑みを両手で持ち、そっと香りを嗅ぐ。
「落ち着く香りです」
「だろ」
リオンも一口飲む。
「苦味があります」
「それがいいんだよ」
しばらく、三人は小さなテーブルを囲んで話した。
地球の生活。
会社。
スマホ。
コンビニ。
電車。
冷蔵庫。
テレビ。
そして、月曜。
話せば話すほど、サラとリオンの疑問は増えていった。
特にリオンは、会社というものを軍組織に近いものとして理解し始めていた。
「では、部長は隊長格なのですね」
「まあ、そういう見方もできる」
「その者が定時に“残業”という呪文を使う」
「呪いの呪文だな。精神ダメージは結構ある」
サラが真面目に言う。
「明日は、かなり疲れている状態でその声を聞くのですね」
「そうなんだよ」
ハレはため息をついた。
「普通に一日仕事して、定時付近でさらに疲れてるところに甲高い声で来るわけ」
ハレは再び声真似をする。
「残業ー!」
サラは眉をひそめた。
「……それは確かに、憂鬱ですね」
「だろ」
リオンは真剣に言った。
「必要であれば、私が対応します」
「絶対するな」
少し話が途切れたところで、ハレは湯呑みを置き、深いため息をついた。
「……早くまた次の土曜日にならねーかな」
サラが首を傾げる。
「土曜日?」
「あー、次の休みだよ」
ハレはスマホのカレンダーを見せながら言う。
「六日後にまた来るんだ」
「六日後……」
サラは小さく繰り返した。
「その日は、何をしているのですか?」
「んー、次はキャンプ道具の手入れとか、買い物行ったりだな」
「キャンプ道具?」
「山とかで使う道具。バーナーとか、クッカーとか、寝袋とか」
サラの目が少しだけ輝く。
「それは、ハレが私を助けてくれた時に使っていたものですか?」
「そうそう。あれの掃除とか補充だな。昨日でけっこう使ったし」
「……そうなんですね」
サラは静かに頷いた。
ハレは気づかない。
その返事が、ただの相槌ではなかったことに。
リオンは隣で真面目に言う。
「六日後であれば、警護計画を立て直す時間がありますね」
「おい、何の警護計画だよ」
「ハレ殿の休暇中の安全確保です」
「いらねぇよ」
サラは湯呑みを両手で持ったまま、少しだけ目を逸らした。
「……参考にします」
「何を?」
「いえ、何でもありません」
ハレは眉をひそめる。
「今の“何でもありません”は、だいたい何かあるやつだろ」
サラは微笑んだだけだった。
小一時間ほど経った頃、ハレは時計を見た。
「そろそろ帰れ。俺、明日の準備あるから」
サラは少し名残惜しそうに湯呑みを見る。
「ですが、父上からは必要であれば一泊まで許可を得ています」
「必要じゃない」
「安全確認としては、夜間の状況も見ておくべきかと」
「俺の八畳で王女と近衛兵が一泊する状況の方が危険なんだよ」
リオンが真顔で言う。
「私は入口付近で警戒します」
「だからそれが通報案件なんだって」
サラは小さく頬を膨らませた。
「……では、今日は戻ります」
「今日は、って言った?」
サラは答えなかった。
ハレは目を細める。
「おい、今“今日は”って言ったよな」
「気のせいです」
「絶対気のせいじゃない」
結局、ハレは二人を神社の星門まで送った。
人目につかないように、サラが星門を起動する。
光が静かに広がる。
「では、また」
サラが言う。
「また、っていつだよ」
「必要な時に」
「一番怖い返事だな」
リオンは真面目に頭を下げた。
「部長という魔物との戦い、健闘を祈ります」
「だから戦わないんだって」
光が二人を包む。
サラは最後に少しだけ笑った。
「明日、無理をしすぎないでください」
「王女様に仕事の心配される日が来るとはな」
光が消える。
神社の奥に、静寂が戻った。
ハレはしばらくそこに立っていた。
「……帰ったか」
その後、アパートへ戻る。
部屋は急に静かになっていた。
ついさっきまで、異世界の王女と近衛兵が座っていた部屋。
湯呑みが三つ、テーブルの上に残っている。
ハレはそれを片づけながら、小さく息を吐いた。
スマホを充電する。
洗濯物を見る。
風呂を沸かす。
明日の服を出す。
一つ一つ、地球の現実に戻っていく。
だが、部屋の空気はどこか変わっていた。
見慣れた八畳の部屋のはずなのに、もう完全に元通りではない気がした。
ハレはベッドに倒れ込む。
「……明日、月曜か」
脳裏に、部長の甲高い声がよみがえる。
『残業ー!』
ハレは枕に顔を埋めた。
「異世界より地球の方がしんどい時あるな……」
窓の外では、いつもの町の音がしていた。
だがハレはもう知っている。
近所の神社の奥には、星門がある。
地球にも、王国にも、まだ知らない秘密が眠っている。
そしてたぶん、サラはまた来る。
ハレは大きく息を吐いた。
「……とりあえず、明日は定時で帰りたい」
その願いが叶うかどうかは、まだ分からなかった。




