異世界より怖い月曜日①
朝、目が覚めた。
最初に見えたのは、知らない天井だった。
石造りの天井。
見たことのない紋様。
窓から差し込む、妙に澄んだ光。
ハレは数秒、そのまま固まった。
「……どこだここ」
寝ぼけた頭で呟く。
そして、昨日の出来事がゆっくり戻ってきた。
山。
カラス。
サラ。
王宮。
火柱。
キール。
粉塵爆発。
半壊した食糧庫。
「……そうだ」
ハレは天井を見上げたまま、小さく息を吐いた。
「異世界だった」
あまりにも現実離れしているのに、身体はしっかり疲れていた。
肩が重い。
腕も少し痛い。
昨日走り回ったせいか、足も妙に張っている。
昨夜は、王妃レイナの言葉通り、湯浴みの準備をしてもらった。
シャワーではなかった。
浴室の奥に、湯気の立つ大きな石造りの湯舟。
壁には淡く光る石。
桶のようなものもあった。
説明を受けながら、なんとか身体を洗い、湯に浸かった瞬間、ハレは思わず声を漏らした。
「……これは勝ちだな」
異世界にも風呂はある。
その事実だけは、ハレの中でかなり高得点だった。
だが、風呂に入ったところで疲労が消えるわけではない。
むしろ、気が抜けたぶん、一気に眠気が来た。
部屋へ戻ってベッドに倒れ込んだところまでは覚えている。
そこから先は、完全に記憶がなかった。
「……初日から濃すぎるだろ」
ハレはゆっくり身体を起こした。
ベッドは柔らかかった。
だが、寝慣れていないせいか落ち着かない。
山でマットを敷いて寝た時の方が、まだ安心できる気さえした。
ふと、部屋の隅を見る。
昨日持ち込んだリュックが置いてある。
スリングショット。
熊よけスプレー。
布。
小物類。
いつもの道具がそこにあるだけで、少しだけ現実に繋がっている気がした。
「……とりあえず、顔洗うか」
ハレはベッドから立ち上がった。
部屋の奥に、洗面台らしきものがある。
近づいてみると、金属の蛇口はなかった。
代わりに、浅い石の水盤と、小さな透明な石が埋め込まれている。
「……これ、どう使うんだ?」
ハレはしばらく水盤を見つめた。
蛇口もない。
レバーもない。
ボタンもない。
「異世界、顔洗うのもチュートリアル必要なのかよ」
試しに手をかざしてみる。
すると、水盤の縁に埋め込まれた石が淡く光った。
次の瞬間、澄んだ水がふわりと湧き上がるように現れた。
「おお……」
ハレは少しだけ感心する。
「便利じゃん」
水をすくい、顔を洗う。
冷たい。
水は普通に冷たい。
そこだけは、地球と変わらなかった。
顔を拭きながら、ハレはもう一度部屋を見回す。
昨日は戦闘の勢いで流されていたが、改めて見ると本当に王宮の一室だった。
壁も、家具も、空気も、何もかもが違う。
「……俺、ほんとに来ちゃったんだな」
その時、控えめなノックが響いた。
コンコン。
「ハレ、起きていますか?」
サラの声だった。
「起きてる」
ハレが答えると、扉が静かに開いた。
入ってきたサラは、昨日より少しだけ柔らかい表情をしていた。
黒髪は整えられ、服装も昨日の戦闘時より落ち着いたものに変わっている。
王女らしい気品はある。
ただ、昨日一緒に死線を越えた相手だからか、ハレには少しだけ普通の女の子にも見えた。
「おはようございます」
「おはよう」
ハレは軽く手を上げた。
「昨日の今日で、王女様が普通に部屋まで来るんだな」
サラは少し困ったように笑った。
「一応、外に近衛兵はいます」
「だろうな。さっき、サラともう一人の足音がした」
「分かるんですか?」
「まあ、なんとなく」
ハレは部屋の隅に置かれたリュックを一度見た。
昨日まで命綱みたいに抱えていた道具たちは、今は静かにそこに置かれている。
「昨日あれだけ疑われたからな。急に自由行動ですって方が怖い」
サラは少しだけ目を伏せる。
「不自由をかけてしまって、すみません」
「いや、そこはいいって」
ハレは軽く首を振った。
「俺がこっちの人間じゃないのは事実だしな」
サラは小さく頷いた。
「朝食の準備ができています。よければ、ご案内します」
「王宮の朝飯か」
ハレは少しだけ目を輝かせた。
「響きだけで豪華そうだな」
サラは一瞬、きょとんとする。
「豪華、ですか?」
「いや、王宮だろ。勝手にすごそうなイメージあるじゃん」
サラは少しだけ困ったように笑った。
「期待しすぎない方がいいかもしれません」
「え、そういう前振り?」
「朝は、身体に負担をかけないものが基本ですから」
「意外と健康志向なんだな」
「特に今は、昨日の戦闘後ですから」
その言葉で、ハレは少しだけ表情を引き締めた。
「……被害、やっぱり出たんだよな」
サラの目が少し伏せられる。
「はい。ですが、最悪の事態は避けられました」
「そっか」
ハレは短く答えた。
深く聞きすぎるのは、今は違う気がした。
二人は部屋を出た。
扉の脇には、若い近衛兵が一人立っていた。
背筋が伸び、表情は真面目そのもの。
ただ、廊下の奥にも兵の気配がある。
王宮内の警戒が、完全に解かれたわけではないのだろう。
若い近衛兵の視線は、ハレに向けられていた。
敵意ではない。
だが、警戒は残っている。
サラが紹介する。
「こちらはリオン・ヴァルツ。近衛兵です」
若い兵士は胸に手を当て、軽く頭を下げた。
「リオン・ヴァルツです。サラ王女の護衛を務めます」
「ハレだ」
ハレも軽く返す。
リオンはハレをじっと見た。
「貴殿が、昨日キール・カルバスを退けた異邦人か」
「退けたっていうか、逃げただけだけどな」
「謙遜は不要です」
「いや、ほんとに逃げただけなんだよ」
リオンは真面目な顔のまま言った。
「しかし、戦場で生き残った」
ハレは少しだけ肩をすくめる。
「そう言われると、まあそうだけど」
サラが小さく笑った。
「リオンは真面目です」
「見れば分かる」
ハレはリオンを見て言った。
「肩に力入りすぎだろ。朝から疲れないか?」
リオンは真顔で答える。
「護衛に緩みは不要です」
「めんどくさいタイプだ」
「何か?」
「いや、頼もしいって言った」
「今、明らかに違う言葉でしたが」
サラが小さく吹き出しそうになり、慌てて口元を押さえた。
案内された食堂は、王宮という言葉から想像するほど派手ではなかった。
広い空間ではある。
壁には紋章があり、天井も高い。
だが、用意されていた朝食は思ったよりずっと質素だった。
硬めのパン。
野菜のスープ。
小さなチーズ。
少量の果物。
薄く切られた干し肉。
湯気の立つハーブティー。
ハレは席につきながら、思わず呟いた。
「……ほんとに質素だな」
サラが向かいに座る。
「物足りませんか?」
「いや、逆に好感持てる」
ハレはパンを手に取った。
硬い。
かなり硬い。
「ただ、これは武器になるな」
「パンです」
「知ってる」
ハレはスープにパンを浸して食べた。
素朴だが、悪くない。
野菜の甘みと塩気がある。
「うまいな」
サラの表情が少し明るくなる。
「よかったです」
ハレはもう一度、並んだ朝食を見る。
「王宮なのに質素って、逆に好感持てるわ」
サラは少しだけ首を傾げた。
そして、ほんの少しだけ口元を緩める。
「もしかすると、誰かさんが食糧庫を吹き飛ばしたせいで、厨房の者たちが大変だったのかもしれませんね」
ハレの手が止まった。
「……それ、俺のこと?」
「他にいますか?」
「いや、まあ、いないけど」
サラは涼しい顔でハーブティーを手に取る。
「後で謝った方がよろしいかと」
「しっかり謝っておくよ」
リオンが真顔で頷いた。
「謝罪は重要です」
「分かってるよ」
ハレは硬いパンを見つめ、深く頷いた。
「このパン、もしかして怒りからの硬さか?」
「それは元からです」
「元からかよ」
サラが今度こそ小さく笑った。




