王女と異邦人⑦
倉庫を出ると、空気が変わっていた。
さっきまでの激しい衝突音は減り、代わりに人の声が増えている。
「負傷者を後方へ!!」
「治療班、急げ!!」
「東側、制圧完了!!」
戦場の空気が、戦いから処理へ移っていた。
ハレは足を止め、周囲を見る。
倒れた兵士。
支えられて運ばれる者。
魔法で傷を塞がれている者。
(……結構やられてるな)
サラも同じ光景を見ていた。
「被害は、軽くありません」
静かに言う。
ハレは頷いた。
「でも崩れてない」
サラが少しだけ目を見開く。
「……はい」
その時、兵士の声が響いた。
「敵部隊、後退を確認!!」
続けて別の声。
「追撃は行うな! 戦線維持!!」
静けさが、少しずつ戻ってくる。
サラが小さく息を吐いた。
「……退いた」
ハレは腕を軽く回す。
「全滅じゃないな」
「はい」
サラは頷く。
「目的を果たせなかったための撤退です」
ハレは小さく笑う。
「そりゃ、あれだけやられりゃな」
サラは首を横に振った。
「違います」
まっすぐに言う。
「あなたの戦い方が、想定外だったのです」
「……俺?」
「はい。兵士たちも、戦い方を変えています」
遠くを見る。
さっきまで距離を取っていた兵士たちが、今は間合いを詰めて敵を押し返している。
「削り合いではなく、崩しにいっている」
ハレは小さく息を吐いた。
「やり方変えりゃ、そりゃ崩れる」
その時だった。
「サラ」
低い声。
振り向くと、アストライオス王が立っていた。
その隣には、一人の女性。
四十代前半ほどに見える。
落ち着いた佇まい。
柔らかい目をしているが、芯の強さがあった。
王妃、レイナ。
「父上、母上」
ハレが小さく呟く。
「……母上?」
レイナは一歩、前に出た。
「サラ」
その声は優しい。
「無事でよかった」
サラの表情が、ほんの一瞬だけ崩れる。
王女ではなく、娘の顔だった。
「……はい」
王妃はそっとサラの頬に手を当てる。
「無理をしましたね」
サラは何も言えない。
少しの沈黙。
王妃の視線が、ハレへ向いた。
まっすぐ。
値踏みではない。
人として見ている目だった。
「あなたが、あの子を助けてくださった方ですね」
ハレは軽く肩をすくめる。
「まあ、成り行きで」
アストライオスが口を開く。
「その“成り行き”で、戦況が変わった」
ハレは苦笑する。
「言い過ぎだろ」
王は首を振る。
「違う」
一拍。
「戦い方を変えたのは、お主だ」
周囲の兵士たちが、わずかに視線を向ける。
一人の兵士が言った。
「さっきの指示で助かりました」
別の兵士も続く。
「距離を詰めなければ、押し切られていた」
「魔法を撃たせない、あの発想はなかった」
ハレは少しだけ視線を逸らす。
「……たまたまだ」
王妃レイナが静かに首を振る。
「いいえ」
「たまたまではありません」
その言葉に、サラがわずかに反応する。
王妃は続けた。
「この国の兵は、長く同じ戦い方をしてきました」
「ですがあなたは、戦場の見方そのものを変えた」
ハレは言葉を失う。
アストライオスが静かに頷く。
「今回の奇襲は、ここで終わるだろう」
ハレが聞く。
「もう来ないのか?」
王は少しだけ考え、答えた。
「しばらくはな」
「敵も消耗している。加えて、こちらの対応を見られた」
一拍。
「次は、同じ手では来ん」
サラが小さく言う。
「……終わってはいません」
ハレは軽く笑った。
「だろうな」
そこで、ハレはふと後ろを見た。
半壊した食料倉庫。
倒れた棚。
破れた袋。
焦げ跡。
舞い散った粉。
「あー……」
ハレは少し気まずそうに頭をかいた。
「食料倉庫、吹っ飛ばしたけど大丈夫か?」
アストライオスは一瞬だけ沈黙した。
それから、ゆっくり息を吐く。
「命に代えられるものではない」
「ですよね」
レイナが小さく笑う。
「ですが、後で厨房の者たちには謝ってくださいね」
ハレは素直に頷いた。
「ですよね」
サラが思わず口元を押さえた。
少しだけ、場の空気が緩む。
だが、その緩みも長くは続かなかった。
レイナが一歩近づく。
ハレの前に立つ。
「巻き込んでしまいましたね」
柔らかい声だった。
だが、その言葉は重かった。
ハレは一瞬だけ目を細める。
「まあな」
レイナは微笑む。
「ですが、あなたはもう無関係ではいられません」
ハレは少しだけ間を置いた。
そして、言う。
「もう関わってるだろ」
アストライオスがわずかに口元を上げる。
「……そうだな」
窓の外には、見知らぬ空が広がっていた。
ハレはそれを一度だけ見上げる。
この世界に来て、まだ一日も経っていない。
なのにもう、戻れないところまで来てしまった気がした。
それでも。
ハレは小さく息を吐き、肩のリュックを直した。
「……とりあえず、シャワー浴びて寝たい」
サラが思わず瞬きをする。
「しゃわー?」
「体洗うやつ」
レイナが小さく笑った。
「湯浴みの準備をさせましょう」
アストライオスも、ほんのわずかに口元を緩める。
戦いは終わった。
だが、物語はまだ始まったばかりだった。




