↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
91/129

第90食 青春、アーリーモーニング!

 

 身体がだるい上に、昨夜は自分だけがスベった気もする。


 四日目の朝を迎えたミツルの気分は、ちょいとよろしくなかった。


「ぐぅ……」


 肉体的な疲れに関しては、まず間違いなく、この人のせいだ。


 ダブルなベッドから抜け出したミツルは振り返って、無防備にいびきをかいているノイチの顔を見つめた。


 こんなにも歯並びがよかったんだな、と彼女の好きなところをまたひとつ見つけてしまう。


 そうなってくると、彼の口から出てくるのは、いつもの諦めを含んだため息だった。


 ふと、枕もとのデジタル時計に目をやると、時刻はまだ朝の5時。


「ちょっと、外、行ってくるからね」


 聞こえていないとわかっていても、なんとなくミツルは、彼女への伝言を口にしてしまうのだった。





 明けてぞ今朝は、夏の早朝。


 プールサイドの空気は、まだひんやりとしている。


 が、あと1時間もすれば、まるでノイチのように遠慮なく、強烈な日差しが身を焼き付けてくることだろう。


 非日常の時間が流れる中で、ミツルがまずしたことは、ガラスの面積が広く解放感に溢れるコテージを外から眺めることだった。


 ………………


 …………


 ……


 照明の加減によっては、もしかしたら、外からシルエットが見えちゃってたかもしれない。


 この事実を突きつけられて、今さらになって、恥ずかしくなってくる。


 頭を抱えたついでに、ミツルは、水上にあるバーベキュー会場の方へと目を移した。


『真菜ミツルは昨日、あそこでスベりました』


 そんな但し書きが書いてあるのかと思うほど、ひっそりと静まり返った現場は、ひどくよそよそしく見える。


 心がゾワリと騒いだミツルは、コテージの前に備え付けてあるベンチに力なく腰掛けて、両手で顔を覆った。


 昨夜、みんなで集まった夕食の席。


 盛り上がったのか、なんなのか。


 ともかく、食後は怪談話に花を咲かせた。


 そして最後に迎えた、自分のエピソードの番。


 締まりのない話が多かった中で、ちょっと色気を出してやろうと思ってしまったのが、そもそもの間違いだった。


 世界三大ジュンジの一人、稲川。


 なんかやだなぁ、怖いなぁ。


 あの芸を披露したときから、そんな気配を感じていた――。





 稲川淳二。


 怪談話といえば、ミツルくんにとって、もうその人以外にいなかったんですね。


 中学、高校、修学旅行の夜になると、彼はその瞬間だけ人気者になれた。


 似ていたんですね。稲川淳二のモノマネが。


 だから彼は浮足立って、昨夜も、得意のモノマネを披露した。


『やだなぁ、こわいなぁ』


 はっきり言って、似ていましたよ。えぇ。


 ただねぇ、『虫の知らせ』ってやつですかねぇ。


 その日に限って、彼は妙な気配を感じたんですねぇ。



 ――あれぇ? おかしいなぁ……地元の同級生は皆、笑ってくれてたのに。



 渾身のモノマネが、やってもやっても、今日はちっとも反応が返ってこない。


 周りはシーンと静まり返っている。



 ――どうしてだろう。あれぇ? おかしいなぁ。なんか変だなぁ。



 そう思いながらね、ミツルくん、ふっと周りの顔を見た。


 するとね、いない。


 笑っている人間が、だぁれもいない。


 みんなね、凍りついたような顔をして、じぃーーっとこっちを見てる。


 霊が、すうーっと通り過ぎた後のような、なんとも言えない冷た〜い空気が、その場を支配してるんだ。


 あれぇ? と思ったら次の瞬間、ツーーー……っと、彼の背筋を、嫌〜な汗が伝い落ちていく。


 そこで彼、ハッと気がついちゃった。


『あぁ、これ、皆、稲川淳二そのものを知らないんだ。俺、誰だかわからない人のモノマネして、スベってるんだ……』って。


 根本を知らないと成り立たない、モノマネ芸の話でした。


 怖いですねぇ。





 ――やっちゃった。


 人生初の大スベり。


 普段は前に出ないミツルにとって、その精神的ダメージは計り知れないものがあった。


「あら? 早いのね、真菜君」


 聞き慣れた声がした。


 顔を上げると、漆黒の水着に包まれたウカウカ先輩が立っていた。


 控えめな露出と洗練されたデコルテが、なんとも魅力的に映る。


「お……はようございます」


 不覚にもドキリとさせられたミツルは、言葉を詰まらせながら挨拶を返した。


 ひと泳ぎしてきたのか、ビチャビチャに濡れた先輩は隣に腰掛けてきた。


「いよいよ、明日は配信ね」

「そうっすねぇ……」


 今日の一泊を終えれば、厳しい生活に舞い戻る。


 現実を思い出したミツルは、ますます両肩が重くなった。


「元気ないじゃない。昨日のことでも気にしてるの?」


 先輩は悪戯っぽく微笑みながら本質をついてきた。


 ミツルは、ますます居心地の悪さを覚える。


「……まぁ、そんなところです」

「真面目なのね。そこまで気にしなくても、大丈夫よ。人は、他人の失敗をそこまで覚えていないから」


 まさかの人物からの励ましの声。


 どう反応していいのかわからなくなったミツルは、何も言えなかった。


 しかし不思議なことに、ささくれ立っていた心が、彼女の言葉によって少しずつ凪いでいった。


「それに、あなたのモノマネ、かなり完成度高かったわよ?」

「え?」


 ミツルの肩に手をつき、立ち上がった先輩は、そのままプールサイドを駆けていって、水音の少ない恐ろしく綺麗なフォームの飛び込みをして見せた。


 やがて、水面から顔を覗かせた彼女は、凛とした表情をこちらに向けてきた。


「真菜君も入る?」

「遠慮しておきます」


 稲川淳二を知ってたなら、あのとき、なんで笑ってくれなかったのだろう。


 裏切られた気持ちと救われた気持ちが交差する中、ミツルは渋い表情を浮かべ、碧の水面を優雅にかく先輩を見つめた。


「……ありがとうございます」


 とはいえ、一応、感謝だけは告げる。


 もちろん、早朝の遊泳に集中している先輩に、その言葉が届くことはなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。