第89食 ノンサー、闇の座談会!
コロコロ、コロコロ、ギッチギチ。
ものすごく近い距離で、大きめのコオロギが鳴いている。
なんとも耳に痛く、甲高いその声を背景に、ミツルたちは雨上がりのバーベキュー会場に集まっていた。
本日の夕食は、にぎり寿司だった。
バーベキューといえば、やはり旬の魚が楽しめる寿司に限る。
そういった経営者の理念を反映しているのかどうかまでは定かではないが、彼らは文句ひとつ言わずに用意された寿司をきっちりと完食し、今は食後の夕涼みに興じている。
「涼しいわね」
海外の喪服かな。
と、ミツルが一瞬迷うほど、見事な全身真っ黒コーデに身を包んだウカウカ先輩が、夜風に髪をたなびかせる。
「自分は、ちょっと寒いっス」
じゃあ、なんでそんな格好してんだ、おめぇ。
と、ミツルが思わずツッコミを我慢してしまうほど、今日もえりりんは薄着だった。
彼女が着ているのはノースリーブ。
大きく開かれた背中の布地は、犬が好きそうな骨のような形をした、個性的なデザインでもあった。
「……そうか。これでも使え」
どうしてまた、そんな格好を。
と、ミツルは心の中でケチをつける。
えりりんに助け舟を出したコゴロー先輩は、19世紀を思わせる保守的なデザインの水着を纏っていた。
「あ……ありがと、ございあす」
えりりんは恥じらうように頬を染めながら、コゴロー先輩に投げつけられた大きなバスタオルを羽織った。
「ねぇ、みちゅ?」
腿の上に腿。
隣の席で、無言のウザ絡みを続けていたノイチが、ミツルへと顔を近づけて囁いてきた。
「もし、暑いって言ったら、笑う?」
活動レベルが高い彼女は暑がりだった。
思い返せば、今日も朝から活発に動いていた。
いつだって冷静なミツルは、声を落として、ふさわしい言葉を返す。
「べつに笑わないけどさ、それなら、わざわざくっつくなよ」
「だって、みちゅの体、冷たくて気持ちいいんだもん」
そういうことだったんですね。
日常に潜んでいた小さなミステリーが解決したミツルは、思わずうんうんと頷いていた。
五者五様に揃った、テーブル。
快適温度は、人それぞれ。
好みの服も、てんでバラバラ。
今宵の彼らは、何をしでかすのか。
この謎のサークルを結成し、代表者でもあるコゴロー先輩が、いつも通り重々しく口を開く。
「……夏だ。怪談話でもしよう」
「やだ!」
即座に音を上げて、ぎゅっとミツルに抱きついたのは、もちろんノイチだった。
出るわ、出るわ、幸せホルモン。
彼女に密着されたミツルは、心が満たされてしょうがなかった。
「そんなに怖がらなくても、大丈夫だよ」
こんなやつらが話す怪談話なんて、怖いわけがない。
昨日はセイレーン、一昨日は河童。
直近だけでも、これだけの怪異に遭遇しているミツルには絶対の自信があった。
「そう……かな?」
頼れるミツルの姿を見て、ノイチは態度を軟化させる。
「そうだよ。だから首だけは、絶対に締めちゃダメ」
彼女のすべすべの腕は、ミツルの頸動脈をうまく押さえていた。
「じゃあ最初は、私から話させてもらうわ」
トップバッターを名乗り出たのは、変人1号・ウカウカ先輩だった。
「先日、某国の元首相と会談をする機会があったんだけど……」
――はいはい。『会談』と『怪談』をかけた、大喜利ね。先輩だけど、ごめんなさい。全然面白くないです。
ミツルは、余裕の表情で耳を傾ける。
ウカウカ先輩は、軽快に話を続けた。
「その人は少しおどけた人で、ある日、それが行き過ぎて、求心力を失ってしまって、首相の座から降りることになった、と言われているんだけど……」
話の流れが変わってくる。
ミツルの表情に少しだけ、陰りが差した。
しかしウカウカ先輩は、今日の天気でも話すように、穏やかな口調を貫いた。
「本当はね、宗教戦争に負けたからなの」
「やめやめやめ!! よくない、よくない!!」
怖い。
超怖い。
だからもうやめてください。
話についていけず、ポカンとするノイチの腕を振り払い、ピンときてしまったミツルは前のめりになって話を止めた。
「そう? 残念ね」
ウカウカ先輩は凛とした表情を保ったまま、耳まで髪をかきあげて、話を中断してくれた。
ホッと息をついたのも束の間、横からのんびりとした口調がかけられる。
「今の、どういう意味?」
「えーっと、ねぇ……それで、正解なんじゃないかな、うん」
知らんでいい。
そんなこと気にしなくたって、いや、知らないからこそ、あなたは輝いているのだから。
今のミツルには、秋風ノイチという存在を優しく肯定することしかできなかった。
「じゃあ、自分も政治つながりで……」
「政治の話はもういいんじゃないかなぁ!?」
迅雷風烈。
えりりんの話は人類最速で潰しておく。
誰が言い出したのか、「政治・宗教・野球の話はするな」というビジネスシーンでの3大タブー。
時代錯誤の考えかと思いきや、それらは未だに健在であることを、ミツルは肌で感じてしまった。
「……それでは、俺が話そう」
変人2号を飛ばし、3号のコゴロー先輩が満を持して動き出す。
低く、ゆったりとしたテンポで話すその声は、怪談話にはうってつけでもあった。
……今でこそ、甘いもので満たしているが、3年ほど前までは煙草に依存していた。その頃は毎日2箱、消費するのが日課になっていた。
……当時住んでいた部屋は、アパートの一階だった。風呂なしで日当たりが悪く、狭くて古い。だから家賃は安い。学生街なら、珍しくもない。そんな部屋だった。
……ちょうど、今頃の季節だったか。涼しくなってきた、深夜のことだ。その日も、寝る前に一服しようと台所に立って、換気扇をつけた。だが、それだけだとニオイがこもる。だからいつものように、流しの正面にある、すりガラスの窓も開けた。
……窓を開けた瞬間、女と目が合った。薄汚れた、グレーのワンピースを着た女が黙って立って、じっとこっちを睨んでいた。
……安アパートだったからな。防犯用の格子なんてものはついていない。その気になれば、部屋に入ってくることも出来ただろう。それくらいの距離だった。何か用があるのかと、俺はその女の顔を見続けた。
……年老いているのか、若いのか、わからなかった。やせこけた頬の上についた血走った目が、延々とこちらを見上げている。俺は待った。まったく見覚えのないその女が、何を訴えたくて、次にどう動いてくるのかを。
……ところが、女は何も喋らない。ずっとこっちを睨んでいるだけだった。その間に、一本吸い終えた俺は、もうしまいにしようと窓枠に手をかけて、そのまま窓を閉めた。
リンリン、コロコロ、ピロロロロ。
周囲に響く虫たちの声も、どこか勢いを失ってきていた。
「え? もしかして、終わり!?」
ミツルは素っ頓狂な声を上げる。
コゴロー先輩は、こくりと頷くのみだった。
怖いのか、怖くないのか。
なんだったんだ、今の話は。
「やだ……怖い……」
ノイチの言う通り、よーく考えてみると、すごく怖い話だったはずだ。
それなのに、過去のコゴロー先輩があまりにも冷静に行動していたものだから、そっちの方が引っかかってしまう。
「こわぁ」
えりりんも怖がっているようだったが、ミツルに与えられたのは、釈然としない気持ちだけだった。
口直しがしたくなった彼は、最愛の存在に声をかけることにした。
「ちょっと、ノンちゃん。なんか、お話してみて?」
「なんかって……やだよ、私。怖い話なんて、ないし」
「いや、怖い話じゃなくていい。絶対、なんかあるって。俺に隠してることとか、短いやつを、一発お願いします」
「えー?」
渋るような声を出しながらも、彼女は絡めていた腕をミツルの体から外して、その場で座り直した。
「あるにはあるけど、怒らない?」
「怒らないって。お願い。君だけが頼りなんだ」
彼女ならば、間違いなく、このモヤモヤとした気持ちを晴らしてくれるはず。
ミツルは確信にも似た期待を抱いて、ノイチのエピソードを待った。
やがて、彼女はバツが悪そうに下を向き、体をもじもじとさせながらその口を動かし始めた。
「いつも、半分ずつ食べてる、4個入りのパン、あるじゃん?」
「あれね。うまいやつ」
クリームやチョコ、最近では塩気のある総菜系の具材が入った、ミニサイズのパンが詰められた、秋風家ではお馴染みの味。
庶民の味方ともいえるあのパンについて、彼女は一体何を隠しているというのだろうか。
「うん、そう。でね? あれ、5個入りのやつを探して買ってきて、本当は、私だけ3つ食べてるの」
――はい、かわいい。
仲間で集まったときの話なんて、こんなもんでいい。
誇らしい気持ちになったミツルは、期待に応えてくれた彼女へと大きな拍手を送った。
正面に座る三人も、笑いながら手を叩いて喜んでくれた。




