第82食 さらば夏の幻
言葉の通じない河童・ド・芳賀の大渓流。
このピンチを巻き返すのは、多言語対応翻訳アプリしかない。
ピチピチ、パチャパチャ。
涼やかな水音までをも茜色に染めそうな、夏の夕日を背に、ミツルは仕切り直しを試みる。
《こんにちは。このたびは、お子さんを釣り上げてしまってごめんなさい。なにかあったら、治療費を払うので、連絡先を渡しておきます》
翻訳された機械的な音声が流れる。
ふんふんと頷いたのは、大型のセクシーな河童。
その名もジェラシー。
ミツルはスマホのスピーカーを、正面で見下ろしている彼女の顔へと近づけた。
現代科学の最先端技術が、今、一介の男子大学生と七尺近い女子河童という異種族の架け橋となる。
《こんにちは。私に子どもはいません》
《じゃあなんで来たんだ、おめぇ!!》
架けられた橋は、ぐにゃぐにゃに曲がっていた。
状況がさらにわからなくなったミツルは、一気にいつものテンションを取り戻した。
《誰なの、あなたは!?》
《私の名前はジェラシーです》
《それはもう聞いたから、知ってんだよ!! そうじゃなくて、どういうことなの!? 俺はさっき、河童の子どもを間違って釣り上げちゃって、怪我とかしてたら怖いから親を呼んでくるように、その子に頼んだんだけど!?》
《私たち河童は、全員で子育てをします。子どもたちにとって、大人は誰もが親代わりみたいなものです。それで、一番近くにいた私に声をかけてきたのではないでしょうか》
《あぁ……そうなの? いい文化ですね》
人との距離が近い田舎社会を想像して、ミツルはほっこりとした気持ちになる。
《ええ。我らが偉大なる総大将様が改革を推進してから、少子化も改善しまして》
が、すぐに裏切られた。
《ごめんなさい。そっち側の体制の人だと思ってなかった。大丈夫なのかな? 俺と、こうやって接触しても》
《はい、大丈夫ですよ。我らが偉大なる総大将様が推進した改革によって、最近では外部との交流や企業経営、個人での商売なんかも認められているので、どうか安心してください》
どうにも安心できないキーワードの数々が入ってくる。
無駄に経済学部に在籍しているミツルは、特定の国家が頭をよぎって話題を変えたくなった。
《えぇっとねぇ……》
しかし、何も思いつかない。
《ちょっと、先に、これを……》
言葉尻を濁したまま、未だに足元で跳ねていた魚を掴んでは、川へと放り投げる作業を繰り返す。
フナにコイ、種類もわからない稚魚から鮎まで。
そうして、小さな命を救っているうちに、ふと巨大な影が隣に立った。
《……優しいんですね?》
《うん。よく言われてる》
ピチピチ、パチャパチャ。
ジェラシーも手伝ってくれて、遅ればせながら魚たちの救助を完了させる。
作業を終えた二人は顔を見合って、互いに照れたような笑いを浮かべた。
言葉を交わさなくても、目と目を合わせれば、どこかで通じ合える。
いつの間にか、日没が始まっていた。
《さて、じゃあ僕はそろそろ》
《待ってください》
逃亡失敗。
なんかエモい雰囲気になったから、このヤバい存在からさっさと離れよう。
そう思ったミツルだったが、ジェラシーによって手首を掴まれてしまった。
《……どしたの?》
そっけなく尋ねる。
帰っても、秋風ノイチとかいう、もっとやばい存在が待っている彼は、気持ちを表情に出さないことにすっかり慣れていた。
《ミツルさん、まだ私のフォローしてないです》
そういえば、インフルエンサーとか言っていた。
でも、フォロワーになる約束なんてしていない。
だがしかし、彼女の要求には応えねばならない。
なぜならば、さっきから握ってるその手の力が強すぎて、このままだと手首に水かきの跡が残っちゃいそうだから。
《いいけど、どの媒体でやってるの?》
《『インスタントグラマラス』です》
《知らないよ!! なにそのSNS!? グラマラス!? セクシー系限定ってこと!?》
《はい》
《簡単に認めた!! え!? そう、なんだ……ちなみに、どうやってやるの、それ?》
最近、性生活においてもノイチによる管理が厳しくなってきたミツルは、秘密の世界への参加に満更でもなかった。
「Я зроблю. Дай мені на хвилину」
翻訳アプリは強制終了。
ジェラシーにスマホを奪い取られたミツルは、流されるまま彼女のフォロワーとなった。
「Дивись скільки завгодно, хтивий хлопче」
彼女にドヤ顔でスマホを返され、表示されている画面を見てみる。
「これは……」
ジェラシーだけじゃない。
ろくろ首に、雪女。
名称がわかるのはそれくらいだったが、鎌を持って地を這うヤバそうな女や、後頭部に口がついてるもっとヤバそうな女に、ほぼ蛇の女まで。
女妖怪たちによる、センシティブな写真がたくさんアップされている。
見るだけで、ミツルはげんなりとしてしまった。
「……応援してます。遠いところで」
「Наступного разу я приїду до тебе в гості」
通じ合っているのか、いないのか。
今度のジェラシーは、背を向けて歩き出した彼を止めず、手を振って見送った。




