第76話 サタデーナイトセール
ネオン輝く、スーパーマーケット『ベイシティ』。
良いものを、お求めやすく。
そんな企業理念に基づいて運営されるこの店は、サタデーナイトともなれば、週末限定のセールが開催される。
誰もが耳にしたことのある、70年代のあの有名曲が流れる店内は大賑わい。
8月も始まったばかりの夕暮れ。
馴染みのパチンコ屋に祖母・ぼぎを迎えに行ったノイチとミツルは、帰りがけにふらりと、この魔境へとやってきてしまった。
「今日は派手に負けちまったからねぇ。お寿司でもなんでも、好きなものをたんと買って、パーッとおうちで食べようねぇ」
「負けちゃったのに!?」
最強のパチプロが言い放った辻褄の合わない発言に、ミツルはビビり散らかした。
「じゃあ私はステーキ肉、買っちゃおうかな。みちゅは、どうするの?」
「みちゅ!?」
ついでにノイチが突然始めた、変な呼び方にもビビり散らかした。
「さぁさぁ、二人とも。こんなところで、いつまでも立ち話してると、他のお客さんの迷惑になっちまうからねぇ。お寿司でもなんでも選んでくるといいさねぇ。ミツルも遠慮しないで、なんでも、好きなものを選ぶんだよ? お寿司でもいいからねぇ」
「ばあちゃんは、お寿司食べたいのね? わかった、わかりました。どうもありがとう」
折り畳み式のキャリーワゴンをカートに引っ掛け、ミツルは店内へと足を踏み入れた。
ノイチもぼぎも、その後を追う。
「私、お肉コーナー見てくる!」
入るなり、ノイチは奔放な動きを見せようとした。
そんな彼女の手首を掴み、ミツルは必死に説得する。
「待てよ! こんな人混みの中はぐれたりしたら、あぶねぇだろ! ちょっと我慢して、一緒に回ってくれ! 頼むから!」
そうでなくとも三人で買い物に来ると、どっちについて行ったらいいか、わからなくなる状況がしばしば発生する。
ミツルは心から、集団行動を望んだ。
「みちゅ……」
大事にされている。
彼の言葉をそう解釈したノイチは、瞳を潤ませてじっとりと、最愛の男の顔を眺めた。
よく冷えた果実のフレッシュな香りが漂う果物コーナーに、甘酸っぱい時間が流れる。
「……私、スイカ食べたいかも」
色気も食い気も、欲張りに生きるノイチの視界の端には、きっちりと季節の果物が映っていた。
「ばあちゃんに聞きな?」
ミツルに言われるがまま、彼女はぼぎにくるりと振り向く。
「おばあちゃん、買ってもいい?」
こういった青果物は直売所でしか買わないのが、秋風家の暗黙のルール。
しかし、今夜はハッピーなサタデーナイトセール。
優しいおばあちゃんはニコニコと笑って、しっかりと頷いてくれた。
「ラッキー! デザート確保!」
「ダメだよ、のん。もっと、うんと大きいのにしなきゃ」
「食べきん……なくもねぇか。好きにしてくれ」
陳列棚に手を伸ばしたノイチを止めるぼぎに、ツッコミを入れかけたミツル。
買い物はまだまだ始まったばかりなのに、この忙しさであった。
「……なんか、変わった配置だね?」
忙しなく動き続ける人混みの中、ミツルはキョロキョロと周囲に視線を走らせた。
青果とベーカリー、そして総菜や弁当が並べられたコーナーが、この一か所に集まっている。
入口からして混んでしまう理由にもなっていると、なんとなく納得できる作りだった。
「――あったよ! 二人とも、こっちさね!」
人混みの向こうから、ぼぎの弾んだ声が響く。
彼女はその小柄な体格を活かし、奥にある、ひときわ涼し気な装飾のなされた『鮮魚・寿司特設コーナー』にまで潜り込んでいた。
「嘘だろ!? もうあんなところまで行ってんの!?」
「さすが、おばあちゃん! 私たちも早く行こう!」
「お、おう」
人波をかき分けながらカートを押すミツルは、先陣を切るノイチについて行くので精一杯。
「あ、これかわいい! え!? ちょっと待って!! ハンバーガーのセットがある!! みちゅが好きそうだから、これも入れちゃおう!」
そんな中、彼女は通りがかったベーカリーコーナーで見つけたパンオショコラの詰め合わせと、ハンバーガーとフライドチキンのセットを、カゴの中に放り入れた。
「…………」
カゴの中のごちゃつきが気になったミツルは、中身を綺麗に詰め直しながら彼女の背中を追う。
「あ、焼き鳥食べたい! みちゅも食べるよね? お野菜も、ちゃんと食べないとね!」
そうしている間にも、ノイチが次々と目についたお惣菜やサラダをどんどん入れてくる。
直す、直す、ひたすら積み直す。
彼女の勢いに負けじと、ミツルは持ち前の几帳面さを遺憾なく発揮した。
結局、二人がぼぎのもとにたどり着くまでに、カゴの中身は半分以上が埋まっていた。
「ミツルは、マグロが好きだったねぇ?」
「そう……かもね」
ハンバーガーに焼き鳥に、その上お寿司まであったら絶対に食べ切れない。
そんなことはわかっているのに、ミツルは寿司を探るぼぎの手を止めなかった。
おサラダ一発。
彼の本日の食事量は、それだけだった。
健康な男子大学生である彼は当然、それだけでは足りない。
今なら、全部食べられる気がする。
空腹時のスーパーは危険地帯。
ご多分に漏れず、ミツルもその罠に、盛大に引っ掛かっていた。
「中トロの握りが入って、半額だって! これにしない!? 私にも少しちょうだい!」
「いいねぇ」
心強い味方に見えるノイチが、悪循環に拍車をかける。
どうか彼を助けてあげて、おばあちゃん。
「……イカも食べようかねぇ?」
ぼぎがカゴに入れたのは、北海道産スルメイカの握り。
もはや、この図式は誰にも止められなかった。
続いて、三人が足を運んだのは壁の向こう側までが肉で埋め尽くされた、巨大精肉コーナーだった。
「どうする? せっかくのステーキだし、ガーリックライスとかにする?」
「うわぁ……ノンちゃん、それ、最高」
魔境に呑まれたミツルの瞳に、冷静な常識人の光は残っていなかった。
それどころか、パーフェクトな提案をしてきた彼女の姿が、純白の翼を携える天使に見えていた。
「お米も安いらしいから、見に行こう! あ、そうだ。備蓄用のお水の期限がそろそろ切れちゃうから、ついでに買って行ってもいいかなぁ? 帰りの荷物、重たくなっちゃうけど……」
自分だけのエンジェルが、慎ましくこちらの顔を覗き込んでくる。
「なにを遠慮してるんだ、お前は。そんなの、俺が持ってやるって。そのために、キャリーワゴンを持ってきたんでしょ?」
「ほんと!? みちゅ、大好き!!」
絶望の旅へ、ライドオン。
米や水だけに飽き足らず、缶詰や乾麺、調味料類に冷凍食品からアイス、果ては仏壇のお供え用にと、かし原のひと口塩羊羹まで。
欲望の限りを尽くした買い物は、終焉を迎える。
三人家族とは思えない、バカげた金額の会計をレジで済ませれば、物語はいざ、新たなステージへ。
100キロまでの荷重に耐えうる、大型のキャリーワゴンを引っ張った腹ペコ怪獣・ミツルの家路模様が、今、始まる――。




