第69食 リタのお願い
「カッコいいっすよねぇ……」
でしょうね。
その後輩に手渡されたボディシートで、全身の汗を拭っていたミツルは思った。
「よせやぁい」
ミツルは照れながら、使い終わったシートをゴミ箱に投げ捨てる。
そのまま共有ラウンジを見回し、会話を聞かれてはいけない人物がいないか、確認する。
秋風ノイチの匂い、気配。共になし。
安全を確信した彼は椅子に座り直し、その緩みきった顔をリタへと向けた。
「どこが、カッコいいと思ったの?」
手にしたグラスを口元に運ぶこともなく、中の氷をカラカラと鳴らすだけに留める。
それが、彼が全力で演じる、カッコいいお兄さんぶりだった。
「年上で、落ち着いてるとこっすかねぇ」
落ち着きのない手の動きをピタッと止めて、カタン、とグラスを置く。
今度はテーブルの端に置かれていたストローを取って、アイスティーの入ったリタのグラスにスッと差してやった。
「他には? 顔とか?」
「そうですね。顔もそうですけど……」
――おいおい、まずいよ。俺にはノンちゃんがいるんだって。なんだ急に。ストレートに褒めてきたりして。女の子にこんなこと言われるの、初めてだよ。ノンちゃんだってそんなこと言ってこないし、恥ずかしいけど、嬉しいね。ノンちゃんのハートを射止めた俺の、顔の他にもいいところがあるって? どこ? 早く聞かせて? どこがいいの? 俺の。
「スラッと背が高くて、ちょっとダウナー系入ってて、ミステリアスで」
「それ、俺のことじゃねぇな!!」
でしょうね。
ラウンジに、鉾田訛りの咆哮が響いた。
リタが言っているのは、二人からすれば大先輩にあたる大学院生、頂小五郎のことだった。
「え? 先輩、自分のことだと思ってたんですか? ノンノンの彼氏に手ぇ出すわけ、ないじゃないですか」
「そうだけど! 忘れろ! 恥ずかしいから!」
ちょっと油断しただけで、すぐこれだ。
ミツルは気を引き締め直して、目の前にいる奇妙奇天烈な存在を注意深く見守った。
「はぁ……もうすぐ夏休みに入っちゃうし、このままじゃ今年も一人だ。自分にも、彼氏がいればなぁ」
リタはテーブルに肘をついて、窓の外を眺めた。
そこにはテスト対策に追われる学生たちや、オープンキャンパスに向けて活動する人々が行き交う、独特の風景が流れていた。
「……先輩、過去問とか持ってないんですか?」
突然に顔を向けてきたリタが、脈絡なく話を再開させる。
支離滅裂慣れしているミツルは、余裕の表情でリタの振った話題に乗っかった。
「今さら?」
テスト期間はもうすぐ終わる。
そんなことをしても、何にもならない。
第一、そんなものは必要がないことを、先輩である彼は知っていた。
「一応持ってるけど、うちの大学そんな出ないよ? 過去と同じテストなんて」
「そうなんスか?」
リタは眉を上げて、アイスティーのストローを噛んだ。
「そうだよ。俺も一年のとき、それで苦しんだ。で、気づいた。『あ、過去問目当てで、無理してサークル入んなくていいんだ』って」
「へぇ……なら、自分もこのまま、ノンサーでオッケーっスね。先輩って、スマホ全然イジんないっすよね?」
「なんだ、急に。全然違う話して」
「いや、感じいいっすよ? 話聞いてくれてる感が出てて」
「なんで上から目線なの?」
「はぁ……誰か、コゴロー先輩紹介してくれないかなぁ」
「俺のこと、親戚かなんかだと思ってる? 怒らないこともないぞ? あんまり自由にされても」
万能戦士・真菜ミツルは、二転三転するリタの話題にも器用に対応。
彼女もその性能を分かりきっているのか、ニヤニヤとした表情を浮かべて彼を見ていた。
「……勝手に行って来いよ。たぶん、あのプレハブにいるよ」
「男の人と二人きりなんて、そんな破廉恥なこと、自分はできないっス」
「今、おめぇは俺となにやってんだよ!! 破廉恥なことしてんのか!?」
「うわぁ、これはノンノンに浮気報告しないと」
リタは取り出したスマホの画面に目を落として、ポチポチと何かを打ち込み始めた。
「やめろ、やめろ、やめろ! 本当に、やめて?」
彼女の顔とスマホの間に滑り込ませた手を激しく振って、ミツルは大真面目に懇願する。
鬱陶しそうに眉を寄せたリタは指先の動きを止めて、その顔を上げた。
「交換条件っす。一緒に来てください、ブラザー」
そういえば、ミッション系出身だった。
そんなリタにふさわしい台詞を、ミツルは表情凛々しく――
「仰せのままに。シスタ」
「話は聞かせてもらったわっ!」
決められなかった。
後方で腕組みをしながら立っていたのは、カップル大好き、したり顔のウカウカ先輩だった。
困ったような、気まずいような、頼もしいような。
何とも言えない表情で、ミツルとリタは顔を見合わせた。
二人のもとに近づいたウカウカ先輩は、構わず続ける。
「あいにくだけど、今行ったところで、彼には会えないわ。うちの組織……いえ、うちの会社……えーっと、一般企業に、インターンシップに行っているから」
――ただのインターンシップじゃないね。詳しくは絶対に聞かないけど。
訝しむミツルだったが、同時に訪れた解放感が勝った。
「じゃあ、しょうがないね。今回は諦め」
「土曜日には帰ってくる予定だから、その日に集合しましょう」
しかし、ウカウカ先輩にすぐさま塗り潰される。
「鵜飼先輩も、来てくれるんですか?」
リタは、なぜか嬉しそうに表情を弾ませた。
「ウカウカ先輩でいいわ。当然じゃない。真菜君の後輩は、私の後輩でもあるんだから」
――学部が全然ちげぇだろ。それにしても、なんでこの人、毎回タイミングよく来れるの?
一生解けないミステリーを胸に、ミツルの熱い夏が始まる。




