第7食 デナイの奇跡
――二日後。
やや猫背の男子大学生と、ギャル。
秋風家という少し変わった家庭の、少し変わった男女は今日もユルい交際を重ねていた。
「わーお。換気扇がベットベト。フィルター交換したの、いつ?」
「えへへへへ」
「えへへ、じゃなくて」
キッチンまわり。
「排水口の髪の毛を、ちゃんと取りなさいよ。ピンクの。これ、間違いなく君のだよ?」
「えへへへへ」
「えへへ、じゃなくて」
洗面所、および風呂場。
「のん、とかって言ったっけ? あなた、水回りに関しては全然ダメ。失格です」
「えへへへへ」
「えへへ、じゃなくて」
トイレだって磨いてしまう。
ミツルは完全に秋風家に取り込まれていた。
「掃除、終わったね」
「終わらせたのは、こっちですから。さも自分がやったかのように、語らないで?」
「あはははは! やっぱりミツルって、面白いね!」
「全然面白くないのよ、こっちは。朝から叩き起こされて、アレしろ、コレしろって言われてさぁ」
「あはははは! まあまあ、終わったからいいじゃん。おばあちゃん迎えに行こう?」
「ばあちゃんは、どこに行ったの?」
「オシゴト」
ノイチのあざといウインクを全力で堪能したミツルは、仏壇にあげたお線香の火をきちんと消してから、彼女と連れ立って家を発った。
パーラーDAY&NIGHT。
略称はデナイ。
終日、常連客にすら還元する気のないこの店に弁聖はいた。
「六万六千発……まぁ、今日はこんなもんかねぇ」
弁聖はハンドルを左に戻し、出玉をカードへと転送する。
弁聖の弁は花弁の弁。
異常に釘の締まった店でも、彼女の台だけはチューリップが開いて、回る回る。
この日も弁聖は荒稼ぎ。
彼女はパチンコ一本で、家屋の維持管理や生活を成り立たせていた。
時刻は正午。
この店の景品コーナーには、お昼になると弁当が並ぶ。
毎週水曜は中華の日。
かわいい孫娘には油淋鶏弁当。
将来、義理の孫になる男にはスタミナ酢豚弁当。
それらを手に取った自分を思い描き、弁聖は静かにカード返却ボタンを押した。
「くっそがぁ!! なんで出ないだぁ!! 遠隔だるぅおぉ!!」
その時、弁聖の反対側のシマでトッシュ岡田が奇声を上げながら台パンをした。
異常振動を感知した弁聖の台にEのランプが点灯する。
「おや? 困ったねぇ……」
カードを取り出せなくなった弁聖は呟き、データカウンターに備えられた呼び出しボタンに手を伸ばした。
「こ……ここは……」
デナイのドアの前で、言葉を失うミツル。
そこは彼にとって、すべての始まりの地だった。
何もかも失ったあの日の出来事が走馬灯のように蘇――
「早く行くよ?」
らない。
感傷に浸る暇もなく、ミツルはノイチに引っ張られて店内へと踏み込んだ。
ずんずんと、ノイチが目指したのは『フィーバー炭物語』のシマ。
あの日、ミツルを救ったおばあちゃん。
台の前に立つ弁聖は、女性店員に向かってぺこりと頭を下げていた。
「どうしたの!? おばあちゃん!?」
喧しい店内でも聞こえるよう、ノイチはこれでもかと声を張り上げる。
しかし、弁聖はおばあちゃん。
普段と変わらないトーンで話し始めた弁聖の声を、『聞こえし者』のミツルは拾えなかった。
「なんてぇ!?」
弁聖との会話を済ませたノイチに、何があったのかを尋ねる。
「なんかぁ!! トラブルでカードが取り出せなくなっちゃったのを、直してもらったんだって!!」
「直ったなら、良かったね!!」
《くっそがぁぁ!!》
『聞こえし者』の耳に、事件の産声が入った。
ミツルは不自然に揺れ動く『フィーバー炭物語』の台を見つめた。
「……したの!? ミツル!?」
ノイチの大声で我に返るミツル。
「あ……ちょっと、ばあちゃんに付き添ってあげて!? トイレ行ってくるから!!」
首を傾げつつ、言われたとおりにするノイチ。
二人の背中を見送ると、『聞こえてしまった者』ミツルは、隣のシマへと忍び寄る。
「クソボッタ店がぁ!! 何万使わせる気だぁ!! ゴラァァアア!!」
弁聖が座っていた台と、ちょうど反対側。
そこに座っていたのは、マッシュルームカットに肥満体型の中年男性だった。
『令和市場いそっぷ』でミツルたちに絡んできた、見覚えしかないその男。
トッシュ岡田が、魔獣のような咆哮を上げ、台を叩きつけていた。
「……異常なし」
ミツルは、ことなかれ主義であった。
踵を返し、鮮やかに景品コーナーへと合流するミツル。
「お帰り! おばあちゃんがミツルの分のお弁当、選んでくれたよ?」
「マジ? ごちそうさまです」
「いいんだよ。さて、帰るとするかねぇ」
『聞こえし者』ミツル。
生まれて初めて、パチンコを打たずに店を後にできた日であった。




