第61食 フリーズ、プリーズ!
「お酒、飲まないの?」
「うん……今日は、いいかな」
「まだ余ってるよ!?」
「どうした、急に? 大声出したりして」
三日目の夜は、ちょっとした揉めごとから始まった。
ノイチからすれば、ご褒美タイムをもう一度。
ミツルからすれば、頭痛はするし、そこはかとなく体もだるい。
おまけに、ノイチを相手にした、とんでもなくスケベな夢まで見ていて、彼女と目が合うたびチクリと胸が痛む始末だった。
「もったいないじゃん!! どうするの!?」
すごく怒ってる。
でも、飲めない酒を大量に買い込んでしまったのは確かなことであり、向こうに理がある。
困ったミツルはこの場を収めるべく、なんとか折衷案をひねり出す。
「明日も講義があるから、今日は勘弁して? その代わり、明日の夜には、ちゃんと飲み切るから」
「講義って言えば、今日ちょっと帰り遅かったじゃん!! なんで!?」
「……そんな日もあろうよ。電車とか、混んじゃったりして」
「なにそれ!? すぐ帰ってきてよ!! とにかくダメ!! お酒は毎日、少しずつ飲んで!!」
が、変な感じになって、出した案もひねり潰された。
「なんでぇ……」
「ミツルってさ、お酒弱いじゃん?」
「うん」
自分でも情けなくなるほどの耐性のなさ。
否定できない、事実である。
「だから、心配なの。一気に飲んだりしたら、ミツルの体、壊れちゃうかもじゃん?」
「……ノイチさぁん」
こんな女を待っていた。
見た目に関してはイケイケのギャルだから、そこまでアレだけども、中身は聖女。
ミツルは秋風ノイチという女の魂に惚れ込んでいた。
「『ノンちゃん』て、呼んで?」
「ノンちゃん」
ああ、呼んでやるさ。
死にたくなるほど、クソ恥ずかしい。
だけど、今日から呼んでやる。
ただし、家の中だけで。
そこだけは、どうかブレさせないでください。
よろしくお願い申し上げます。
「はい、じゃあどうぞ!」
決意を固めたミツルの前に、コトリと置かれたのは、缶チューハイだった。
「まだ早いって! 寝る前でいいでしょ?」
「もう寝る!?」
ノイチは素早く立ち上がると、居間の隅に畳んでいた布団に手を伸ばした。
「だから早いんだって! まだ、というか、この二日間、全然ゲームしてねぇじゃん! せめて少しぐらい、一緒に遊びたいんだよ、俺は!」
不貞腐れた顔で戻ってきたノイチは、卓上に肘をついて、大きくため息を吐く。
「はぁ……」
そのまま彼女は、尖らせた口を動かした。
「ゲームとかさ……どうでもよくない?」
「なんだそれ!? お前が言い出したんだろ!?」
自分がやりたいと言ったことをやりたがらない。
こんなノイチは初めてだった。
「『ノンちゃん』て、呼んで?」
「おぉい、ノンちゃん!!」
初めまして、気まぐれノンちゃん。
ミツルはヤケクソ気味に声を張り上げた。
しかし、はっと我に返った彼は、テーブルの下に顔を潜らせる。
「ごめんよ、カフェオレ。おっきな声出したりして」
「ナーン……」
そこにいたのは、カフェオレ大福もち丸だった。
彼が怯えてここに隠れていたのは、決してミツルの大声が理由ではない。
「おいで?」
「ナーン……」
ぼてぼてと手足を動かし、遠慮がちにミツルの膝の上に乗る、カフェオレ大福もち丸。
「よしよしよし……」
ミツルによる猫ギターの演奏が始まる。
「めちゃくちゃにしてやるぜぇ!」
めちゃくちゃにされてるのは、昨日のお前。
お腹やら、わきの下やらを触られながら、無言を貫くカフェオレ大福もち丸の目はそう言っていた。
「ねぇ、つまんないんですけど?」
低くさせたノイチの声が、居間に響く。
ミツルはぴたりと動きを止め、意を決したような、どこか諦めたようにも見える表情を浮かべる。
猫を解放した彼はスッと立ち上がり、何も言わず、キッチンへと姿を消してしまう。
その後ろ姿を見送った彼女は、みるみる表情を曇らせていった。
言い方、悪かったかも。
ミツルが何も言わないでどこかに行ってしまうなんて、思いもしていなかった彼女は焦る。
ガタガタと、すりガラスの扉が揺れ動く。
そこに浮かび上がるシルエットは、もちろんミツルだった。
荷物、まとめてる?
出ていくって、言われたらどうしよう。
口は災いの元。
もっと考えて、言葉をかければよかった。
もっと上手に、甘えたかった。
もっと彼を、大切にしてあげればよかった。
ノイチの頭の中に様々な思いが渦巻き、そして、扉がスライドした――。
「これでも、お食べなさい?」
――ミツル様、再臨。
キッチンから戻ってきた彼が、その手に持っていたのは、大きなイチゴの乗ったホールケーキだった。
よかった。
怒ってなかった。
ホントに、よかった――。
何か言おうと思っても、ノイチは唇が震えて、何も言えない。
――感動で震えてるじゃないか! よっしゃ! サプライズ大成功!
「驚いたでしょう? せっかくのお泊まり会なんだから、これでも食べて、楽しくやろう」
もしかしたら、ゲームをやっているうちに、ノイチがヘソを曲げるかもしれない。
そんなこともあろうと思い、この日、ミツルは帰りにケーキ屋に寄っていた。
想定とは違う形で出すことになったが、平和を愛する男にぬかりはなかった。
「ミツルぅ……」
泣いちゃった。
どうして?
焦ったミツルは無造作にケーキを置くと、ノイチの隣に滑り込んだ。
「どうした!? やっぱり、チョコレートのほうが良かったか!? あの、なんか、丸太みたいなやつでしょ!? 気持ちはわかる!! 俺も食べたかったから!! けど、そっちは、クリスマスにしか売ってないんだって!! だから、今回はこれで我慢してくれる!? それとも、コンビニ行く!? きっと、好きな味、売ってると思うよ!?」
「うぅ……」
抱きしめられた。
どうして?
さらに焦ったミツルだったが、締め付けてくるノイチの力が強すぎて、どうにもできなかった。
結局、彼女が泣き止むまで、彼はずっと、アメリカの警察に捕まる人みたいなポーズで固まり続けていた。




