第58食 夏の引き締め
「俺の眉毛、寝てる間にイジった?」
風呂上がりのミツルは、なるべく強い言葉を使わず、犯人に迫る。
「やっとわかった?」
不満をひた隠しにするミツルに対し、ノイチは誇らしげに笑った。
「なんか変なタイミングで、風呂を勧めてきたと思ったら、そういうことね。今、鏡見たら、時代劇俳優みたいに、眉毛がキマッてるヤツと目が合ったから驚いた。な、なにこれ? ダメだよ? 人の眉毛、勝手に整えちゃ」
「いいじゃん、似合ってるし。あ、そうだ! ついでに太ももの裏の毛も、全部綺麗にしておいてあげたよ?」
「それは気づかなかった! 何をしてくれてんの? 俺をどうしたいの?」
「あはははは! 何言ってんのか、わかんない!」
――なんで笑ってんだよ、じゃあ。
呆れたミツルは、ため息混じりにキリリとした表情で座り込む。
「かっこいいじゃん、ミツル!」
「うるっせぇ! こういう顔になっちゃうの!」
必要以上に引き締まった眼差しを手に入れた彼は、癒しを求めて掃き出し窓に目を向けた。
窓際に佇んでいるのは、丸々と太った一匹のぶち猫だった。
秋風家のアイドルでもあるその猫は、強くなってきた日差しを一身に受けながら、外の生け垣を見つめている。
気がつけば、もう七月。
本格的に夏が始まれば、さらに強烈になった陽光が、容赦なくこの部屋を焼き尽くすだろう。
「……ブラインドか何か、買ってくるか」
愛する家族を守るため、ミツルは静かに立ち上がった。
「日除けなら、物置にあるよ?」
「早く言えよ。かっこつけたみたいになるだろ? 今の眉毛だと」
文句を言いつつ、彼は窓の引手に指をかける。
「今やるの? コインランドリーから通知来てたよ?」
「そうだった。帰ってきてから、やりましょう」
恥隠しか、ノイチの指摘を受けた彼は、ぱっと振り返って丁寧な口調に切り替えた。
同時に、落ち着いた思考を取り戻す。
「でも、買い物はどうするの?」
「大丈夫だよ、そんなに急がなくても。焦らず、ゆっくり行った方が楽しめるでしょ?」
いつもの優しい物腰に、無駄にキリっとさせた眼差しがマッチする。
「……うん」
急に顔を赤くさせたノイチは、誤魔化すように小さく頷いた。
――分析開始。
はい、ミステリーです。
なにがミステリーか、わかる?
『コインランドリーから通知来てたよ?』
って、言ってたでしょう?
これ、俺のスマホ、覗いてるよね?
まぁ人に見せちゃいけない連絡とかもないし、後ろめたいこともしてないから、別にいいんだけど。
いいんだけど……ちょっとだけ、怖いよね?
ももの裏の毛を全部剃られてる、隙だらけの俺が言うのもなんだけど。
「何してるの? 行かないの?」
「いや、行く行く。準備して?」
「わかった」
問い詰めるか?
いや、問い詰めたところで、どうなる?
余計なこと言って、また拗ねられても困る。
【少しのズレも許せない、セコい人間になってたよ】
そういう歌も、あったもんね?
ちょっとぐらいズレてることがあっても、秋風ノイチとはハッピーエンドを迎えたい。
うん、黙ってよう。
……いや、だいぶズレてんだよ!!
百歩譲って、眉毛はいいよ。よくないけど。
問題は、太ももの裏の毛だよ!!
寝てる間に、ズボン下ろしたってこと!?
大胆ですね!!
「準備オッケー。いこ?」
「ちょっと待って。そのエコバッグじゃ、シーツ入らないんじゃない?」
「これ? コインランドリーの前に自販機、あったじゃん? せっかくだから、いっぱい買おうと思って」
ほら、ズレてる!!
夕方に買い物行くんだから、高い缶ジュースなんて買うなよ。
「あれ? 私のブーツは?」
「下駄箱入れといたけど……暑いのに、ブーツ履くの?」
「当たり前じゃん」
それは、知らなんだ。
それもズレ?
それとも、ギャルなら当たり前の文化?
「うわっ……外、ジメジメ。もう最悪」
「くっつくなよ、じゃあ!!」
「あはははは! いいじゃん、いこ?」
楽しそうだな、こいつ……。
戻らぬ眉に、進む夏。
ズレた歩幅をノイチに合わせ、歩き出したミツルの胸中は、いつものように呆れと諦めが混ざり合っていた。
しかしその表情はなぜか、とても引き締まって見えたという。




