第56食 ミツル、怒涛のお目覚め
「ナーン……」
息苦しさを感じて目を開けると、そこにいたのは猫だった。
「なんだ、お前か」
形容しがたい悪夢を見ていた気もするが、その平和な顔つきを見てホッとしたミツルは、愛猫を抱きしめて再び目をつむる。
すると、ざらざらとした舌の感触が、しつこく唇を襲ってきた。
「なぁんだよ、珍しい。おなか減ったのか?」
普段はあまり甘えてこない、カフェオレ大福もち丸の熱い想いが伝わってくる。
観念したミツルは、愛猫を抱えたまま上体を起こした。
直後、音もなくふすまが開かれた。
「ミツル!?」
「おわぁ!?」
ピンク色のショートボブを揺らしながら、秋風ノイチが駆けてくる。
「なんだ。びっくりさせんなって……おはようございます」
開口一番にクレームをつけたミツルだったが、ギャルのくせにやたらと澄んだ瞳を向けられ、いつもの低姿勢を取り戻す。
「びっくりしたのはこっちだって。眠ったまま帰ってきたと思ったら、丸一日、目も覚まさないで……」
「丸一日? ……試合後のボクサーみてぇだな」
ポツリと放たれたツッコミ。
それを聞いて、ようやく心を軽くしたノイチは顔をぐっと近づけて、溜め込んでいた想いを口にする。
「そうだよ? もち丸なんて、ずっとミツルのそばから離れなかったんだから。ねぇ、お腹減ってない? ピラフ食べる? ミツル、お米好きだもんね? 作ってくるから、その間に顔とか洗ってくれば? あと、おばあちゃんが敬老会? みたいなので、四泊六日の旅行に出かけちゃったの。寂しいよね? で、今日やっと晴れたから、おばあちゃんの布団とか枕とか、全部干したいの。だから手伝って。コインランドリーも行かなくちゃね。布団といえば、ミツルばっかりもち丸と寝てて、ずるいじゃん? だから、私も一緒に寝てみたい。今日から下でお泊り会しようね? そしたら買い物、どうしようか? パーティみたいに、楽しくしたいよね? あ、なんだか私もお腹すいてきた。ネギトロ丼食べたいかも。そうだ、近くに唐揚げ屋さんができたみたいだから、行ってみない? アプリがあれば、一個無料でもらえるらしいよ?」
――分析開始。
帰ってきたら帰ってきたで、コレです。
全部思い出した。
先輩のアレだ。
ウカウカ先輩の言いなりになって、指輪代を回収してきたっていう。
そういう激闘をしてきたんだ、俺。
で、なに?
情報が多すぎるって。
丸一日寝ていた成人男性が、一度に摂取していい情報量じゃない。
ちょっと、整理していこうか?
ピラフは好き。
それは間違ってない。
美味しいんだよ、こいつが作る米料理。
だから嬉しいんだけど、なんだよ、四泊六日の旅行って。
ばあちゃん、どこ行ったの? 海外?
で、『コインランドリーも行かなくちゃね』っていうのは、遠回しに俺に『行ってこい』って言ってるのと同じだからね。
温かくも厳しい、秋風ノイチ先生のお人柄がよく出ている、と。
んで、『お泊り会』っていうのをしたくてたまらない、と。
自宅でお泊り会っていう発想自体、よくわからないけど、それが伝えたいことのメインだったんだろうね。
わからないと言えば、なんでネギトロ丼の話してて唐揚げ屋に飛ぶんだよ。
ネギトロ丼食べたいやつは、唐揚げのシルエットすら頭に浮かばねぇんだよ、普通。
こっちの頭まで、おかしなっちゃう。
……『今日から』つった?
お泊り会の話に戻るけど、『今日から下で』って言ってたよね?
そしたら、四泊六日かな?
だとしたら、機内泊はどう再現するおつもり?
そんなことはどうでもいいか。
自分が何言ってるのか、わかってるのかな、こいつ。
もしかして、ちんちんついてないと思ってる?
俺だって、そういう、いやらしい気持ちにならないわけじゃないぞ?
決していいことばかりではない、なかなか一人になれない、そんな居候生活を送っております。
盆と正月がいっぺんに来た、じゃないけど、ピンチとチャンスがいっぺんに来た。
今、そんな気持ち。
でも、ほとんどピンチ。
どうしよう。
……と思っても、どうにもできないんだけどね。
「――ねぇ、聞いてる?」
「はい、聞いてます。ピラフ、食べたい」
「わかった! じゃあ、作ってくるから、ね?」
顔の前で、ぎゅっと拳を作り、決意を伝えるノイチ。
「うん……ありがとう」
その可愛らしさに、ミツルは成すすべもなくノックアウト負けをくらう。
「顔洗うついでに、お風呂も洗っといてね?」
「あ……はい」
甘ったるく、心地のいい残り香をふわりと漂わせ、勝者は部屋から去っていった。
「ナーン……」
セコンドのカフェオレ大福もち丸だけが、敗者を労ってくれた。




