第53食 ルール無用! 最上階の攻防!
――チーン。
六階に到着したエレベーターの扉が静かに開かれる。
本丸まで残すところ、あとわずか。
最終目標地点『闇野イルカのドリーミングルーム』を目指すミツルは――
「どうぞ」
「ダメよ。あなたが主役なんだから」
「いやいや、先輩なんですから。先に行ってくださいよ」
「ありがたいけど、ダメ。あくまで私は裏方に過ぎないから」
「じゃあ、こうしますよ? 先輩が先に行くまで、俺はここを動かない」
「いいからさっさと行きなさい」
ウカウカ先輩に先に出るよう、しつこく譲り続けたものの、最終的に尻を蹴っ飛ばされて、強制的にエレベーターから叩き出された。
ひとたび廊下に踏み出せば、各部屋のドアからかすかに漏れる、悩ましい声が二人を迎える。
「あの……なんか、声、聞こえません?」
「フロントのパネルはほとんど消灯していたし、盛況のようね」
「営業中なのに、こんなことしてんの!? 何考えてんだ、このホテル!?」
大人気カップルズホテルは、今日も元気に営業中。
まさかの事実に驚くのも束の間。
ピンク色の怪しい照明が照らす廊下。
その突き当りにある『関係者以外立入禁止』と書かれた、荘厳な扉の前に立っていたのは最後の刺客。
強敵・血刀アキコ。
なぜクノイチ衣装なのかは知らないが、少数派のアンダーリム眼鏡が似合う、整った顔立ちは健在。
闇野道場で受付をしていたあの女だ、とミツルは気づく。
「あんたも、見たことあるな。なにをするの? このステージは」
「…………」
やたらとセクシーなクノイチは、何も言わずに印を組み始めた。
直後、彼女の両肩は蜃気楼のようにブレる。
シュ、シュ、シュ、と音もなく残像が分かれ、アキコが三人に増えた。
幻覚ではない。
血刀流・最終奥義。
分身の術である。
「ええぇぇ!!??」
驚くミツルに迫る、三人のアキコ。
二人は両壁、一人は天井を疾走。
その手にはぬらりと光る、忍刀が握られていた。
――目がマジだ!!
ミツルは両肘をがっちりと付けて、手の甲を相手に向け、顔と胸を守る。
スパ、スパスパッ!
鋭利な刃物が衣服ごと腕を切り裂く。
ぬるっとした嫌な温かさの液体が滴るのがわかった。
ここまでの戦いによってアドレナリンを引き出されていたミツルは痛みを忘れ、くるりと振り返る。
そこには自分の血に濡れた刀を持った、三人のアキコたちがいた。
血刀アキコ。
表情に乏しいその女の、なんと美しいことか。
独特の雰囲気に呑まれそうになったミツルは落ち着いて、深呼吸をした。
それから、なんとかしようと、ゆっくり口を動かす。
「……どうやって分身してんの、それ?」
嫌な沈黙が流れる。
しかしそれもすぐに、アキコが破る。
「これくらい、当然です。 最低でも三人はいないと、イルカ様の夜伽のお相手は、とてもできませんから」
「全世界配信で、何言ってんの、あんた!? そういうこと、聞いてるんじゃねぇんだよ!!」
――よし、危なくない世界に戻れたっぽい。
ミツルは心の中でガッツポーズをしながらツッコミ続ける。
「自動的に変態性がバレた、イルカ様がかわいそう!! ……別に、かわいそうじゃねぇか!! こんな美人、三人も相手にできるなら!!」
《ようこそ、ミツル君! 第六ステージは『猛烈・手押し車競争!!』だ! ルールは単純! 手押し車で、先に私の部屋に到着した者が勝ち!!》
「じゃあ、なんで俺は斬りつけられたんだよ!? 誰か、警察呼んでくれ!!」
アキコに、スピーカーに、忙しく顔を動かすミツル。
そんな彼を、ウカウカ先輩が優しい声色で慰める。
「言ったでしょう、真菜君。検察も警察も、私たちの言いなり、って」
「ダメだ!! 終わりだよ、この国!! 市民の味方なんて、どこにもいない!! 手押し車!? 怪我しちゃったよ、俺!! 痛い!! さっきのバレーボールでやられたモモとかも、今さら痛くなってきちゃった!!」
「怪我なら、これを使うといいわ」
そう言いながら彼女が差し出したのは、液体の入った緑色の薬瓶だった。
「バイオハザードかよ!! 治るわけねぇ、こんなんで!!」
言葉の強いミツルだが、抵抗力は弱い。
彼はウカウカ先輩にされるがまま、怪しい薬品をぶっかけられる。
ハーブのような香りが漂い、目薬程度のちょっとしみる感覚が腕に走る。
視界のフチが一瞬だけ淡く緑色に光れば、超速度で切り裂かれた皮膚がつながった。
ミツルは戸惑いながら、裂かれた服越しに何度も自分の腕を確かめるように触る。
「……治んのかよ!? 気持ちわりぃ!! なんだ、これ!? バイオハザードじゃん!! なんか、見えたもん、一瞬!! 回復のアレが!! すごいね、あんた!! ノーベル賞取れるよ!?」
「でも、私の回復薬では、傷口の治療と体力の回復を同時にはできないわよ……!」
「なんかそれ、聞いたことある!! 何のセリフだっけ!? 古い、なんか、リメイクされたアニメかなんかの……もういいや!! やるやる!! 手押し車レース、やりましょう!!」
ミツルは諦めたが、正解は『ダイの大冒険』のレオナ姫のオマージュ。
何の参考にもならないが、研究室でこのアニメを制覇したウカウカ先輩の推しカップルは、素晴らしい王道を貫き通したダイとレオナである。
「じゃあ、このカートに入ってもらって」
第一のアキコがキュラキュラと音を立てて押してきたのは、ミツルの一人や二人は余裕で入れる大型のランドリーカート。
「入るの!? 押すんじゃなくて!? 誰が押すの!? 先輩!?」
「私、ですけど?」
キョトンとした顔で前に出てきたのは第二のアキコだった。
「敵側とチーム組むの!? 負けるじゃん!! 何が面白いの、それ!? 先輩の方が、まだマシだって!!」
「騒がないの。私は撮影があるから、しょうがないじゃない」
「すごい力だ!! なにこれ!? 病院に連れてかれる犬か、俺は!? あとホラ、今!! カメラ、置いてんじゃん!! 撮影、そっちのけじゃん!!」
安定力のあるどっしりとした下半身を駆使して、ウカウカ先輩はつべこべ言うミツルをカートに詰め込む。
「もう知らない。勝手にやってくれ」
ミツルの嘆きが聞こえれば、これで準備は万端。
スタートラインを合わせ、カートを握る手に力を込めて睨み合う、第三アキコと第二アキコ。
スピーカーから流れ始めたのは、聞き覚えのあるユーロビートでアップテンポなトランスミュージックだった。
《準備はできたようだね!? それではレディ、セット!!》
「準備できたの知ってんのに、なんでもう一回セットさせてんだよ!?」
ミツルのツッコミは、シーツやら何やらが詰め込まれた空間に吸いこまれる。
《スリー・トゥ・ワン、ゴォーーーーーーーーー!!!!》
「うおおぉぉ!!??」
スタートと同時に、すさまじいGがかかる。
これなら勝てるか。
そう思ったミツルはひょっこりと顔を出して、周囲の様子を確認する。
床が上にある。
そこで疾走していたのは、アキコの入れられたカートを押す、アキコ。
頭がおかしくなりそうになったミツルは完全に諦めモードに入り、シーツへと潜り込む。
甘く芳醇な香りが漂う中、ぐにゃり、という嫌な感触が手に当たった。
「なんだこれ?」
バナナの皮だ。
「きったね」
茶色に変色しかけたそれを見て、彼は反射的にカートの外へと放り投げる。
キュルキュルキュルキュル!
「あ」
見ずともわかってしまう大惨事。
自分の投げ捨てたバナナの皮が、相手のカートの車輪に見事に絡みつき、悲鳴にも似た金属音とともにスピンさせたらしい。
「……マリオカートかよ」
真菜ミツル。
一人でいるときのツッコミの声量は、かなり控えめである。
《それまで!! 見事だ、ミツル君!! アキコたちもよくやった!! でも、刀傷沙汰を起こした君たちには、あとでペナルティだ!!》
「今さらかよ。もういいよ、俺は許したから」
カートから這い出て、滝のような汗をかいたアキコとハイタッチを交わしたミツルには、何の文句もなかった。
「やったわね。いよいよ、最終ステージよ」
カメラのレンズを向けてくるウカウカ先輩が、汗ひとつかいていないことだけは怖かった。
「そうっすね」
生返事をしたミツルは、逃げるようにドアノブへと手をかける。
【関係者以外立入禁止】
敵と味方、双方の頭がおかしかったおかげで体力に余裕はある。
しかし、そのせいで精神的に疲弊させられたミツルは、深いため息をつきながら荘厳な扉を開いた。




