第51食 شكراً
素晴らしい掌返しをカメラに収めたウカウカ先輩は、携帯端末の液晶へと目を落とした。
「それでこそ、恋する男子ね。視聴者にも、あなたの情熱が届いたみたいだわ。コメント、見てみる?」
「うるっせぇ! あぶねぇから、離れてろ!」
ドッ!
時速200㎞。
この日の瞬間最大風速を大きく上回るバレーボールが、ミツル目がけて放たれる。
猛烈な勢いの白球が迫る。
――考えろ。どこで受けたら痛くねぇんだ?
頭のネジを二、三本なくしたミツルは、自らを実験の被検体にしようと身構える。
猛スピードのバイクが通り過ぎたかのような衝撃が、先ほど眉をかすめていった。
顔面は論外だ。
しかし悩んでいる時間もない。
肉が厚いところなら、どうだ。
ミツルはガチッと奥歯を噛みしめ、腹筋に力を入れる。
ドボォッ!
固めたはずの腹筋ごと、ミツルの体内に白球が数センチめり込む。
大砲の直撃でも食らったか。
思考を巡らせる暇もなく、衝撃波がミツルの内臓をダイレクトに貫き、強制的に肺の空気をすべて搾り取った。
「だ、大丈夫、真菜君!?」
真に迫った殺人兵器と肉の衝突に、さすがのウカウカ先輩も心配して駆けつける。
「ごっ……ご、ごみんなさい。ごちそうになったカレー……出ちゃうかも」
苦しそうに顔を歪めるミツルだったが、死んでもいなければ、崩れ落ちもしなかった。
こんな時でも第一声が謝罪なのが、なんとも彼らしい。
そう思ったウカウカ先輩は笑みを浮かべながらも、人知れず胸をなでおろした。
「……なんだと?」
城の頂に君臨しながら、ミツルのセリフを聞きつけたドルフィンイヤー、闇野イルカ。
それまで浮かべていた余裕の表情を崩した彼は、軽やかにバルコニーへと着地すると、堅苦しいジャケットを脱ぎ捨て、アーチをくぐった。
その先に広がるドリーミングルームで待っていたのは、第一の腹心・血刀アキコだった。
主君の瞳をうっとりと見つめながら、彼女は透明な液体の入ったボトルを彼へと差し出す。
「ありがとう、アキコ」
イルカは彼女には一瞥もくれず、設置されているマルチモニターへと顔を向けた。
「さて、と……」
チャプン、と嫌な音を立てて卓上に置かれたボトル。
塗れば最後、摩擦係数は限りなくゼロへ。
全身全霊の力を込めようとしても、すべてが虚無へと滑り落ちる『究極の粘液』の出番は、まだ少し先だ。
「アキコ?」
「はい」
視線を向けずとも、イルカには彼女の動きがわかっていた。
無駄に露出度の高い、赤と黒の忍装束へと着替えたアキコ。
そんな彼女が部屋の出口にそっと向かったところで、彼は声をかけた。
「余計なことは、しなくてよろしい」
「……はい」
忠実に言葉を返したアキコは、静かに部屋を後にした。
「やれやれ……」
どこか呆れたように顔を緩ませたイルカは、無数のモニターからホテルの出入り口を映したものを選び、ズームアップする。
そこには、ウカウカ先輩が差し出した端末を覗くミツルの姿があった。
《حبيبي!!!(ハビービ)》
《هههههههههه(ハハハハハ)》
《جيد جدا!!!(素晴らしい)》
「いや、読めねぇよ!! なんて書いてあんだ、これ!?」
画面を埋め尽くしていたのは、何回見たってわからないアラビア語だった。
「とにかく、大人気ってこと」
困惑するミツルとは正反対に、ウカウカ先輩の表情は誇らしげだった。
《انطلق يا ميتسورو!!!(行け、ミツル!)》
《حارب يا ميتسورو!!!(戦え、ミツル!)》
「おぉ……なんかもう、みんな、ありがとう」
新たに流れてきたアラビア語も、全然わからない。
しかし、なぜだろう。
足元から力が湧き上がってくるのは。
「皆さん、聞こえますか? 応援よろしくお願いします。頑張ります」
すっかり気分が良くなったミツルは、カメラに向かって手を振った。
「……あら?」
「どうしたんですか?」
「いえ、なんでもないわ。とにかく、このステージをクリアしてしまいましょう」
ウカウカ先輩が隠したのは、ミツルのキャラクターがぶっ刺さってしまったアラブのお姉さま方からの、とんでもない額の投げ銭だった。
「前に進むのはいいんですけど、先輩は大丈夫なんですか?」
「ありがたいけど、気にしないで大丈夫よ。自分の身は自分で守るから」
《رائع! كن ساموراي الخاص بي! ――50000د.إ(素敵! 私の侍になって! ――五万ディルハム)》
イカれた金銭感覚を持った貴婦人がまた一人、純情ボーイ・ミツルの虜となった。
「よっしゃ! それじゃあ、さっさと行くぞ! もう俺は当たらない! 避ける! 来い!!」
ドッ!
マシンから放たれた白球は無回転だった。
台風によってもたらされた強風が、その不規則な動きに拍車をかける。
空中でフラフラと蛇行しながらミツルへと向かうボールは、カクンと軌道を落とすと、大きく横にスライドした。
そこに立っていたのは、ウカウカ先輩だった。
「あぶねぇっ!」
庇わなくては。
勢いで先輩の前に躍り出たミツルに、策などなかった。
――やっちった。この軌道はシャレになんねぇ。でもせめて、キンタマだけは守りたい。
反射的に発動した漢気は、彼の身体能力を限界にまで高めた。
死神の魔弾が股間に迫る中、ミツルはスッと脚を動かす。
ドブッ!
「真菜君!?」
ウカウカ先輩の叫びが聞こえる。
「……セーフ!」
痛いが、我慢できなくはない痛さ。
白球が当たったのは、彼の右太ももだった。
――これなら、いけるぞ。
ミツルの表情は自信に満ち溢れていた。
「へっ……あんたら、確か、カブトムシとクワガタだったな!? 変な名前!! 待ってろよ、オラァ!!」
攻略法を編み出した彼に、怖いものなどなかった。
アスファルトを蹴り出し、発射装置とそれを操る男たちにまで、一気に距離を詰める。
ボールの発射音と弾けるようなハムストリングスの音が、八王子の大自然にこだまする。
「いってぇ!! けど、これで、終わりだぁ!!」
跳躍。
――ガッシャァァン!!!
炸裂したのは、魂のドロップキック。
変化球・回転にも対応した高性能バレーボール発射マシン、税込み968,000円は豪快に横倒しとなった。
「はぁ……はぁ……」
息を弾ませるミツルの迫力に、男たちは蜘蛛の子を散らすようにその場から逃走。
「ナメんな……」
まだまだ第一ステージ。
予断が許されないミツルは、深追いをしなかった。
「上々の立ち上がり、ね?」
感心しきりといった様子で、ウカウカ先輩が端末を差し出す。
《يا وحش!!!(なんて化け物だ!!!)》
《ميتسورو الأسطوري!!!(伝説のミツル!!!)》
画面いっぱいに流れていたのは、相も変わらずさっぱりわからない異国の言葉。
「ありがとうって、なんて言うんですか?」
「シュクラン」
大きく頷いたミツルは、カメラをまっすぐ見つめて、口を動かした。
「しゅくらん」




