第30食 宇宙風呂って、なぁに?
【超江戸温泉・日高】
埼玉最大級の規模を誇るスパリゾートである。
おばあちゃんによる突然の「ちょっとそこに寄ってくれるかい?」。
ノイチが車内に響かせるオルタナティブ・メタルのシャウト&シャウト。
秋風家の女たちが次々と仕掛けてくる波状攻撃は強烈だったが、運転手のミツルは見事に耐えきることができた。
「……はい。着いたよぉ?」
レンタルしたコンパクトミニバンのドアも閉め切り、満を持しての到着である。
「楽しかったねぇ? ドライブ」
「ホントねぇ?」
ノイチの意見に同調するミツルの瞳に光はなかった。
三人は口を動かしながら、すぐそこにある入り口を目指す。
「すまないねぇ、ミツル。あとで運転手代をあげないとねぇ?」
「ばあちゃん……いらないんだよ、そんなものは」
「どうして? お小遣いくらい、もらえばいいじゃん」
「もらっちゃったら、俺は金目当ての人になっちゃうだろうが」
「考えすぎだって。それに、ご飯は嬉しそうに食べるじゃん」
「それについては……いいんだよ。メシが目当てなんだから」
「あはははは! 変なの!」
車を降りても、この喧しさ。
先頭に立つミツルの疲労は、早くもピークに達していた。
「ほら、券出して」
「あ、そっか。さすがミツル」
思い出したように、無料入場チケットを取り出すノイチ。
その様子を見たミツルは、ため息混じりに『超江戸温泉・日高』の暖簾をくぐっていった――。
「――来ちゃった」
男湯。
ここからはいよいよ、ミツル一人だけの時間が始まる。
服を脱ぎ、生まれ持ちし棒と袋をぶら下げるだけになったその姿はひとつの雄。
脱衣所の先で彼を待ち受けていたのは、各施設へのハブにもなっている大きな浴場だった。
脇には岩盤浴やサウナ、そして露天風呂へと続く通路が。
中心には、名物である宇宙風呂が据えられていた。
「静かだ……これだけ人がいるのに」
人で溢れかえる大浴場。
なのに、ノイチと一緒にいるときの方がうるさい。
日本男児のマナーの良さを噛みしめるミツル。
同時に『一体どうなってるんだ、あの女は』という思いも、胸に抱く。
「……宇宙風呂って、なぁに?」
遅れて口にする疑問。
一人になっても、彼のツッコミ体質は抜けきらない。
湯気が立ち上り、不明瞭な視界に映る、円柱形の建造物はまさに異形。
――近くに行って、よく見てみよう。
濡れた足元に気を付けながら、ミツルはゆっくりと歩を進めていった。
やがて彼の視界が捉えたのは、透明な素材で覆われたエレベーターのような装置だった。
中では透明なカプセルが動いていて、右が上り、左が下りとして、それぞれ稼働している。
「宇宙エレベーターだ、コレ!」
腐っても男の子。
服という理性を脱ぎ捨てた今のミツルは、ちょっとだけ知能が下がっていた。
「乗ってみようかなぁ。いや、でも……」
腐ってもヘタレ。
どこに連れて行かれるともわからない、未知の機械を前に尻込みをするミツル。
その時――。
表面の曇ったカプセルが、ちょうどミツルの前に降り立ち、扉が開いた。
そこから、ぶっとい肢体に特徴的な形をした髪を乗せた、中年男性が姿を現す。
「あ、あなたは……!!」
「……ん?」
アタマには濡れてしぼんだマッシュルーム。
オマタには枯れてしなびたマッシュルーム。
その人物は、トッシュ岡田に他ならなかった。
君子、危うきに近寄らず。
トラブルを嫌う性質のあるミツルがエレベーターに乗ることはなかった。
しかし――。
「いや、奇遇だねぇ。こんなところでばったり出会うなんて」
「そうっすね。岡田さんは、なんでここに?」
近付いただけで偶然の再開というスクランブルが発生してしまうミツルは間違いなく主人公の器。
塩素の匂い漂うバブル風呂の中、彼はトッシュ岡田と並んで会話を交わしていた。
「今日は支店の新装開店日だったんだ。立場上、顔を出さなきゃいけなくて。その帰りに、ふらっと立ち寄ってみたんだよ。家に帰っても、誰が待っているわけでもないしね」
「へぇ……」
最後のひと言が無ければ『大変なんですねぇ』くらいは、ミツルでも言えたかもしれない。
哀愁のある話を嫌ったミツルは、なんとか話題を変えようとする。
「そういえば、アクアリウムって始められたんですか?」
「うん。まあ、素人なりにね。ミツル君こそ、猫ちゃんは元気? もしかして、連れてきたとか?」
「いやいや、今日は留守番です。日帰りだし、さすがに連れてこられなくて」
移動手段は猫禁止のレンタカー。
料金は十二時間で一万四千円。
六時間でもよかったかもしれないが、慎重派のミツルはトラブルを見越し、余裕のあるプランを選んでいた。
「そうなんだぁ……さて、それじゃあ、そろそろ失礼させてもらおうかな。ゆっくり楽しんでね?」
泡風呂から出たトッシュ岡田。
彼の象のようなお尻がミツルに別れを告げたようにも見えた。
「その前に、聞かせてもらってもいいですか?」
こっちの方が可愛い顔をしているかもしれない。
そう思いながら、ミツルはトッシュ岡田のお尻に向かって話しかけた。
「なんだい?」
「あの上って、何があるんですか?」
彼が指差した先には、風呂の形態を成していない宇宙風呂があった。
「もちろん、宇宙だよ」
返ってきたのは、答えを成していない答えだった。
「うちゅうか……」
トッシュ岡田が去ったあとも、ボコボコと泡立つ湯舟に残ったミツル。
彼は何やらしばらく考え込むと、意を決したようにそこから出た。
その名は、宇宙風呂。
エレベーターは大浴場の天井を突き抜け、どこまで伸びているのかさえよく見えない。
――ウィーン。
今、ミツルの目の前で開かれたのは、未知の世界への扉。
余裕のある広さは保たれているが、宇宙へ旅立つとなれば少々心もとない気もする。
「――いくぞ?」
自分に言い聞かせるよう言い放ったミツルは、またしてもワンダーランドの境界線を跨いでしまった。




