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第29食 男と女と老婆と猫

 

 掃き出し窓から西日が差し込む、秋風家の居間――。


 そこにはもちろん、家主である秋風ぼぎと孫娘のノイチの姿がある。


「そろそろ晩ごはん作らなきゃ。おばあちゃん、なに食べたい?」

「何でも食べるよ」

「え~? どうしよう……」


 立ち上がったものの、祖母の曖昧な返答に困ったノイチ。


 彼女は、自然と奥にいる男へと視線を移す。


「可愛いなぁ、お前は。しっかし、結構たまってたねぇ……ほら」

「ナーン……」


 頼れる居候が、ぷくぷくに膨らんだお腹を見せている猫の耳掃除をしている。


 男子大学生のマナミツルと、愛猫のカフェオレ大福もち丸のコンビである。


「そういえばさ、ミツルって車の免許持ってるの?」


 ノイチの何気ない質問に、ミツルの手が止まる。



 ――こいつ、どっか行きたいんだな。



 穏やかな黄昏時に戦慄が走った。


 人知れず、必要以上に警戒心を抱いたミツルの葛藤が始まる。



「スゥーッ……どうして、そんなことを聞くんだい?」



 たっぷりの酸素と間を取り込んだミツルは、ノイチへ質問を返した。


 結果から言えば、ミツルは免許を持っている。


 鉾田男子というものは、車の免許を取らざるを得ないからだ。


 だが、最近は行くところ行くところで変な人にばかり出会う。


 平和を愛するミツルは、少々お疲れ気味だった。


 猫とおばあちゃんとギャル。


 それだけいれば、十分に幸せだ。


 事と次第によっては、ミツルは嘘をついてでも出かけないつもりでいた。


「実は今日さぁ、抽選会みたいのがあって。健康ランドのチケット、当たっちゃったんだよね」


 ノイチは三枚のチケットを取り出し、見せびらかすようにはためかせた。


「へぇ。それで、なんで免許の話になったの?」

「なんか、その施設が埼玉にあるんだって」

「埼玉って言っても広いでしょうが。埼玉のどこ?」

「わかんない」

「わかんねぇっちゃ、あんめぇ。ちょっと見してみろ」


 チケットを手渡されたミツルは、QRコードでも載っていないかと詳細をチェックする。



【超江戸温泉・日高】



 ――日高かぁ。



 八王子経由だな。


 いくつか抜け道も知ってるけど、どこ通っても一時間以上かかっちゃう。


 微妙に遠いし、めんどくさいかも。


 でも実は、行きたい気持ちが三割くらいあったりして。


 最近、頭のおかしい人を見すぎて、疲れも溜まってるし。



 普通の人たちで溢れる、平和な温泉施設。



 素晴らしい。


 さぞ気持ちがいいだろうね。


 想像しただけで癒されちゃった。


 けど、結論を出すには、まだ早い。


 もし免許を持っていることが、このあっけらかんとしたギャルにバレたりしてみろ。



『ミツル、水族館連れてって』



『私、遊園地行きたいんだよね』



 ……まあ、これぐらいだったらまだ可愛いよ。


 でも、そのうち――


『もっと大きい車、買ってよ』


 とか、


『可愛くない。全部ピンクにしよう?』


 とか言い出すようになるんだよ、女っていうのは。



 マジで。



 いや、マジで。



 ふっざけんじゃねぇ!!


 俺の車に何してくれてんだ!!



 って、言えたらなぁ……。


 自分の車を、持ってすらいないんだけど。


 想像しただけで疲れちゃった。


 まぁ、ちょっと鞭で皮膚を破かれれば十数万は稼げるけどさぁ。


 あんな美味しいバイトも、そうそう転がっていないわけで。


 金と言えば、最近パチンコ行ってないな。


 行きたくもならないってことか。



 満たされちゃったのかなぁ――。



「どうかなぁ? 行けそう?」


 涙袋がぷるぷる、頭はゆるゆるなギャルに。


「ナーン……」


 玉袋がプルプル、毛並みはふわふわの猫に。


「ミツルや、お腹がすいただろう? お食べ」


 もうメシだっつってるのに、さっきから無限にお菓子を勧めてくる、ばあちゃんに。


 ――どうしよう。



「そうねぇ……」


 葛藤を終え、溜め息を吐きつつも、良い方向へと考えを改め始めたミツル。


「私たちだけだったら電車でもいいんだけど、おばあちゃんがいるからさぁ。それで車だったら、いろいろ気にしないで行けるじゃん? だから、聞いてみたの」


 ノイチの心からの言葉が、ミツルというめんどくさい男を完全に攻略した。



 ――お前はホント、いい孫だな。



「……レンタカーでもいい?」


 鉾田男子は家族愛に弱い。


 遠回しではあったが、とうとうミツルは自らのスキルを開示した。


 それに対し、ノイチはムッとしたような表情を返す。


「なんですぐに『持ってる』って、言わなかったの?」


 これが女のめんどくささ。


 彼女の鋭い指摘を受けたミツルは――


「あぁ、お腹痛いわぁ」


 即座に仮病を発動。


「あっそう。じゃあ、晩ご飯食べないのね?」

「食べますけど?」

「お腹痛いんでしょ?」


 痴話喧嘩へと発展しかける二人。


「ダメダメ、それは。余計体に悪いから」

「……はぁ? なにそれ?」


 ひょんな一言で、ノイチに笑みが戻る。


 言ってる意味はよく分からないけど、なんか雰囲気が楽しい。


 言葉の応酬となると、ミツルに調子を外されやすいノイチ。


 これまでに彼女の怒りが最高潮に達したことはなかった。


「炊き込みご飯、食べたい」

「はいはい。具は何でもいいんでしょ?」

「うん」


 喧嘩をしかけるほど仲のいい、ミツルとノイチ。


「ふぇっふぇっふぇ」


 そんな二人を、今日も微笑ましく見守る祖母。


「ナーン……」


 呆れたように鳴き声を上げるオス猫。



 一行は、日を改めて【超江戸温泉・日高】へと向かうこととなった。

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