第28食 ここ、ラーメン屋じゃねぇな!!
「ここ、ラーメン屋じゃねぇな!!」
その日、町に響いたのは鉾田の矜持だった。
道行く人は、音の発生源へと目を向ける。
しかし、それも一瞬のこと。
誰もが手に持つ四角い板へと視線を戻し、再び色のない世界へと落ち込んでいった。
「あはははは!」
ケラケラと笑うのは、いつでもミツルの隣にいる多摩のギャルだけ。
ひとしきり笑った秋風ノイチは、今日もバッチリデコレーションされたネイルで、店頭のメニュー表を指す。
「まあまあ。そういうのいいから、ミツルから選びなよ」
「ノータイム過ぎるって。せめて時間をくれ。話の流れから、てっきり町中華か何かに行くと思っていたから……」
肩で呼吸をしながら、それでもミツルは言われた通りにメニューを眺める。
店に取り付けられた小窓からは、国籍不明の男性店主が二人の様子をニコニコと愛想よく見守っていた。
『テイクアウトができるみたいだから、行こうよ。ついでに、おばあちゃんの分も買ってこよう』
ノイチにそう言われて連れてこられたのが、このインドカレーショップ『ヨガステ』だった。
中華とインド。
遠く離れた二つの地点。
もしこれが西遊記だったならば、近いと言えば近い。
――そんなたとえ話を持ち出しても、このバカにはわかんねぇだろうな。
ミツルは心の中で毒づきながら、小窓から漂ってくるスパイスの香りを楽しみつつ目を走らせる。
スタンダードな海老やチキンのカレー、そしてちょっと冒険的な色合いのホウレン草カレー。
インドカレー店。
それはミツルにとって体験したことのない、無限のフロンティアであった。
その中でも最も惹かれるメニューを発見したミツルは、小窓から顔を覗かせていた店主へと尋ねる。
「すいません、日替わりカレーって何ですか?」
「アノ、マドンノゥ、トゥールト、パラァクゥノゥ、カレーネ! チャパッテマスヨォ?」
なるほど。
マジでわからない。
チャパってるというのは、あれだろうか。
仕上がっているということだろうか。
「……じゃあ、日替わりをひとつ」
果たして、どんなカレーが来てくれるのか。
ミツルはその未知なるカレーを、自分の中だけで『チャパカレー』と名付け、挑むことを決めた。
「カライ、ダイジョブ?」
店主の問いかけに、ミツルはノイチの顔を覗き込む。
するとミツルのカレーを半分強奪する気満々の彼女は、黙って首を横に振った。
「辛い、だめ。一番辛くない、お願いします」
応じたのはミツル。
彼の指標はすべてノイチで出来ていた。
「オーケー」
意外と辛いものが苦手だった。
ノイチの新たな一面を発見してしまったミツルは、フロンティアも悪くないと思い始めていた。
「私は、チキンカレーを」
「チキン、オーケー。カライ、ダイジョブ?」
「辛い、だめ。一番辛くない、お願いします」
「それから、ブラウンマサラもください」
「マサラ、オーケー。カライ、ダイジョブ?」
「辛い、だめ。一番辛くない、お願いします」
「ナント、ゴハン、エラベマス」
「ご飯が一つと、私はナンにするけど、ミツルはどうする?」
「せっかくだから、俺もナンにする」
「ナンフタツ、オーケー。ジュウゴフン、マッテネ!」
店の奥へと消える店主。
二人はどちらからともなく、備えてあるベンチに並んで座った。
雨が降っても不思議ではない、そんな空模様。
気づけば五月も終わり、もうじき梅雨の季節がやってくる。
黙って空を眺めるミツルに対し、退屈だったのかノイチが口を開いた。
「おじいちゃん、好きだったんだよね……」
珍しく、亡くなった祖父の話題を口にするノイチ。
何が好きだったのだろう。
ノイチが祖父のことを好きだったのか。
それとも、その祖父がこの店のカレーを好んでいたのか。
ミツルは瞬時にその両方の意味が込められているのだと思い、慎重に返事をする。
「……へぇ、そうだったんだ」
仏壇に飾られた遺影を思い出す。
どこかの国のお猿さんのような、小動物的可愛らしさをもつノイチの祖父。
ミツルはまだ、その名前すら知らなかった。
「じいちゃん、名前何て言うの?」
ふわりと風が舞い上がる。
乱れた髪を直し、ノイチは答えた。
「キンシコウ」
キ ン シ コ ウ ! ?
「――キンシコウ!?」
心の中の声を言葉にして確認する。
「そうだよ。キンシコウ。秋風キンシコウ」
「キンシコウって、あの、絶滅危惧種の!?」
「ちょっと何言ってるか、わかんない」
ノイチにはスルーされたが、衝撃の事実が明かされた。
名前までが、どこかの国のお猿さんのような、というか、そのままの名称。
これにはミツルも、どう反応していいやら、困り果てる。
「あぁ……で、好きだったんだ、この店のカレー。じいちゃんは」
彼にできたのは話題を逸らし、なんとかエモーショナルな雰囲気を取り繕うことだけだった。
しかしそれも、すぐ無駄に終わる。
「何言ってんの、ミツル? おじいちゃんが好きだったのは、ラーメンだけど?」
「おめぇ、またやってんな!? 家での話題をセーブした状態で来るんじゃねぇって、何回も言ってっぺよ!! わかんねぇんだよ、こっちは!! それじゃ話についていけねぇんだって!! いいか!? 話すときは、ここはここ!! うちはうち!!」
町に再び響く、鉾田弁。
ノイチはしたり顔で、それを歓迎する。
「あはははは!」
秋風ノイチ。
ミツルの鉾田弁が聞きたくてたまらない、多摩のギャルである。
今日は店選びから話題までズレさせ、彼から訛りを引き出せた。
すべては彼女の手のひらの上の出来事であったことを、ミツルは知らない。




