第24食 押忍! 闇野道場の入鹿様!
ミツルたちが入ったジムの中は、ハッカ油のような香りに包まれている場所だった。
「ようこそいらっしゃいました!! 新しい門下生ですね!?」
受付の若い女性が、アンダーリムの眼鏡を光らせながらハキハキとミツルに話しかける。
「違いますぅ」
早々の勧誘を、ミツルは即座に否定した。
「見て! イルカだ! かわいい!」
ジムのマスコットか、ノイチは机の上に置かれていたぬいぐるみに歓喜の声を上げる。
「だけど今入会すると、イルカ様からの無料レッスンと毎月五千円のお小遣いがもらえますよ!?」
お洒落なネイルでぬいぐるみをつつくギャルを横目に、受付嬢はなおもミツルに食い下がる。
「イルカ様!? お小遣い!? 怪しい!! 何ここ!? ヤバすぎる!!」
「やめないか、アキコ」
落ち着きと色気を兼ね備えた声が響く。
混沌を鎮めたのは、このジムの覇者であるイルカ様。
超ロングのオールバックに黄金色のメッシュ。
ミツルが振り返った先には、そのとんでもない髪型をした男が立っていた。
――まあ、イルカに見えなくもないか。
ドルフィンオールバックを見て、ミツルはなんとなく納得していた。
「…………」
沈黙の中、男同士であっても、どこか危ない匂いを感じさせる視線がミツルを貫く。
一般人にはない、僧帽筋が盛り上がる体からは、飛鳥御光にも並ぶ変態性のある威圧感が放たれていた。
よく見れば、目元にある小さな二つのホクロがセクシーに思えてきた。
「イルカ様!」
バラ色の世界からミツルの意識を引き戻したのは、アキコと呼ばれた受付嬢の声だった。
視線を戻すと、彼女は椅子から立ち上がって主を迎え入れていた。
「いつも言っているだろう? 無理な勧誘は、今の時代にそぐわない。しかしそれが、君の良いところでもあるから、あまり強くは言えないな?」
敬愛するイルカ様の流し目で絶頂したアキコは勢いよく着席。
その日は使い物にならなくなったという。
「初めまして、ミツル君。私は入鹿。闇野入鹿だ。よろしく頼むよ?」
闇野入鹿、三十六歳。
本業は、シャドウエッジマートの副社長である。
「な、なぜ、俺の名を……?」
「はははははははははーっは!」
特に説明することなく、イルカはミツルの問いかけを笑い飛ばした。
「絶対、悪い人じゃん」
ノイチですら突っ込むその佇まいは、まさに巨悪のボス然としていた。
「えぇっとぉ……帰ります」
「エクササイズだろう? このジムにおいて、脂肪は可能性だ。さあ、ついてきたまえ」
とてつもない力で肩を組まれたミツルに、選択権はなかった。
「これ、貰ってもいいですか?」
唯一、自由を許されているノイチが交渉役としてイルカに挑む。
「構わん。ジャンボサイズもあるぞ?」
「やったー!」
交渉成立。
それがミツルのレンタル料となった。
目の前には岩石。
後ろにはイルカとぬいぐるみを抱くギャル。
五月も下旬に入り、太陽の力は強くミツルを照りつけていた。
「あの、すみませぇん! なんで外なんですか?」
「はははははははははーっは!」
イルカはひとつも答えない。
「『岩登り』だよ、ミツル君!」
その代わり無駄を省いた指示だけを飛ばした。
「がんばって!」
ノイチの熱のこもった声援だけが、敷地内に響き渡る。
「くそったれ!」
ミツルは悪態をつきながらも、目線の高さにあった窪みに掴みかかった。
身の丈の倍ほどもあった岩山。
しかし鉾田の自然が育んだミツルの身体は、彼を難なく頂まで運んだ。
「すごいじゃん、さすがミツル!」
前々から透けて見えたミツルの身体能力の高さに、ノイチは惚れ直す。
一方でイルカは、ジャケットを脱いで昂る気持ちを抑えていた。
「はははははははははーっは! これは失礼仕った! さすがは『聞こえし者』といったところか! だが、次はどうかな?」
パチン、と指を弾いたイルカ。
その瞬間、ゴゴゴ……という重低音が響き始める。
ミツルの登っていた岩山は地面に飲み込まれていき、その姿を完全に消し去った。
「今度はアレに挑んでもらおう!」
イルカの視線の先にあったのは、さらなる標高の岩山。
さきほどまで雑に置かれていたはずの岩山が伸び、何倍もの高さへと変貌していた。
――聞こえし者、関係ねぇだろうが。そもそも岩登りなんて、何倍になっても一緒なんだよ。
「うおおぉぉぉ!!」
ルートを探り、順序立てて身体操作を繰り返す。
それだけで、ミツルは今度の山もあっという間に登り詰めた。
「はぁ……はぁ……」
とはいえ、久しぶりの本格的な運動は、彼の内側に眠っていた筋繊維と鉾田の魂を燃え上がらせていた。
「素晴らしいぞ、ミツル君! 次はいよいよ中に入って、本格的なトレーニングを始めるとしよう!」
久々に若き血潮にあてられたイルカはシャツも脱ぎ捨て、上半身裸になって狂喜乱舞していた。
「……押忍!」
ヴィランに憧れているところのあるミツルは、この狂気に引きずり込まれ始めていた。
「ミツル、カッコいい!」
正義だろうが悪だろうが、ミツルがいい顔をしていればそれで大満足なノイチ。
彼女が黄色い声を上げる中、屋外ステージは幕を閉じた。




