第118食 深夜のクッキング! ありがとう、ノンちゃん!
――いまいち、よくわからない。だからこそ、怖い。
安寧の地、秋風家は深夜三時を回っていた。
激戦のオーストラリアから自分の部屋へと帰ってきても、人生に乱れが生じてしまったミツルは不安とストレスで、なかなか眠りにつくことができないでいた。
目を閉じれば、あの金髪クソ女の姿や、プラチナファイターにまつわる出来事が鮮明に蘇ってくる。
「クソッ……」
布団の中で、ミツルはただ、寝返りを繰り返すことしかできなかった。
そのまま、薄暗い部屋の中で思考を巡らす――。
この夏休みを過ごすのに、十分な資金はもう貰った。
あとはどうやって、あのまともじゃない連中と縁を切るか。
連絡先を消すか。
いや。
家の位置はもうバレてる。
そうしたところで、余計にいつ来るかわからなくなるから、もっと怖くなる。
なら、どうする。
金があるうちに、いっそこの場所を捨てて、どこかに身を隠すか。
実家か、はたまた友達の家に転がり込んで……。
いや。
そんなの、耐えられない。
実家はクソだし、そもそも友達が一人もいない。
――サワサワ、ドサリ……フンスッ。
「ナーン……」
「おぉ……」
真夏なのに、こうしてわざわざ顔にぴったりとくっついてくる猫ちゃんだっているし。
この家から離れるなんて、とても考えられない。
しかし、暑い。
8.2kgもあるからだろうか。
でも、それは致し方ない。
この子は、タマを取っちゃったのだから。
ホルモンバランスがどうのこうので、獣医さんから『ご飯を減らして、もっと運動させてください』と、毎回怒られているのだから。
ところで、カフェオレに余計なご飯をあげてるのは、いったい誰なのか。
俺じゃないことだけはわかってる。
ノンちゃんか。
ばあちゃんか。
あるいは両方か。
あんまり食わしたら、爆発しちゃうべよ――。
眠れぬ夜を悶々と過ごしていると、下の階から物音が聞こえてくる。
「なんだ?」
カチャカチャカチャ、ジャー。
カタン、チッチッチッチ、ボッ。
トントントントン……。
どうやらノイチが、キッチンでなにかを作り始めたらしい。
時刻は午前三時十五分。
「ナーン……」
「おいおい」
主よりも食い物を優先して動き出した猫に寂しさを感じながら、ミツルはその後を追った。
キッチンに灯る明かり。
包丁のリズムに合わせて揺れ動く、ピンクのショートボブ。
その足元では、アザラシの赤ちゃんのように丸々と太った猫が、体を擦りつけて食べ物をおねだりしている。
「こんな時間に、なに作ってるの?」
突如として始まった深夜のギャルズクッキングに、ミツルは救われた気持ち半分で尋ねた。
「いいところに来たじゃん。ゆで卵の殻、剥いてくれる?」
質問には全然答えてくれなかったが、ミツルは黙ってノイチの横に立ち、コンロで煮え立つ鍋を掴もうと手を伸ばした。
しかしその手は、すぐに上から押さえつけられた。
「まだ!」
「……あと何分?」
「わかんない!」
彼女の料理は、いつでも適当。
それなのに、なぜか毎回、美味しく仕上げてくれる。
ミツルは思わず笑いを漏らして、彼女の顔を見た。
「なんだ、それ?」
「えへへ。でも、硬めでいいの。角煮用のやつだから」
「角煮!? 朝三時に!?」
驚いて聞き返すと、彼女は唇に人差し指をあてながら、ぼぎの部屋にチラリと視線をやった。
察したミツルは声を落として、再び彼女に尋ねる。
「……ごめん、ごめん。でもなんで、こんな時間に角煮作ってるの?」
「メガロミートで買ってきたお肉、早く使わなきゃ悪くなっちゃうじゃん。冷蔵庫から、取り出してくれる? 私は大根と小松菜切っておくから」
「小松菜?」
「うん。ほうれん草は高かったから、その代わりに」
あの日貰ったバイト代は、24万6千円。
十分買えるはずなのに、彼女の金銭感覚は変わっていない。
それとも、ただのアホなのか。
どちらにせよ、そんな彼女と一緒にいるからこそ、これ以上ないほど安心できる。
世界がどれだけ狂おうとも、ノイチのいるこの場所だけは、いつまでも十円単位の安さにこだわる、素晴らしい日常のままだ。
その背中に最終回みたいな雰囲気を漂わせながら、ミツルは冷蔵庫へと近づき、パッと扉を開いた。
イッツ、メガロミート。
最上段にあったのは、大きすぎてチルドルームに入りきらなかった、2kgの国産豚バラブロック肉。
ちなみにお値段は、およそ3200円。
それが高いのか安いのか、ミツルにとっては、いまいちわからなかった。
「あ、そうだ。ついでに、もち丸のためにささみも茹でるから、取ってくれる?」
「ささみ?」
「うん。冷凍庫に小分けして入れてあるから、お願い」
結局、カフェオレに食わせてたのは、お前だったのか。
ミツルは、すうっと息を吸って、その想いを口から吐き出した。
「……オッケー」
家庭円満。
ここで文句なんて言おうものならば、たちまちにしてそれは崩れ去る。
これでいい。
カフェオレ大福もち丸には、にゃんこフィットネスでもさせて、少しずつ頑張ればいい。
「ナーン……」
「はいはい、ちょっと待っててね? 今、みちゅが取ってくれるから」
たくさん食べよう。
というか、美味しそうに食べているのを見るのが好き。
そんなことを思いながら、ミツルは両腕を肉でいっぱいにさせて、彼女たちのもとへと戻っていった――。




