第107食 はじめまして。それでは、お尻戦争を始めたいと思います
コンピューターが古い。
研究所を謳う、この謎の施設に連れてこられたミツルはそう思った。
がらんと広い所内にいるのは、長い金髪をたなびかせながら、奥のデスクに腰掛けている一人の女性のみ。
こちらの気配に気づいたのか、その女性は骨董品のパソコンに向かってカチャカチャと動かしていた手を止めると、キュルリと椅子を鳴かせて振り返ってきた。
その風貌が目に飛び込むやいなや、ミツルは思わず息を呑む。
――めっちゃくちゃ美人、だけど……。
お待たせしました。
合縁奇縁の呉越同舟、満身創痍の偶像崇拝、変化無常の離合集散。
要するに、いいのは匂いと見た目だけ。
その他は、銀河一のやべぇ女。
彼女こそが、鵜飼卯花の実の姉、その名も鵜飼アルテミスアルカナ。
愛称は『アルアル所長』――。
「その……はじめまして」
目のやり場に困ったミツルは、明後日の方向に視線を向けながら初対面の挨拶をかます。
それもそのはず。
身体のラインをいやらしくなぞるターコイズブルーのタイトなワンピースに、白衣を羽織っただけ。
その異常に攻めた格好は、イケイケのギャルであるノイチですら圧倒される破壊力があった。
「こ、こんにちは……」
大人の女性を前にしたノイチは、ウカウカ先輩とミツルの間からおずおずと顔を覗かせる。
アルアル所長は、実に初々しい反応を示す二人に、にんまりと笑いかけた。
「さあ! 二人とも、どんな能力がいいの!?」
――やばーい、やばーい、やばーい。ウカウカ先輩と、ノリが一緒だ。いや、初対面の分、この人の方がもっと質が悪いかも。
「お菓子食べる!?」
――と思いきや、優しい。でもこの場合、その優しさが怖い。絶対、誘いに乗るなよ、ノンちゃん。
「いいんですか!? いただきます!」
「じゃあ、ちょっとおしっこを採らせてもらって……」
「待て待て待て待て!!」
ミツルは、前へと進み出ようとしたノイチの手を引っ張り、懐に寄せた。
「理由は!? お菓子までは、まだいいよ!! 『お約束』みたいなもんだから!! なに!? 『おしっこ』って!? 急に!!」
話の脈絡のなさに、ミツルは強くツッコミを入れる。
対してアルアル所長は、悪びれもせず即答する。
「趣味だけど?」
「ダメだよ、そんな趣味!! 研究材料とかでもねぇなら、今すぐやめな!?」
言い争いが激化する前に動いたのは、やはり、頼れるウカウカ先輩だった。
「真菜君。お姉ちゃんはね、仕事が趣味なの」
「どういうこと!? ドヤ顔で出てくるなら、ちゃんと説明して!? なんかダメだなぁ、鵜飼姉妹は!! 揃っちゃいけないカードが、揃っちゃった感じがする!!」
説明不足が止まらない。
そんなジョーカー・シスターズに負けじと、ノイチがグイと前に出る。
「心配しなくて、大丈夫! 私、頑張るから!」
「なんでおめぇもバカになっちゃうんだよ!? 落ち着いて考えろ!! 見た目に騙されんな!! 相手をおじさんだと思え!! いきなり『お小水を寄越せ』なんて言ってくるやつ、どう考えたって怪しいだろ!?」
リアルに想像したのか、彼女は顔をしかめてスッと後ろに下がった。
それを見てミツルはホッと胸を撫で下ろす。
のも束の間、アルアル所長はミツルの鼻先をビッと指さして、その美しい顔を近づけてきた。
「能力を授けるには、遺伝子情報が必要なの。だから、あなたのおしっこも採らせなさい」
「だったら、おしっこじゃなくていいだろうが!! 知ってるぞ!? なんか、綿棒みたいなのを口の中に入れて、グリグリってやるやつ!! 遺伝子情報が欲しいなら、あれでいいだろ!?」
飛び出すまっとうな意見に、マットな博士はどうするか。
「言うわねぇ」
わざとらしく表情を困らせながら両肩を持ち上げ、同時に両手を上に向ける。
外国人がよくやりそうな、絶妙に腹の立つ、定番のボディランゲージでミツルの精神を削ってくる。
殴ってやりたい。
けれども、そんなことはラブ&ピースの精神に反するし、もしやったらバイト代もなくなる。
ミツルには、耐えるしか道がなかった。
この変態博士に絞られてしまうのか。
そう思った矢先――。
パチン。
アルアル所長が白衣のポケットから取り出し、装着したのはゴム手袋だった。
「仕方ない。そのやり方を知っているのであれば、そっちにしてあげる。卯花、あなたは女の子の方を」
必死の祈りが通じたのか、どうやら綿棒による採取が選択されたらしい。
ようやくこれで一安心。
「さあ、お尻出して?」
「どうして!?」
は、できません。
アルアル所長は、その細身の体からは想像もできないほどの強い力で、ミツルのベルトをがっちりと握り締めていた。
「粘膜採取を希望なんでしょう?」
「だから、その……口で、いいじゃない、ですか」
話せば、わかる。
離せ、バカ。
両方の思いを抱きながらも、ミツルは慎重に言葉を選んだ。
瞬間、アルアル所長はブルーな瞳を細くさせ、こちらをじっと見つめてくる。
「真菜ミツル君って、言ったわね? 私はね……」
彼女は、真剣な眼差しをしていた。
あれほどふざけていたはずなのに、いざ真面目な表情になると、そこにあったのは一人の熱心な研究者の顔だった。
目を見据えていると、ふいに彼女は笑った。
年相応の、透明感のある綺麗な笑顔だった。
ミツルは掴まれたベルトのことも忘れ、ただ呆然と彼女に見入る。
しばらくそのままでいると、やがて彼女はその胸に秘めていた志を、ゆっくりと口にしてきた。
「……ただ、辱めたいの。あなたみたいな男子大学生の尊厳を破壊することに、悦びを覚えるタイプだから」
「変態ドS女ってことね!?」
渾身のツッコミもむなしく、所長は慣れた手つきでミツルのベルトを外す。
続けざま、ズボンに手がかけられる。
最後の砦を守りたいミツルは、彼女の手を、上から必死に押さえつける。
その場に流れるのは、さながら小学生の昼休みの雰囲気。
「そもそも、なんでここでやるんだよ!?」
「彼女の前だからこそ、興奮するんでしょう!?」
見れば、ノイチはウカウカ先輩の指導のもと、そのお口に綿棒を入れている真っ最中だった。
「ほら! 口でいいんじゃん!」
「そんな話は最初からしていないわ! 私はあなたのお尻を弄りたいだけ! 彼女の前でね!」
「くっ……」
そうこうしているうちに、研究所の端ではメディカルチェック終了。
無事に採取を終えたノイチに向かって、ミツルは叫ぶ。
「ノンちゃん、どう思う!?」
世界一情けない、彼女に助けを求める彼氏が、横田の地下に誕生した。
これに対し『真菜ミツル研究家』として第一線に立つ、秋風ノイチ先生は、顎に手を当てながらしみじみと唸った。
「みちゅはねぇ、自己評価が低すぎる。自分で思ってるより、大体のものがいいよ? お尻だって、キレイだし」
「そういうことじゃねぇ!! でも、ありがとう!!」
身内へのツッコミ&感謝炸裂。
次の瞬間、ズボンをずり下げようとしていた凶悪な腕から、ふっと力が抜けた。
何があったのかと、視線を戻す。
そこにいたのはもちろん、ギャラクシーレベルでヤバい女・アルアル所長。
しかし、その目からは光が失われていた。
彼女は戦いによって乱れた髪をスッとかきあげると、ミツルを見ることもなく静かに呟いた。
「……もう、いいわ」
「ど、どうして?」
「だって、言葉攻めができないじゃない。男子大学生なら、お尻は汚くないと。さあ、口を開けて?」
お尻戦争終了。
世界の平和を守る組織としてふさわしい激戦は、勝者すら生み出すことなく、決着がつけられた。




