第103食 嗚呼、日常のオレンジジュース
ステーキハウス『きっと、いつかは』。
栃木県は宇都宮と芳賀の境界線にある工業団地近くに、その一号店が構えられている。
実のところ宇都宮は、不動の人気を誇る二大ローカルチェーン店が根付かせた、独自のステーキ・ハンバーグ文化を持つ激戦区でもある。
境界線ではあるが、そんな土地に構えられた第一号店に、今、艶めかしい雰囲気を放つ、一組のアダルトな男女が踏み込んだ――。
「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」
「12名で予約した、闇野だ!!」
出迎えた店員に向かって後ろを振り返り、総勢12名の大所帯を大仰に手で示しながら高らかに告げたのは、傍らに美人秘書アキコを連れた、闇野イルカだった。
彼らの後ろにはミツルとノイチ、それからコゴロー先輩にウカウカ先輩、そしてえりりんの『仲良し☆ノンサーサークルチーム』が。
さらには、キャプテン・シルバ、ビアンカ・ヘルゲアローン、ウィッチ・ザ・ジェマイマの『本日初対面♡外国人チーム』に、クワガタよしのりとカブトムシみつをのコンビまでが、ずらりと並んでいた。
これには店員さんもビックリ。
しかし、彼女には時給が発生している。
濃いメンツによって、物理的に押された体をすぐさま前に戻して、店員さんは100点満点の営業スマイルを咲かせた。
「……はいっ!闇野様ですね、お待ちしておりました!お席までご案内いたします。どうぞこちらへ!」
メンタル最強。
はつらつとした声を響かせ、彼女は、正体不明のヤバそうな連中を隠すように、店の奥の奥にまで連れていく。
そこに通されたミツルたちは、気心の知れた仲間たちで固まり、複数のグループに分かれて席についた。
さあ始まるぞ、楽しい宴の時間だ。
ステーキを御所望だったミツルくん、どうぞ、好きなだけ食べてください。
――打ち上げ開始。
うん……。
違うんだよねぇ。
俺が行きたかったのは、スープバーのビシソワーズと、有名なタレでお馴染みの、あのステーキのお店だったからさ。
今さら言い辛いというか、もう来ちゃってるしね。
予約まで取ってもらっちゃって。
言えないよ、もう。
なに? 『きっと、いつかは』って。
変な名前。
それとも、俺に対しての当てつけ?
俺が行きたいお店をわかっていて、違うところに連れてきたの?
だとしたら、俺はここで暴れまわったっていいよね?
暴れないけど。
クタクタだし、お店に迷惑かかるし。
でも、それぐらい本気で行きたかったですよ、っていうお話。
「みちゅは、ヒレだよね?」
さすがノンちゃんはわかってるね、俺の好みの部位を。
でも、俺はノンちゃんの好みを知ってるから、そうはいかない。
「いや、サーロインにしようよ」
「え!? いいの!?」
「もちろん。今日は、いっぱい食べよう」
「うん! ありがとう!」
そう。今日も今日とて、彼女とは半分こ。
そもそもノンちゃんがサーロイン頼めよ、と。
そう言い出す輩も、いることでしょう。
そんな人は、ギャルとはお付き合いできません。
まあ、俺も、ギャルには詳しくないんだけど。
少なくとも、この秋風ノイチという、ハンバーグ魔人先生とは、そういう関係にはなれないよ、ってことです。
こういうお店に来たら、ノンちゃんは絶対、ハンバーグを食べたがります。
「私は、タワーハンバーグ。ライス大盛で! それと彼には、サーロインの1ポンドを。そっちもライス大盛で!」
ね?
………………
…………
……
え?
今日、すごくない?
1ポンドって、何キロ?
大丈夫かなぁ、俺の胃袋……。
「かしこまりました。焼き加減は、いかがなさいますか?」
「ミディアムレアでお願いします!」
優しいでしょ?
焼き方まで、俺の代わりに注文してくれるの。
注文なんかは、どこのお店に行っても、やってくれるの。
俺の意思なんて、もう、ないようなものですから。
「ディナーは、セットでドリンクをお付けしております。メニュー表から、お好きな飲み物をお選びください」
「それじゃあ俺は、コー……」
「オレンジジュースと、メロンソーダでお願いします!」
「かしこまりました」
ね?
選択権がないでしょ?
そこだけは、本当に、自信があるから。
コーヒーなんて、おじさんが飲むものですから。
ブラックでも飲んで、ちょっと一息つこうかな、なんて思ったりしていても、許してもらえませんから。
ちなみに、俺がオレンジジュースです。
これが、店によって、当たり外れが大きくてね。
実は、あんまり好きじゃないの。
飲んだ瞬間「喉が灼けっちまわぁ!!」って叫びたくなるぐらい、酸っぱいぱーいのやつ、あるからね。
でも、今回は、外れてもいいかな。
疲れた体には、酸っぱいオレンジジュースが効いてくれることでしょう。
もう、オフなんでね。
今、店員さんがイルカ様とアキコさんの席に向かったけども。
そこで何が起ころうと、俺はツッコミませんよ。
「私は、シャトー・ブリリアントを!!」
「かしこまりました。何グラムにいたしましょうか?」
「ファイナルウッシーで頼む!」
いや、わかんねぇよ!! なんだ、その単位!! せめて数字を言え!!
……って、いつもだったら言ってます。
けど今日は、放置です。
なぜなら、俺は疲れてるから。
それにほら、ちゃんと注文通ってるし。
あの有能な店員のお姉さん、今度は外国人チームの方に行ったね。
キャプテンの処理、大丈夫かなぁ?
「D'où vient la viande de bœuf ?(牛の種類は?)」
「C'est du bœuf de la race Ohtawara.(大田原牛という品種の牛肉です)」
さっきから、あのアルバイトのお姉さん、すんごい対応力を発揮してるけど、気になりませんし、絶対にツッコミません。
オフですから。
くたびれてますから、この俺は。
……ふぅ。
それにしても、すごいんだね、栃木県って。
フランス語もオーケーだなんて。
おっ、最後は、あの二人か。
今回は、目立たなかったなぁ……。
「俺たちはチキンを。両方とも、ライスは抜きで」
「付け合わせを、ブロッコリーに変えてください」
筋トレガチ勢だった。という、ね。
まるで甲虫のように、非常にこの、引き締まった体を持つ、クワガタ&カブトムシ。
いいじゃないですか。
そういう人たちがいたって。
俺はただ、オレンジジュースを飲んで、静かに、この光景を眺めていたい。
なにせ、地球を救ってきてますから。
ボロボロですから。
……あれ?
お姉さんが戻ってきた。
何の用だろう?
「失礼します、お客様。お飲み物は、食前と……」
「食前で!!」
「どうしたの、みちゅ? 急に大声出したりして」
「ごめん、ちょっと……どうかしてたわ。食前で、お願いします」
「はい。かしこまりました」
どうしても、それだけは譲れなかった。
何も言わなかったら、絶対食後にされてたから。
あ、そうだ。
店員さんが行く前に、自分の量刑くらいは聞いておかないと。
「あの、すみません。1ポンドって、どれくらいのサイズなんですか?」
「グラムに直しますと、約450グラムでございます」
おう……それは、なかなか……。
でも、ノンちゃんと半分なら、まあまあまあ。
問題は……。
「ちなみに、タワーハンバーグの重さって、どうなってるんですかね?」
「タワーハンバーグは、500グラムのものが4段重ねになっております」
はい、終わり。
まるでダメ。
基本がなっちゃいない。
デカければ、面白いと思っているのか、この店は。
500グラムでおしまいだよ、普通。
いや、500グラムでも多いから。
どうしてそれを、4段も重ねちゃったの?
500×4の半分って……俺、ハンバーグだけで1キロも食べるの?
無理だよ。
人間の内臓は、そんな大量のハンバーグを食べるようには、できていません。
「チーズソースなど、追加のソースは無料となっておりますので、ご必要でしたら、テーブルの呼び鈴を鳴らして、スタッフをお呼びください」
行っちゃった。
そういうことじゃねぇんだわぁ。
「チーズソースだって! おいしそうだね?」
おいしそうだけども。
そういうことじゃねぇんだわぁ。
「食べきれないでしょ? なんで、そんなもの、頼んだの?」
「だって、ミツルがお世話になった人たちが、たくさんいるじゃん。お礼も込めて、シェアしたいと思って」
………………
…………
……
聞いた?
こういうところ。
俺がノンちゃんを好きなのは。
今は言わないけど。
まあ、ここはイルカ様のおごりだから、人の金なんだけどね。
であっても、こういうムーブができる、ノンちゃんが好き。
言わないけど。
「お待たせしました。オレンジジュースと、メロンソーダのお客様?」
「はい」
「練乳フロートと、ラッシーのお客様?」
「……はい」
「ラッシーは、自分っす」
ふざけた飲み物は、コゴロー先輩ね。
えりりんは、ラッシーか。
へぇ。
カレー屋じゃないのに、ラッシーなんて置いてるんだ。
もしかして、ここって、すごい店なのかも。
「アイスコーヒーのお客様?」
「ありがとうございます」
ウカウカ先輩に至っては、パソコンを二台も広げて、なんかやってる。
忙しいんだね。
「……まずは乾杯しよう。合宿、そしてミツルのアルバイト。お疲れ様」
「お疲れ様!!」
こうして、終わってみると……サークルメンバーに、愛着が湧いて、仕方がないのでございます。
なんて、思ったりして。
そもそも、この奇人変人たちを、イルカ陣営が軽々と上回ってくるのが邪悪すぎる。
結局、俺はもう、このメンツに安らぎを感じてしまうようになってしまったわけで――。
「……いただきます」
ミツルはしみじみとした思いで、オレンジジュースを口に運んだ。
甘いのか、酸っぱいのか。
その味は、彼にしかわからない。
しかし間違いなく、彼に生きた心地を取り戻させたのは、その味だった。




