第十八章 和成 2
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和成の中は、思っていた以上に静かだった。
船の揺れはある。
エンジンの低い振動もある。
でも、それら全部を厚い壁と柔らかい床材で吸収してしまっているみたいで、歩くと逆に違和感を感じた。
廊下は白い。
照明は明るすぎない。
消毒液の匂いも、病院より薄い。
"具合の悪い人間をなるだけ刺激しない"ように作られているんだろう。
それが余計に鼻をつく。
刺激しないように整えた場所は、そのまま人の判断も鈍らせるのだ。
『檻の天才ね』
リリスが囁く。
『ちゃんと"落ち着く形"をしてるの。
それだと獲物は自分から入るもの』
林は先頭を歩きながら、振り返りもせずに言う。
「まず前提を確認します。
この船で行うのは、治療ではありません。
貴方たちの帰還格子の状態確認と、解除の可能性検証です」
「じゃあ同意書はいらないな」
俺がすぐ言うと、林はほんの少しだけ口元を緩めた。
「鋭いですね」
「前に騙されかけた」
「ええ。
その件は国内支社の不適切運用として認識されています」
「便利な言い方だな」
「正確な言い方です」
言いながら、林は一つの扉の前で止まった。
船内中央の小さな会議室。
丸いテーブル。
壁一面のスクリーン。
そして、机の上に薄いタブレット端末が三台並んでいる。
「ここで、まず確認事項を共有します」
座るよう促される。
だが、俺たちは立ったままだった。
林もそれを咎めなかった。
むしろ、その方が予想通りという顔だった。
「帰還格子は、治験時に、貴方達宿主の神経へ織り込まれた"戻る型"です。
普段は眠っています。
第三棟の観測窓が機能している間は、そこが緩衝材として働いていました」
結理が低く言う。
「窓を壊したから、直接本社側へ切り替わった」
「はい」
林は頷く。
「あなた方が壊したのは、送受信窓口であり、緩衝層でもありました」
「だから痛みを送ってきた」
「そうです」
きっぱり言い切る。
「本来、母鍵は施設側でしか扱いません。
ですが第三棟喪失に伴い、和成へ可搬型を移送しました」
「母鍵はどこにある」
俺が聞くと、林は少しだけ視線を横へ動かした。
扉の向こう。
さらに船の中心部だろう。
「案内します。
ただし、その前に一つだけ理解してほしい」
林はそこで、初めてはっきりこっちを見た。
「帰還格子の解除には、二つの結果しかありません。
一つは、格子だけを切って宿主を残す。
もう一つは、格子ごと断片を回収して安定を優先する」
「つまり、リリスを取り上げる気だろ」
俺が言うと、林は少しも表情を変えない。
「可能性としてはあります」
「最初からそのつもりのくせに」
「そう決めつけるのは早い」
「決めつけじゃない。
お前らはいつもそうだった」
林はそれに対しても怒らない。
ただ、少しだけ目の温度が下がった。
「諸井静男さん。
あなたは今、リリスを"名前で呼ぶこと"と"存在を保持すること"を同一視している。
ですが、本当に問われているのは"どちらを失えば、全体の損失が小さいか"です」
「全体って何だよ」
「あなた。
蓮さん。
諸井美羽さん。
日本国内の外部異常接触ライン。
そして、監査体との今後の比較環境。
その全部です」
そこまで整った声で言われると、怒鳴り返すより先に寒気がする。
『ほらね』
リリスが囁く。
『最後まで綺麗なまま切る気よ』
林は最後にこう付け加えた。
「だからこそ、結論を先に決めずに母鍵を見せます。
その上で選んでください」
選ばせる、と言う。
でも、その選択肢の中身を作ったのは向こうだ。
それでも今は、母鍵を見ないと始まらない。
「案内して」
結理が言った。
林は頷き、もう一度だけだけ確認するように言う。
「船内では、誰の身体にも触れません。
薬剤も使いません。
その条件で進めます」
「今のところは、ね」
結理が冷たく返すと、林は否定もしなかった。




