第十八章 和成 1
第十八章 和成
1
医療船和成は、近づくほどに"正しそう"に見えた。
白い船体。
無駄のない灯火。
甲板の上には余計な人影が見えない。
遠目には、災害時の医療支援船か、国際機関の中立監視船にしか見えない。
だからこそ、危うさを俺は感じた。
綺麗に整えられたものほど、中で何をしているかは想像しにくい。
白い部屋もそうだった。
潮見の保全庫もそうだった。
そしてたぶん、この船も同じだろう。
接舷は静かだった。
しおかぜ二号の横腹へ、和成から細い渡り橋が伸びてくる。
風でわずかに軋む音。
海面に砕ける青白い灯り。
それだけで、妙に胃の奥が重くなる。
冬月さんは最後の確認をした。
「乗るのは予定通り、三人。
諸井、蓮くん、結理」
「美羽は」
俺が振り返ると、美羽はすぐ頷いた。
「私はここ」
そう言いながらも、まっすぐこっちを見る。
「でも、ずっと呼んでるから」
その一言だけで、右手の熱が少し整う。
蓮は毛布を肩にかけたまま、医療船を見ていた。
右腕の固定布の下がじわりと脈打っている。
まだ痛みはある。
けれど、港で暴れていた時みたいな"壊れるための脈"じゃない。
「こわい?」
美羽が小さく訊くと、蓮は少しだけ迷ってから頷いた。
「こわい。
でも……いく」
「うん」
美羽はそこで、蓮の左手を一度だけ握った。
「帰ってきたら、名前呼ぶ」
蓮はそれで充分みたいに、小さく頷いた。
冬月さんが俺へ、細いイヤーピースを新しく渡してくる。
「今度のは医療船内でも通る。
海上中継ドローンを二機上げる。
完全ではないけど、美羽さんの声は切らない」
「ありがとう」
「礼は帰ってきてから」
短い返しだった。
でも、その方が今はありがたかった。
結理はもう作業着の上に薄い白衣を羽織っている。
医療補助スタッフに見せるためだろう。
白くて清潔な布が、この女にはひどく似合わない。
似合わないからこそ、逆に怖い。
「笑わないで」
こっちの顔を見て、結理が低く言った。
「笑ってない」
「顔が少し笑ってる」
「似合わないなって思っただけ」
「最低」
その一言だけで、少しだけ呼吸がしやすくなる。
対面審査体は、今夜は船へは乗らなかった。
代わりに、海面下の青い点が和成の周囲にゆっくりと散っている。
監査体は見ている。
でも、手は出さない。
少なくとも今は、"比較"の条件を守るつもりらしい。
『本当に趣味の悪い船』
右手の奥で、リリスが囁く。
『白くて清潔で、でも中で誰かを削るための形が最初から整ってる』
「分かる」
『坊や、署名は絶対しないで』
「迅にも言われた」
『珍しく正しいわね、あの父親』
渡り橋の向こうから、人影が三つ現れる。
真ん中が、林紹晴。
昼間、スクリーン越しに見た女だ。
白いジャケットじゃない。
今は薄いグレーの船医コートを羽織っている。
でも、顔つきの整い方は変わらない。
疲れて見えるのに、そこに感情の乱れがない。
本当に、最後まで人間の顔を崩さずに奪うタイプなんだと分かる。
「ようこそ」
林は、まるで学会の来客を迎えるみたいな声で言った。
「約束どおり、乗船者は三名のみ。
武装なし。
乗船中の意思確認と会話は、監査条件に従って全記録します」
「"全記録"ね」
結理が冷たく言う。
林は頷く。
「ええ。
こちらも、そちらも。
その方が、後で話が捻じれない」
正しいことを言っている。
だから余計に嫌だった。
「時間は」
俺が訊く。
「二時間」
林は即答する。
「その間に、母鍵へのアクセス、帰還格子の状態確認、解除可能性の判定まで行います」
「判定、か」
「解除できると言っていないからです」
そこだけは、曖昧にしない。
「できない可能性もある」
「あります」
「その場合は?」
林は一瞬だけ俺の右手を見た。
「別の選択肢を提示します」
『嫌な女』
リリスが低く言う。
『"治せないなら戻せばいい"って、最初から言う準備してる』
たぶん、その通りだ。
「じゃあ行くぞ」
俺が言うと、美羽が最後に一歩だけ近づいてきた。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「帰ってきて」
「帰る」
「結理さんも」
結理が少しだけ目を見開く。
そのあと、小さく頷く。
「帰る」
「蓮くんも」
蓮は一拍遅れて、でもちゃんと答えた。
「……うん」
それで十分だった。
俺たちは渡り橋を渡った。




