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第十五章 人類代表 3・4

 

   3


 夜の甲板にいると、静けさを感じる。


 ただ、実際には静かじゃない。

 風は強いし、波は脚の下の鉄骨を低く鳴らしているし、沖には包囲艇の灯りがいくつも揺れている。


 でも、その中心に立つと、妙に音が引いていく感じがあった。


 まるで海そのものが、今夜ここで何が話されるかを待っているみたいに。


 配置は決めてあった。


 中央に、冬月。

 その少し左に、俺。

 さらに左へ美羽。

 右に蓮。

 その後ろに結理。

 そして、少し離れた位置に迅。


 "誰か一人が代表として立つ形"を避けるための並びだ。


 照明は施設側からだけ当てる。

 外の船は逆光になる。

 録画はアナログとデジタルを二重。

 監査体へも、波形と音声をそのまま流す。


「来る」


 結理がイヤーピース越しに小さく言う。


 沖の大型艇が速度を落とし、その横腹から一本の小さなボートが降ろされる。

 白い航海灯。

 人影は三つ。


 真ん中が鷹瀬。

 左右に一人ずつ、法務か護衛か。

 だが、銃の形は見せていない。

 見せられないのだろう。今夜は。


 ボートが接岸する。

 鷹瀬が最初に降り立った。


 黒いコート。

 濡れないよう裾を押さえもしない。

 風が吹いても顔色一つ変わらない。

 本当に、正面から来た。


 そのまま甲板の中央まで歩いてきて、立ち止まる。


 少しだけ、俺たちを順番に見る。

 最後に、迅のところで視線が止まった。


「……本当に、そこへ立つのか」


 静かな声だった。


 迅も一歩も引かない。


「今夜はな」


「滑稽だ」


「お互い様だろう」


 二人の間の空気は、たぶん俺たちが思うよりずっと長く複雑なんだろう。

 でも、今夜はそこを掘っている暇はない。


 鷹瀬はすぐに正面へ向き直る。

 施設の上。

 海の下。

 監査体が"見ている"であろう位置へ。


「私は鷹瀬清人。

 人類側安全保障技術評価ラインの実務責任者として来た」


 冬月が即座に言う。


「"人類側代表"とは名乗らないのね」


 鷹瀬は少しだけ口元を動かした。


「代表は審査の結果決まるべきだからな」


 ずるい。

 でもその慎重さが、逆に本気だと分かる。


 対面審査体の声が、施設のスピーカーから低く落ちてくる。


「剪定優先群の到着を確認。発言を許可する。比較を継続」


 鷹瀬は一拍置いてから話し始めた。


「人類は多数の個と多数の制度から成る。

 だが、外部知性と接触する局面において、個々の感情や関係性へ判断を委ねることは文明単位の危険を招く」


 案の定だ。


「諸井静男の特性が希少であることは認める。

 相良蓮の悲劇も認める。

 だが、それらは管理の失敗であって、管理原理そのものの誤りを証明するものではない」


 蓮の肩が少しだけ震える。


 俺が名前を呼ぶより先に、美羽がそっと言った。


「蓮くん、ここにいる」


 それだけで、震えが少し落ちる。


 鷹瀬はそのやり取りを見ても、表情を変えない。


「人類が外に対して生き延びるためには、一つの窓口と一つの基準が必要だ。

 その基準は、一時的な愛や、愛着の感情ではなく、普遍的再現性であるべきだ」


 そこで、はっきりと俺たちを見る。


「美しい例外に、文明全体の舵を握らせるわけにはいかない」


 その言葉に、右手がじり、と熱を持つ。


 でも、まだ怒りだけじゃない。


 対面審査体のスピーカーが短く鳴る。


「剪定優先群。"普遍的再現性"の内容を提示せよ」


 鷹瀬は待っていたみたいに答えた。


「恐怖・損失・規律による行動予測可能性だ。

 人は失うことを恐れる。

 だから制度と国家は、その恐怖を管理し、集団の行動を安定化できる」


 美羽が、そこで本当に嫌そうな顔をした。


 蓮は目を伏せる。

 きっと、白い部屋の寒さがその言葉と重なったんだろう。


 鷹瀬は続ける。


「感情そのものは否定しない。

 だが、それは制度の下位に置かれるべきだ。

 そうでなければ、相良蓮のような不安定個体も、諸井静男のような例外個体も、文明全体を人質にする」


「違う」


 思わず言うと、鷹瀬が少しだけ首を傾けた。


「何が違う」


「人質にしてるのはお前だろ」


 声は低かった。

 でも、ちゃんと届いた。


「蓮を怖がらせて、俺から美羽を奪って、国家を"新しい拠り所"にしようとした。それのどこが文明のためなんだよ?」


 鷹瀬は、そこで初めて直接俺だけを見る。


「個人の視点では残酷に見えるだろうな」


「個人の視点でしか見られない痛みもある」


「だからこそ、文明の意思は個人から切り離されるべきだ」


「それで、誰がその文明の意思を決める」


「国家だ」


 即答だった。


「国家は誰だ」


「制度と手続きを通じて形成される」


「嘘つけ」


 気づけば一歩前へ出ていた。


「お前が都合のいい時だけ"国家"って言ってるだけだろ」


 鷹瀬の目が、ほんの少しだけ細くなる。


「言葉遊びは――」


「言葉遊びじゃない」


 結理が、そこで初めて前へ出た。


「鷹瀬。

 あなたの補正メモ、もう外へ出た。

 "喪失刺激で依存先を国家へ付け替える"って、あなた自身の字で」


 甲板の空気が変わる。


 鷹瀬の左右に立っていた二人の表情まで、一瞬だけ硬くなる。


「あなたが言う"文明の意思"は最初からあなた個人の設計だ」


 結理の声は冷たい。


「国家なんて大きい言葉で、自分のやり方を隠すのやめたら?」


 対面審査体のスピーカーが、少しだけ長く沈黙した。


 その沈黙が、妙に重い。


   4


「それでも」


 鷹瀬は、思ったより早く立て直した。


「それでも、人類が窓口を持つべきだという結論は変わらない。

 お前たちは感情と関係性の美しさを語る。

 だが、外部知性がそれを利用し始めた時、誰が止める?」


 その言葉が、甲板の上でひどく冷たく響く。


「リリスが今はお前たちに好意的でも、個体化が感染のように広がればどうなる。

 相良蓮のような残余宿主が百、千と出た時、名前を呼んで抱え込むのか?」


「抱え込むんじゃない」


 今度は、冬月が言った。


「増やさない仕組みを作る。

 恐怖じゃなく、選ばせる仕組みを。

 接触派は最初からそう言ってる」


 鷹瀬はそこで、初めて少しだけ露骨に冬月を見た。


「だから予算も実効性もない」


「あなたに削られてきたからでしょ」


 冬月も一歩も引かない。


「失敗例を量産しておいて、"現実的"って顔をする方がよほど非現実よ」


 蓮が、そこで小さく息を吸った。


 誰も促していない。

 でも、自分から顔を上げる。


「おれ、しっぱい、じゃない」


 掠れた声だった。

 でもはっきりしていた。


 鷹瀬の視線がそっちへ向く。


 蓮は少しだけ震えていた。

 それでも続ける。


「こわいの、まだある。

 いたいのも、ある。

 でも、おれ、きめる。

 だれのこえ、きくか。

 だれのなまえ、のこすか」


 そこで一度息が切れそうになる。

 でも、美羽がそっと言う。


「うん」


 その一言が支えになるみたいに、蓮はもう一度顔を上げた。


「だから、おれ、しっぱいじゃない」


 甲板の上を、風が強く抜ける。


 対面審査体のスピーカーが、小さく鳴る。


「残余宿主相良蓮。自己決定を確認。剪定優先群の分類語と矛盾する」


 鷹瀬の目が、そこで初めてはっきりと揺れた。


「分類語」


 美羽が小さく繰り返す。


「そうだよ」


 そして、こっちはもう止まらなかった。


「お兄ちゃんも、蓮くんも、リリスさんも、

 全部"分類語"に変えられてた。

 でも、名前で呼んだら違った」


 監査体の海面下の青い光が、また一つゆっくりと揺れる。


 美羽は、鷹瀬を真正面から見た。


「あなたは、人類って言ってるけど。

 たぶん、自分で選ばせるのが怖いんだね」


 甲板の空気が止まる。


 誰もそんなふうに言わない。

 大人はたいてい、もっと回りくどくしか言えない。


 でも美羽は、ただ思った通りに言った。


「だって、みんなが自分で選んだら、あなたの言うこと聞かない人も出るもんね」


 鷹瀬の口元が、そこで初めてほんのわずかに歪む。


 怒りだ。


 やっと、国家だの文明だのの顔の下から、本物の感情が顔を出した。


未成年ガキが」


 低い声だった。


「何も知らないまま――」


「知ってるよ」


 美羽は、そこで引かなかった。


「お兄ちゃんを取られそうになったことも。

 私を"喪失イベント"に使おうとしたことも。

 蓮くんが怖がることでしか繋がれなくされたことも」


 その一つ一つが、鷹瀬の理屈を薄く削っていく。


 そして最後に、美羽は言った。


「あなたは、人類の代表じゃない。

 ただ、怖がらせて支配するのが上手なだけ」


 その瞬間、監査体の声が、今までで一番はっきりと落ちた。


「剪定優先群の自己申告と、実態に乖離を確認。"人類代表"の主張は、現時点で認めなられない」


 甲板の上の空気が、一気に変わる。


 結理が小さく息を吐く。

 冬月の肩からも、力が少し抜ける。

 俺の右手は、静かに熱を返した。


 でも、鷹瀬はそこで終わらなかった。


 むしろ、その瞬間に何かが切れたみたいだった。


「……そうか」


 低く言う。


 声は静かだ。

 でも、その静けさの底が変わった。


「なら、もう審査はどうでもいい」


 背後の二人が、一斉に小さく身構える。

 嫌な予感しかしない。


「待て」


 迅が初めて強い声を出した。


 だが、鷹瀬は振り返りもしない。


「国家代表の主張が通らないなら、せめて危険対象の隔離だけでもさせていただく」


「お前」


 俺が言いかけた瞬間、鷹瀬の右手がコートの内側へ入る。


 銃じゃない。

 もっと細い、黒い端末。


 結理が叫ぶ。


「EMP!」


 次の瞬間、鷹瀬がそれを甲板へ叩きつけた。


 眩しい閃光。

 耳の奥が一瞬潰れる。

 施設の照明が全部落ちる。

 海の上が、青白い残光だけで染まる。


 最悪だった。


 鷹瀬は、審査の結果が出た瞬間に、もう"人類代表"の顔を捨てたのだ。

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