第十五章 人類代表 1・2
第十五章 人類代表
1
海上観測施設の外海が妙に明るくなった。
夜を迎える夕暮れの雲は重く垂れていた、だがその下の水平線だけがいくつも白く滲んでいる。
最初は漁船かと思った。
でも違う。
廻りに待機する報道艇、巡視艇、民間警備艇。
そして、わざと灯りを見せて近づいてくる国家側の船舶。
「来たね」
冬月が観測室の窓代わりのスクリーンを見ながら言った。
その声は平坦だったが、指先だけは少しだけ早く端末を叩いている。
「隠れる気はない。正面から"取りに来る"つもり」
結理が別画面を開く。
海図の上に、三つの進路が重なる。
南西からの大型艇。
西からの高速艇。
そして北側で止まったまま動かない、たぶん冬月の言う"見せるための報道の灯り"。
「海保偽装艇が前。
志奈星はその後ろ。
……で、一番遅くて一番真ん中が鷹瀬」
「分かるのか」
俺が聞くと、結理は肩をすくめた。
「こういう人って、だいたい自分が中心に見える位置にいるでしょ」
嫌になるくらい納得できた。
その時、外部回線の警告音が鳴る。
冬月が開くと、形式だけはやけに整った文面が映った。
国家緊急管理下における外部異常接触確認のための臨時代表面会要求
差出人欄には、はっきりこうあった。
鷹瀬清人
「面会要求だって」
冬月が淡々と言う。
「ずいぶん上品な言い方ね」
「突入じゃないのか」
俺が言うと、冬月は首を横に振った。
「突入もしたい。
でも、監査体に"剪定優先群"って一度ラベル付けされてるから、今はむしろ"文明の代表として正面から話しに来ました"って顔を作りたいのよ」
「気持ち悪い」
思わずそう言うと、冬月は頷いた。
「ええ。でも、その気持ち悪さの分だけ利用価値はある」
「どういう意味」
「正面から来るなら、こっちも正面から記録できる」
その時、別回線が入る。
今度は迅だった。
『聞こえるか』
「聞こえる」
結理が答える。
『鷹瀬は今夜、"人類側の代表として対面審査体に申し立てる"つもりだ。強制接収ではなく、先に代表権を取る方へ切り替えた』
「代表権?」
美羽が少しだけ眉を寄せる。
「そんなの、誰が決めるの」
『あいつは"国家が決める"と言うだろう』
迅の声は低い。
『だから、今夜はただの交渉じゃない。
誰が"人類側の代表"を名乗れるか、その場になる』
その一言で、観測室の空気が変わる。
学校を壊した。
志奈星の窓も落とした。
監査体とも最初の対話をした。
そして今度は、人間の側が"誰の声で話すか"を選ばされる。
鷹瀬はそこを取りに来る。
「受ける?」
冬月が俺たちを見る。
「拒否したら?」
結理が先に聞く。
冬月は少しだけ目を細めた。
「"対話を拒んだ接触派施設"って形にされる。監査体にも、外にも。だから受けるしかない」
迅の声が、そこで少しだけ低くなる。
『ただし条件をつけろ。
屋外。
全記録。
武器の明示。
そして、四個体連結への直接干渉禁止』
「聞くと思う?」
俺が言うと、迅は即答した。
『聞かせる。
今の鷹瀬は、正しさの顔を崩せない』
そこは、たしかにそうだった。
鷹瀬は"人類代表"を気取りに来る。
だったら、その顔をしたまましか近づけない。
「じゃあ受ける」
冬月が言った。
「甲板中央。
照明はこっち。
録画もこっち。
監査体にも聞かせる」
「私たちも出るの?」
美羽が聞く。
冬月は頷いた。
「出る。
だって向こうは"人類"を名乗るのに、名前のない方へ押し込みたい人たちを消したいんだもの。
なら、消される側がその場にいなきゃ意味がない」
美羽は少しだけ緊張した顔をした。
でも、逃げたいとは言わなかった。
蓮は毛布を肩にかけたまま、静かに言う。
「たかせ、くるの」
「来る」
俺が答えると、蓮は小さく頷いた。
「じゃあ、おれもいる」
その言葉だけで、もう決まった気がした。
2
甲板へ出る前に、迅が一度だけ施設へ来た。
直接ではなく、施設の下に寄せた小型ボートから連絡を入れ、冬月の許可で上がってくる。
スーツの上着は着ていない。
シャツの襟も少しだけ崩れている。
前みたいな"窓口"の顔じゃない。
ただの、ひどく疲れた大人に見えた。
「珍しい顔」
結理が言うと、迅は苦くも笑わなかった。
「お前もな」
短い返しだけで、二人がちゃんと親子だと分かる。
迅は会議スペースのテーブルに薄いフォルダを置いた。
「鷹瀬が今夜使う理屈だ」
中身は三枚の紙だった。
一枚目。
外部異常接触に対する人類側単一窓口の必要性
二枚目。
情動依存型個体の判断不適格性
三枚目。
未成年関連個体の保護隔離正当化
「予想通りだな」
思わず言う。
「そうだ。
あいつはまず、"人類は割れている場合じゃない"と言う。
次に、お前たちの連結を"感情依存"と呼ぶ。
最後に、美羽さんと蓮を"保護対象"として切り離そうとする」
「切り離したい、の間違いでしょ」
結理が冷たく言う。
迅は頷く。
「そうだ」
今はもう、飾らない。
「対抗は?」
冬月が聞く。
迅は少しだけ息を吐いてから答えた。
「一つ。
監査体が既に"剪定優先群"の存在を記録していること。
二つ。
相良蓮への恐怖基盤補正が失敗だったこと。
三つ。
諸井静男・美羽・蓮・リリスの四個体連結が、恐怖より高い安定を示したこと。
そして四つ」
そこで、迅は俺を見る。
「お前自身が、"人類代表を誰にも委ねない"とはっきり言うことだ」
少しだけ、喉が詰まる。
「俺が?」
「そうだ」
迅は視線を逸らさない。
「鷹瀬の理屈は、最終的に"複数の人間の都合はノイズだから、国家が代表してまとめる"だ。
それに対抗するには、"名前を持つ複数の人間が、自分で選んで繋がっている"ことを言葉にしなければならない」
「綺麗ごとに聞こえるな」
「綺麗ごとだ」
迅が即答する。
「だが、今夜はその綺麗ごとが最も実戦的だ」
その言い方に、少しだけ息が戻る。
迅はそこで、美羽を見る。
「頼みがある」
「何?」
美羽はまっすぐ聞き返した。
「今夜、私がもし何かを言い淀んだら。私の名前を呼んでくれ」
部屋が少しだけ静かになる。
結理が先に、父親を見る。
迅は視線を逸らさなかった。
「鷹瀬の前に立つと、私はまた"国家側の理屈"で喋りやすくなる。
そこを切りたい」
その言葉が、ひどく生々しかった。
美羽は少しだけ考えて、それから頷いた。
「分かった。
でも、その時はちゃんと戻ってきて」
迅はそこで初めて、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「努力する」
「それ、結局それなんだ」
結理が小さく言う。
「他に上手い言い方を知らない」
その返事だけで、少しだけ空気が緩んだ。
完全に許せるわけじゃない。
蓮に起きたことも、俺の補正計画も消えない。
でも、今夜だけはこの男もまた、同じ甲板へ立つ側にいる。
それだけは本当だった。




