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第十四章 迅の選択 5

 

   5


 夕方が近づく頃、迅から最後のファイルが届いた。


 短い文書。

 電子署名付き。


 真正証明および留保確認書


 題名は事務的だが、その中身はあまり事務的ではなかった。


 天城迅はその文書の中で、以下を認めていた。


 潮見技術合同庁舎地下八階保全系統の設計者であること

 聖麗学院・志奈星・TSC-JP利用派の原本保管に関与したこと

 相良蓮に対する恐怖基盤型補正計画を止めきれなかったこと

 諸井静男への同種補正計画に対して留保を付したが、構造自体から離脱しなかったこと

 現時点で持ち出された原本群が真正であること


 最後の一文だけ、少しだけ事務的な雛形から外れていた。


 私は長く、全体損失を減らすという名目で、個の破壊を容認した。

 その判断は正しかったとは思わない。

 ただし、今さら悔いるだけでは止められないため、真正証明と対抗起案を残す。


 結理はその文書を読み終えたあと、しばらく何も言わなかった。


 俺も言えなかった。


 美羽も、蓮も、冬月さんも、誰もすぐには何も言わない。


 やがて、結理が小さく息を吐いた。


「……遅い」


 その一言だけだった。

 でも、その一言に、たぶん何年分かの感情が入っていた。


「うん」


 美羽が小さく相槌を打つ。


 結理はそこで、初めて少しだけ笑った。


「でも、ゼロよりはまし」


 冬月さんが頷く。


「それで十分よ。

 今必要なのは、完全な善人じゃなくて、証明できる裏切り者だから」


 その言い方に、少しだけ救われる。


 俺は文書の最後をもう一度見た。


 個の破壊を容認した。

 正しかったとは思わない。

 真正証明と対抗起案を残す。


 迅の選択は、たぶん本当にそこだった。


 もう中に残って調整するんじゃない。

 中にいた人間として、外へ名前付きで責任を出す。


 遅い。

 本当に遅い。


 でも、その遅さすら原本に刻まれたなら、少なくとも"なかったこと"にはできない。


「出すよ」


 結理が言った。


「一段目、二段目、同時に」


「やれ」


 冬月さんが短く返す。


 結理の指が、送信キーの上で一瞬だけ止まる。

 たぶん父親の名前が載っているからだ。

 でも次の瞬間には、ためらいなく押した。


 送信。


 その瞬間、海上施設の外で風が一段だけ強くなった気がした。

 ただの気のせいかもしれない。

 でも、何かがまた一つ越えた感覚だけははっきりあった。


 数秒後。

 監督官庁向け回線、送達。

 記者向け秘匿回線、送達。

 複数の第三者保全ノード、確認。


 もう戻らない。


 冬月さんが小さく言う。


「これで、少なくとも今夜の臨時審査は"密室で何でも決めていい会議"じゃなくなった」


「鷹瀬は?」


 俺が聞くと、結理の端末がその答えを先に映した。


 速報。

 内部通達。

 臨時審査の議題修正。

 共同起案者・天城迅の真正証明流出。


 そして、その直後に。


 議長席補佐 / 鷹瀬清人 / 単独執行権申請


「……まだやるつもりかよ」


 思わず漏れる。


 結理は冷たく笑った。


「やるよ。あの人は"ここで引いたら終わる"って分かってるから」


 冬月さんも頷く。


「だから、次は正面から来る」


「海上施設に?」


「ええ。

 そして、監査体の猶予がある今のうちに、"自分こそが人類側の代表だ"って形を作りに来る」


 つまり、次はもう隠れない。


 鷹瀬は正面から来る。

 迅は裏切り者として外に立つ。

 俺たちは、監査体からの猶予を持ったまま、その間で選ばされる。


 右手が、静かに熱を返す。


『面白くなってきたわね』


 リリスが囁く。


「全然笑えない」


『ええ。

 だからこそよ』


 窓の外では、海の色が少しずつ夕方へ傾き始めていた。


 三日の猶予は、もう二日もない。

 でも、原本は出た。

 迅も選んだ。

 蓮の名前も消えていない。

 美羽も、ここにいる。


 だったら次は、逃げるか隠れるかじゃない。


 人間側の代表面をして立ってくる鷹瀬に、

 ちゃんと名前付きで"違う"と言わせる番だった。

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