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第十四章 迅の選択 3・4


 3


「……何を」


 結理が、娘の声で尋ねた。


 迅は、数秒だけ黙った。

 それから、低く、でもはっきり言った。


『私は今夜の臨時審査で、利用派の共同起案者として座れば、鷹瀬の"国家単独保護移管"を内部から薄めることができるかもしれない。

 だが、その場合、表に出す原本の真正性を自分で証言できなくなる』


「逆は?」


 冬月が訊く。


『逆なら、共同起案者を降りる。

 代わりに、潮見保全庫の原本が本物であること、私がその保全系統を作り、利用派の補正計画に留保を付けていたこと、その上で止めきれなかったことを、全部自分の名で認めて外へ出す』


「……それをやったら」


 俺が言うと、迅はすぐ答えた。


『私の役割は終わる。

 技術顧問も、対抗起案者も、もうできない。

 おそらく内部では裏切り者扱いになるから』


「おそらくじゃないでしょ」


 結理が低く言う。


『そうだな』


 迅の返事に迷いはない。


『だから、それを今から選ぶ』


 会議スペースに、重い沈黙が落ちる。


 俺は、正直少しだけ驚いていた。

 この男は、ずっと中にいることでしか止められない人間だと思っていたからだ。

 中にいて、留保を付けて、少しましな方へ押し返す。

 そういう"中途半端な戦い方"しかできない人間だと。


 でも今、迅は、その中途半端な闘い方を自分で捨てるかどうかのところまで来ている。


 結理が、言った。


「……今さらだね」


 ひどく静かな声だった。


 迅も、否定しない。


『そうだ』


「もっと前にやれた」


『そうだ』


「蓮くんが壊される前に。

 諸井の補正計画が走る前に。

 学校が燃える前に。

 もっと前に、やれた」


 その一つ一つが重い。

 でも、迅は逃げなかった。


『そうだ』


 三度目の同じ返事のあと、結理は小さく息を吐いた。


「じゃあ、今からやって」


 その言葉だけで十分だった。


 言い訳でも、許しでもない。

 ただ、今ここで選べ、という命令に近い。


 迅は数秒だけ黙ってから言った。


『分かった』


 その一言で、空気がまた変わる。


『私の保全署名、留保意見、利用派内部メモの真正証明をまとめる。

 それに加えて、潮見庁舎地下八階の保全庫が、補正計画と未成年被験者の音声原本を保管していたことを、自分の名で認証する』


「そこまでやるのか」


 俺が思わず聞くと、迅は小さく息を吐いた。


『そこまでやらなければ、鷹瀬は"改竄された持ち出し資料"で押し通す』


「父さん」


 結理が呼ぶ。


『何だ』


「逃げないでね」


 一瞬、言葉が止まる。

 迅の方も少しだけ黙った。


『……逃げるつもりはない』


 それから、少しだけ低く続ける。


『だが、お前は逃げろ。

 いや、違うな。

 生きて、離れろ。

 私の選択に巻き込まれて沈むな』


 その言い方に、結理は返事をしなかった。

 でも、その沈黙は拒絶じゃなかった。


 通話が切れる直前、迅は最後に俺へ言った。


『諸井くん』


「何ですか」


『もし私が今夜以降、窓口ではなくなるとしても。

 君の名前は、もうコードに戻させない』


 そこで、通話は切れた。


 部屋の空気がしばらく動かなかった。


 やがて、美羽が小さく言う。


「……本気なんだ」


 誰も否定しなかった。


 4


 原本の公表は、結局"全面公開"と"限定公開"の中間になった。


 冬月と結理が組んだ三段階公開は、そのまま採用された。

 ただし、迅の真正証明が載ることで、重さが一気に変わる。


 一段目の一般公開版には、こう入る。


 聖麗学院内候補者選別ログの存在

 補正計画の存在

 鷹瀬清人の手書きメモ

 天城迅の留保意見の存在

 未成年被験者に対する家族チャネル遮断の事実


 名前は必要最低限まで伏せる。

 蓮と美羽の個人情報は切る。

 でも、構造は見えるようにする。


 二段目は、監督官庁・法務・第三者監査・複数記者への秘匿版。

 こちらは原本照合可能。

 印影、日付、紙質、音声メタ情報まで含む。


 三段目は、焼却不能版。

 こちらは、俺たちの回線が一定時間途絶えた場合だけ、全部出る。


「これで、少なくとも"全部なかったこと"にはできない」


 結理が端末を閉じながら言う。


「でも、"全部なかったことにできない"ってだけで、止まるわけじゃない」


「分かってる」


 俺が返す。


「むしろ、鷹瀬はもっと早く来る」


「ええ」


 その言葉通りだった。


 冬月さんの補佐が、外周監視の更新を持ってくる。

 潮見庁舎の周辺だけじゃない。

 海上施設の周囲にも、所属不明の船がさらに一隻増えていた。


「国交省の巡視支援艇に見せてるけど、AISの癖が違う」


 冬月さんがモニターを睨む。


「利用派の手駒ね」


「志奈星は?」


 俺が聞く。


「逆に静か」


 結理が言う。

 その顔が少しだけ硬い。


「静かな方が嫌」


 それも分かる。

 第三棟の青い窓は壊した。

 だから向こうは、今はむしろ"直接触る前の静けさ"に入っているのかもしれない。


 蓮が、そこでぽつりと言った。


「しずかのあと、こわい」


 その一言で、部屋の全員が黙る。


 そうだ。

 蓮はそれを知っている。


 白い部屋でも、たぶんそうだったんだろう。

 静かな時ほど次の痛みが来る。


「……ごめん」


 美羽が、なぜか小さく謝る。


 蓮は首を振った。


「みう、わるくない」


 それから、少し考えて続ける。


「でも、しずかのあと、なまえ、よんで」


 美羽はすぐに頷いた。


「分かった」


 単純だ。

 でも、それが今の蓮には一番効くのかもしれない。


『名前』


 リリスが囁く。


『ほんとに、便利な武器ね』


「武器って言うな」


『武器であり、家でもあるのよ。

 だから厄介なの』


 たしかにその通りだった。

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