表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
59/81

第十三章 潮見技術合同庁舎 4・5


    4


 保全庫前の認証廊下に立つ。そこは、まるで銀行の金庫室のようだ。


 白い壁。

 温度の低い空気。

 監視カメラが三つ。

 扉は二枚。

 手前のガラス隔壁と、その奥の金属扉。


 結理がまずガラス隔壁の端末へ仮認証を通す。

 緑。

 開く。


「ここまでは通る」


「問題は奥か」


「そう」


 金属扉の前には、生体認証パネルと、カードスロットが二つ並んでいた。

 鷹瀬たちの趣味だろう。

 "国家管理下の保全庫"らしい嫌らしさがある。


 結理が端末を繋ぐ。

 数秒だけ画面を睨んで、それから小さく舌打ちした。


「やっぱり」


「何だ」


「ALICE系統の生体波形キー。

 しかも、右手起点」


「……ふざけてるな」


「知ってる」


 結理は端末から目を離さないまま、少しだけ低い声で言った。


「諸井。

 開ける前に言っとく。

 この先にあるのは、たぶん"読むだけで削られる"類のものも混ざってる」


「前振りが嫌だな」


「でも必要」


 そこで、結理は初めてちゃんとこっちを見た。


「読まなくていいものは私が先に見る。

 あなたは名前と署名の繋がりだけを拾って。

 全部を自分で見ようとしないで」


「お前も止まるなよ」


「止まらない」


 一拍置いてから、ほんの少しだけ付け加える。


「……たぶん」


「おい」


「でも、あなたよりはマシ」


 そのやり取りの直後、イヤーピースに美羽の声が入る。


『お兄ちゃん……』


「ん?」


『深呼吸して』


 思わず笑いそうになる。


「何だそれ」


『今のお兄ちゃん、顔見えないけど、呼吸浅い感じするから』


 図星だ。


 言われた通りに深く息を吸う。

 肺に、冷たい庁舎の空気が入る。


 右手の熱が、少しだけ整う。


『よし』


 その一言だけで、少し前へ出られる。


 俺は金属扉の前に立ち、右手を生体認証パネルへ近づけた。


 黒い筋が、手袋の下でゆっくり脈打つ。

 触れた瞬間、パネルの光が白から青へ変わる。


 低音のノイズが聞こえる。

 そのまま、扉の内部でいくつものロックが順番に外れていく。


 まるで、最初から俺がここへ来る前提で作られていたみたいだった。


「開いたわ」


 結理が小さく言った。


 金属扉が、重い音を立てて内側へ滑る。


 その向こうには、棚ではなく、箱が並んでいた。


 白い保管ケース。

 封印ラベル。

 そして壁一面の、防火式の紙書庫。


 潮見技術合同庁舎、地下八階予備保全庫。


 人間側の"原本"が眠っている箱だ。



    5


 空気が、冷たかった。


 温度管理のためだけじゃない。

 ここでは"感情"も一緒に凍らせているみたいな冷たさだ。


 書庫の扉に、番号。

 保管ケースに、赤や青の封印。

 結理は迷わず、端末のリストと棚を照合し始めた。


「左列、三段目。

 利用派内部承認。

 その下が志奈星共同観察。

 右列奥に、未電子化音声」


「早いな」


「父さんの癖は、知ってるから」


 その言い方が妙に重かった。


 俺はまず、左列三段目の保管ケースを引き出した。

 ずっしり重い。

 中にはクリアファイルじゃなく、封印された紙束がそのまま入っている。


 一枚目。


 TSC-JP 暫定運用覚書

 署名欄の一番上に、鷹瀬清人。

 その下に、複数の押印。

 そして、天城迅の署名もある。


 胸の奥が冷える。


 結理も横から見て、息を止めた。


「……やっぱり、ある」


 でもそのすぐ下に、別紙が挟まっていた。


 条件付き留保意見書

 記載者:天城迅


 そこには、利用派の実施案に対して、こう書いてある。


 家族アンカーの強制切断は不安定化リスクが高い


 恐怖基盤型補正は相良蓮の失敗を再生産する可能性がある


 接触派による外部波形観測を優先すべき


「留保……」


 結理が小さく呟く。


「残してたんだ」


「でも、実施案には署名してる」


 俺が言うと、結理は短く頷いた。


「ええ。

 だから免罪じゃない。

 でも、"全部賛成していた"わけでもない」


 そこへ、イヤーピースの向こうで冬月さんの声が入る。


『外、少し動いた。

 海保偽装のうち一隻が庁舎側へ離脱。

 たぶん鷹瀬の別班』


「時間がない」


 結理が次のケースを引き抜く。


 Correction Implementation Draft / ALICE-01


 見た瞬間、胃の奥がひっくり返りそうになった。


 予定段階で止まっている。

 でも、それで十分に嫌だった。


 第一段階:家族接触頻度の調整。

 第二段階:妹との接触遮断。

 第三段階:擬似喪失イベント。

 第四段階:恐怖優位下での再リンク評価。


 文字だけで、呼吸が浅くなる。


「諸井」


 結理の声が低い。


「そこは私が持つ」


「いや」


「今、全部読むって顔してるし」


 図星だった。


「署名だけ見て」


 結理が紙束の後ろをめくる。


 そこに、鷹瀬の署名。

 志奈星の白衣の男――高城の署名。

 教頭の確認印。

 そして、そこに迅の名前はない。


「ここには父さん、入ってない」


 結理がはっきり言う。


 少しだけ、息が戻る。

 免罪にはならない。

 でも、線はある。


 次に、右列奥の音声保管庫を開ける。


 カセット。

 簡易ディスク。

 そして、紙テープ。


 そのラベルに、また見覚えのある名前がある。


 Sagara Ren / mother appeal

 Moroi Shizuo / family-link correction brief

 Takase internal memo / use-of-loss model


「これだ」


 俺が言うと、結理はもうバッグを開いて保護ケースを並べていた。


「全部持つ。


 最低でも、蓮・諸井・鷹瀬の三本」



「待って」


 その時、俺の目が、書庫の一番下に置かれた薄い封筒で止まった。


 他と違って封印が新しい。

 ラベルもない。

 ただ、手書きで一言だけ。


 for review chair


「何だこれ」


 結理が封筒を開く。


 中に入っていたのは、一枚の写真だった。


 聖麗学院の南門坂。

 雨上がり。

 制服姿の俺と、美羽。


 もっと前のものだ。

 事故の前。

 俺がただの高校生で、美羽がまだ中学受験のことでうるさかった頃。


 その裏には、短いメモがある。


 Primary host and anchor before event.

 Observe baseline warmth.

 Loss contrast needed for correction design.


 一瞬、視界が白く飛ぶ。


「っ……」


 机の縁を掴む。


 事故の後じゃなかった。

 もっと前から、俺たちを撮っていた。


 南門坂で。

 何でもない日常を。

 "失う前の温かさ"として、設計図に組み込むために。


「諸井!」


 結理の声が遠い。


 イヤーピースに、美羽の声が飛び込む。


『お兄ちゃん!』


 それだけで、何とか意識が現実へ戻る。


「……大丈夫じゃない」


「知ってる」


 結理が写真を素早く封筒へ戻す。


「だからもう見るな。

 持つだけでいい」


 その時だった。


 保全庫の外で、電子音が鳴った。


 一つ。

 二つ。

 三つ。


 誰かが、外側の認証を順番に剥がしている。


 結理の顔が一気に変わる。


「まずい」


「誰だ」


 結理が端末を見る。

 そして、短く吐き捨てた。


「鷹瀬。しかも"正規権限"で開けに来てる」


 喉が冷たくなる。


「早すぎるだろ」


「別班が潮見へ先回りしてた」


 イヤーピースに、迅の声が割り込む。


『諸井、結理。

 鷹瀬がB8に入った。

 正面ルートはもう塞がれる』


「遅い!」


 結理が珍しく怒鳴った。


『分かっている。

 だから聞け。

 保全庫の奥に、旧防災搬送シャフトがある。

 私が作った保全庫だ。

 逃げ道も知ってる』


「今それ言う!?」


『今だから言う!』


 珍しく、迅の方も怒鳴り返した。


 少しだけ、ほんの少しだけ、救われる。

 人間らしい声だったから。


「右奥の書庫、床下。

 手動レバー。

 そこから下水隔離管へ抜ける。

 だが一人ずつだ。

 そして、紙を持っていないと意味がない」


 結理はもう動いていた。


 音声媒体をバッグへ。

 紙束を防水ケースへ。

 写真の封筒も、その中へ。


 外の認証音が、さらに速くなる。


 鷹瀬が来る。

 今度は、国家の正規権限をぶら下げて。


「行くよ!」


 結理が叫ぶ。


 俺はバッグを掴む。

 右手の熱が、一気に上がる。


 怒りじゃない。

 失いたくない、という焦りそのものだ。


『坊や』


 リリスが囁く。


『今度は、持って逃げる番よ』


 保全庫の奥。

 白い書庫の裏。

 床の金属パネル。


 その先で、また別の幕が待っている。


 そして背後では、金属扉の最後のロックが外れる音がした。


 鷹瀬が、来る。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ