第十章 監査体の座標 2・3
2
包囲は、露骨だった。
モニターの中で、小型艇の灯りが海面を切って近づいてくる。
直線的すぎる。
隠す気がない。
そのうちの一隻は、明らかに鷹瀬の配下のラインだろう。
黒い船体に灯りを落とし、でも速度だけは一番速い。
もう一隻は、志奈星の私設警備だと冬月が言った。
表向きは海洋医療資材の緊急回収艇。
実態はそのまま、"回収班"。
「父さんは?」
結理が訊く。
冬月が別の回線を開く。
少し遅れて、迅の声がスピーカーへ入った。
『聞こえるか』
「聞こえる」
結理が返す。
『敵の対応が思ったより早い。
鷹瀬が港湾危機対応名目で海保偽装を出した。
志奈星も民間警備を正規艇として寄せてる。
私は今、法務ラインを噛ませて時間を稼いでいるが、長くて二十分だ』
「十分じゃない?」
結理が冷たく言う。
『そうだな』
迅の返事は短かった。
『だから、その前に施設を"研究観測中の隔離区域"へ変える』
「何それ」
俺が言うと、冬月が代わりに答えた。
「接触派の古い権限。
外的異常波形を観測中と宣言した施設は、一時的に他ラインの立入を止められる」
「そんな都合いいものが」
「今まで使う場面がなかっただけ」
冬月は端末を叩きながら言う。
「ただし、使った瞬間にこちらも"ただの逃亡者"ではいられなくなる。
正式に観測対象保護施設として記録される」
つまり、もう完全に表へ出るってことだ。
「今さらだろ」
俺が言うと、冬月がほんの少しだけ口元を歪めた。
「そうね。
じゃあ、遠慮はやめる」
その言葉と同時に、施設全体の照明が一段だけ落ちた。
赤ではなく、深い青の非常灯へ切り替わる。
観測塔の頂部で警告灯がゆっくり回り始めた。
海上観測施設は、一瞬で"隠れ家"から"観測陣地"へ顔を変えた。
イヤーピースの向こうで、美羽の声がした。
『静男』
「ん?」
『近い方、来てる。
海の下、変な光』
喉が冷たくなる。
モニターの一つを拡大すると、施設南側の海面下で青い点がいくつも灯り始めていた。
魚じゃない。
ブイでもない。
もっと細くて、不規則で、でもひどく意思的だ。
蓮が毛布を掴む手に力を入れる。
「あれ、いや」
「見るな」
反射的にそう言うと、蓮は俺を見る。
その目に、あの日の倉庫で見た子どもみたいな怯えが戻りかけていた。
「しずお」
「ここにいる」
「ちいさいの、くる」
『ええ』
リリスが低く言う。
『未分化断片。
まず外周をなめて、入れる器を探す気よ』
「器って、人間か?」
『機械も、人も、どっちも』
そこまで聞いて、冬月が即座に動いた。
「施設内回線を切る。
外部接続ゼロ。
観測だけアナログへ移す」
結理も同時に端末を引き寄せる。
「内側も隔離。
この施設、ネットワーク生きてる範囲が広すぎる」
二人の指が、一斉にコンソールを叩く。
モニターの一部が黒く落ち、代わりに古いオシロスコープみたいな表示が増えていく。
美羽の声だけは、まだ耳の中に残っていた。
『聞こえる?』
「聞こえる」
『よかった』
その"よかった"の一言だけで、右手の熱が少しだけ整う。
3
最初の衝突は、外からじゃなく中から始まった。
施設の西側デッキを映していたカメラが、いきなり真っ白に飛んだ。
次の瞬間、監視員の一人が床に倒れる姿が映る。
誰かに撃たれたわけじゃない。
自分から、糸が切れたみたいに。
「西デッキ、職員一名ダウン!」
冬月の補佐をしていた作業服の男が叫ぶ。
「バイタル乱れ……いや、待って、立った」
画面が安定する。
さっき倒れたはずの監視員が、ゆっくり立ち上がっていた。
でも、動き方が変だ。
首が少しだけ遅れて回る。
手の開閉が、一拍ずつ不自然にずれる。
そして何より、目が完全に空っぽだった。
「……上書き」
結理が低く吐き捨てる。
「早すぎる」
監視員がカメラへ顔を向ける。
その口が、妙に滑らかな動きで開いた。
遺失断片。
帰還せよ。
部屋の空気が凍る。
人間の声なのに、人間の息継ぎじゃない。
音の並びは日本語に近い。
でも、言葉を"話している"というより、"組み立てている"感じがした。
『監査体の先触れ』
リリスが囁く。
『まだ本体じゃない。
でも、もうこっちの言葉をなぞり始めてる』
「冬月!」
俺が呼ぶと、冬月はすでに別のレバーを引いていた。
「西デッキ隔壁、閉鎖!」
施設全体に重い音が響く。
西側への通路が、自動防火扉で順番に閉じていく。
モニターの中の"監視員だったもの"が、扉の前へ歩く。
歩幅が人間なのに、何も迷わない。
その拳が扉に触れた瞬間、金属が不自然にきしんだ。
「うそでしょ」
結理が呟く。
「出力……機械側にも乗ってる」
「乗るんじゃない」
冬月が低く言う。
「使ってるの」
その時、迅の声が回線へ割り込んだ。
『外の包囲艇が止まった』
「何?」
冬月が振り返る。
『鷹瀬のラインも志奈星のラインも、施設の外周二百メートルで足が鈍った。
海面下の青い光を見て、向こうも動きを乱している』
「人間同士で包囲してる場合じゃなくなったってことね」
結理が言うと、迅の返事は短かった。
『そうだ。
だから逆に危ない。
鷹瀬が"これを理由に全面確保"へ切り替える』
最悪のタイミングだ。
外は人間の包囲。
中は未分化断片の侵入。
その上、青い光は海の下からまだ寄ってくる。
冬月が手早く指示を飛ばす。
「西側は切る。
北と中央だけで動線維持。
蓮は観測室から下げない。
美羽さんはここへ」
「え?」
スピーカー越しに美羽が声を上げる。
「今。あなたの声、こっちの安定剤になる」
その言い方は少し引っかかったが、今は細かいことを言っている場合じゃない。
数十秒後、観測室の扉が開き、美羽が息を切らして入ってくる。
その顔を見た瞬間、蓮の肩の力が少しだけ落ちた。
「みう」
「いるよ」
美羽は迷いなく蓮のそばへ寄る。
俺のそばにも来る。
その"どっちにもいる"動き方が、今は何よりありがたかった。
右手の熱が少しだけ整う。
蓮の目の怯えも、一段だけ下がる。
冬月が小さく言った。
「やっぱりね」
「何が」
俺が聞くと、冬月は画面を見たまま答える。
「あなたと蓮、二人とも美羽さんを中心に波形が安定する。
しかも、あなたの方はそこから外へ伸びる」
「また観測してる」
「するよ。
今やってるのは、もうただの家族愛じゃなくて"現象"だから」
腹は立つ。
でも、否定できないのが一番腹立たしい




