過去
「私、幸せだよ?」
今の生活が幸せでないと思ったことはない。日常というのは幸せの塊だ。毎日が幸せで、消えてほしくないもの。それが日常。
私は幼い頃父を交通事故で亡くした。幼い頃と言っても小学4年生だったし、「死」というものを理解できる年齢ではあったから、私は泣き叫んだ。
父が亡くなったその日の朝、私は淡々と朝ごはんを食べ、小さい声でいってきますと言い、学校に出かけて行った。父となんてろくに会話もしなかった朝であった。
学校から帰ったら、もう父はこの世にいなかった。家のドアを開け、ただいまを言おうと思っていた。
玄関に立っていた母は、この世の全てのものを破壊しそうな、恐ろしく悲しい顔をしていた。頭はボロボロで、手のひらにはかきむしった髪の毛が握られている。瞳の奥からは美しいしずくが流れ落ちていた。
詳しいことはわからなくても、ああ父が死んだんだな、ということはわかってしまった。母の顔が自然と私に訴えていたのだ。「私を助けて」と。
私は正直、父の死よりもその母の顔の方がつらかった。ただ泣きながら家中のものを破壊する母をなだめ、懸命に寄り添った。
数時間経って一度だけ、母は私を殴ろうとした。その目は物を破壊するだけの機械の目であり、私を自分の子供と認識していなかった。残された同じ仲間ということを認識していなかった。冷たく、虚ろで、心の中がまるで無であるような、そんな目。私を叩きつける鞭のような手は、完全なカーブを描かず途中静止し、母の顔は機械から人間に戻った。いや、父が死んだ時点で母が元の人間に戻ることはなかったのかもしれない。
涙を流し、「ごめんねぇ、ごめんねぇ・・・」と謝り、私をきつく抱きしめた。その力は、私に憑いた悪霊が地獄に引きずっていくかのように強く、母に憑かれた私はどうにもすることができなかった。あのとき母が繰り返し唱え続けた言葉は今でも忘れていない。
「離さない。果歩は離さない。果歩だけは離さない・・・」
言葉の意味は理解できる。母の気持ちもわかる。だが私はただただ恐ろしかった。
母が眠り、私はやっと落ち着くことができた。そしてやっと泣いた。一人で泣き叫んだ。父の姿が目に浮かぶ。その姿がだんだんと薄く、色のないものになっていく。待って、待って。私の中のお父さんを消さないで。母の笑顔も目に浮かぶ。いつも笑って幸せそうだった、私の自慢の母。その笑顔にあの悪魔のような悲しい顔が重なった。お願い、いつものお母さんに戻って。もっと笑って・・・?
葬式も済ませ、私と母は二人だけになった。母は働き始めた。笑顔は、戻らなかった。
私はこのとき、どんなに泣き叫んでも戻らないものがあることを知った。どんなに強く願っても叶わない願いがあることを知った。父、母の昔の笑顔・・そして私の学校生活。
私はいわゆる冷めた子供になった。明日、何が起こるかわからない。もしかしたら、一分後何かが起こるかもしれない。なのに、そんなくだらない会話しかできないの?もっとするべきことがあるんじゃないの?学校で過ごすことの無意味さを感じるようになった。
でも、行かなくてはならない。友達と仲良くしなければならない。
私にとって、友達との時間は楽しいものではない。だから、義務だと思った。
別に、友達はいる。休み時間一緒に喋ったり、土日にちょっと出かけたり。
でも自分の中では違う。ただの義務。表面上、仕事をこなすだけ。
私が大切にするべきなのは、日常。変わらぬ時間。
私が意地を張って友達を作らなければ、それによって私と母の日常が崩れる。普通じゃない者に普通の日常は訪れない。
ちょっと考えすぎかもしれないとも思った。けれど母にはもうあの顔を私に見せてほしくなかった。
悪霊は時間がたつにつれ、徐々に消えていっている。良い兆しを無にしたくなかった。
父の死から約8年。
母は多分もう大丈夫だ。
でも私は友達をなくそうとはしていない。私は彼らにほんの先っちょだけ、染まることを許してしまった。
周りに人がいないことを怖いと感じるようになってしまったのだ。
いや、もうほとんど染まっているのかもしれない。皆に合わせて、へらへらして。
でももうそれが日常。それが私の日常になってしまったんだ。
満ち足りた空間に入るためのパスポート?笑顔が?
言われてみればそうかもしれない。みんなの輪に入るためには私には笑顔が不可欠。私は面白い話ができるわけじゃない。勉強がとてつもなくできるわけじゃない。だから、笑顔がないとやっていけない。
日常が私にとっての満ち足りた空間。
でもね、蒼。私を幸せじゃないなんて言わせない。日常を幸せじゃないなんて言わせない。
「蒼。私は本当に幸せなんだよ」
泣きそうな顔で私はもう一度蒼に言った。