第7話 魔法使いと殺人クルーズ
青い海、白い空。絶好の観光ロケーションといえる。
レイヴンは甲板から海を見渡しつつ、そう嘆息した。
この間から、どうも、休暇ばかりとっているような……。
ギルド【魔獣の巣】を抜けてからというもの、やるべき仕事がない。
オレンジ色のアロハシャツなんかに身を包んでいると、そんな気分になるのである。
───俺はこのままでいいんだろうか。自問する。
とにかくこのままでは滅多に振るうこともない剣の腕も鈍っていく。
豪華客船、セント・レガリア号の乗客たちの喧騒が耳に遠く響く。
この船にやってきたのは、例によってアルビレオの気まぐれだ。
そして、当の本人は、乗船した途端、観光気分を一切失ったらしい。
興味がまったくないどころか、すこしばかり鬱の気があるようで、船室に閉じこもりきりだ。レイヴンが部屋にいるとうっとうしいからと追い出されて現在、甲板でうろついている。
アルビレオといるようになってから、はや数ヶ月。
さいきん気づいたことであるが、仕事がないとやることがない。
東魔国にいた時は待っていれば任務があった。
それが今では自分で探さないとやるべきことがないのだ。
───俺は時間を持てあましている。
*
船室の窓から海が見えている。水平線はみわたす限り果てがないように、延々と続き、海面からの反射光と太陽の灯りが一緒くたに部屋に入ってくる。
遠くに波の音も聞こえるようだ。
ベッドの上には清潔なシーツが敷かれ、不快ではない。
不快ではないことは重要だ。
さらっとしたシーツが肌にあたる感覚は冷たくて気持ちがいい。
ずっとこのまま寝転んでいたい。
そんな欲望にかられる。だが、ダメだ。せっかくレイヴンを船室から追い出したのだから、やるべきことは決まっている。
僕はベッドに起きあがるとトランクケースを取り出した。中を探って、取り出したのは望遠鏡だ。
この望遠鏡は透視の魔法のかかった品物だ。
200年ほど前に協会在籍の魔導士が作ったおもちゃで、魔族にたまにある遠隔透視能力、いわゆる千里眼というやつを再現したものだ。
プライバシー保護の観点から廃棄されていたのを、密かに協会のデータベースに忍び込んだ僕はこっそり盗み出していたのだった。
望遠鏡の手元についた金属の輪っかには、ダイヤルのように数字が刻まれていて、これを回すと、見たい場所を変えることができる。テレビみたいにね。
片目に当ててみる。
隣の部屋は空室。
電気がついていない。
望遠鏡の手元についた輪っかをまわしてチャンネルを変える。
そこで僕が見たものはこうだった。
「準備はどうだ」
「手抜かりはない」
「あの女を殺し、ラルヴァ家の遺産はあんたのものになる、なあ、ドクターマルコ」
「よせよ。ま、エリザも運が悪かったのさ」
船室で男たちがこんな会話をしている。
なんということだ。殺人事件の企てを見てしまった。
そんなことはどうでもいい。
殺人なんて、特にこの魔界ではあちこちで起きていることだ。
チャンネルを変える。
僕が求めているものは、この船で開催されるオークションに出品される宝物だ。
───この船には人魚がいる。
人間に不老不死を与えるといわれるあの人魚だ。
現在に至るまで謎の生き物で、その姿は伝承にある美しい半人半魚の姿だとか、いやいや、もっと宇宙的な生き物だとかも言われている。
なんでそんなの見たいのかっていうと、水族館ではみたことが無い魚だから。
この船で、密かに人魚の取引がおこなわれると聞いた僕は、さっそく、豪華客船に乗りこみ、七日間のクルーズと張りこむことにした、のはいいのだが、豪華な船室にいるというのに僕は一日目の3時間くらいで飽きてしまった。今は三日目の昼。当初の予定では人魚を探す、そういうつもりだったのだ。
でもなんか急に気がめいってしまった。
カジノに行く気になれないし、ショッピングも好きになれない。
プールで肌を出すのは嫌いだ。コンサートも劇も、いつもなら好きだけど、今日はそんな気になれないし。
暇で暇で、しかたがない。退屈だ。
本当だったら、人魚を探すために、このおもちゃもあるんだけど。
望遠鏡を操作して、館内を捜索していたチャンネルを変更する。
ぱっ、ぱっと場面が切り替わる。
豪華なラウンジ、点検中のオークション会場、人で賑わうレストラン、オープンデッキにあるプールのそばにはレイヴンっぽいものがチラッと映る。
売店で買ったとかいうオレンジ色のアロハを着ている。僕は不思議に思う。
あいつ、なんであんなバカそうな服を気に入ってるんだろ。似合うか、似合わないかでいえば、まあ、似合うよね。背が高くて、顔も整っているから、何を着てもそれなりだ。僕はムカムカしてきた。
そういえば、何が楽しいんだか、あいつは僕にもプールに行かないかとか誘っていた。それを、僕は何度も断っている。
この船に来てからというもの、レイヴンはしきりに僕を食事だのコンサートだのに連れて行こうとする。一体、何を考えているのだろう。僕のこの原因不明の憂鬱はきっと、客室で四六時中あのドラゴンと、顔を突き合わせているせいに違いない。
きっとそうだ。
僕はサッとチャンネルを切り替えた。
*
───今回の目的は人魚とかいうオークションの目玉だという。
売店で飲み物を購入し、オープンデッキのプールの手前、パラソルとビーチチェアの並ぶエリアに行き、空いている席に寝そべる。
仕事ではなく、休暇と割り切ってしまえば、これはこれでいいものだ。
眩しい日差しが目に痛い。
青いソーダ水にソフトクリームまで浮かべたドリンクはさすがに浮かれすぎていただろうか。
アルビレオが気に入りそうな飲み物だ。
明日あたり、連れてきてやろう。
せっかくのバカンスだと言うのに、部屋に篭りっぱなしは気の毒だ。
気まぐれなやつだし明日になったら気持ちも変わる。
そんなことを思っていると、不意に影が落ちる。
「先輩、なんでこんなところにいるんですか」
見たことのある顔だ。
彼女は、クオン・アシュレイ。
シャープで整った顔立ちにわずかな怒りを浮かべている。
「クオン、それはこっちのセリフだ。いつから戦争管理官がバカンス休暇を取るようになったんだ」
「見てわかりませんか、任務です」
彼女は粛々と否定した。
生真面目な性分は、変わらないようだ。
俺は苦言を呈する。
「どーでもいいが、そんな格好でよくいられるよな。周りを見ろ、みんなバカンス気分ではしゃいでいるんだ。少しは夏のTPOに合わせたらどうだ」
ショートカットの黒髪に長身。着ているものは、見ているこちらがげっそりするような軍服のコート。グレーの着古したコートは体にピッタリあっているが、周囲の浮かれた環境にはあっていない。
浮きまくりだ。
対する俺はオレンジ色のアロハにハーフパンツを履いて、足元はサンダル。おまけに丸腰で、かなり馴染んでいる。すごい。どこからどう見ても堅気の人間みたいだ。
プールサイドは、軽装の人間ばかりだ。ビキニを身につけた集団もいる。周囲は喧騒に塗れているが、ここにふたりでいるのは場違いだった。
「任務ですので」
バッサリと切り捨てられる。俺は天を仰いだ。
「あいかわらず堅物だなー」
「どの面下げてそれをいうんですか。あなたにだけは、それを言われたくありませんね」
「どうだったかな。ところで、任務ってなんの?」
「私の任務は、戦争管理官・レイヴン、あなたの殺害です」
「へえ、追っ手はお前になったのか」
特に感慨はない。妥当なところだ。
ソーダ水に浮かんだソフトクリームを一口、食べる。
冷たい。甘くて、柔らかい感触。
こういった菓子を食べるのは滅多にないので、新鮮だ。
「……ですから、私はあなたを殺す義務がある。その前に聞いておきたいんです。なぜ、東魔国を裏切ったんですか。本当はあのとき、なにがあったんですか」
秀麗な顔を歪めて、切々と彼女が言う。
あのとき、とはアルビレオと会った時のことだろう。
「そんなこと聞いてどうするんだ? というか、どうでもよくないか? 殺す相手なんだし」
殺すなら話を聞く必要はない。
スプーンでさくらんぼを端によけ、ソーダ水の底をかき混ぜる。
「そんなことはありません。一応、仲間ですから」
「あいかわらず、やさしいな。話してる間は、見逃してくれるってことか」
「あなたの答え次第です。なぜギルドを離れたんですか」
正直に話すことにした。
知られて困ることはない。どうせ東魔にはバレていることだ。
「任務に失敗したんだ」
「あなたが?」
驚いたように聞くクオンに首肯する。
「そうだ」
「だからって、どうして。東魔国を離れる理由にはなりません」
「負けた人間に価値はない。任務に失敗した俺は死んだようなもんだ」
「そんなはずはありません、これまでの功績を鑑みれば、一度の失敗程度で命を奪われたりなど…」
クオンはそこで言葉を途切れさせる。
なにかを決意したように、彼女は真剣な表情になった。
「いえ、私も、持って回った言い方はやめます。単刀直入に聞きます。なんで本当のことを言ってくれないんですか、先輩。本当は、大切な人が、できたんでしょう」
「……クオン」
やはり長年の仲間だ。言葉にせずとも、わかってくれる。
湿っぽく感動していると、クオンが口を開く。
「こどもが…いるんでしょう」
「は?」
俺は予想外の角度から放たれた言葉に、呆気に取られた。
「温泉地であなたと共にいた少年ですよ。彼を組織から守るために逃げているんでしょう」
「あ、あー、はいはい、それね、えーっと、そうだね」
慌ててうなずいた。俺は頭をフル回転させて考える。
どうやらクオンは勘違いをしているようだ。
先日の、温泉宿くれないでの一件を思い出す。
俺は、あの時、彼女は暁の兵団討伐のために現れたと誤解していたが、あれは本来は俺を狩るための任務で、いろいろと俺の身辺の情報を探っているところだったのだろう。そのとき、俺の隣にいたアルビレオを彼女は目撃し、それなのにこの言い方をするということは、おそらく彼女にはアルビレオの詳細な情報は与えられていない。
俺は頭を悩ませた。
この場合、彼女の勘違いを訂正しない方が得策なのか?
極光位の魔導士の情報を上役は隠している。
しかし、担当の管理官であるクオンにまでくわしい情報を渡していない、ということは、俺が出奔したせいで、管理官が魔導士に協力する危険性を減らしておきたい、とまで考えられているってこと?
というか、俺は子供がいるくらいの年齢だと思われているのか。
いや、魔族は見た目からは年齢はわからないが、微妙な気持ちになる。
悩んだ末、こう言った。
「あー、そう、そうなんだ」
「やはり……隠し子、でしたか。それほど隠すとは、よほどこの子供が大切なんでしょうね」
「ああ、まあ、そうなるな」
「家族を持ったなら、一言、言ってくれればよかったじゃないですか」
「……家族といえば、家族だが。ちょっと待て、いや、えっと。まあ、いいか。それで、どうする?」
「別れを告げる時間をあげます。それに、彼には手を出しませんよ。任務の対象外なので見逃しましょう」
「……言うなぁ。お前が俺に勝てるって?」
「やってやれないことはないでしょう」
間抜けな勘違いをしているとはいえ、彼女も戦争管理官。
戦場でしか生きられない人種だ。
しかし、ここはバカンスの場である。
血生臭い決闘は似合わないし、そんなことをしていると船から放り出されるかもしれない。
どうしたものかな、と考えている矢先、アラームが鳴る。
青空に響きわたる警報音。船の後部で爆発。振動。
敵襲だ。
*
僕はぼんやり人々のウォッチングを続けていた。一番、面白いのは427号室。ドクターマルコの部屋は、今では血に塗れた惨劇が起きている。なんと、エリザと揉み合った末に、ドクターの方が殺されてしまったのだった。悪友であるジョンという名前の男は、今はバーラウンジにいるそうで、帰ってくるまでの間にエリザは殺人の疑惑を晴らすためにジョンの持ち物であるハンカチを殺人現場に残しているところだ。
スリルに溢れた殺人劇。さて、このあとどうなるのかなってワクワクし始めたところで状況は一変した。館内に鳴り渡るブザー音。
エリザは殺人現場の演出に必死で気づいていない。
そこにいきなり船室の扉が乱暴に蹴り開かれ、褪せた緋色の軍服めいた服を纏い、銃で武装した男たちが室内を乗り込んできて、中にいたエリザを銃で撃ち殺してしまった。夫の死体の上に倒れるエリザ。ちょっと血が飛び散り、部屋が静まり返る。こうして殺人による陰謀劇は終わりを迎えた。
はー、やれやれ、興醒めだ。
僕は、望遠鏡をトランクケースに戻す。蓋を閉じる。
とても面白い役に立つおもちゃだったけど、うーん、ちょっと趣味が悪かったかな。
褪せた緋色の軍服は見覚えがあるものだ。
東魔国近辺で活動するテロ組織、暁の兵団のもの。
彼らは、僕が望遠鏡で見たところ、船内をくまなく練り歩き捜索しているようだった。
彼らが用があるのは、なんだろう。
この船には人質になるような人間はいっぱいだ。
でもきっとそんなものじゃない。この船には貴重なお宝がたくさん積んである。
やつらが探しているのは、きっと僕と同じものだろう。
海賊行為に走るとは、無粋なやつらもちょっとはワクワクさせてくれるじゃん。
宝探しだ。しかも、早い者勝ちの争奪戦ってのはスリルがある。
やっぱり夏は冒険の季節。こうじゃないとね。
*
オープンデッキから避難する人の群れが去ると、人気がなくなってしまった。取り残されたのは俺たち二人。
こういう時は避難場所が決まっていて、乗船客はそこに集まることになっている。鍵を掛けて、セキュリティのための防衛結界を起動し、最寄りの寄港地から援護の船が来るまで身を守るのだ。
悲鳴に近いどよめきと、船員の指示する声が遠くに聞こえる。
俺も船員の指示に従って避難したいところだったが、クオンは俺から視線を外さない。
やすやすとクオンから逃げられはしなさそうだ。
やれやれだ。俺はベンチから立ち上がる。
視線をオープンデッキの入り口に定める。
乗客と入れ替わりに、ちらほらと赤い軍服の男たちが出てくる。
「さて、どうする?」
「戦います。この船は東魔海域を運航中ですからね。応援が来るまでは、加勢しますよ。先輩はその格好で戦う気ですか」
「知らないのか、クオン。これは夏の正装なんだ、バカンスはこの格好で行う」
「私とその格好で戦う気ですか」
クオンは言い直した。
さすがに逃がしてくれる気はないようだ。
「見てわかるだろ? 装備は部屋に置いてきちまった、刀を持って泳ぎにくるなんてバカ丸出しすぎる」
「先輩らしくありませんね。あなたは、常に警戒していた」
「TPOを弁えてるんだ、俺を戦争好きの異常者みたいに言わないでほしい」
喋っていると、向こうもこちらに気づいたようだ。
銃を構えた兵士の二人組がこちらにノコノコとやってくる。
俺を見て、逃げ遅れた一般乗客と勘違いしているらしい。
向かってきた男を力場で弾いて、銃をもぎ取る。
AT-47アサルトライフルだ。
殴りかかってきた後続の男の頭を銃床で殴りつけつつ提案した。
「とりあえず、ここは協力して切り抜けないか? 俺は息子が心配だし、そっちと合流したい。その後で、息子に永遠の別れをつげてから、クオンに合流するってのはどうだろう?」
「ダメです。別れを告げる気なんてさらさらないでしょう。この間の転移術で船自体から脱出されたらたまりません」
ばれている。
クオンの指摘通り、俺はアルビレオと合流したら、適当な転移術で船を離れようと思っていた。
さすが長年の同僚。
クオンはキッパリと言った。
「作戦はこうです。私達でこの船を制圧します。それから、私の目の前で息子さんに永遠の別れを告げて、私に殺される」
「横暴だ」
なんという作戦だ。
こんなもん作戦とはいえないだろう。
批判する俺に、クオンは首を振った。
「あなたは抜け目がない。この程度は警戒のうちにも入りません」
俺は悲しくなった。
長年の同僚だというのに、こんなにも警戒されているとは。
ハーフパンツのポケットに俺は手を向かわせる。
「それと、携帯を触るのはやめてくださいね、それにはいろいろと隠し球がありそうですし」
全く信用がない。
携帯に仕込まれた魔導アプリを発動させて、適当に姿をくらませようと思ったのがバレていたようだ。
俺は嘆息した。
「じゃ、確認する。作戦は、俺とお前でテロリストを倒しつつ、部屋に行く。アル……じゃなくて、息子の安全を確保してから、別れを告げて、クオンと一騎討ち、どっちが死んでも恨みっこなしで。そんな感じか?」
「いいでしょう」
クオンが首を縦に振る。
これでこの先の予定について一応の合意を得た。俺にとっては、厄介ごとでしかないのだが、バラバラに動くよりはマシだろう。
「はぁ、まあ、向かう先は決まったな。生きててくれよ」
部屋にいたはずのアルビレオを思う。
みすみす殺されてはいないはずだが、身体能力的には普通の人間だ。
万が一ということもありうる。まずは雇い主の無事を確認するのが最優先だ。
*
僕は見つけた。
目当ての品は船の倉庫にある。
オークション会場に直通の、品物の搬出用の倉庫だ。
倉庫に向かって通路を進み、下の階層に降りていく。
通路に向かう入り口は鍵が閉まっていた。
関係者しか持っていないパスコードが必要なタイプの電子ロックだ。
僕はこれに手を添えると、ちょっとだけ魔術を起動した。こんな時のために作っている電子制御機器用万能鍵プログラム【開錠くん】を電子基板に流しこむ。
僕の目の前でなんなく通路は開かれた。
開錠くんは、ちょっとした電属性の魔術で、僕のオリジナルだ。
それにしても、通路の内側もすごい結界の数だ。
通路を遮るように、通常の防衛結界が二つ。
これは家屋なんかの防犯にも使われる一般的な人感センサー付きの魔導結界。そのほかは軍や怪しい研究所用の高度な結界もある。こっちは問答無用。近づいた人間に電気を流したり、炎を当てたり。軽く三度は死ねるだろう熱線が、すでに僕の背後の船の鉄の壁を焦がしている。暑い。
とはいえ、結界は僕の専門分野だ。
僕は防衛用の結界を解除しながら進んだ。
見たところ、困ったものは特にない。
面白かったのは、聖域結界と呼ばれる代物だ。
倉庫の入り口と思われる重たい鉄扉の前に張ってある。
これは精霊自然保護区の神官たちの扱うもので、特殊な知識がなくては開かない。
───これも解除した。特殊な知識があるからだ。
なぜなら、魔導協会こそ聖域結界の代行者。
この手の専門家が集う場所だから、精霊たちの棲まう聖域の知識には事欠かない。
しかし、疑念はある。
この船のお宝である人魚とやらは、どうやら伝説上の半人半魚ではなさそうだ。
今の聖域結界に覚えがある。
これは極北域の精霊自然保護区、水精霊王ウンディーネの守護する海洋極北國を魔界と切り分けるものだ。
水精霊たちは人に親和的で、比較的、穏やか。
協会とも協調路線。
そのため、普段は自然保護区から滅多に出てこないはずで、その結界がここにあるということは……。
重い鉄扉を開くと、倉庫の全貌が見える。
僕は中に入った。
広い空間だ。天井が高い。
船の階層の大体2階分ほどが吹き抜けのようになっていて、ぎっしりとコンテナやラックに物品が詰め込まれている。
パッと見たかぎり、違法な品がいっぱいあった。
檻に詰め込まれた人間とか、魔物とか、どこだかで行方不明になっていた絵画だとか、そんなものだ。
僕の耳に、甲高い声が聞こえてくる。
『帰りターイ』
「む」
『開けてー』
声の聞こえてきた方に顔を向ける。
梱包された物品が立ち並ぶ倉庫。その奥まった場所に、異様な一角がある。
床から天井まで柱のように伸びるガラス張りの円柱、内部には水で満たされている。
異様だと感じたのは周囲に張り巡らされた結界の質だ。
今まで解除してきたものは侵入者を防ぐためのもの。
しかし、これは違う。
これは中にいるものを、外に出さないための封印。
僕は視線を“それ”に向けた。
厳重な封印が施された水槽の内部。
そこには一匹の金魚がいた。
*
クオンの剣は氷の剣だ。
詠唱魔術を極めた果てに、無詠唱で氷の魔術が使えるようになった。一般的には、氷剣のクオンというのが通り名だが、その名の通り、冴え渡る剣技は衰えていない。
クオンの強みは、属性魔術の専門家である、という点と、彼女の持つ特異な能力によるのだが、幸いなことにそっちを使うほどの敵には出くわさなかった。
巡回しているテロリストを適当に倒しつつ、進む。
船内では、すでに船員とテロリストたちの銃撃戦が始まってしまったようで、殺伐とした光景が広がる。
客室と船内の各施設をつなぐ通路には、死んだ観光客と死んだテロリストと死んだ船員が転がっており、彼らを跨いで先を急ぐ。
敵は主にクオンが切り捨てている。
俺はその後ろをついて、アサルトライフルで援護するだけでいいので楽だ。
時折、彼女を狙って放たれた銃弾を力場で弾いてやりつつ、客室のナンバープレートに目をやる。
俺たちの部屋は221号室。一般客向けの二人部屋だ。
「この部屋だ、クオン」
細身の剣についた血を払っているクオンを呼び止める。
アロハのポケットから鍵を出す前に、ドアノブを回す。
すると、抵抗なくドアが開く。
鍵は開いていた。
ゾッとする展開だ。
「おい、いるか?」
慌てて、部屋を見回す。誰もいない。部屋はもぬけの殻だ。
ベッドシーツにはシワがよっていて、あいつが寝転んでいた形跡があるが、すぐそばに置いてあったはずのトランクケースは見当たらない。
考えられることは一つ。またいつもの気まぐれだ。
あいつはここ最近、おとなしくしていたから油断していた。
「部屋が綺麗すぎる。襲撃を受けたわけではないですね」
「ああ、そうだな」
クローゼットに向かう。
良い点を考えれば、部屋にいなかったから襲撃を受けずにすんだ。
悪い点を考えれば、際限がない。
どこで何をやっているんだ、あいつは。
頭がおかしくなりそうだ。
アロハをベッドに脱ぎ捨てて、いつもの服に腕を通す。
黒いジャケットに、Tシャツ、ズボン。
「先輩の息子さん、避難されてるんじゃないですか。ここからならラウンジが近いでしょう」
防刃素材の手袋をはめつつ、答える。
「いいや、あいつは……人の言うことを聞かない」
「では、どちらに?」
それが問題だ。一番初めに、やらねばならなかったことは、すぐにでも転移術でアルビレオのそばに飛ぶことだった。
判断ミスだ。
クオンと戦うハメになれば、その分だけアルビレオの元に辿りつくのが遅れる、と考えたが、今から思うとなりふり構わず駆けつけるべきだった。
「気まぐれを起こして、約束を破りそうだ。先、行っていいか」
携帯を胸ポケットに入れつつ聞く。
「その瞬間、殺します」
鋭い殺気が彼女から放たれる。
こっちだって頭にキている。かなりだ。
「お前を相手してる暇はないんだ」
視線が交錯する。
空気が張り詰める。先に緊張を解いたのはクオンの方だ。
「冷静になってください、ここでいがみ合っていいことがありますか?」
「そうだな。落ち着こう」
彼女の言う通り、ここで殺し合ったところで、状況は動き出してしまっている。
クオンを相手取って、時間を無駄にしている間にアルビレオが死んだのでは本末転倒だ。
「こういうことになるんだな、結局」
アタッシュケースを開けて、東魔刀を取り出す。
こっそり船内に運び込んでいたものだ。
「やっぱり持ってましたか、安心しました。いつも通りの先輩で」
東魔刀を片手にクローゼットを閉める。
「当然だ」
俺は仕事はきっちりやる。
*
水槽には薄く青く光る結界が張られている。
これは外敵を封じるためのものではない。
内部のものを捕らえておくための封印だ。
僕は水中にぷかぷか浮いている金魚に訊ねてみた。
「君は、金魚?」
『タイ』
当然のように喋る。なんら不思議ではない。この生物は人魚。
人魚とはいうが、人魚姫なんかのおとぎ話に出てくる存在ではなく、現実に生きる歴とした魔法生物の人魚だ。
下級の水精霊種の一つで、精霊には人語を解するものも多い。
「たい、鯛か、でもそんなに小さい鯛なんているかな」
『ここから出タイ』
「……ふっ、僕が魚類の言うこと聞くわけないだろ」
『お母さんに会いターイ』
「む」
聞き捨てならない言葉だ。
僕はちょっとだけ、この魚類に同情した。
「精霊保護区にいるはずの君がここにいるってことは……密猟犯がいるってことだよね、ちなみに君のおかーさんもタイなの?」
『大きいタイ』
「しょーがないなぁ、運んでやるか」
デコピンするみたいに、指で封印を弾く。
内側にいるものを封じ込める結界は、外からの衝撃には弱いものだ。
僕がやったのは封印の隙間に、空間を生じさせる、と言うもの。
あとは勝手に亀裂が走って破れていく。
水槽ごと持ち出すのは無理だ。僕は手近にいい入れ物がないか探す。
あった。オークションで出品するのだろう陶器類の陳列された棚に、ちょうどいい感じの金魚鉢がある。
僕はそれを手に取って、水槽のそばによると、指を鳴らす。
転移術を発動させて、水槽の水ごと、金魚を鉢に移動させる。
「どこに行きたい?」
『海の近くー』
とのことだ。
海の近くっていうと、やっぱり甲板かな。
僕はそちらに歩き出そうとする前に、ちょっと考えた。
外にはテロリストがウヨウヨいるし、オークションのお宝が狙いってことは、そのうちここにもやってくるはずだ。
間違いなく、戦闘になるだろう。
脳裏にオレンジ色の馬鹿っぽいアロハがよぎる。
ふむ、呼んでやるか。
*
客室から出てすぐにレイヴンの携帯に着信があった。
「出ていいか? 息子からだ」
使用の許可を求める声に、クオンは答える。
「いいでしょう、変な操作はしないこと。通話は私も聞けるようにしてください」
条件をつける。レイヴンは軽く頷いて承諾した。
その間も、クオンは相手を観察していたが、特段不審な動きはない。
こんなやりとりがあっただけだ。
「今、どこにいるんだよ」
『地下階のオークション用の倉庫だよ。あのさ、迎えに来てほしいんだけど。船内で銃撃戦が起きてて』
通話相手は、不安そうに話していた。やむを得ないことだとクオンは思う。船内は銃撃と悲鳴の飛び交う戦場のような状態なのだから、幼子には過酷な状況だ。
「待ってろ、すぐ行く。俺が行くまで、どこかに隠れてろよ」
『わかった』
それで連絡が途切れる。
レイヴンが携帯をしまいつつ、クオンに声をかける。
「すまない、聞いた通りだ。先にこっちに協力してもらっていいか?」
本心からすまないと思っている顔だ。
クオンは少し考えた。
レイヴン抹殺の命を受けた身ではあるが、彼の息子についてまで指示は受けていない。それなら、この件で協力しても、さして問題はないだろう。彼女は首肯する。
もちろん、同僚であったレイヴンが組織を抜ける原因になった少年を一目見ておきたい、という気持ちもあるにはあるが、なによりも子供を見殺しにするのは気分が悪い。
それだけのことだ。
レイブンと共に、指定された場所へ向かう。
地下の倉庫への通路はすぐに見つかる。
オークション会場のステージ側から客席には見えない裏手にバックヤードへと通じるドアがあり、そこに暁の兵団が殺到していたからだ。
道中の殺戮はレイヴンが行った。
あいかわらず、凄まじい技倆だった。
剣技は当然のことながら、殺すという一点において、彼を上回るものは他にいない。いるとするならば、それは戦闘管理官を束ねる教父───レイヴンの師だけだろう。
師に比肩する力量を持ち、次代の指導者にと期待され、それら全てを捨てたのがレイヴンだ。
彼は斬り殺した死体に一瞥もくれず、先にすすむ。
通路にも敵はいたが、そちらもなんなく片付け、二人は倉庫にたどり着いた。
普通、こういった場所にはセキュリティ用の結界がはられているものだが、誰かに先に破られでもしたかのように、拍子抜けするほどあっさりだ。
あっという間に目的地へとたどり着いた。
セント・レガリア号の下層フロア。
物品を搬出するための倉庫と思われる場所は、必要最小限の灯りが灯るばかりで、薄暗い。
倉庫から物品を持ち出そうとしている途中だったらしい、テロリストが数人いたので、クオンとレイヴンで手分けして片付ける。
ものの十分も立たず、その作業を終えてしまう。戦争管理官が二人いるとはこういうことだ。
殲滅、それ以外にない。
倉庫内が静まり返る。
レイヴンは、倉庫の奥まった場所、水槽のような円筒形の装置の手前に、子供を見つけると、矢も盾もなく駆けつけて、抱きしめる。
その一連の動きには言葉は必要ない。
戦場で鬼神そのものと謳われた男も、親子の情によって変わるのだ。
「無事だったか? 怪我はないか」
「うん。無事だよ」
あどけない口調で、少年が答える。
親子の再会そのものだ。
クオンの目には、微笑ましい光景が映っていた。
ぶかぶかのTシャツを着て、短パンを履いている少年は、あの温泉宿で見かけた少年と同一人物だ。
金髪に褐色の肌、翠眼、かなり整った容貌で、美少年と一言で表せるが、彼の風貌にレイヴンとの共通点はあまりない。母親似なのだろう。ということは、レイヴンには愛した女性がいるはずで、そちらがおそらく金髪で褐色の肌、そして間違いなく美女。
一体、どんな女性だというのか。
戦争管理官の中でおそらく最も職務に忠実だった男を射止め、全てを投げ出させた女性。あらぬ妄想が膨らんでいく。想像を絶するほどの悪女なのか、それとも、常に守りたくなるほどのたおやかな女性なのか。
クオンがモヤモヤとしている横で、会話が進んでいく。
「何を持ってるんだ」
「金魚鉢だけど」
「なんで金魚鉢なんか、周りを見てみろ、避難が優先だ」
「行かない」
こどもが首を横に振る。
「なんで?」
「この子を元いた場所に帰してあげるんだ」
「この子って金魚か? 金魚は海の生き物じゃないだろ?」
「これはね、金魚じゃないよ。タイ」
青年の頭にハテナマークが浮かぶ。
「タイって、あの鯛か? それなら、海に捨ててこい」
「そのつもりだよ。でも、一応言っておくけど、これはタイでも生物でもない。これは特定危険精霊種、マーメイドというモンスターだよ。空想上のお姫様、人魚姫とは別だ」
金魚鉢の中から甲高い声が上がる。
『帰りターイ』
レイヴンは眉をしかめる。めんどくさいことになったと言いたそうな顔だ。
「これが人魚?」
「僕の見たかった人魚ではない、ごくごくありきたりなやつだ」
「……お前がみたかった方って?」
恐る恐る尋ねる。魔導士のいうことはたまに常軌を逸していることがある。
「アンデルセンの童話に出てくる、お姫様の方。本当にいるのかなって、僕は、邪悪な方しか知らないんだよね」
金魚に目を向ける。
何の変哲もない金魚だが、一流を通り越した卓越した魔導士である彼がこう言うということは、見た目通りの存在ではない。
「邪悪なんだ、そいつ」
「精霊は油断ならない。人間とおんなじさ」
そこで、子供の目線がもう一人の方へと向かう。
「ところで、そっちの人は」
「俺の元・同僚のクオンだ。いろんな縁があって、この船で一緒になった。腕が立つから、同行してもらってる」
「へえ、そうなんだ」
レイヴンから視線を向けられ、物思いにふけっていたクオンが我にかえる。
「クオン・アシュレイです。君のお父さんと、共に働いていた時期がありました」
「お父さん?」
子供が目を白黒させる。何かを言おうとする前に、レイヴンが遮った。
「ま、挨拶はそこそこで、なんか急ぐ用があるんだろ? その金魚鉢の中身だよ」
「そうだった。行きたいところがあるんだけど」
言って、こどもはサッと先頭を切って歩き出した。
「ちょっと、君、危ないですよ。まだテロリストが残ってるかもしれないんですから」
「へーきだよ」
クオンの静止も聞かずに開いている搬出口を目掛けて歩いていく。
クオンは少しばかり戸惑った。
倉庫内には凍結した死体や圧殺された死体がゴロゴロ転がっているというのに、まるで気後れした風がない。
最近のこどもというのはそういうものなのだろうか。
「あの子、死体とか怖くないんですか?」
「あー、俺の子だからな」
男の返答に、クオンは納得した。
なるほど、これ以上ない説得力だ。
*
通路を逆にたどり、オープンデッキへと向かう。アルビレオが言うには、なんでもその怪しい金魚が、海の近くに行きたいのだとか何とか言っているらしい。わけのわからない展開ではあるが、魔法生物や精霊といった類の生き物の取り扱いは専門家に一任した方が無難だ。
アルビレオはこれ以上ない専門家である。
倉庫はオークション会場と直通の構造になっていて、ほぼ一本道だ。
道中の敵を倒してきたおかげで、帰りは楽だった。
このままデッキまで戻って、金魚を海に捨てるかどうかしてしまえば一段落といったところだろう。クオンとの果たしあいの件もあるが、そちらはパスだ。そもそも、初めから約束を果たす気もない。後輩と殺し合う必要があるなら、考えなくもないのだが、今回はバカンスだ。
仕事ではない。
そのうち客船への襲撃に気づいて、東魔国側から応援も送られてくることだろうし、無駄にする時間もないことだし、アルビレオを説き伏せて、適当にとんずらしよう、というのが俺の算段だったのだが、スタッフ専用のフロアを抜け、客席へと向かうところで足を止めた。
会場はコンサートホールのように、ステージを見下ろす、すり鉢状になっており、出入り口は一つ。
見上げると、そこに人影があった。
出入り口を守る番人のように立ち塞がる巨躯の鬼人。
機械魔導鎧と呼ばれる装甲で身体中を覆われており、人というよりは機械に近い見た目なのだが、額から突き出た二つの湾曲する角で鬼人であるとわかる。
その鬼はこちらを認めると、声を張り上げた。
会場全体を震わせる大音声である。
「我こそは、第6戦闘師団、団長補佐、羅鬼である。そこな黒髪の武人はもしや“屍肉喰い”殿ではあるまいか!」
まさか、俺のことを知っているのだろうか。
俺は首を横に振った。
「違う」
「ガッハッハッハ! 死合って見ればわかることよ! いざ! 尋常に、我と勝負してみよ!」
話を聞かないオーガだ。
俺は隣に立つクオンに耳打ちした。
「あれ、誰? クオン、知ってるか?」
クオンも小さく首を横にふる。
「いちいち任務でもない人間の顔など覚えていません」
涼しい顔して脳筋っぽい発言だ。
戦争管理官らしい、といえばらしい。
厄介な事態だ。俺は向こうを知らないが、向こうは俺を知っているっぽいし、どうやらここで出待ちしていたのだろう。
会場方面に向かわせた部下が急に全員連絡を絶ったのだから兵団の幹部クラスが出張ってきてもなんらおかしくはない。
ないのだが。
「逃げちゃおっか、ここから、三人で」
「先輩、めんどくさくならないでください」
俺はふざけるのをやめて、現実と向き合うことにした。
会場からの唯一の出入り口を機械の大男が塞いでおり、デッキに向かうためには突破する他ないだろう。
だが、問題は、アルビレオと彼の持つ謎の怪生物のはいった金魚鉢である。
戦闘の余波で何か無いとも限らない。
機械魔導鎧というものは、人間の数十倍のパワーを出せるという代物で、その戦闘力は普通の人間の十人分。
軽いパンチのひとなぎで、会場の壁や天井を軽々と破壊するだろう。
そうなると破片が飛んで、アルビレオに当たると危ない。
さすがに機械魔導鎧の装甲を一刀で破壊するのは難しい。
戦闘が長引けば、その分だけ、アルビレオが危険になる。
ふむ。
俺は、クオンを横目で見た。
「頼みがあるんだが、俺があいつを止めるんで、いい感じのところで凍結魔術を入れて内部を凍らせてくれないか」
「いいですよ」
「頼みというのはそれまで、こいつに破片を当てたりしないでくれよなってこと」
「…やってみましょう」
ぐだぐだな打ち合わせだが、とりあえず連携が決まる。
俺たち二人がこそこそ内緒話をするのを聞いていたアルビレオが呆れたようにつぶやいた。
「……君ら、普通に協力するんだね。あれは一騎打ちしたいんじゃないの?」
「できる限り楽をするのが俺たちのモットーだ」
「賛同はできませんが、今回に限ってはそうですね。一般旅行客たちを虐殺して回るテロリストに尽くす礼儀はありませんから」
クオンはアルビレオを下がらせると、自分の背の後ろへと庇う。
俺はアルビレオとクオンのいる通路から離れたステージへと向かう。
広さはおおよそ25メートルほど。敵は階上に一騎。
「えーと、こういう時、どう言えばいいんだ? 照れる。実は俺、ステージとか初めてで、こういうのちょっと緊張しちゃうっていうか……まあ、あいさつなんていいや、かかってこいよ、遊んでやる」
これでかかってきてくれなかったら、ちょっと恥ずかしい。
俺は照れつつ、手を伸ばして、かかってこいのハンドサインをしてみる。
「おうとも! では尋常に! 勝負!」
機械魔導鎧が腰部に取り付けてあった双剣を振り上げ、構える。双剣とはいうものの剣っぽくはなかった。鉄でできた金棒みたいな大きさで、駆動パーツが根本から刃先にかけて埋め込まれた機双剣と呼ばれるものだ。
要はチェーンソーみたいなものだ。
剣にギアが入る。
ガシャガシャと鎧の駆動音も鳴り始め、刹那、轟音を奏でながら、機械魔導鎧の塊が発進する。
エンジンとモーターによって、床を蹴り砕く爆発的な突進。
俺のいるステージ目掛けて騎兵が、さながら落下してくるような勢いだ。
俺は、刀の柄に手を添え、相手が到達するのを待った。
機双剣が振りかぶられ、俺のいる地点めがけて振り下ろされる。
刀身が交錯する瞬間、刀身に力場の魔術を集中させ、弾く。力場の魔術というものは、魔力を物理的エネルギーの操作に使用したものだ。
これを刀身に纏わせることで、瞬間的に刀身の強度が上がり、一合目はなんとかなった。もう片方の剣の二号目に合わせて、鞘で受ける。
すごい衝撃だ。重さもある。
俺を中心にクレータのようにステージが砕ける、機械魔導鎧の重量も加味された一撃。床に力場を張り巡らせて耐えていたが、重量と勢いで押し負けた形になるだろう。木材とコンクリートが弾け飛び、足場が崩れる。
チェーンソーの三合目が俺のガラ空きになった胴に向かって放たれる。
機械魔導鎧の弱点というのは、普通の全身鎧を相手にした時と同じだ。
基本的に、鎧には隙がない。それなので、鎧の隙間、手首や首元、鎧の付いていないところを狙う。左手の鞘で相手の片腕を押さえたまま、右手の剣を、鎧の腕部の装甲の隙間を狙って薙ぐ。
一閃。俺の方が速かったが、硬い。
金属音と共に、こっちの刀身が砕け散ったようだ。
止めることもできない鎧の双剣が振りかぶられ、俺の腰を一刀両断、することはなかった。
左のアームがゴトっと音をあげて、胴体から外れる。
噴き出る鮮血。
鬼人は瞬間的に自分の腕を見ると、砕け散ったはずの刀身が装甲の隙間から入り込み、斬撃と化したのだと、わかっただろう。
力場の魔術というのはこういうものだ。
砕けた刀身に力場の威力を纏わせて、操作する。
鎧の内側に入り込ませるのはマニュアルでやる。
すると鎧の内部から斬撃を喰らわせることができる。
鬼人は一瞬、呆気に取られたようだが、すぐに戦闘意欲を取り戻した。咆哮をあげ、剣を捨てて、鎧ごと突進。
俺に向かってくる鉄の巨兵。最初から、こうした方が鎧の騎兵は強いだろう。
なぜ剣術にこだわるのか。
機械魔導鎧の出力で優勢に立てただろうに。
俺の首を残った片腕が掴む瞬間、影が落ちる。
灰色のコートがふわりと浮く。
こちらに音もなく接近していたクオンが、頭部と頚部の動脈の隙を狙って、剣を突き立てようとする、その一瞬。
機械魔導鎧は俺ではなく、背後のクオンへと振りかぶった。
「馬鹿どもめ! 貴様らの奸計なぞよめているわ!」
残った右腕がクオンを鷲掴みにする。
その間、0.5秒ほど。世界が停止する。
その次の瞬間、クオンは彼の腕へと着地していた。
魔導機械鎧の隙間にレイピアを捩じ込み、凍結魔術を発動させる。
【凍冷剣】と呼ばれる術で、うめき声を一つさせず頭部から凍り付かせる。剣の差し込んだ部分から完全瞬間冷凍させる魔術である。
機械魔導鎧の表層まで霜が降りるほど凍りつき、羅鬼と名乗った男は動かなくなった。
「片付きましたね、楽に」
クオンが床に降りる。
俺は、刀身のなくなった刀をどうしようかな、と考えつつ、クオンを見る。
クオンが先ほど使ったのは【時間凍結】。
魔族としての彼女の持つ特殊な、生来の魔術だ。
ごく短期間、彼女は時を止めることができる。
こういうわけで、滅多にこの術を他人に明かすやつはいないのだが、彼女を知るものは氷剣ではなく時針剣のクオンと呼ぶ。
「あいかわらず、すごい剣の冴えだ。助かった、クオン」
素直に称賛する。
後輩のこの剣技に助けられたことはこれまでも何度かある。
「いえ、別に、隙をついただけですから」
クオンは少し照れたように返す。
仲間というのはいいものだ、比較的、被害を最小限に押さえて機械魔導鎧を停止させることができた。
さて、アルビレオの様子はどうだろう、と俺はステージを見回す。
いない。
会場のどこにも、俺とクオンと、氷の塊になった羅鬼以外はいない。
どうやら、俺たちの戦いに途中で飽きてしまったやつは、クオンが離れたのをいいことに、さっさと会場を後にしてしまったらしい。
使い物にならなくなった剣を捨て、俺は後頭部を掻く。
まったく困ったやつだ。
*
戦いが始まって、しばらく様子を観察していたが、決着がつく前に、僕は会場を後にした。レイヴンだったら問題なく勝てそうだったからだ。
魔術での援護も特に頼まれなかったし、クオンとかいう昔の同僚と二人で組むようだったので、僕がいなくても問題はないだろう。
それに僕は戦闘に興味はないし、僕がいてもかえって邪魔になるだけというのもわかっている。なので、戦闘に巻き込まれないうちに早めに離脱した、というわけだった。
人気のない豪華客船の通路を歩く。
この船は、一つの都市のように巨大な複合施設になっている。
長い航海に飽きないように、あらゆる施設が連なっている。
レストランだっていくつもあるし、ショッピングモールだって存在する。劇場、映画館、レジャー施設、カジノにプール、楽しむための娯楽でいっぱいだ。
オープンデッキまではオークション会場から結構な距離があり、一度、船内の中央部のフロントエリアを抜ける必要がある。
船内の各設備への通り道になっているフロントエリアは、噴水があったり天井からシャンデリアが下げられていたりと、煌びやかな内装だったのだが、僕が客室から出たちょっとの間に様変わりしていた。
シャンデリアは落っこちてて、ガラスが散乱しているし、噴水には爆発系魔術で破壊されたのか、物語上の人魚を模した彫刻の上半身が砕けて、噴水の中に落っこちている。
ここで、ひと騒動あったみたいだ。
僕は先を急いだ。
船内には敵味方入り乱れての死体でいっぱいだったが、残っているテロリストに見つかったら大変なことだ。僕はともかく、金魚鉢が割れでもしたら、こいつはおかーさんとやらに会えなくなってしまう。
階段をいくつも上がって、ようやく、オープンデッキに行くと、人がいっぱいいた。僕の目に映る青い空、青い海、デッキへの入り口から張り出されたバルコニーの階下には、これまた一際青いプール、その水際には怯える人間たちが一箇所にまとめられている。
耳に届くのは怯える人たちの悲鳴とか命乞いをする声だ。
海の音も聞こえる。潮風も肌に感じた。
どうやら乗客の生き残りと、交戦していた船員たちの生き残りがプールの周りに集められているようだ。二十名ほどが固まっている。
その周りには、銃を構えている暁の兵団の兵士たちが取り囲んでいて、数は、1、2、3、4、5……と数えていると、唐突に声をかけられる。
「何者だ」
そちらをみると、通路の出入り口の警備をしていたテロリストがこちらに銃口を向けつつ聞いてくる。
何者と答えられても、どう答えたものだろう。
僕は困ってしまった。ここで身分を明かしても、明かさなくても、どっちにしても悪いことが起きそうだ。
「早く答えろ」
今にも銃を撃ちそうな雰囲気だ。
僕はそっちには答えずに歩いて階下に降りることにした。
プールにはバルコニーから階段で降りれるようになっていて、プールサイドのすぐ右舷側から先頭に続く手すりから、海がのぞけるようになっている。
それにしても、最高のロケーションだよね。開けた視界には、キラキラと輝く海。プールサイドには、パラソルや白いビーチチェアがいくつも列をなしていて、売店だって向こう側に見える。良いなぁ、レイヴンとここに来たら楽しかったかも。部屋の中で鬱っぽくなっているよりも、外に出て陽気を楽しむべきだった。うん。今からでも遅くないぞ。というところで、銃声。
「待てっ、怪しいやつめ」
さっきの兵士が僕を撃ったらしい。
銃弾は空中で停止して、落下。
無詠唱でなくてはならない魔術というものがこの世にはあって、それがこれだ。防壁結界。
攻撃するときに詠唱してもタイムロスにはならないが、守る時に詠唱していたら最悪即死するからだ。
術師によって、やり方は違う。
僕は空間を区切るのが好きだ。だからそのように魔導術式を組んである。
「き、貴様、魔術師か」
目の前で起きたことが信じられないというように、銃を連射。
こちらの様子に気づいたのか、人質の見張りについていた兵士たちもこちらを取り押さえようと向かってきていた。
発砲に人質たちが騒ぎ出す。
とりあえずこっちは無視して、僕は手すりに近づいた。
海面をのぞき込んで、金魚に聞いてみる。
「さあ、君はなにがしたい?」
このまま海に帰るのかな?
それとも、もしかしたらおかーさんとやらが迎えにきてたりして。
そうだったら、素敵だ。僕は夏らしい素敵な物語を期待している。
金魚はガラス球の中でくるりと一回転すると、甲高い声を上げた。
『ころ』
「ころ?」
『殺したーい』
プルプルと金魚は体を震わせる。
次の瞬間、金魚が鉢の外に飛び上がる。
空中にぷかぷかと浮かんだ金魚は流暢に喋り始めた。
『人間、人間どもめ、ゆるさないぞ』
体が膨張する。
赤い金魚が今では赤い水蛇のように細長くなり、空中でトグロをまく。
精霊というのは、決まった姿を持たないものだ。
僕はあくびをした。思ったとおりの展開だ。
『我をこんな場所に連れてくるとは、狼藉者どもめ。手始めにこの船の者どもは皆殺しだ』
精霊が吼える。つまらない物語がはじまった。
魔力が渦をまき、プールに氷が張る。瞬間的な凍結現象。精霊というのは魔法そのものと呼ぶべき生物で、彼らの扱う魔術は生命活動そのもの。いっときの感情で高まり、憤怒や悲嘆で世界の条理を乱す存在だ。
彼らの息吹が魔法であり、彼らの鼓動が魔法である。
『目にもの見せてくれるわ』
水蛇っぽくなった精霊が体を震わせる。
頭上にできた氷のつららがデッキの四方八方に飛んでいく。
暁の兵団の兵士たちに着弾。一瞬で氷の塊が成人男性を飲み込んでしまう。
ところかまわず飛んでいく氷の玉がデッキを凍りつかせていく。
自然災害めいた光景に、僕はもう興味が持てなくなっていた。
僕は甲板の手すりに寄りかかって阿鼻叫喚の様子を眺めた。
人魚の怒りがデッキを凍らせ、人々にあられとなって降り注ぎ、周囲一体まるで北極のようにブリザードまで吹き荒れ始めた。
逃げ惑う人々。
暁の兵団たちだけでなく、人質として集められた人間たちも、容赦無く、問答無用に凍りついていく。
だいぶ寒い。でも、それ以外は特に問題はない。
こんなことなら、上着を着てくるんだったな。どれくらいかかるんだろ、これ。
そんなことが気にかかり始めた頃、バルコニーにひょいと二人組が顔をのぞかせた。
「おっ、アルビレオ! そっちいくから、待ってろよー」
呑気なものだ。レイヴンがこちらに声をかけてくる。
デッキの惨状を理解しているのか、いないのか、よくわからないが、僕を見て、うれしげな顔をしている。
なんだそれ。どういう感情なんだろう。
二人とも、降ってくる氷の球や冷気の塊をかるく避けつつ、なんだか談笑している。
「これが、精霊の力ですか」
「そうみたいだな。ほら、あれじゃないか? 例の人魚」
「人魚というより蛇ですね」
緊張感がない。
『人間どもめ、全員、この我が喰ろうてやるわ!』
精霊は大暴れを続けている。
デッキにブリザードが吹き荒れる。
水精霊、水属性の魔力の塊が海というフィールドで荒れ狂う。
暁の兵団一同はもう全員、カチンコチンに凍りついている。人質たちもだ。
「それで、どうしたらいい? 食ってやるとかなんとか言ってるけど」
荒れ狂う凍結魔術の中を無傷で二人が駆けよってくる。
僕はそっちに視線だけ向ける。
精霊というものは強大で、人魚は時に不老不死の薬にもなるほど価値の高いものだ。
オークションを開催する業者が、おそらく水精霊王ウンディーネの棲まう海洋北極國からこの人魚を、密輸したのだろう。
迂闊なことだ。
知識のないものが、こういった魔法生物を取り扱うと、こうなる。
息巻いていた金魚が、空中から落下し、金魚鉢へとぽちゃんと落ちる。
魔法生物といえど、魔法を無限に使うことはできない。
こいつらにはこいつらの限界があり、生物である限り、必ず休息がいる。
息つぎのようなものだ。
生物が呼吸をするように、魔力を回復する時間が必要だ。
僕は魔法生物の類の扱いは苦手だが、取り扱いにはコツがある。
わずか数名の生き残ったテロリストと乗客たちが船内へと退避するのを眺めつつ、僕は金魚鉢に手を突っこんだ。
「はい、終了」
『なぬっ』
金魚の尾鰭を掴むと、金魚を口もとに運び、口の中に放り込む。ごくん。
そのまま飲みこむ。多少の抵抗感はあった。瞬間的な吐き気をこらえて、口元をおさえる。生臭くて、とろりとしていて、匂いが鼻を突き抜ける。
喉元を通り越した物体に僕は言う。
「しばらく、反省しておいてね」
「なっ」
これはクオン。
目の前で起きたことに動揺したのか、わずかに目を見張っている。
「なにしてるんだ、お前」
こっちはレイヴン。変な顔してる。なんか、思い詰めたような顔だ。
魔術師と精霊の関係とはこうだ。
精霊という理外の存在を、魔術師は理の内にとどめおく。つまり、安定させる役割だ。
そうでないと、暴れ出す。僕はこういうのが嫌なんだ。
いちいち面倒を見てやらないとならない。
「そんなもの、早く、出せ」
なんか見たことないような怖い顔をしているレイヴンが、僕の肩に手をおく。
デッキに吹き荒れるブリザードがピタッと止まる。
胃の中に入ってしまえば、人魚はなすすべがない。
消化されるのを待つばかりだ。これは人魚が、食べたものに不老不死を与える、という特性を持つモンスターだからだ。胃のなかから魔術を使って脱出したら、不老不死どころじゃなく、内臓破裂で死ぬ。
この伝承がある限り、人魚は最後、喰われる定めだ。
暗雲の立ちこめていた空模様は、晴れやかに澄み渡り、また穏やかな海風がふき始めた。
なまぐさい潮風だ。
僕は、口元を押さえた。
「うぷっ、きもちわるい」
「当たり前だ、そんなもの食べるから」
「……これが正解なんだよ、生物のようで生物でない、魔法の特性を持った法則、それが精霊なんだから、あー、でも、ほんっっときもちわるい、なんでこんなことしちゃったんだろ」
「いや、その決断のはやさはすごいと思うぞ」
胸焼けで胃がムカムカするし、口の中に残る生魚っぽさが、最悪だった。
海は揺れるし、もう何もかもが灰色に見える。
僕は金魚鉢を持って、デッキの隅の方に向かった。
ビーチチェアに座り、金魚鉢を顔の前に持ってくる。
「吐きたい、きもちわるい」
「うまく吐けないのか」
レイヴンが僕を見下ろしている。僕は少しだけみじめな気持ちになった。レイヴンは、背が高くて、体格が良くて、大人の男だ。僕の欲しいものを持っているといえる。なんとなくコンプレックスが疼くのだ。僕は、人魚を食べる必要もなく、ずっと、何年経っても、こどもの姿のままだ。肉体の成長が止まっている。でも極光位を冠するということは、そういうことだから。
「こっちに体をよせろ、吐かせてやるから」
「ううっ」
レイヴンが隣に座る。僕の背中に腕を回して、さする。気持ちの悪さが加速する。口内に酸っぱい味がせり上がってくる。
「ちょっと我慢しろよ、すぐにスッキリするからな」
レイヴンの指が僕の口元に伸びてくる。
最悪の予感がする。彼は何をしようとしているのか、大方の想像がつくし、実際、その助けを待ってもいるのだが、気分は最低だ。
口を強引に開けて、指が入ってきて、それから。
それから起きたことは風が知っている。
*
潮風が髪を揺らす。
遠くに波の音を聞きながら、僕はビーチチェアに座っていた。
デッキでは、生き残った人たちによる救助活動が行われていて、凍傷が浅かった人や、蘇生可能な人たちを優先に、担架に乗せて、船内の医務室へ運んでいるところで、けっこう、騒がしい。
僕はといえば、忙しなく働く人たちのいる中、一人で、ぼーっとしていた。
あれから起きたことは思い出したくない。
口の中の酸っぱい味が不快だが、吐いた後特有の妙な爽快感と、グラグラと足元がぐらつくような屈辱感で、頭がいっぱいだ。
もう何も考えたくない。
僕をそっとしておいてほしい。
その気持ちを汲んでくれたのか、レイヴンは事が済むと僕から離れてくれた。手を洗いに行くのだろう。僕が汚してしまったから。
思い返すだけで、頭を爆発系魔術で吹き飛ばして死にたくなるほどの恥ずかしさだ。
僕は自分の頭を吹き飛ばす代わりに、手元にあったペットボトルを縦に振った。
『やめてー』
中にいた金魚が悲鳴をあげる。シャッフルを継続。
大体、こいつのせいだ。金魚は、今はメダカくらいのサイズになっている。
先ほどの戦闘と、喰われたことによって相当消耗したようだ。
金魚鉢に吐き出した後のこいつには、もう魔法を使えるほどの魔力は残っていない。
それでも、危険ではあるため、汚れた金魚鉢からペットボトルに移し替えて、蓋をぴっちり閉めた上で、厳重に封印魔術を施した。
『お助けー』
悲鳴をあげているが、しばらくペットボトルを振る。水中で、メダカが右往左往している。哀れな姿だが、特に同情は感じない。僕は周囲を見た。凍結した氷の彫刻が、十数体。これは完全に凍死してしまっているテロリストたちの死体だ。彼らは下手に精霊に立ち向かおうとしたために、逃げ遅れてしまったらしい。
精霊というのは危険な存在だ。
だから、精霊保護区から出してはいけないのだ。
ペットボトルを振るのにも飽きてきたので、ピタッと止めて、ペットボトルの中をのぞきこむ。
「で、反省した?」
『しました』
メダカが答える。
「もうしない?」
『しません』
抵抗する気力はなさそうだ。
「よしっ、じゃあ、そこでしばらく生活しておきなさい。出さないからね」
こういうモンスターの取り扱いが上手い人間は魔術師とは区別して精霊術師と呼ばれる。
彼らは精霊たちに愛を持って接し、人外とのコミュニケーションを目的とする。
自然との融和、人類と精霊種との共存共栄を理念とした、なんかそういう人々だ。
「僕は精霊への愛がないから、君は梱包して魔導協会渉外担当部に引き渡します。そこなら水の精霊術師が在籍しているから、君のお母さんを探してくれるかもね」
金魚に言う。金魚は尾鰭を振る。
こいつの言う母親のことは、僕を乗せる嘘だったかもしれないけど、真実は語られないだろう。
でも、それでいい。
水精霊が外界へ持ち出されたことも問題だが、その水精霊が人間を殺害した、というのも大問題だ。
人間と精霊は不可侵条約を結んでいるため、この件が明らかになれば、一悶着があるだろう。けど、それだって、後のことは全部、魔導協会に放り投げてしまえばいいや。
僕はもう早く帰りたい。
最低のバカンスだったから、一刻も早く船から降りたいところだ。
そんなことを考えていると、レイヴンがクオンとかいう女の人を連れてこちらにやってくるのが見えた。
ちょうどいいタイミングだ。
*
クオン・アシュレイは、先を歩く男の背中を目で追った。
レイヴン───かつての同僚で、戦友である男は、少年のそばに近よると、優しそうな声音で話しかける。
「気分はどうだ? マシになったか?」
少年が、緑色の目を、よそに向ける。目を合わせたくないようだ。
「心配しすぎだよ」
「良くなったなら、いいんだ。もう変なものつまみ食いするなよ」
からかうように言いつつも、口調は終始、穏やかだ。
それに気づいていないのか、少年の方はふてくされている。
疑いようもない。これが親子のやりとりなのだろう。
かつて、幾多の戦場を共にし、絶対の信頼を持って背中を預けることができた男は、今は一人の子を愛する親として生きている。
正直に言って、自らの目で見るまでは疑念があった。
───戦場を渡り歩き、屍肉食いと恐れられたほどの男が、一人の親として生きることなどできるのだろうかと。
しかし、その疑念は裏切られたようだ。
レイヴンが今までに見せてきた子供への思いやりは、本当のものだ。
今だってそうだ。
レイヴンは、少年のそばによると、ジャケットを脱いで、肩に羽織らせる。そろそろ海風が冷たくなってくるころで、体が冷えるのを心配したのだろう。
───人は、変わることのできるものなのだ。
クオンは男の様子に、胸中で述懐する。
彼は変わった。愛情が彼を変えた。
そう認めることには、一抹の寂しさがあったが、認めざるを得ないだろう。
クオンは二人に近づくと、こう言った。
「最寄りのビート港に停泊するそうです。そこで、今回の事件の後始末……それと」
「俺との決着だな」
レイヴンが言う。
「ええ、ですが。一つ提案があります。今から、私と同行するなら、罪を赦免するようにお力添えをしてくださる方がいます。その方とお会いになってください」
ずっと考えていたことだ。
レイヴンの抹殺が使命であるが、彼を助ける手段もある。
クオンなりに、レイヴンの裏切りの真意を見定め、自分なりに納得がいったのなら、提案しようと思っていた。
レイヴンは首を横に振った。
組織を裏切った彼を赦免することができるほどの上位の身分のもの。
彼にも思い当たったようだ。
「それだけはごめんこうむる。お前に剣を向けてもだ」
今までとは段違いに、冷たく、硬質な声音だ。
半ば予想できていた答えだ。
クオンは重ねて言った。
「その子を追われる身で育てていくのは、大変でしょう。魔術の素養があるようですし、むしろ祖国で専門の教育を受けさせた方がいいと思いますよ」
クオンは子供を見た。先ほど、水精霊の暴走を鎮めた少年だ。
いきなり水精霊を飲むなどという突飛な行動をとる少年だが、魔術師には奇矯な者も多い。本人の適正にあった場所で教育を受ければ、いずれ才能が開花するかもしれない。
熟慮の上の提案だが、こどもは素っ頓狂な声をあげた。
「育てる? 僕を? 誰が? 君が?」
「そういうことになるな」
レイヴンが重々しく首肯する。
「僕は今のままで完璧だし、君に育ててもらう必要なんてない! 大体、東魔の魔術教育の本命は中央魔導院でガチガチの血族政治じゃないか。あんな百年遅れの血族呪術なんてカビくさい呪術、おぞましすぎてやってられるか!」
しかめ面で少年が吐き捨てる。
話す内容にクオンはギョッとした。
なぜ、東魔国の呪術体系への知識があるのだろう。
いや、それ以前に、この二人は親子なのではなかっただろうか。
レイヴンは怒り散らすこどもの顔を見つめて、ニヤニヤ笑っている。
「わけわかんない日だな、今日は。もういいや、金魚もまずいし、どっかで口直ししたいし、そうだ、家に帰るまでにあそこによろう。西央の新しくできた洋菓子屋。キルシュタルトが食べたい気分だ」
場の空気を全く読まない発言に、レイヴンが心底うれしそうな顔をした。
「もー、わがままなんだから、見てわかんねぇ? 今から一戦、交えるとこなんだが」
「は? 知らないよ、なにそれ。それって僕の用事より大切なわけ?」
むくれるこどもに対して、破顔するレイヴン。
「わけないだろ、よしっ、そういうわけだから、すまん、クオン。決着はまた今度ってことで」
親子というには、違和感のあるやりとりだ。
クオンが違和感の正体に気づく前に、レイヴンが少年の体を抱き上げる。
「まっ、待ってください、逃がすと思ってるんですか。転移術は使わせない」
ベルトに吊った細身の剣に手をかける。
いつでも時間を停止させて、術を使用するための携帯を持った瞬間に叩き切る。
その心づもりであったが、少年の言葉に集中が途切れる。
「逃げる? なんで? あと転移術は僕の魔法だけど」
レイヴンに、片手で担がれている少年が、指を鳴らす。
クオンは肌に、濃密な魔力を感じる。
直後、空間に裂け目が走った。
二人の背後、横向きに入った亀裂は、瞬時に円形の大きな影のような穴となる。
空間と空間を繋げる類の魔術だと、推測はできたが、クオンの知らない魔術だ。それをいとも容易く行使するこの少年は一体、何者なのか……。
「さあ、帰ろう。全く最低の一日だったな」
こどもがレイヴンの肩口に頭をもたれさせる。
まるで、そうすることが当然とでも言わんばかりの慣れた仕草だ。
レイヴンが背後に向かって飛ぶ。突如として出現した黒い空間に飲み込まれる。
「それじゃ、元気でな。クオン、また会えてうれしかったよ」
声だけを残して、影の中へ姿が消える。
次の瞬間、空間に空いた穴は再び一本の線に戻り、それも瞬きするほどの時間で消滅した。
一瞬のことだった。
クオンの目の前には、空のビーチチェアが並んでいる。
魔術によって傷ついた形跡も見当たらない、なんの変哲もないのどかなプールサイドの光景だ。
クオンは剣の柄を握りしめていた手を開く。
───どこから謀られていたのだろう。
自問する。
答えはすぐに出る。初めからだ。
レイヴンは、子供の素性について、真実を話さなかった。
親子だなんだと言っていたのは、こちらの誤解を利用して、そのように振る舞っていただけ。
なんのためにそんな嘘をついたのか、理由はわからないが、彼は理由のない嘘を吐かないタイプの男だ。
結果として、こどもが高位の魔術師であると見抜けなかった。
いいや、こどもの素性など、たいした問題ではない。
問題なのは、まだ任務が終わっていない、ということだ。
クオンは決然と歩き出す。
オープンデッキを突っ切り、船内へと向かう途中で、苛立ち紛れに氷の彫像を細剣で切り付ける。
剣の刀身が光を反射する間に、彫像が細かく切り裂かれ、床に落ちる。
時間停止の中で、8回切りつけられた結果だ。
刹那の早技で細断された氷塊が砕け散る。
氷の砕片が舞う中で、クオンは決意した。
かならず、あの男───レイヴンを殺してみせる。




