第6話 魔法使い誘拐事件
朝起きると、めずらしくアルビレオが先に屋敷のリビングへとやってきていた。
おそろしいほど陽気だ。いつものやつなら、椅子に座って不機嫌そうに頬杖をついているか、それか一心不乱にチョコケーキをむさぼっているかだが、今日のやつはステップを踏むように、小躍りしていた。
陽気に鼻歌まで口ずさんでいる。はっきりいって異常だ。
「今日はすばらしい日だ!」
やつは俺のほうを見ずに叫んだ。
やつの目は、リビングの横の窓の外へと向けられている。
───どうやら、俺に向かって言っているわけではないようだ。
その目は、どこかを見ているようで、どこも見ていないきがする。
「超・超・超・超・超最高! 僕は! ようやく! お家に帰れる!」
おうちだって、こどもっぽい言い方だ。
俺は眉をひそめた。こいつらしくない物言いだ。
───いや、もしかしてほんとのこどもなんだったか。
魔導士の年齢は見た目からはよくわからない。
俺はとりあえず事態の理解を図るため、話しかけてみることにした。
「お家ってなんだ?」
そこでやつはようやく俺に気づいたようだった。俺を見る。
その目はいつものように不機嫌そうに細められるのではなく、にこにこと満面の笑みをたたえている。
「そりゃ、お家だよ。みんなが帰るやつさ! えーと、そうだな、マイホーム、マイハウス、懐かしの我が家……ま、そんなところだ! 僕も、ついに、ようやく、お家に帰れるんだ、やったー!」
ハイテンションで訳のわからないことを喋りまくり、ついでに両手をあげてぴょんと跳ぶ。
まじで異常だ。
「わかんねーな。ようは、つまり、実家ってことか?」
首をかしげる。
魔導士アルビレオの生家。
まあ、やつも人間なら、あってもおかしくはない。孤児の多い魔界では身よりなんてものがないやつらもざらにいるが、あいつはそうじゃないってことだろう。
そうは言っても、今までアルビレオの口からその手の類の話をきいたことはない。
訝しむ俺を前に、アルビレオは急に照れはじめた。
気恥ずかしいのだろうか。
「実家って……いうほどのものじゃないけどさ、そうだね、世間的にはそうなるのかな……」
頬を赤らめるような表情は意中の相手について聞かれた少女のように可憐だが、恥じらうような話題ではないので微妙にきもい。
しかし、これはこれで、いい機会といえるかもしれない。
アルビレオは自らの出自や経歴についてあまり話そうとしない。
いまだに俺を信用していないのか、それとも魔術師らしいポリシーからか、やつは秘密主義者だ。
───アルビレオに雇われてから数ヶ月が経った。
その間に、アルビレオの経歴や目的については、まったく不明のままだった。
いつものやつなら、曖昧に話題を切り上げるだろうが、今なら何でも話してくれそうだ。
───この期を逃すべきじゃないだろう。
そう判断した俺は、あえてさりげなさをよそおって切り出してみた。
「へー、出身ってどこらへんなんだ? 東魔国あたりじゃないんだろ?」
東魔国で最も多い種族は鬼、次いで人類との混血である。
アルビレオは、おそらく純粋な人類だろう。
やつは口ごもりつつ、妙なことを口走った。
「……それはぁ、その……まだなんだ、これから知るっていうか……」
「はぁ? どういうことだ」
「どういうこともなにも、言葉通りの意味。すべてはこれからの出来事にかかってるのさ」
「まったく状況がつかめん」
いつものことだが意味不明だ。
「えーと、そうだな、何て言えばいいのか。単刀直入にいうと、家族ができるんだ、僕!」
言葉を選ぶように口ごもったわりに、その口からは問題発言が飛び出てきた。
家族ができる、とはなんだろう。
家族とは、すでにいるもので、いまから発生するものではない。
俺は遠い目になる。
アルビレオは今日も通常運転で異常だ。
「……もう少しわかりやすく説明してくれるか?」
「しょうがないなぁ、特別に、君には教えておこうかな。それに、君にも祝ってほしいしね」
謎めいた、訳のわからない言葉を発しつつ、アルビレオはジャケットのポケットから一通の便箋を取り出した。
それが1時間ほど前のことだ。
やつは急いで身支度をすませると、俺を連れてローレル共和国にあるレブランという小さな町を訪れていた。ローレル共和国というのは大陸にいくつもある小国の一つで、西央魔導教国からは国家として未承認の地域である。
このような国や地域は大陸中にいくらでもある。
廃棄都市イルミナからは飛行機にして半日ほど離れた場所にある国だが、俺たちはアルビレオの空間転移魔術によってものの1時間足らずで到着したというわけだった。
長距離転移には制約がつくものだが、アルビレオにかぎってはその心配はない。
気が向けば世界のどこにでも行ける。まったくもって便利な魔術というしかない。
レブランは小さいながらも活気のある町で、アルビレオが言うには、この町にあるレストラン“さかなの宿”で封筒の差し出し人と待ち合わせているということだった。
“さかなの宿”はなかなか小洒落たレストランで、店内はほどほどに人で混んでいる。
やつは日のあたるテラス席を選んだ。シェードの影がかかる四人がけの席の奥に座り、ソワソワと街道に視線をやっている。
俺は彼の隣に座り、周囲を見まわした。
5席ほどあるテラス席には俺たち以外の客はいないのだが、妙に落ち着かない。
なんというか嫌な予感がするのだった。
アルビレオの持ち出した封筒の中には、一通の手紙の他に写真が入っていた。
なんの変哲もない、たんなる手紙だ。
だが、その内容が問題だった。
───それはアルビレオの両親を名乗る人間からの手紙だったのだ。
内容はうろんそのものだった。
先日のテレビニュースに映ったアルビレオの姿を見た彼らは、一目で昔に生き別れた我が子だと気づき、自らが両親だと名乗り出たいので直接会ってもらえないだろうか、とのことだった。
まるっきり怪しい話だ。
アルビレオはテレビニュースに映ったことがない。
極光位である彼本人を知るものは少なくなるように、情報操作が行われているため、露出は控えめだ。
そういう事実を抜きにしても、そんな偶然が起こりうるだろうか。
たまたま都合よく、ニュースを見て、たまたま両親だと名乗り出る、などという偶然は、都合がよすぎるとしか、思えないのだが、当のアルビレオはまったく気にしていないようだった。
テーブルに手紙を広げて、うれしそうに何度も読み返している。
「どういう人なんだろうなぁ、僕のおとうさんとおかあさん」
同封された写真を見て、アルビレオはうっとりと呟いた。
今朝から終始こんな感じだ。
上機嫌というよりはしゃいでいる。
はしゃいでいるというよりは……夢見心地というべきだろうか。
常にない雰囲気で、視線は、ここを見ているようで、見ていないような、どことも焦点が合っていない。
はっきり言いたくはないが、なんというか、今日の彼はまともな状態じゃないように見える。
「まだ決まったわけじゃないだろ」
「そんなこと、あるわけない。僕にはわかるよ、この手紙にこめられた真心が」
「……こめられてるか? 真心」
俺は、チラッと手紙を見る。
そこにはタイプライターによる文字が綴られている。機械的で無機質な印象だ。
差出人の筆跡を隠すためだろう。
ますます怪しい手紙だ。
アルビレオは封筒に頬ずりしかねない様子で言った。
「実は、僕、追跡魔術を放ったんだ。この手紙を書いた人のこと、少しだけ知りたくってさ」
「便利だな、魔術っていうのは」
「僕の鼠はどこでも嗅ぎつける。情報収集デバイスだからね」
鼠と呼んだ術式は、たまに彼が使うものだ。
東魔風にいえば式神にあたるものであり、東魔中央魔導院に所属する術者連中が使っていたのを見たことがある。
「名前はカルロス・マクレーン、47歳。この国で旅行会社を経営しているらしい。詳しい住所はプライバシー保護のためあかせないが、最寄りの郵便局に投函されたものだってことはわかる。ほら見て、ここに日付印」
アルビレオが封筒に捺された印を指し示す。
だからなんだ。
「ひとつ聞きたいんだが、お前の家に郵便物が届いたことなんてないだろう?」
アルビレオの家に郵便受けはあるが、廃棄都市イルミナに郵便配達サービスはない。
「ああ、そうだ。不思議だよね、僕宛にこれを届けるには、あの家の座標を知らなくてはいけない。もちろん、そんなものは誰も知らないし、そもそも郵便局の配達範囲外だ。では、これはどうやって送られてきたかというと、魔導協会からの転送によるものだった」
「協会の事情には詳しくないが、なぜわざわざそんなものを転送する必要がある」
「協会内に手引きした人間がいる。だが、そんなことはどうでもいい」
アルビレオはそう言ったが、どうでも良い話にはきこえない。
「大事なのは、僕が今日、家に帰れるかってこと。これが一番大切なんだ!」
「家って、確認するが、実家っていう意味だよな? あきらめろ、とてもまっとうな話だとは思えない」
「まだ、わからないだろ。もしかしたら、本当に僕を捜してくれていた両親が、魔導協会にコンタクトを取って、それで善意の魔導師が介入したのかも」
善意の魔導士という存在そのものに、俺は懐疑的である。
「追跡魔術で、介入したその魔導師に接触すればいい。まずは経緯を確認するべきだろう」
「そちらの痕跡は消されていた。さすが協会所属のエリートだよ」
俺は三秒ほど黙って、それから言った。
「お前、騙されてるんじゃないか?」
三秒ほど、やつは黙っていた。
今のはそれなりに、効いたようだ。緑の目が不機嫌そうに細められる。
「どちらにせよ、ここまであからさまに協会がらみなら、疑う必要なんて無い。十中八九、A’の差し金だ。やつのシナリオなら拒もうが無駄」
「A’って……」
A’とは人名だろうか。とても人の名前には思えないが。
聞き返す前に、アルビレオが顔を上げる。
「あ……来た」
そちらを見れば、二人の男女がこちらに向かってやってくるところだった。
年恰好は四十代半ば。男の方は、肩幅が広くがっしりした体型。髪の色は濃いブラウン。
女の方は中肉中背といったところだ。明るい金髪に、翠眼が印象的だ。
二人とも身なりがいい。
テーブルのそばまでやってくると、男の方が切り出した。
「えーと、はじめまして、といったらいいのかな」
長年、会っていなかった息子との距離を測りかねているといった態度だ。
隣の中年女性のほうは涙ぐんでいる。
再度、俺は嫌な予感を感じた。
男が言い終わる前に、隣にいた女が急に動き出す。
「会いたかった……! アルフレッド!」
アルビレオだ。それが俺の知っているこいつの名前。断じて、アルフレッドではない。
彼女はアルビレオを見るなり駆けよると、もう一度、アルフレッドとかなんとか言いながら、やつの肩に腕を回し、抱きよせた。
アルビレオは、
「……」
沈黙。
長い沈黙だ。アルビレオは何を考えているのかわからない目で遠くを見つめていたが、やがて、動き出す。
女の背中にそろそろと手を伸ばす。
「…………僕もだよ、おかあさん」
やつは、そう言った。俺の目の前で、抱き合う二人。
中年の男がそんな二人の背中にそっと腕を回す。
親子の感動の再会といったところだろうか。
何を見せられているんだ、俺は。
*
オペレーション『カッコウ』。
これはローレル共和国における軍事プロジェクトである。
レブラン市内東地区にある雑居ビルの一室には、10数名の人員が詰めかけていた。
いずれもローレル特殊情報部隊の精鋭である。
司令塔である老年の男を中心に、彼らは室内の中央に設置されたモニターに一心に視線を送っている。
モニターには、とあるレストランの映像が映し出されている。
「状況は順調なようだ」
ハンドラーが言った。
「ターゲットに不審な様子はありません、しかし、黒髪の男についての報告はありませんでした」
ハンドラーのすぐ隣にいる女が口を開く。
「ジュリー、話の流れで男の正体について聞き出せ、決して不自然になるなよ」
ハンドラーは手持ちの通信機から、部下に指令を出した。
彼らが注視しているのは、とあるレストランの映像だ。
明るいテラス席には四十台頃の男女が二人、金髪に褐色肌の少年が一人、その隣には20代半ばほどの黒髪の男が一人座っている。
そのうちの中年の男女二人がハンドラーの部下であった。
───コードネームはカルロスとジュリー。
彼らはオペレーション『カッコウ』のために選抜されたベテランの諜報部員である。
カッコウのターゲットに選ばれたのはアルビレオという少年魔導士。
長年の協会への潜伏活動により、ローレル諜報部は少年についての特殊な情報を入手した。
情報提供者は魔導協会の内部に精通するもの。
曰く、『アルビレオは肉親の絆に執着している』。
彼の両親への妄執は盲目的で、もしも、彼に本物の両親であると錯覚させることができれば、容易に最高位の魔導士を手にいれることができるだろう。
この作戦の成功率は高い。
───なぜなら、アルビレオは狂っているから。
情報提供者は、そう語った。
この情報が真実かどうか、怪しいものだ。
ハンドラーも、はじめはそう疑念を抱いた。
あまりにも馬鹿げた話だ。極光位にまで上りつめた魔導士が、実の両親のフリをした諜報部員たちに騙されるだろうか。
しかし、成功すれば利益は計り知れない。
レブロン共和国が国としての地位を獲得するため、特に北の勇者の治める神聖帝国の脅威に対抗するため、魔導戦の分野を拡充することは急務である。
計画はまだ始まったばかりだ。アルビレオとの接触自体はスムーズに進んでいるが、隣にいる黒髪の男についての情報は事前に得られてはいない。
作戦にイレギュラーはつきものとはいえ、予断は許されるものではない。
ハンドラーは引き続き、モニターを注視した。
*
退屈すぎる前座だ。
これが劇なら、すぐさま席を立っていただろう。
くだらない茶番に付き合わされるより仕事に向き合う方が有意義だからだ。
やっと出会えた家族の再会シーン風のやり取りは、俺にそんな感想を抱かせた。
仮の両親とやらはアルビレオから、ややぎこちなく離れると、息子との距離感にとまどいつつも喜びを隠せないといった演技をしていた。
そう、演技だ。
よくやるものだと、感心する。
隣でアルビレオが両親に席をすすめる。
マクレーン夫妻は、ためらったような顔をしたものの、彼らは店員に一声かけてから、席に座った。
それからの会話は十分足らず。元気だったか、寂しくなかったか、自分たちがどれほど心配していたか、といったオーソドックスな会話が続き、アルビレオは照れたようにそれに答えている。
一体どんな気持ちなんだ。お父さんとお母さんがいなくて本当に寂しかった、とか涙ぐんで答えているのは。どの口がそんなことを言うんだ。隣を見る。この口か。
普段が理知的であるため、はっきりいって現在のアルビレオの体たらくの方が意味がわからなかった。
アルビレオは賢い。衝動的な部分もあるが、それよりも理性が勝つ。
しかし、今日はどうだろう。正体不明の手紙に飛びついて、ありもしない両親とやらに浮かれている。普段の彼なら、飛びつくはずはないが、今日のアルビレオの行動の理由には掴めないところが多い。
そもそも、アルビレオの話自体が怪しげなものだ。孤児だというのも初耳だが、両親の記憶についても曖昧なところがある。普通、両親の記憶があるなら、こういった手紙を信じこむことはない。
───本人に問いただせばはっきりするだろうか?
どうもそうも思えない。この件に関してアルビレオはかたくなに語らないだろうという直感がある。
はたして、どうやって口を割らせたものだろう、そう考えあぐねていると、親子水入らずの会話はこちらに水を向けられていた。
「そちらの方は?」
母親を名乗る女が聞く。
渦中の魔術師が困ったように言う。
「ああ、ええと、こっちは……、なんなんだろう、僕のなんなんだ、お前」
失礼な言い草だ。
「俺は……」
なんと答えたものだろう。アルビレオの両親(仮)の視線がこちらを向く。
ふむ、友人というのが妥当なところだが……。
しばらく悩んだ末に、相手の出方を探ることにした。
「魔導協会の高等魔導士付き選任護衛官だ。こちらの方の身辺警護が任務だ」
二人が息を呑む。
これは演技だろうか。判別はつかない。
俺が何者かを知っているかどうかは、彼らにどの程度こちらの情報が渡っているかを示すものだ。
隣で息急き切ったように慌てているアルビレオは論外だ。
「なっ、そんなんじゃないだろ。嘘つくなよ」
「そんなんだ。手続きをしたのはお前」
もちろん大嘘だ。
女の方が驚愕の表情から覚めたのち、穏やかに笑みを浮かべる。
「あなたが守ってくださったのね、うちの息子を。どうもありがとう」
どんな気持ちでこれをいっているんだろう、この女は。
「おかあさん……」
───それで、どんな気持ちでこいつはこの声が出せるんだろうな?
甚だ疑問に思ったが、表情にはださずに、
「礼にはおよびません。不審人物を警戒するのが仕事ですから」
あえて不審人物を強調して、答える。
夫妻の反応はそれぞれ常識の範囲内。
男の方は戸惑ったような顔をし、女の方は穏やかに笑んだまま。
───この程度じゃ、尻尾は出さねえな。
俺は一度、引くことにした。
「ですが、親子の再会に邪魔者は不要なようですね。俺はここで失礼します。あとはみなさん、親子水入らずってやつで」
言って、席から立ち上がる。
「行くの?」
やつが、俺に声をかける。
見れば、ちょっとばかり緊張した面持ちだ。
待ち望んでいたとはいえ、両親(仮)と二人きりにされるのは不安なようだ。
なかなかかわいいところもあるものだ。
ちょっと感心したので、やつの頭に手を伸ばす。
「ああ、邪魔しちゃ悪いからな。アルビレオ、楽しんでこい」
やわらかい金髪を軽く一撫でしてから、真昼のレストランを後にした。
*
モニターを監視していたハンドラーが言った。
「黒髪の男が席を立った」
「陽動ではありませんか?」
確認する部下に彼は首を振った。
「わからん。だが我々に時間はない。不足の事態はすみやかに処理しておきたい」
この作戦にかけられるのは一日のみ。
それ以上かかれば、魔導協会の追及をうけることとなる。
選帝侯の誘拐を目論んだ、と露見すれば、レブロン共和国は不利な立場に置かれるだろう。
絶対に避けなければならない事態だ。
「コードネーム【イクス】はAチームを連れて、この男の追跡調査を行え。手荒な真似をしても構わない」
【イクス】と呼ばれた男が部屋の壁際から一歩進みでる。禿頭の大柄な男は、戦闘班のまとめ役である。あらゆる戦場を想定した過酷な訓練を積んだ男は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「殺してしまうかもしれませんよ、ハンドラー」
「かまわない、アルビレオとこの男との関係は報告されていなかったが、ここでプロジェクトを中止するわけにはいかない。情報を得た後は速やかに殺せ」
【イクス】は物言わずうなずくと、室内にいる8人のうちの2人───Aチームの人員を引き連れて、室を出た。
Aチームはこのようなイレギュラーに対処するための遊撃部隊の役割であり、残りの三名はBチーム、こちらは指令官の護衛を行うための防衛チームに分けられる。
ハンドラーは厳しい鷲のような目つきで、Aチームが去った後のドアを見つめた。
監視映像を思い返す。
黒髪の男は自らを協会の専属護衛官であると名乗った。その言葉が真実であるなら、この場で始末するのが最善であるが、彼らにできるだろうか。
───いや、いらぬ心配だろう。
【イクス】と彼の指揮する戦闘班は皆、戦闘のプロフェッショナルたちだ。映像で見た護衛官は武器を携行しておらず、また見た目もいかにも優男といった風情で、とても【イクス】ら戦闘のプロに敵うとは思えない。
───必ずや、彼らは障害を排除して戻ってくることだろう。
*
適当に街中を歩く。天気のいい日だ。
大通りをのんびり歩く。できるかぎり目立つように。
古い喫茶店やこぢんまりとした商店が立ち並ぶ通りは、平和そのもので、思わず笑みが浮かぶ。
先ほどの食事会を思い出す。
あの魔術師のわずかに緊張して、はにかんだ笑顔。
あんな顔を見るのは初めてだった。あいつが小洒落たレストランに入って、ケーキだの菓子の類を頼まなかったのも初めてだし、わざわざ嫌いそうなコーヒーなんかをちびちびと飲んでいたのも初めてだ。
いつもの葡萄ジュースでもメロンソーダでも、なんでもいいだろうに、初めて会う両親とやらに背伸びをして見せたかったのだろうか。
そう考えると、いじらしい気もする。
同時に胸の奥に、腹立たしい気持ちもある。
おそらく、あの魔術師の純粋さは裏切られることになるとわかっているからだ。
───まったく、あいつはなんでこうも面倒ごとばかり引きよせるのか。
ため息でもつくべき場面だが、なぜか心は浮き足立っている。
よくわからない心情だ。
アルビレオのことを少し知れたようでうれしいのだろうか?
───うれしい? 俺が?
そんな感情は今までの仕事の中で抱いたことはない。
よくわからない感情について考えながら、ふと、通りの角にある花屋の前で足を止める。
そうだ。花を買ってみるのはどうだろう。
とてもいい考えに思える。
どうせ、あいつは泣きながら帰ってくるんだし、その時、部屋に綺麗な花でもあれば、少しは気がまぎれるかもしれない。
もし、俺の予想が全部はずれて、今回のことがうまくいったとしても、その時にはお祝いとして花を送ればいいだろう。
通りにはみ出すように置かれたバケツからは様々な花が並んでいる。
赤いのからピンク、黄色、白、小さいのから大きいのまでを眺め回す。
───ええと、あいつは何の花が好きかな。
頭をひねってみたが、思い浮かばない。困った。そういえば、俺も花の名前にはくわしくはない。
ここはおすすめを聞いてみるべきだろう。
店の奥に店員の影を見つけ、声をかけようとする、その直前、通りを向こう側から歩いてきた男に背後から声をかけられる。
「声を出さずに、歩け」
くぐもった低い声だ。
背中に固い金属の感触が当たる。
横目でチラと見てみると、男の手に拳銃があるのがわかる。フードを目深にかぶった若い男だ。
今度は心の底からため息をついた。
ようやく、待ち人が来たようだ。
男の指示通り、黙って歩く。
連れて行かれたのは人通りの少ない路地裏だった。
路地の先には二人、待ち伏せしていたようで、体格のいい男たちが行手を遮るように立ちふさがる。
全員、軍人らしい体つきと動き方だ。
───これは当たりだ。
わざとらしく専属護衛官だと名乗った時には、相手の注意を引きつける狙いもあった。
さすがに今日のうちに接触されるとは思っていなかったが。
俺が考えているよりも、向こうは事を急いでいるのかもしれない。
「手を上げろ、お前は何者か答えろ、大人しく情報を吐けば命だけは」
目の前に立ちふさがった二人のうち、禿頭の方がリーダー格なのだろう、男が言い終わらないうちに、俺は行動を終えることにした。
半身振り返ると同時に背後の相手の手首を掴み、肩口に捻り上げる。虚を突かれた背後の男が遅れて発砲。銃弾は禿頭に直撃。これで一人。そのまま回転する勢いとともに腕を引っ張り、体勢を崩したところを足払いを掛けて転倒させると、フードの男の手首から銃を抜き取る。
禿頭の男が撃ち抜かれて、ようやく事態を悟ったようで、スーツのジャケットの内側から銃を抜き取ろうとしている男の眉間に向けて撃つ。
これで二人。ついでに足元に転がっているフードの男に銃口を向けて、撃った。乾いた音が三発連続で響く。
俺は大きくため息をつくと、足元にしゃがみ込んだ。
死体になったばかりの男の胸ポケットに手を伸ばし、めぼしいものはないかと中身を探る。
通信用の携帯を一台発見。
さて、ここからが一仕事だ。
*
俺は十分以内に計三台の携帯を手に入れていた。
「携帯に残ってる履歴は、と」
仲間との通信用に持っている端末だろう。
携帯を開いてぽちぽちと操作する。通信履歴やメールなど、敵の所属や所在地の情報を知るための行動だったが、すぐやめた。
よくよく考えると、仮にも軍人が携帯にあからさまな拠点の情報を残しているはずはない。時間の無駄だ。
捨てようとした矢先、携帯に着信がある。
携帯の応答ボタンを押し、耳に当てる。
「首尾はどうだ、イクス」
「……」
沈黙したまま、相手が話すのを聞く。
これは先ほどの男たちの指令官からの通信だろう。
「どうした? 護衛官から何か情報は引き出せたか?」
相手はこちらを『イクス』だと勘違いしている。
護衛官というのは俺のことで、さっきのはやはり俺を狙って現れた集団で間違いないようだ。
俺は答えた。
「首尾は上々だ。それでそっちはなんなんだ? 俺としてはことを荒立てたくはない」
「き、貴様、イクスではないなっ、くそっ」
通話相手が部下ではないことに気づいた男が吐き捨てる。
通信が途切れる。
俺は携帯を手に持って、しばらく考える。この携帯から敵の拠点を割り出せたとして、それでどうするのだろうか。こうしている今もアルビレオには危険が迫っているということだ。
結論はすぐに出た。
「いいや、直接行こう」
イクスとやらの携帯をポケットに入れると、代わりに反対のポケットから自分の携帯を取り出す。
アルビレオ特製の魔導アプリを起動し、転移魔術をクリックする。
この魔術は、デフォルトでアルビレオのいる場所に転移するようになっている。
───敵が何者かわからなくとも、常に主人のそばにいればいいだけのこと。
つくづく思うが、魔法とはとても便利なものだ。
*
「くそっ、戦闘班が全滅だと」
手に持った携帯をテーブルに叩きつける。
想定外の事態だ。通話口から聞こえたのはイクスではなく、若い男の声だった。
なぜ奴が通信に応えるのか、答えは一つ。
───イクスら戦闘班は始末されたということだ。
ハンドラーはテーブルに両肘をついて頭を抱えた。
思えば、最初から出来すぎていたのだ。
計画は順調だった。しかし、順調すぎた。
モニター越しに監視した映像からは、偽の両親との食事会はつつがなく進行しているように見えた。
アルビレオは偽の両親を信じ切っていたはずだ。
───だが、それが、演技だったとしたら?
初めから、こちらの企みを全て見抜いた上で、わざと護衛官を外させ、こちらの人員を吊り出した。全てが巧妙に仕組まれた罠だったとしたら、どうだろう。
「おのれ、謀られたか。腐っても最高位の魔導師、というわけだ」
そう考えれば、合点がいく。
そもそもこちらが掴んだ、アルビレオが両親に執着している、という情報から嘘だったのだ。
協会内部に潜んだ情報提供者と我々の存在を炙り出すための罠。
アルビレオは用意周到にこの計画に騙されたフリをしていた。
「初めからこのような計画が成功するはずなかったのだ。アルビレオ、自分を囮にわれわれを誘きよせるとは」
狂える星、という二つ名が似つかわしくないほどのキレものだ。
司令官はそう推測すると、モニター横に設置された通話装置を起動した。
ジュリーとカルロス、どちらにも聞こえるように通信チャンネルを調整し、次の指令を伝える。
「ジュリー、カルロス、Aチームがやられた。事件を隠蔽するため、即刻、その男を殺せ」
現在のジュリーとカルロスは、アルビレオと接触したレストランから移動し、市内にある住宅街の一軒家に移動している。
しばらくはそこを拠点とし、アルビレオを監禁するつもりだったが、今となっては無用の長物だ。こうなった今、せめて、事件の張本人であるアルビレオを殺害し、事件が公になる可能性を低くする。
それが今できる最善だ。
人目を避けた場所で処理できるのは、むしろ都合がいい。
司令官は続けた。
「我々、作戦本部は撤退作業に移る。そちらも命令を遂行したのち、指定の場所にて合流せよ」
ジュリーとカルロス双方から了解との返事を聞いてから、男は通話を終了した。
*
ジュリーと名乗る女は、相棒であるカルロスと目を見交わした。
彼らは一軒家のリビングにいた。
これからマクレーン家として生活するために用意した拠点だ。
アルビレオはリビングのダイニングテーブルの一席に腰かけている。
その隣にカルロス。
指令を受けた時、ジュリーはキッチンにいた。
息子のために簡単な手料理を振るまうつもりだった。だが、その必要はもうない。
ジュリーは包丁を置くと、キッチンの吊り戸棚の奥を探り、拳銃を取り出した。
リビングのテレビからは騒々しい子供向けの番組が流れている。
アルビレオが、好きだと言っていた番組だ。
ピンクや黄色の動物を模した着ぐるみたちが歌う、すっ頓狂なメロディーが室内に響いている。
ジュリーは拳銃を後ろ手に隠しつつ、口を開いた。
「計画に付き合ってるふりして、自分の犬にあたしたちを始末させるなんて、さすがね、アルビレオ。でも、家族ごっこはもうおしまい」
獲物を前にした肉食獣のように、ゆっくりとダイニングテーブルの周りを歩く。
アルビレオはテレビに向けていた目線を上げて、首をかしげた。
心底、不思議そうな顔をして、彼は言う。
「なにを言ってるの? おかあさん、さっきと雰囲気が違う」
「いいかげん白々しいんだよ、このガキが、俺たちを騙しやがって」
隣にいたカルロスが、少年の頭を掴むと力まかせにテーブルに叩きつけた。悲鳴のような声が上がる。頭を打ったショックか、それともいきなりの暴行への恐怖か、少年は目を白黒させていた。
カルロスはそのまま少年の両腕を後ろ手に拘束し、テーブルに体を押さえつける。
ジュリーはアルビレオの正面に回ると拳銃を彼の額へと向けた。
パチパチと驚いたように瞬きし、彼は銃口を見上げた。
「ええと、それは銃だよ。銃を撃ったら僕は死んじゃうんだけど、知ってるよね」
幼い口調だ。
この状態になってもいまだに演技を続けるらしい。
その態度は、こちらを舐め切っているとしか思えないが、彼らはこれから死ぬ人間に苛立ちを覚えることはなかった。
「ええ、あなたをこれで殺すの」
「ふん、せいせいするぜ、このイカれ魔導師が」
少年は黙っている。
その姿を降伏と受け取ったジュリーは得意げに話しはじめた。
「あたしたちには計画があった。あんたのいかれた妄想に付き合って、偽の家族を演じ続ける。それで、優位に立てるはずだった」
「偽の家族? 何を言ってるの? だって、お父さんとお母さんは僕を探していたって」
「いいかげん、その演技は飽きたわ、これで終わりよ、アルビレオ」
冷酷にジュリーが引き金に指をかける。
*
ぼくは銃口を見上げていた。おかあさんがぼくに銃を向けている。
どうしてこうなったんだったっけ。
今日はとてもいい一日だった。おとうさんとおかあさんがこれから一緒に暮らそうって言ってくれたから、あたらしいおうちはここだよって、それで…。
よくわからない。おとうさんもおこっているみたい。ぼくの肩をつかんでテーブルに押しつけている。
───ぼくをちゃんと殺せるように?
おかあさんが引き金を引く、ゆっくり、その動きはスローモーションみたいにゆっくりに見えた。
*
冷酷に、ジュリーは引き金を引く。
立て続けに三発の銃声がリビングに響く。
しかし、その銃弾はどこにも到達することはなかった。
アルビレオとジュリーの間、ダイニングテーブルを挟んだ距離に、まるで分厚い板でもあるかのように、銃弾は空中で停止し、床に落ちる。
「ふふっ、ふふふ」
アルビレオが笑っていた。嘲笑うような声に、ジュリーの背筋に寒気が走る。
さらにアルビレオに向けて発砲。結果は先ほどと同じ。
尋常ならざる力によって空間が歪められている。
「無詠唱魔術…!」
アルビレオが魔術を発動させていた。
彼の周囲に不可視の防壁のごとく張り巡らされた『それ』が、弾丸が彼の脳髄に到達するのを妨げたのだ。
ジュリーは今、目の前で起きたことを、数拍、遅れて理解する。
通常の魔導士は呪文と詠唱によって魔術を制御する。
詠唱は魔力の制御に不可欠な要素で、詠唱が複雑になればなるほど、魔術の威力は増すという。
高位の魔導士であればこれらは不要だ。
詠唱を介さずに魔術を行使することができると、聞いたことはあった。
だが、実際にそれを行使する術者を見たのは初めてだ。
───これが最高位の魔導士か。
彼女はカルロスに目配せをする。カルロスからも驚愕が伝わる。テーブルに組み敷いていた少年は、自分たちの理解を超える化け物なのだと、今の一瞬で二人は理解した。
すぐに殺すべきだ。
カルロスが少年の首を折ろうと、身を乗り出す。
その動きが止まった。
玄関からリビングへと続くドアが静かに開かれたのを視界の端にとらえたからだ。
外部からの侵入者。二人が警戒する。
足音もなく現れたのは、黒髪の男、レイヴンである。
*
ボタンを押すと空間が歪む音とともに、一瞬でどこかの家の室内に転移していた。便利な魔術だが、転移する場所がどこかは事前にわからないところが難点だ。こういったところは改良した方がいいだろう。
さて、アルビレオはどこだ。
考える暇もなく銃声が響く。
俺はそちらへ足をむける。
すりガラスの嵌め込まれた扉に手をかける。
ドアを開ける。
室内に一歩足を踏み入れると、敵は二人、男女の二人組で、テーブルにアルビレオが突っ伏しているという謎の状況だったが、俺は胸を撫で下ろした。
何があったかわからないが、生きている。
状況を確認。
先に制圧すべきは銃を持っている方だ。
女の方に足をむける。
銃を引く判断が遅い。
銃口をこちらに向け直す前に、すでに到達している。
銃を取り上げ、手に持って、撃つ。肩口に着弾した女が床に倒れる。
アルビレオの体を押さえていた男も、こちらの状況を見てとると、俺に向かってくる。殴りかかる拳を避けて、力一杯、殴り返す。
人間はもろい。
簡単に骨の砕ける音がして、男は吹き飛んでいった。
勢いよくテレビボードに倒れこみ、テレビの画面が床に落ちて割れた。
リビングはメチャクチャだ。
まだ意識のある女が、傷を押さえながら仲間の方へ這いずっていくのを後目に、俺はテーブルの上に突っ伏しているアルビレオに声をかけた。
「遅れた、無事か」
「くくっ」
「どうした? なにがおもしろいんだ?」
「あははは」
アルビレオが肩を震わせて笑っている。
俺は心配になった。
どこか酷い怪我でもしているのか。
「なあ、大丈夫か? どっか怪我でもしたのか? ちょっと見せてみろ」
アルビレオに近よって、手を伸ばす。
心配する俺を見向きもせず、アルビレオはむくりと体を起こした。
そして、こう言った。
「【闇よ】」
一言で総毛立つ。
凄まじい魔力量が言葉にのせて放たれる。
「【無窮の宙より生まれし混沌、無慈悲なる空白よ】」
アルビレオの詠唱だ。
彼の一言ごとに魔力の圧が上がる。
その声は重く、暗い。
「【今、汝に還らん、果てなき闇の腕こそ我らが故郷であるがゆえに】」
莫大な魔力の奔流がビリビリと大気をふるわせる。
俺にも仕事柄、通常の魔術の知識がある。
アルビレオは普段、魔術の行使にまったく詠唱を必要としない。
そんな超級の魔術師が、これほどの長い詠唱に頼るということは、それだけ強力な魔術が来るということだ。
しかも、なんか聞いたことのない詠唱だった。
一般的な魔術の知識はある方だが、全く聞きおぼえのない呪文というのは何が起こるかわからないので危険なものだ。
アルビレオの眼前に魔力が収斂し、空中に一つの球が生まれる。
それは空間に突如として現れた黒点のようなものだった。
それは異常なものだ。
なんというか、光がそこに吸い込まれているかのように見える。
それほどの強力な力を帯びている。
詠唱は続く。
「【汝、生あるもののことごとくを塵芥へと還すべし】」
「待て……なんかやばい魔術はやめろ」
アルビレオの肩に手をおいて制止してみるが、やつの魔術は完成した。
「【無限闇獄、開門】」
アルビレオの指が球を弾く。
俺はそれが向かう先に視線をやる。
球体は壁際に逃げようとしていた二人の男女めがけて飛んでいく。彼らの肌に触れたとたん球体は強い輝きを放つと、膨れ上がる。
ビー玉くらいのサイズだったのが、突如として成人男性くらいのサイズに膨張すると、二人を頭から飲み込んでしまった。
中に入ってしまった人間はどうなったのだろう。
こちらには声ひとつ聞こえてこない。
漆黒の球に飲み込まれた二人の姿も、こちら側からはまったく視認できない。
現実感のない光景だ。
「あはは」
アルビレオが明るく笑う。
「今のは、なにをしたんだ?」
一体、なにが起こったのか。
さっぱりわからないので、聞いてみる。
「あはははは」
答えはない。
やつはケラケラおもしろそうに笑っている。
楽しそうにしているなら、まあ、いっか。
そう思った矢先、俺は異変に気づいた。
「おい、なんかこれ、吸い込んでないか?」
テーブルに置いてあった皿や、キッチンの包丁、家の中の家具という家具が球体の表面に向かって引き寄せられていく。
すさまじい引力だ。しかも、サイズが少しずつ大きくなっているようで、家の壁をバキバキという音を立てて破壊し始めている。
背後の窓枠が剥がれ、球に向かって飛んでくるのを、俺は力場の魔術を使って弾く。
───まるで嵐のようだ。
うっかりしているとこちらまで飲み込まれそうだ。
アルビレオの肩をしっかり椅子に押し付けて、固定しながら俺は叫ぶ。
「これ、なんかやばい魔術だろ。ちょっと待て、家ごと破壊するきか?」
「ははははは」
ケラケラ笑っている。笑っている場合ではない。
球の中心に向かって発生する風圧は、そろそろ命の危険を感じられそうなほどだ。
待てよ、命といえば……。
俺は先ほどの詠唱を思い返した。
詠唱の内容には行使する魔術がどんな効果を持つかがふくまれる。
先ほど、アルビレオは、生あるもののことごとく、と言っていたのではなかったか?
生あるもの、というのがどれくらいの範囲を表すかはわからないが、この破壊は広範囲に及ぶ可能性がある。
───はたして、家一軒ですむだろうか。
そうこう考えているうちに、球の威力に負けて床板が剥がれていく。
バキバキと建材が音を立てる。破壊が足元まで迫る。
やばいぞ、このまま足元まで破壊されたら……。
このまま踏みとどまれないかもしれない。
「アルビレオ、悪い!」
体を二つ折りにして笑い転げているアルビレオの肩をつかみ、左手をあげる。
首筋に向かって手刀を振り下ろす。
アルビレオの体から力が抜ける。意識が途切れる。
同時に漆黒球が消滅し、嵐もぷつりとやんだ。
球があった場所からは木材やコンクリートの破片がなだれ落ちる。
───吸い込んだ時と逆だ。
術者が途中で意識を失ったことで、魔術の効力が完成しなかった、ということだ。
土石流のごとく吐き出されたいろんなものの山の中には人間二人も入っていた。
俺が見たところによると、命に別状はなさそうだ。
椅子からふらりと倒れそうになるアルビレオの腹に腕を回しささえると、思わず口から大きなため息がもれた。
上からパラパラと降ってくる建材の破片を力場の魔術で反発させながら、上空を見上げる。
二階部分ごと屋根が半壊して、青い空が見える。
まるで巨大な台風が巻き起こったかのように、一軒家の半分が消滅していた。
「これどうしたらいいんだろうな」
意識のないアルビレオを抱き上げる。
半分なくなった窓から外をのぞくと、騒ぎを聞きつけた周辺住人たちが駆けつけてきている。
「とりあえず、帰るか」
俺は人が集まってきた方向から逃げるように、その場を去ることにした。
元・玄関があった場所の瓦礫を踏みながら、歩き出す。
ようやくこれで一仕事終わったってところだな。
*
ローレル国際空港の待合ロビー。
行き交う旅客で混雑する待合席に、厳しい顔つきのスーツの男が座っている。
ローレル特殊情報部隊を率いる司令塔である。
魔導士アルビレオの誘拐───プロジェクト『カッコウ』に参加したメンバーは、皆、あらかじめ決められた逃走ルートを使い、レブラン市街を退避した。
ハンドラーも護衛のBチームを率い、一時国外へと退避する。
万が一にも、今回の魔導士誘拐未遂事件にローレル共和国が関与しているという疑念を残さないための安全策だ。
飛行機の確認のために電光掲示板に目をやるハンドラーの前に、1人の男が現れた。
「いやぁ、混みますね。国際線は。隣、いいですか?」
白い麻のスーツに白の中折れ帽をかぶった男。
中年の頃合いで、人の良さそうな顔にまる眼鏡をかけている。
見た目に奇異な点は一つもない。これといった特徴のない顔立ち。
ごく普通の平凡な男。
───普通の旅行客のようだ。
彼は視線で、隣に座るようにうながした。
「すみませんね。こちらもバタバタで。こういう仕事をしていると、急な移動が多くなってしまって、ねえ、そう思いませんか、ジョーンズさん」
男の言葉に、ぎくりとした。
ジョーンズとは自分の本名だ。
隣に座る男に警戒した視線を向ける。
「ええ、貴殿には、少々お聞きしたい話がありましてね。あ、申し遅れました、私、西央魔導協会の司教、オータと申します」
男が何気なく言う。
司令塔───ジョーンズは耳を疑った。
この男が、西央魔導協会の司教だというのか。
「それで、お聞きしたい話というのは、うちの選帝侯の1人、アルビレオのことなんですがね、この件に関係したみなさんから、聴取をとり行わせていただきたい、と、まあ、そういうことですね。あっ、それでですね、ジョーンズさん以外の方達は、すでにこちらで拘束させてもらっています」
「なんだとっ、貴様」
オータと名乗る男の発言は信じがたい。
そこでジョーンズは気づいた。護衛であるBチームのメンバーからの連絡が途絶えている。
ジョーンズが携帯を取り出そうとする、その時、若い女の声がした。
「はーい、リーリアちゃんです! オータさん、全メンバーの無力化、成功しました!」
長い金髪をツインテールに結んだ、17歳くらいの美少女が、軽やかにオータの背後に回り込む。彼女の身に纏う純白の軍服は魔導教皇に仕える聖騎士団のものだ。
オータが少女に言う。
「リーリア、なぜあなたが1人で帰ってくるんですか」
少女───リーリアが悪びれずに微笑む。
「あたし、男子トイレにはさすがに入れないんで、全部、レグルスくんに任せてきちゃいました! ああ、ほら、レグルスくんからの連絡がきましたよ」
彼女は携帯を取り出すと映像通話画面をオータではなく、ジョーンズの方へと向けた。
液晶を見る。
そこには、空港のトイレの床に、三人の男が血まみれで倒れていた。
Bチームの面々である。
最後にこの動画の撮影者が自らを映し出す。
リーリアと同じ純白の軍服を着た、謹厳な顔つきの青年だ。
金色の髪を短く刈り揃えた、獅子のごとき青年。
「レグルスくんが、全員やっつけてくれちゃったみたいです!」
快活に少女が説明する。
オータがたしなめるように言う。
「騒ぎを大きくしないように、と言っておいたはずですがね、まあいいでしょう」
中折れ帽のつばを触って、軽く整えると、オータは言った。
「では、現在の状況が理解できたところで、ご足労願いましょうか、ジョーンズさん。我々としては、抵抗していただいても構いませんが、ご協力いただけると幸いです」
その言葉は最後通牒だ。
リーリアが鋭い眼光を向ける。
西央魔導協会の使者たちは、ジョーンズが逃亡することを許さないだろう。
───負けたのだ。
西央魔導教国に、ひいては、魔導士アルビレオに。
司令塔はぐったりと項垂れ、任務の失敗を悟った。
*
「ええ、そんなことあったの?」
廃棄都市に帰ったアルビレオが言い放った言葉だ。
リビングのテーブルの前で、チョコレートケーキを頬張っている。
「覚えてないのか?」
俺は聞いた。
アルビレオは考えるような仕草をした。その間、二秒ほど。それから首を振る。
「ぜんぜん」
心底、不思議そうな顔をしている。
アルビレオは目覚めると、今日の記憶をすっかり忘れていた。
手紙のことも、両親(仮)のことも、まるで覚えていない。
説明しても、ピンとこないようで、首をかしげている。
驚いたが、覚えていないのなら、それはそれでいいことだ、と俺は思った。
なんというか、今日の出来事は、記憶に留めておかないほうがいい気がする。
「まあ、良かったよ、無事で」
湯呑みを持ち上げ、自分で淹れたお茶を啜る。
テレビでは、レヴラン市内で起きた地方ニュースが取り上げられていた。あの事件の原因は捜査中だが、なんらかの事故と見られている、という内容をニュースキャスターが話している。
家屋から救出された男女二名は、病院で治療中だという。
これはとてもいい話だ。
アルビレオが自分の手を汚さずにすんだ。
お茶の味が疲れた体に染み渡る。
湯呑みをおいて、チョコケーキを突いているアルビレオの顔を見る。
「ところで、あの魔術ってなんだったんだ? 【無限闇獄、開門】ってやつ」
何気なく聞いてみると、アルビレオが、盛大に嫌そうな顔をした。
「あれ、使ったやつがいるの? うげっ、趣味わるーい」
「どういう魔術なんだ」
「だって、あれは、大量破壊魔術だよ。軍隊とかが使うやつで被害が甚大だから、国際条約で禁止されてる」
すごい話が飛び出てきた。
「具体的に、どんな効果があるんだ」
「うーん、あれは闇属性の詠唱魔術でね、簡単にいうとブラックホールみたいなものだよ、原理は違うけど。宇宙の始まりにあった原初の闇を召喚して、それに近い事象を再現したもの、なんだけど、端的にいうと、中に入れたものを、原初の闇の状態まで戻す術だ。戻す? ちょっと違うな、還元する。全てが始まりに戻る。素粒子レベルで分解されて、何もかもなくなっちゃうし、制御が難しいんだ。いわば、星の終わりを再現するようなものだから、一歩間違えると自軍も壊滅するし、禁止になっちゃった」
「なあ、たとえばだが中に入った人間って、どうなるんだ?」
「僕らの体の構成要素を科学的に分析すると、どこにでもある物質だっていうでしょ? だから、その状態まで、バラバラになる」
「……もしも、それ、自分で使うなら、どうする?」
「あんな自滅技を? うーん、でも、そうだな、小さなサイズから始めるかな。うんと圧縮して、目的のものを飲みこませたら、門を閉じるかな。あー、でも、本当になにもかも壊したくなったら、門を閉じるのはやめちゃうかもね、それで、宇宙の終わりをずっと眺めとく」
「なにもかも壊したくなった時って、あるのか?」
訊ねる。
「ないよ、ぜんぜん。あるわけないじゃん」
その答えに、俺は胸を撫で下ろす。
アルビレオはあの時、なにもかもを壊したくなったということだろう。
そして、今はそのことを忘れている。
「それは良かった。そんな気持ちにはならないのが一番だが、もし、そんな気持ちになる時があったら」
あの偽の両親を思い出す。
今日のところは、アルビレオに手を汚させずにすんで良かった。
だが、危ないところでもあった。
ブラックホールが発生したのはアルビレオの魔術のせいだが、一歩間違えると、彼を失う可能性も十分にあったということだ。
今度からはもう少し、気を引き締めてことにあたるべきだ。
「あったら?」
「俺がやってやる。全部な」
「……やってやるって何を?」
アルビレオが再度、聞いてくる。
それには答えずに、俺は黙ってお茶を啜った。




