第5話 血煙温泉、戦闘旅情
東魔国王家直属ギルド【魔獣の巣】。
アスラ王家開祖によって組織され、現在に至るまで東魔国の歴史の裏側にその名を踊らせるギルドには、常に十人の強大な高位魔族が在籍している。
戦争管理官。
彼らは戦争という一点において、軍隊や警察といった、国内のあらゆる組織の指揮系統に優越する。
───その目的は、戦争を管理すること。
任務の内容は多岐にわたる。戦争だけでなく、暗殺や弾圧といった表向きの軍隊とは異なる仕事まで請け負う。
早い話が、戦争屋集団だ。
ギルドの拠点は一定ではないが、現在は、東魔国首都郊外の森林地帯に存在する古い教会である。
あたりを鬱蒼とした森に囲まれた建物はかつては荘厳だったのだろう。今では、見る影もなく朽ち果てた廃墟同然の建物だ。
その広く閑散とした聖堂の中に、二人の人物がいた。
ひとりは長身の女性。もう一人は影のような壮年の男。
女のほうは着古した灰色の軍用コートを身に纏っており、男のほうは聖職者めいた影のような長衣を着ている。
戦争管理官クオンと、その上役である教父レッドチャーチである。
クオンは、秀麗な顔を伏せ、ただ沈黙している。
この場において、彼女が上役より先に口を開くということはない。
教父が言った。
「お前に新たな任務を与える」
クオンが少しばかり顔をあげる。
彼女の闇色の瞳にかすかな疑念が浮かぶ。
「レイヴン、かつての同胞である【屍肉喰い】を始末せよ。それがお前の任務だ」
疑念が驚愕へと変わる。
「お待ちください、教父! レイヴンは、死んだ、と訊いておりましたが」
「お前の言うとおり、長らく、行方不明ということであったな。その行方が見つかったのだ。東魔中央魔導院の呪師の報告によると、やつは生きている」
「生きている、……先輩が」
「そうだ。理由はどうあれ、ギルドからの離反を許すわけにはいかぬ。クオン、お前は急ぎ、緋州を発ち、レイヴンを……討伐せよ」
「……しかし……」
クオンが言い淀む。
「なんだ、不服か?」
教父が得体の知れない鋭い眼光を向ける。
女はさっと頭を下げる。
「いいえ、レイヴンの討伐、承りました」
「敵の居所は、お前に随行させる偵察班が知っている。詳細な情報はやつらから訊け」
それで用は終わりらしい。
教父はクオンを後に残し、足音もなく歩くと、教会を出て行った。
がらんとした聖堂に一人。
クオンは上体を起こした。
今、伝えられた任務について思いを馳せる。
頭にあるのは疑念と驚愕……そして失望。
レイヴンが生きている。そして、彼の討伐を命じられるということは、レイヴンはギルドを裏切った、ということだ。
それは容易に信じられない事実だ。
無論、戦乱に巻きこまれ死んだ、とも信じてはいなかったが……。
「私に、先輩……いや、レイヴンを殺せるのでしょうか」
軽く瞳を閉じる。そうすると、在りし日のレイヴンの姿が思い起こされる。
使命遂行がギルドに所属する者の最優先事項だとするなら、レイヴンは誰よりも使命に忠実だった。
───誰よりも冷徹で、強く、そして正しかった。
あの男の背中に、この国を守るという揺るぎない信念を見たのだ。
それが間違っていたとは思わないが……。
「この目で、見定める」
それしかないだろう。
クオンはつぶやき、拳を固く握りしめる。
*
レイヴンと名乗る男は目を細めて、上機嫌そうにしている。
場所は湯煙のあがる温泉。
「あのさ! 本当に! これで合ってるの?」
僕は湯煙の向こう側、先程からのんきに湯につかっているドラゴンに向かって聞いた。
温泉の湯に肩まで浸かっているので、否応なく体温は上昇する。
温泉というのは、裸になって、みんなで湯に浸かるというのがマナーらしく、信じられないような風習だ。体温の上昇による血流の改善、大量のお湯による水圧で筋肉はほぐれ、精神的に安定させる効能もあるという。
このドラゴンに聞いたところ、そうらしいのだが、生憎僕はあまり東魔国の文化にくわしくない。
体を洗い、肩まで湯に浸かり、そこから後はリラックスすればいい、とはいうものの慣れないせいで少しばかり落ち着かない。
お湯自体が熱いのも、気持ちがいいというよりはわずらわしさを感じる。
僕は温泉には興味はない。だが、レイヴンに強く誘われたのだった。
温泉に来て入らないのも不自然だろう、そう考えてうなずいたものの、はっきりいって後悔してきている。
「合ってる、合ってる。こういうのは、なにごとも経験だ、アルビレオ」
調子の良い答えが返ってくる。適当すぎる返答だ。
ドラゴンは鼻歌でも歌いだしそうなほど機嫌がいい。
「知らなかったよ、君がそんなに温泉が好きだとは」
いやみっぽく言ってやる。
「東魔国の魔族で温泉が嫌いなやつは、そんなにはいない。それに、こうやって、のんびり湯に浸かるってことも、今まであまりなかったからなぁ」
湯煙の向こうに視線をやると、腕組みした大男が感慨深げにつぶやいている。東魔国の魔族事情にはくわしくないが、レイヴンがこの調子ではどこまで信用できたものかわからない。
「東魔国の魔物は温泉好きなんじゃないのか? もっと、しょっちゅう来てるものかと思ったけど」
「いや、こういった場所には来たことはほとんどないな。まとまった休暇が取れれば別だが……、そんな暇はなかったような」
よく考えてみると、僕はレイヴンの過去のことはよく知らないのだった。
東魔国で調べることができたのは、王宮のデータベースに保管されていた表の肩書きくらいで、この男のことはほとんど知らないも同然だ。
まあ、そんなことにはたいして興味はないので、知らなくても問題はない。
どうせろくでもない過去に決まっている。
「それじゃ、君自身は温泉にあまり来たことがないんだな。それなのに、温泉が好きっておかしくないか?」
話の揚げ足を取るつもりで聞いてやる。
「そうか? だが、東魔国で観光といえば、やっぱり温泉だ。古くから伝わる名所もいくつもあるし、メジャーな観光地のひとつだ」
「ふむ。休暇と温泉はベタな選択肢ってことか」
「そういうことだ。だから、いきなりお前が休暇をくれる、なんておどろいたぞ」
僕たちはクレイワーズ雪渓にある温泉宿を訪れていた。
レイヴンの言うとおり、休暇だ。
この男を雇用してから、三ヶ月ほどが経つ。
その間、このドラゴンは僕の用事があるときは問答無用で付き合わせている。それ以外の時に、こいつが何をしているかは知らないが、心の優しい雇用主の僕としては、休暇をとらせてやろうと思ったのだ。
───もちろん目的は別にある。
僕はそっとレイヴンを横目で見やる。
黒髪の鍛えた体の青年は、飄々としていて、なかなか真意のつかめないところがあるのだが、今回ばかりは素直に温泉を楽しんでいるらしい。
露天の夜空を見上げて、
「やっぱり温泉は最高だ。極楽だな」
などとのんきにつぶやいている。
どうやら、今回の旅の目的に、とくに気づいてはいないようだ。
少しばかりのんきすぎる気もしたが、まあいいだろう。
今回の僕の目的について、とやかく言われるほうが迷惑だし、聞き分けがいいに越したことはない。
それより、レイヴンが言ったからではないが、せっかくなので温泉とやらを楽しんだほうがいいだろう。
レイヴンがするように夜空を見上げてみる。
遠くの星々がくるりと頭上でひとまわりしたきがした。
「はじめての温泉はどうだ? なかなかいいものだろ」
遠くのほうでレイヴンの声が聞こえる。
「ううん、どうだろう……そろそろ、ちょっとあつい……」
「あっ、すまなかった。慣れていないんだったな」
頬のあたりも暑いし、額から汗が落ちていく。
湯に浸かりすぎたらしい。
はやく湯船から出なければ、と体を起こそうとするが風呂の縁を掴んだ手が滑る。
体勢を崩しそうになるところを、さっと横合いから伸びてきた手がつかまえた。
いつのまにかレイヴンが近よってきていたようで、僕はこいつの手を借りてなんとか浴槽から出た。ほんとうに異文化体験は最悪だ。はやく冷たいものが欲しいし、どこか静かなところで休みたい。
*
そういうわけで、僕たちはクレイワーズ雪渓にある温泉旅館・ホテルくれないを訪れていた。
東魔国と神聖帝国領の間に位置するこの温泉宿は古くから両国を行き来する旅人たちが逗留することで有名だ。このホテルくれないも、両国の名のある文化人が幾人も逗留し、ここ数世紀の名宿として名高い。泉質は、雪渓を形作るレイガム山脈の地下から湧き出る高濃度なミネラルを含んでおり、療養のためここを訪れる者も多くいる。
それも、ここ十数年でめっきり寂れた様子になってしまった。
東魔国と神聖帝国との関係悪化。
一方的な東魔国側からの戦線布告により、緊張状態が続くからだ。
長く続く戦争によって、すっかりしなびてしまった様子の温泉宿だが、それでも営業はほそぼそと続いていた。
宿の一室は、丁寧に手入れが行き届き、清潔で、かつての趣を残していた。現代風の改築を経て旅館の内装はモダンライクだ。大きめのベッドが二つ。その脇にあるフロアランプを点けると、オレンジ色の明かりが室内を照らす。
僕はというと、最悪の気分だった。
なぜかというと、慣れない温泉のせいで、体温が急激に上昇し、簡単にいうと湯に当たってしまった。
窓際にあるソファに座って、しばらく休憩をとっているところで、レイヴンが言った。
「それで、今回は本当にただの休暇なのか?」
僕は内心ぎくりとした。
脳天気に見せかけて気づいていたらしい、なかなか目敏いやつだ。
少々考えてから、答える。
「そうだよ」
本当の目的について、言ってもよかった。だが、僕はあえて、言わないことにした。本当のことを言う必要がなかったからだ。
休暇はたんなる方便だ。
この場所にレイヴンを連れてきたことは、僕にとっては保険のひとつ。
なにごともなければ、レイヴンの力を必要とすることはないし、それどころか、ここで情報を共有しておくことには意味がない。かえって邪魔になる可能性もある。
そう考えるのは、レイヴンがどんな男なのか、いまだに僕にはよくわからないからだ。
たとえば、冷血漢なのか、正義漢なのか。
法をものともしない悪漢なのか、秩序を守る規律正しい人間なのか。
それがわからない以上、情報をすべて明かすことは危険だ。
大体、初対面で僕を八つ裂きにしてきた人間ということしかわかっていないのだから、慎重に事を進めるのは当然だ。
男がかすかに身動ぎする。
こちらを怪しんでいる気配が肌ごしに伝わる。
「あまりこういった保養地が好きなようには思えないけどな」
探るような言葉に、あえてそっ気なく答える。
「言ったろ、休暇だって。君は、余計なことは考えなくていいんだ」
「どうやら、俺は信頼されてないらしい」
「信頼ってなんだ? というか、初対面で君は僕を八つ裂きにしたんだぞ」
「昔のことだ」
涼しげに答える。
こういうところが信頼できないのだ。
レイヴンが言う。
「雇用されている身としては、雇用主の身に関することは十分に知っておきたい」
「君に僕が何をするか、いちいち伝えろって? 嫌だね。僕はしたいようにする」
少しばかり視線の圧が険しくなった。
そんな気がした。
「何かあってからでは遅い。できれば事前に情報はすべて知らせてほしい」
「君に与える情報は僕が決める。それに、僕は君がいなくても、全然、問題ないね!」
しばらく、考えるような間があった。
「それは困ったな、俺はお前のいるとこなら、どこにでもついていきたいくらいだが」
「ついてこられちゃ困る」
「困ることでもしてるのか?」
なんとなく気圧されて、僕はうなずく。
「ま、まあね」
レイヴンはそれ以上の追求をしなかった。
「まぁ、今はそれでいいさ」
レイヴンが、背を寝台のヘッドボードに預ける。
圧が少し和らいだようで、僕はほっとした。
今のは、まったく意味のわからないやりとりだった。
一体、今の会話のどこに妥協点があったのか。
釈然としない。僕はぐるぐると先程の会話を反芻した。それだから、レイヴンが寝台から立ち上がって、こちらに近づいてくるのに気づかなかった。
「それより具合はどうだ?」
「え……? ああ、絶好調だよ。もう大丈夫」
空返事を返す。
「そうか、それなら、食事をとるのはどうだろう?」
己の思考に集中していたせいで、反応が遅れる。
気がつくと、レイヴンの腕がするりと伸びてきて、僕の体を抱え上げていた。
「わっ、なっ…なにをするっ!」
「アルビレオ、ここはなかなかいいところだ。食事もきっとおいしいぞ」
僕の体を肩にかつぐようにして、レイヴンはドアへ向かう。
「知らないよ! 一人で食べたらいいだろ」
「そうはいかない。食とは健康の基本だ。そっちの不健康な食生活については極力、干渉しないようにしてきたが、仲も深まったことだし、いいかげん我慢の限界だ」
ほかにも栄養バランスが、とか三食規則正しくとることで、とかレイヴンが健康に関する基本的な知識を語っているが、僕が気に留めたのは別のところだ。
「ちょっと待て、仲も深まったって、なにがなんでそうなったんだ」
「一緒に温泉にはいったからな。東魔国では裸の付き合いは暗に……仲間内での結束の強さを確かめるといった意味合いもある」
おそろしい異文化交流だ。そんな常識はしらない。僕は頭が痛くなるのを感じた。
もちろんこの男と仲が深まったりなど、そんな事実はない。
「レイヴン、はなせ。はなさないと」
「どうする?」
僕はちょっと考えた。この男を、魔術で転移させていいかどうかだ。
魔術による空間の移動には、リスクがある。たとえば、座標の問題。正確な座標を知らなくては、出現先によっては対象者の怪我の怖れがあり、転移魔術の乱用は控えるべきだ。
答えはすぐに出る。
───まあ、いいか。こいつなら怪我はしないだろうし。
レイヴンがドアのノブに手を回す。
その前に、魔導術式を起動させる。このホテルの構造は把握している。転移すべき座標の設定は簡単でいいだろう。とりあえず一階のエントランスロビー前に設定する。
詠唱は省略。
対象者との距離もないため微細な調整はする必要はない。
よって、数瞬にして魔術は完成する。
「こうするんだよ」
僕は、レイヴンの背を叩くように押した。
転移魔術は、有限と無限をつなぐ魔術で、僕はこの感覚が好きだ。
一瞬ののちに、レイヴンは無の世界に送られ、時間の経過を省略して、一階のエントランスロビーに出現しているはずだ。
レイヴンが消失する。僕は、当然の理だが、床にむかって落っこちた。落ちることはわかっていたから、何とか着地はできたが、勢いよく尻もちをつく。
まったくあのドラゴンのせいでとんだ迷惑だ。
起きあがって、部屋を見渡す。
一人になった室内には静寂が満ちている。
僕はため息をついた。これでようやく落ち着けそうだ。
*
一瞬ののちに、レイヴンはエントランスロビーにいた。
転移魔術だ。アルビレオの得手とする魔術。
出現した場所はロビーの床から二メートルほどはなれた空中。
レイヴンは軽い身のこなしで着地する。
同時に嘆息した。
魔術に関する知識は少ないが、この類の転移魔術を使用する際には、通常ならば東魔国の中央魔導院の呪師たちが四人単位の集団を組んで行うものだ。
何度か、古巣の任務で必要になった際、彼らの助力を得ることがあった。
そのときに聞きかじった知識だが、なにやら座標やあるはずの距離をゼロにするという偽装誤認とやらの設定のため、高難度な離れ業と聞く。
───極光位の魔術師ともなればこの程度のことはたやすいものなのだろうか?
よくはわからないが、とりあえず自分の雇用主はすごいのだろう、と納得して、辺りを見回す。
エントランスを少し行った先、レストランのドアに視線をとめる。
開店時間であるため、開かれたドアの前には簡単なメニュー表が並ぶ。
レイヴンはそちらに向かった。
メニューを確認する。
東魔風の食事が中心だが、西央風の食事もいくつかあるようだ。
甘味があるかどうかはわからないが、期待が持てる。
アルビレオから追い出された直後である。すぐに部屋に戻ったところで、また追い返されるにきまっている。
ここは大人しく、とりあえずは食事をとることにしたほうがよさそうだ。
レイヴンはレストランのドアを開けた。
*
一人になった部屋で、ゆっくりと休みたいが、生憎そうもいっていられない事情がある。
レイヴンの居ない間に事を進めなくてはならない。
だから、時間に余裕はあまりないのだが、なぜか僕は今いらいらしている。
問題はあの男だ。
最近、雇ったばかりのあのドラゴンは、はっきりいって正体不明だ。経歴や出自も謎に包まれている上、知っているのは限られた情報だけだ。
それでも良いと思ったのは、ドラゴンという存在がほしかったからで、特に気にしなかったのは自分だ。こうなった今となっては、軽率にすぎた、というしかない。
おかげでひそひそとあの男に隠れて行動するハメになった。
───今度から、よく知らないドラゴンを雇用するのはやめよう。
僕は少しだけ反省した。
まあ、あのドラゴンが何を考えていようと、まったく問題はない。
魔導演算端末WANDを開いた。
レイヴンがいない間に、しなくてはならないことがある。
魔力探知プログラム『鼠』を起動。
蟲でもよかったが、蟲は広範囲の情報を収集する装置だ。
鼠はそれよりも指向性のある情報を探知する。
魔力反応光である青色の燐光を帯びた鼠。くわしく言うと、鼠の形をした魔導術式で形作られた遠隔走査型のデバイスである。
僕は、15匹ほどの鼠たちを解き放つ。
目指すは地下だ。
【それ】がどこにあるかは、いまだ判然としないが、必ず見つけ出すだろう。
*
ホテルのレストランの客の入りはまあまあだった。
混んでいるわけではないが、閑散としているわけでもない。
ウェイトレスの案内にしたがって、入り口から右のブースの奥まった席を選び、座る。
手渡されたメニュー表を見ると、東魔国らしい和食中心のメニューが多く、洋食のメニューもいくつかあり、ケーキやアイスといった甘味もそろっている。
チーズケーキやチョコレートケーキといったデザート類が並ぶページで指を止める。
後で、テイクアウトできないか、聞いてみよう。
そんなことを考えつつ、ページをめくる。
アルビレオはあの調子では、レストランに足を運びはしないだろうし、かといって何も食べないでいると体に影響が出るだろう。
本当のところは、菓子の類ではなくちゃんとした食事をとってほしいのだが、慣れない旅先でのことだ。普段の偏りきった食生活をかんがみると、無理強いはしたくない。
そんなことを考えている自分に気付き、ふと苦笑した。
温泉に浸かったり、食事のことについて頭を悩ませたり。
どうやら、自分は相当に浮かれているらしい。
普段ならアルビレオの食事については口をはさむことはしなかったが、温泉という開放感がそうさせるのだろうか。
そのせいでアルビレオを怒らせてしまった。
昔はもっと無味乾燥としていた。
考えるべきことは限られていた。
ただ単純に、戦場において、敵の死のみ。
あのころに比べると、アルビレオと共にいる時間は新鮮だ。
色鮮やかで、安らぎに満ちている。
だからといって、無自覚に気が緩んでいるのは考えものだ。
もっと気を引き締めなくては。
そう決意すると同時に、テーブルに近づく人影に気付く。
顔をあげる。身の丈は190センチほど、大柄な男で肌の色は東魔系、服はレストランに相応しくない毛皮付きのコートに、褪せた緋色の軍服めいた上下。
顔つきは柔和だが、彼の物腰は戦闘を生業にしているもののそれだ。
「少しばかり、時間をいただけるかな?」
「シェフは呼んでないんだがな」
というか、まだ注文をしてもいない。
大柄な男は自分をマガタと名乗り、勝手にテーブルの向かいの席に座った。
「私の顔に見覚えは?」
「……ない。これでいいか? まだ食事もしてないんだ」
「お前が喰らうのは屍肉だろう、戦争管理官」
「殺していいか? 屑野郎」
刹那、マガタの体から尋常ではない怒気が噴出する。
「お前は自分の立場をわかっていないようだ」
男の額、髪の生え際から黒々としたツノが生えるあたりに、怒気による青筋がブチブチと浮かび上がる。鬼人種族。マガタという名前。
その二つを見てもなお、実の所レイヴンにはこの男が何者か、思い出せなかった。
知らない鬼人だ。
何にせよ、戦争管理官という役職を知っているということは、おそらくこの男は東魔国の敵対者ということで、東魔国に敵対するということは八割方、テロリストである。
戦争管理官の主な任務は、東魔国の領土拡大と反乱鎮圧。どちらであっても、そのうちいずれ、最終的にテロリストになる。
レイヴンは平和的な解決を試みることにした。
「短気だな。俺は仕事できてるわけじゃない。こないだ、退職したんだ」
「……部下から報告がはいったのがつい先日でね。なんでも、この宿に、戦争管理官が向かっているとか……」
こちらの話をまったく無視して、マガタは話を続ける。
「我々も、王都の動向を注視しているのだよ。我々の仲間は至るところにいる。戦争管理官クオンが王都をたち、クレイワーズへと向かったという情報は確かなものだ」
レイヴンの思考がつかの間、止まる。
今、聞いたのは、知っている名だ。
昔の職場の後輩で、それ以上の関係はない。
どうにも面倒臭いことに巻きこまれかけていると直感し、レイヴンは慌てて訂正した。
「ちょっと待て。なにか誤解しているようだが、俺はレイヴンだ」
クオンではない。
人違いだ。
「……今から死ぬものに、名など意味があるか?」
レイヴンは閉口した。レストランを見渡す。まばらとはいえ、一般の客もいるのだ。ここでマガタが事を構えるというのなら説得するのはまず無理だろう。
「おいおい、ここでやる気か? 非常識だな。人様の迷惑になるだろ」
呆れながら言う。マガタは意外にも、怒気をおさえた。
穏やかな紳士然とした態度を取りつくろう。
額の青筋が消滅。
「まだわかっていないのか? ここにいるのは全員が私の部下たちだ」
「それは……」
正直言って驚いた。
まさかこんなへんぴな温泉宿で、こんな目にあうとは思ってもいなかったからだ。
「……で、やろうって?」
「いいや、今は、手は出さない。私の部下たちにもそう伝えている」
「それならなんで、わざわざ出向いてきた」
「クオン殿、貴殿と取引がしたい」
「正気か? 俺と取引だって?」
自分がクオンであるという誤解は解くことができそうにないため、そこには突っ込まない。
「もちろん殺す。だが、我々には時間がいる」
「だから、俺は、関係ないんだって」
どうやって説明しても、聞く気はないようだ。
レイヴンは頭を抱えた。
「どうやら、お互いの目的は同じようだ。我々の追うあるものと、東魔国の諜報部のかぎつけた、あるもの。それの解き方を見つけるまでは不戦というのはどうだろう」
「……人の話聞かないやつだな。俺は一般旅行客なんだっつーの」
「極光位の魔導士を引き連れてきてよく言ったものだ。彼のほうが仕事に誠実だな」
突如、やり玉にあがったアルビレオの話題に、動揺を表に表さないように努める。心を平静に保つ。内心の動揺が1ミリたりとも悟られないように。
「取引というわりには、俺たちに得はないようだが……」
「ようやく自分の立場がわかったかね、クオン殿。貴殿らに時間をやろうといっているんだ。この場は丁重におかえりいただく。そして、彼が探しものを見つけ終わったときがスタートだ」
「何を始めるんだ?」
「当然、殺戮だ」
直接的な物言いに、レイヴンは失笑する。
「ずいぶん大げさだな」
「そうは思わない。君たちは我々の敵だ」
「まあ、いいさ。乗ってやろう。スタートは?」
「探し物を見つけてからだ。どちらが宝を手に入れても、これで平等だろう」
そう言って男は来たときと同様、不躾に去っていった。
*
レストランを出て、部屋に戻る。
部屋に着いたら、すぐにすることはこうだ。アルビレオに先程のことを話し、彼を抱えてこの宿を出る。竜の姿で飛べば、一昼夜、経たずにターミナルへとたどり着けるはずだ。
帰ろう。すぐ帰ろう。
宝探しだなんだとマガタは言っていたが、そんなことはどうでもいい。
テロリストがほしがる宝なんてろくなものではないからだ。
こんなホテルで、推定テロリストと戦って、アルビレオを傷つけたくはない。
万が一にもだ。
───マガタとかいう男なんか、放っておいてすぐに帰っちまおう。
マガタの言を信じるなら、戦争管理官クオンまでこの温泉にやってくるという話だった。ぐずぐずしていると戦争管理官と、どこだかのテロリストの小競り合いに巻きこまれる。
そんなのは絶対にごめんだ。
ルームキーを取り出して、ドアを開ける。
「アルビレオ……!」
呼びかける声には焦りがにじみ出ていた。
二人用の客室は、しんと静まりかえっている。
室内には争った形跡はない。
寝台にはシーツの乱れもなく、洗面所やクローゼットの物の配置にも変化はない。
忽然と、ただ一人の姿だけが消えている。
レイヴンは室内を確認し終えてから、ゆっくりとため息を吐いた。
おそらく、マガタらに拉致された、という可能性はない。もし、アルビレオの身柄を確保しているなら、先程のレストランでの接触は、もっと違った形になっていただろう。
これは、どちらにとっても予想外の事態。
マガタが探しているというなにかを、アルビレオはすでに見つけ出したのだ。
そして、一足先に、なにかの場所に向かった。と、まあ、そういうことだろう。
頭が冷たく冴えていくのを感じる。息を深く吸い、吐き出す。
クローゼットに立てかけている愛用の刀を取り出し、ドアへと向かう。
マガタは放っておいて、急いでこの宿を離れるつもりだった。だが、アルビレオがすでにこの場にいないのなら、やるべきことは決まっている。
いつものように、事を済ませる。
それだけだ。
*
戦争管理官を統括するギルド【魔獣の巣】では、上役である教父が、管理官の担当する任務を割り振り、さらに複数の配下を選び随行させる仕組みだ。
随行員は時と場合により必要なスキルを持った者が招聘され、殲滅任務の場合には正規軍と共同して作戦を行うこともある。
複数名で任務に当たる場合は、割り当てられた部隊の指揮は担当管理官が執ることになる。東魔国の戦場においては、戦争管理官は時に正規軍の指令系統より優越する権限を持ち、戦闘行為においては王族をのぞいたあらゆる階級の軍人よりも担当官の判断が、優先される。
ゆえに東魔国の行う戦争行為、そのすべてを支配する者、として【ウォーマスター】の職位が存在している。
今回、クオンに与えられた部隊は五名。
【魔獣の巣】の下部組織の調査官たちだ。
おもに目標の追跡や偵察をこなす諜報組織だが、いずれも精鋭揃いで戦闘にも支障はないとみられた。
その調査官からの報告である。
クオンはいくつかの資料をじっくりと見て、眉間に皺をよせた。
とても信じられない報告だ。
目標である元・戦争管理官のレイヴンは百メートル先のホテルくれないに滞在中であるという。
そこまでは王都を出たときの情報通りだ。問題はその先。
レイヴンの連れている美しい少年だ。年は十代の半ば頃だろうか。
金髪に、エキゾチックな褐色の肌。蠱惑的な容貌で、肢体は華奢である。
この少年と温泉宿に宿泊したレイヴンは、温泉で汗を流し、食事をとり、まさに休暇を満喫中といったところだ。
特にクオンが気になったのは少年と映るレイヴンのその表情。
彼の浮かべるあたたかで穏やかな微笑みは、かつて彼と共闘したことのある戦場で一度も見たことのないものだ。
このこどもと、先輩の関係は、一体……。クオンは類推する。
───隠し子、だろうか。
クオンは頭を振る。
戦争管理官だったころの彼は独身だったはず。
もし万が一、そうだったとしても、こんなに大きなこどものいる年ではないはずだが……。
それに、もしも、子がいるとしたら、どこかに妻もいる、ということになる。
クオンは少しばかり想像して、また頭を振った。
───いや、あるわけないだろう、先輩にかぎって……。
クオンの葛藤を部下からの報告がさえぎった。
「クオン管理官! 目標のホテルくれないで戦闘が発生しました!」
「なんだとっ」
クオンは報告書を置いて立ち上がる。クオンが現在いるのは、目標のホテルまで百メートルほどの山中だ。テントの中のカンテラが揺れる。
「現在、敵性組織【暁の兵団】と交戦中です」
「なにがどうなっているんだ。暁の兵団だと?」
暁の兵団とは対東魔国転覆を目論む過激派武装組織のひとつである。対東魔国を目論む軍事組織やそれ以下の小規模な武装集団には枚挙にいとまがないほどだが、殲滅リストの一番上に常に名前が乗っており、その殲滅はクオンとは別の戦争管理官に任されるはずだった。
「どうしますか、クオン管理官」
クオンは部下からの問いにしばし悩んだ。
討伐の対象者レイヴンに、テロリスト集団。
状況は錯綜している。
だが……やはり自分の目で確かめてみるしかないだろう。
「出撃する! 即時、準備しろ」
「了解!」
クオンたち一向はホテルくれないを目がけて、出発した。
*
ホテルの客室を出て、レイヴンがまず向かったのは四階の警備室だ。
マガタは必ずそこに自分の部下を配置して、こちらの動きを監視しているはずだからだ。
ホテルは一階から六階まで。地下はなく、別棟などもない。
取りこぼしがないように、レイヴンは一階から順ぐりに上がっていくことにした。
問題は、敵が隠れたり、一般旅行客を装って近づいてくることだったが、その心配はなかった。
警備室に向かう道中には、明らかに武装した連中が巡回していたからだ。
マガタと同じ腕章をつけているため、これがマガタ一派だとすぐに見て取れる。
特に苦も無く、四階の廊下にたどり着くと、レイヴンはふらりと警備室の前に近づいた。
警備室の前には兵隊が2人。
彼らは自動小銃を手にしていたが、撃たない。
こちらを見て、あきらかに戸惑った様子だ。
マガタから、交戦の指示を受けていないのだろうと思われる。
───甘いことだ。
レイヴンはそう考える。
───戦争管理官を前にして、取引が通じるだなどと思っているのか。
まさしく失笑ものである。
銃の照準をこちらに合わせようと、兵士たちが動き出すのを皮切りに、レイヴンは床を蹴った。
兵士に肉薄し、手に携えた東魔刀で、その両腕を切り落とす。
ようやく事態に気がついたもう1人の兵隊が自動小銃の銃口をこちらに向け、連射する。銃弾の火花が散る中、レイヴンは空中に跳躍。
魔力を体外に発生させ、起爆剤のような勢いで、二人目を蹴り抜く。
一瞬の交錯。
血しぶきが、温泉宿の廊下にまき散らされる。
あとは何人殺すも同じことだった。
惨劇に気づいたマガタ配下の兵士たちが、次々と襲いくるのを、斬り捨てながら、レイヴンは六階へと向かった。途中、警備室にも立ち寄ったが、めぼしい情報はなかった。
まあ、いい。
マガタの現在地は把握できていないが、このように戦闘を繰り広げていれば、そのうち出くわすだろう。
大体、首魁がどこにいるかなど、実は関係はないのだ。
戦争管理官の任務には殲滅以外の文字は存在しない。
マガタが言うには、本来ここに来るはずだった戦争管理官はクオンだという。
それなら、マガタらの討伐は、クオンの任務なのだろう。
彼女が来るというなら、あの鬼人の男が率いる集団は消滅が決定づけられている。
遅かれ、早かれだ。
戦争管理官の抹殺対象になるということは、東魔国による反逆者への処刑に他ならない。
───誰が任務を遂行するかなどささいなことだ。
今回、レイヴンにはその気はなかったが、結局はこういう形になった。
しかたがない。
どうやらマガタとかいう男の狙いは、アルビレオのようだ。
正確には、アルビレオが探しているなにかだが、さしたる違いはないだろう。アルビレオに危険が及ぶ可能性は、今のうちに少しでも排除しておく。
彼の使い魔としては、主人の身の安全が最優先だ。
───それに、不審な点もある。
温泉宿の従業員は一体どこにいったのか?
レストランにいるのは、全員がマガタの部下だという。
宿の従業員がテロリストと組んで潜伏先を提供していたか───。
もしくは、すでに殺されているか。
東魔国に仇なす敵は、東魔国に住む一般人にも危害を及ぼす存在だ。
結局、これが世のため、人のため。
レイヴンは階上へと向かった。
*
ホテルくれないに到着したクオンが見たのは、惨劇の後だった。
暁の兵団の兵士たちがホテルの廊下のあちこちに倒れている。
死体の山だ。
戦争管理官の仕事の後そのもの。
これをやったのは……。
脳裏に一人の男が浮かぶ。
クオンは死体を通りすぎつつ、階上へ向かった。
そこにいるという、確信があった。自分なら上へ向かうからだ。このホテルには地下はないため、効率よく殲滅するためには下から上に上がっていくのが確実だ。
どこの階も生きている人間はいない。
血が点々と続く廊下を辿り、最上階、スイートルームの前で足を止める。
ドアを開ける。
豪華な調度品や、額縁、シャンデリアのかかったリビングを抜けたその先、雪原を見渡すため広くとられた窓の前に、その男は立っていた。
長身の男だ。
黒い外套を羽織った男の手には、東魔刀が提げられている。
懐かしい背中だ。
「先輩」
「クオンか」
その人影はふり返った。変わらない瞳だ。
冷徹で、誰よりも鋭い瞳。
「これはあなたが?」
「悪いな、一人逃がしてしまった」
レイヴンは視線を窓の外にやる。クオンもそちらに目をむける。
レイヴンのすぐ隣の床には、かすかな燐光を放つ転移陣があった。
幾何学的な図形が組み合わされた複雑な円陣には、魔導術式という文字が刻まれている。
「転移陣ですね。こんな高価なものを用意できるとは。転移先は?」
「わからん」
転移陣は普通、複数の魔術師によって運用されるものだ。あらかじめ転移する先を設定し、複数回、使用できるようにするもの。これがあるということは、暁の兵団はずいぶん大がかりな準備をしていたということになる。
クオンがホテルに到着する前、先行する部下に調べさせたところによると、この温泉宿くれないはテロリストの潜伏先であったことが判明した。本来の宿のスタッフたちは殺害され、すり替わっていたようだ。
温泉宿を隠れ蓑にし、東魔国の追求から逃れながら、このクレイワーズ雪渓で何事かを企んでいた。
レイヴンが口を開いた。
「逃げたのは首謀者の一人、マガタとかいったな。東魔の鬼人だ。記憶にあるか?」
クオンは、記憶を探る。
「ええ、暁の兵団、第5師団の指導者だったかと。彼らは、魔導兵器の研究を主にしていたはず」
「魔導兵器?」
詳細な情報を答えそうになってクオンは口をつぐんだ。
レイヴンが以前の同僚であったとはいえ、今は討伐対象だ。
「そんなことより、先輩……、どうして、東魔国を離れたんですか」
どうして、【魔獣の巣】を抜けたのか。
問いただすクオンに、レイヴンは苦笑した。
「どうしてって、転職だ。それ以外にあるか?」
「死んだと思っていたんですよ、こっちは」
「……死んだと思ってくれていなければ困る。追われることになるからな」
当然のようにそう言ってのける男のことが、クオンには理解できなかった。今、こうして対峙する彼は昔と同じ。忠実に任務を遂行する男となに一つ変わらないように見える。
だが、クオンの知っている彼なら、けして組織を抜けるなどという馬鹿げたことはしなかったはずだ。
その証拠に、すでに、追手として、自分が派遣されているというのに。
「あなたのような人が……、なぜ我々を裏切ったんですか」
男は答えない。
クオンは続けた。
「なぜですか? 組織を抜けてまで、やりたいことが、なにか……あったんですか?」
レイヴンは答えるかわりに、こう言った。
「……そろそろ、時間だな。そっちの任務をとっちまって悪かったが……、まあ、うまいこと手柄にでもなんでもしてしまってくれ」
罰の悪そうな顔をする。彼は外套の胸ポケットから携帯を取り出した。こちらに向けた画面には魔導転移陣が浮かび上がっている。
「待ってください……!」
クオンの制止を待たずに、雪原にかき消えるように、男の姿は消失した。
*
我ながらうまくレイヴンを撒いたものだ。僕は上機嫌だった。
鼠たちは魔導術式の匂いを追跡するようにできている。
そのおかげで僕が見つけ出したのは、高密度に魔導術式が内蔵された過去の魔導兵器の眠る地下空洞だった。
クレイワーズ温泉から五キロメートルほど離れた、地理的には百葉の滝と呼ばれる滝壺の下だ。
この滝壺の地下600メートルには、人工的に造られた空間がある。
直径約69メートル、高さ94メートルの巨大な空洞だ。
そこは大きな工廠のようになっていて、巨大な機巧が眠っているのだった。
身の丈20メートルに及ぶ機巧の巨人。
黒い鋼の騎士のようなボディに、胸部から突き出た大きな砲台のような兵装が混ざり合う異様な姿───名を、【魔王兵器】レーヴァテイン。
───それは過去の遺産だ。
かつて人間界と魔界が大きな戦いを起こし、魔導科学の粋を極めた兵器がいくつも造られた。その中のいくつかは【魔王兵器】と呼ばれた。人間界から魔界、あるいは魔界から人間界へと侵攻するオーバーテクノロジーの化身は、まさに魔王の名にふさわしいものだった。
これは3000年も昔のことで、【魔王兵器】はほとんど御伽噺か、オーパーツのような扱いなのだが、今回、僕は運良く! 偶然にも!
その【魔王兵器】がある場所の情報を得ることができたのだった。やったー!
実は、何を隠そう、この僕、アルビレオは、【魔王兵器】の熱心なコレクターである。
【魔王兵器】は最高の玩具だ。
3000年前のロストテクノロジーがふんだんに詰まった宝箱。
時代というものは遡ろうとも、人々の知恵は変わらない。
というか3000年前の魔導文明は高度に発展していたんだよね。人間界と魔界の戦いのせいで、テクノロジーは一時、衰退した。とほほ。
魔王が存在した頃の魔王国───人類と魔族の共存を果たしたエルドラドは、まさに魔導文明の最盛期、混沌輝ける華やかなりし魔導都市だった。
魔界全土と人間界の半分を手中に収め、向かうところ敵なし! だったはずなのに、魔王は死んだ。残ったのは荒廃した魔界だ。
まあ、当時のテクノロジーを引き継いだのは魔導協会だ。
魔導協会は、魔導の知識を広く普及させることをあきらめて、協会だけで独占している。
これに関して、僕の言うことは特にない。政治や戦争に興味がないからだ。
僕が言いたいことはただ一つ!
【魔王兵器】って最高だ! 僕は新しい玩具をゲットしたぞ!
───このために、このクレイワーズ雪渓までやってきたのだ。
もちろん、僕が、【魔王兵器】なんて危険きわまりない代物を集めていることは、レイヴンには話せるわけがない。
あいつはなんだか過保護だし、それだけでなく、普通の倫理観があれば、そんなに危ない兵器を手に入れようとしていることがわかったら、止めにくるかもしれないからだ。
そう、レイヴンが正義に燃える熱い漢だったりした場合、僕はレーヴァテインを収集できなくなる。
ゆゆしき問題だ。
だから、レイヴンにはこの行動は内緒だ。
彼には、温泉宿での休暇としか言っていない。彼を連れてきたのは、レーヴァテイン入手のためにトラブルが発生した場合の保険だったのだが、なにごともなく目的のものを入手した今、あいつの力は必要ない。
───このまま彼には温泉宿をゆっくり楽しんでもらうこととしよう。
うん、僕って優しい雇用主だ。
僕は魔導演算端末WANDを取り出し、レーヴァテインの中枢コアにアクセスを始めた。これから僕が何をするかっていうと、レーヴァテインの再起動だ。それから認証ロックを解除して、本体の魔導術式解析、やることは目白押しだ。
ワクワクする!
レーヴァテインの再起動には成功。胸部にある魔導中枢核へのアクセスにはロックがかかっている。次はこれを開錠しなければ、レーヴァテインは本来の機能を発揮しない。ふふ、骨が折れるよ。システムに穴をあけるのはハッカーの最大の楽しみだ。
元は人間界から魔界を攻撃するための戦略兵器だから、正当な解除方法があるのだが、今回はそれを探すのはパスだ。
設備も必要だし、時間が掛かりすぎる。
それで、僕は裏技を使うことにした。
【魔王兵器】は精巧な芸術品だが、戦争のための道具だ。
道具であるからには、正当な使用者なら必ず使うことができる。僕は、レーヴァテインの制作者の考える正式な使用者ではないが、認証プロトコルによって、正式な手順を踏んだことにすることはできる。
レーヴァテインは、当時の人間界の議会の過半数の賛成が起動のために必要だ。
そういうことなので、僕はレーヴァテイン内部に記録されている最後の決議を複製し、もう一度、承認解除のための鍵として使い直すことにした。
───魔術とは欺瞞だ。
あるべきでない法則を、あるべきものとして存在させる。
時空間を操る魔術、【時空干渉】によって、過去の認証が可決されたときの議会の決議とその時、発行されたパスコードを複製し、鍵として使い回す。
まあ、簡単にいうと、僕がやったのはそんなことだ。
基本的に、まったく同一の議員による議決が、二度も行われることは非常に珍しい事案だが、そんなことがもしも起きたときのための設定は設計者に想定されていないから可能だ。
レーヴァテインの起動のために解除コードと議会の議決という情報を過去から持ってくる。【時空干渉】とは人間が移動するには様々な制約がある魔術だが、過去の地点から情報を運ぶだけなら、比較的容易だ。
───そんなわけで、僕は今、レーヴァテインの正式な使用者として認められた。
中枢コアへのアクセスが解除される。
僕はWANDをさっそくレーヴァテインにつなげて、機体の情報を吸い出すことにした。機体の持つ、内部プログラムの解析を始める。
それによってわかったことによると、【魔王兵器】レーヴァテインは、兵器として扱えば、簡単に一国くらい滅ぼせるんじゃないかな。この兵器の特徴は、魔界全土に及ぶ広域探査、そして、魔界全土からたった1人を探し当てることができるほどの精密な長距離狙撃。もちろん火力も申し分ないが、僕としてはこの、探知能力を高く評価したい。レーヴァテインは、砂漠の中から針一本でも見つけ出して、天体軌道上からの狙撃が可能だ。
申し分ないスペック。
僕は機体の応答プログラムを呼び出した。
3000年ぶりの目覚め。僕は、彼にあいさつをした。
「おはよう、レーヴァテイン! 調子はどうだい?」
『*****』
帰ってきたのは魔導機械言語だ。何世代も前の言語だから、まったく読み取れない。「おっと、言語設定を現代魔界語に変更しないと。このパッケージを読み取ってくれる?」
僕は魔導端末WANDから現代魔界語の通信用の言語パックを送信した。
しばらく変換するのに間があって、機械音が返事をした。
『はい、マスター。ご用はなんですか?』
順調だ。僕は、はやる心をおさえるために、ひとつ咳払いした。
「広域探査を頼みたい。君には特定の人種、民族にのみ攻撃する手段があるよね! 要人暗殺っていうのかな……遺伝情報があれば、どんな人だって探知できる。それで、探してほしいんだけど。ああ、攻撃はしないで、探査だけだ」
『はい、マスター、対象を指示してください』
さあ、来たぞ。この瞬間を僕は待っていたんだ。
どきどきしながら、告げようとするその前に、背後から声が響いた。
背後、工廠の大きなドアが開かれている。
僕が転移でスキップした、滝壺にある地下空洞への正式な入り口から、巨大エレベータの通路を使って現れたものがいたらしい。
「そこまでにしてもらおうか、魔導師アルビレオ」
軍服を纏った男だ。東魔系の肌にたくましい体格。
鬼人特有の黒い角が額に見える。
「……興ざめだよ」
その男は僕に拳銃を向けつつ、近づいてくる。
「まさか、ここまで解析がはやいとはな。恐れ入った。さすがは極光位の魔導師だ、うちの技能官たちが何ヶ月もかかって解けなかったものを。どうやって、認証をといたのか、聞いてもいいかね」
そいつは僕のすぐそばまでくると聞いた。
「【時間干渉】で前回のパスを復元した」
「……は、はは、驚いたよ。伝説級の時間遡行魔術じゃないか。極光位というものは、度し難い。我々の奮闘は、まるで児戯ということか」
なんか、驚いたようだ。だが、魔導協会には僕より優れた時間干渉術の使い手がいる。そっちの方を見て驚いてほしい。時間干渉術をメインで扱う人間は、制約に厳しく、時間の複雑な因果関係を解消するために、すごく、すごく、すごく、いそがしそうだ。
僕は聞いた。
「君は誰で、用件はなに?」
「申しおくれたが、私はマガタ。【暁の兵団】第5師団長だ。そして、用件は、その【魔王兵器】の奪取だ」
【暁の兵団】と聞いて、僕は顔をしかめた。
まったく最低だ。
こういった兵器には、最低のやつらが集まる。
反東魔国をかかげる武装過激派集団で、各地でろくでもないニュースを量産している。大義名分は東魔国現王家の鬼人の圧政に対する反逆、という体だが、僕はこの手の連中が嫌いだ。
戦争状態にある魔界では、たいして珍しくもない連中。
「さあ、レーヴァテインの使用者を私に変更してくれ」
マガタは僕にそう言った。
「それをしなかったら、僕はどうなるのかな」
すぐそばまで来ていたマガタに、後頭部を銃口でグリグリと小突かれる。
「死んでもらう」
「……それじゃ、君にこれを渡したら?」
「……死ぬのがすこし遅くなる」
どちらにしろ死ぬらしい。
嗜虐的な優越感を湛えた顔で、こちらを見るマガタ。
勝ちを確信した顔だ。
こういう連中のこういうところが嫌いなんだ。
───僕は決めた。
あいつを呼ぼう。いやだけど。
「わかったよ、認証を君に渡す。権限を委譲するために、すこし手順がいるが、いいかな?」
「素直でよろしい。わかっていると思うが……余計な真似をしたら、殺すぞ」
恫喝するマガタにたいして僕はすこし怯えたフリをして見せた。
どうせ、こいつには余計な真似がなにかなんて、わかりはしない。
魔力をレーヴァテインに向けるようにして、実際は転移魔術を起動させた。
対象はあいつ。
レイヴンに座標を固定。すぐに捕まった。
ラグは0.5秒ほど。
転送を実行。
魔力反応による青白い閃光が弾け、次の瞬間、空中から、一人の男が身を躍らせた。
「適当にやっといてくれ……」
僕はレーヴァテインの調子を見た。
WANDのモニタに映し出される機体データに僕は舌打ちする。
レーヴァテインは起動わずか10分足らずにして、僕を失望させる徴候を見せ始めていた。
───僕は戦闘のことには興味がない。
突然、僕の背後の上空に出現したレイヴンは、すぐに状況を察したらしい。
マガタがレイヴンに銃口を向ける。その刹那、空中から落下しながら銃を持った腕を蹴り飛ばす。
竜族らしい身体能力を向上させる魔力力場が瞬間的に発生し、鬼人の腕をへし折った。パキッという、木の幹が折れるような痛そうな音がした。
「貴様……!」
怒号のように鬼が吼える。
対して、レイヴンは笑っている。
「また会えたなぁ!」
勝負は一瞬で決着したらしい。身体能力では鬼がやや勝るが、身体的な魔力操作は竜のほうが上だ。力場を上乗せした刀を鞘ごと一閃すると、マガタの残った片腕のガードを吹っ飛ばして後頭部にヒットした。
そのまま、鬼は後方に吹っ飛び、壁際に撃突、沈黙。
レイヴンが感覚的に扱うのは力場の魔術。
僕が見たかぎりでは、先程の全魔力の乗った刀の一撃は、さながらダンプカーに激突されたようなものだろう。
「死んじゃった?」
「……わからん。鬼は頑丈なやつらだから」
レイヴンは僕をふり返る。
「大丈夫だったか?」
「……べつに、大丈夫だよ、僕は」
八つ裂きになっても大丈夫だ。魔術師というのは、常に備えを怠らない。だから、今回だって自分でなんとかできたさ。
ここでこいつを呼んだのは、たんにそのほうが都合がよかったから。
「そっか、怪我がないようで、よかった」
あからさまに安心したような顔をしている。
僕はそちらから視線を外して、本題のほうに目をむけた。
レーヴァテインはあきらかに僕の期待を下回っている。
僕はWANDに映し出した解析結果を見つめた。
機体の中枢よりもさらに基底部、動力炉からの反応が急速に弱まっている。
バッテリー切れだ。
3000年もここに放置されていた機体なのだから、しょうがないことかもしれない。
『探知可能エリアの情報を取得しています。マスター、ご命令を』
レーヴァテインは自ら、外界の情報を取得しはじめているらしい。
それは本来の使用用途のため。
───対象を抹殺するためだ。
兵器はどれだけ時間が経過しても、自分の用途を忘れない。
僕は少し躊躇った。【魔王兵器】を使うのは、戦争を行うためではない。
レーヴァテインの持つ、広域探査能力を使用するためだ。戦争を決着させるための破壊能力。特定の民族、人種、もしくは地域、建造物、あるいはそのすべてを殲滅するために持つ副次的機能で、この世界のどこにいてもレーヴァテインは見つけ出し、攻撃する。
簡単にいうと、レーヴァテインがあれば、各国の要人を簡単に暗殺できてしまう、ということだ。
マガタとかいうあの男も、その能力を求める人間の一人だろう。
くだらない。
殺す、よりも、探し当てる能力の方がよほど高度だというのに。
端末を見る。
稼働限界はあと三分程度。
探査に、どれくらい時間が掛かる?
古代遺物だから、おおよその時間もわからない。
この兵器を使って、僕はあるものを探すつもりだった。
そして、使用した後にはひっそりと別の場所に隠すつもりだった。
だが、レーヴァテインが存在するかぎり、兵器の力を求めるマガタのような人間は後を絶たないだろう。
僕は少しの間、考えて、それからこう言った。
「起動を終了し……自壊しろ、レーヴァテイン」
レーヴァテインのコアが赤く輝く。
『承認しました、マスター』
WANDを見ると、兵器に組み込まれた自爆プログラムが作動したことがわかる。
時間はおよそ3分後。
最後に残ったコアのエネルギーを使って、跡形もなく消し飛ぶはずだ。
僕はWANDを終了させ、後ろをふり返る。
レイヴンがなぜか心配そうにこちらを見ている。
「いいのか?」
「ああ、無駄足だった」
僕はレイヴンに手を伸ばした。
不思議そうな顔をしている。
「帰ろう」
一瞬、うれしそうに微笑んで、レイヴンが僕の手を取る。
僕は転移魔法を発動させる。
僕らは、古代の工廠をあとにした。
*
その日、一夜にして、歴史ある温泉宿くれないは吹き飛んだ。
レーヴァテインの自爆に巻き込まれた形で、あのあたり一帯が消滅したのだった。
「いやぁ、まさか、温泉ごと吹っ飛ぶとはなぁ」
のんきなことを言っているのはターミナル行きの電車を待つレイヴンだ。
あの後、地形の変わった雪山から下山するのは大変だったのだ。
こんなときばかりは転送門を自宅に置いてこなかったことが悔やまれる。しかし、旅情というものがあるし、なにより温泉地に直通する転送門はつまらない。旅というのは過程が大事なのだ。
僕は携帯でニュースサイトを漁った。
それによると、東魔国ニュースでは今回の事件をテロリスト集団【暁の兵団】一派によるもので、東魔国所属の対テロ部隊によって凶行を未然に解決した、と報道していた。嘘も方便、というが報道管制もここに極まれり、だ。
いまだ世界の各地に眠るはずの古代の【魔王兵器】や、今回のレーヴァテインのことは、まったく報道されていない。
「それにしても、なんで、温泉に来ようなんて思ったんだ?」
マガタ一派は、魔王兵器の回収のために、この温泉宿を手に入れたのだろう。
───僕としても、この温泉宿にやってきた目的は、同じだ。
ただ、魔王兵器がここにある。それも広域探査能力を持つレーヴァテインである、ということは、事前にうっすらとした情報があったのだ。
僕は携帯をスクロールする。
「あの魔導兵器を、どう使うつもりだった? アルビレオ?」
「さてね」
メールリストの最新に、新着が表示される。差出人にはA ’と書かれている。表示させる。文面には一文。
『見つかりましたか?』
僕は、舌打ちしたい気分になった。
AとはアルスノヴァのAだ。
僕に事前に魔王兵器の情報を流したのはこいつだ。
協会独自のマル秘ネットワークによって得られた確度の高い情報だとか言っていたが、やつはこうなることを事前に予測していたな?
こんなメールには返信不要だ。
胸中は複雑だ。
あの時、残った3分間で、自壊ではなく、探査を命じていれば。
今ごろ、僕の目的は叶っていたかもしれない。
いまさらながらに後悔がおしよせてくる。
あの時の判断を思い返してみるが、なぜ、そんな判断をしたのか、僕にも理由はよくわからない。
それがどこか居心地がわるく、さっきから不安に胸がざわついている。
そんな僕の内心を知ってか知らずか、レイヴンはうれしげに空を見上げた。
「ま、なにはともあれ、結局、魔導兵器はなくなったんだ。世はなべてこともなし、ってことだよな」
「……勝手に言ってろ、レイヴン」
僕はため息をついて、レイヴンに言った。
さんざんな休暇だった。
それとこれというのも、A’のやつが耳よりの情報があるとか言ってきたからで。
僕は青空を見上げた。おだやかな空かもしれない。
雲一つ無い中を、複数の鳥が連れだって飛び立っていく。
レイヴンの言うとおり、世界は平和に保たれた。
───それで、そんなことにどんな意味がある?
少なくとも僕にとっては、かぎりなくどうでもいい。
A’のメールを削除し、携帯を上着のポケットにしまう。
また次のアイディアを考える必要がある。




