第2話 魔導器官
東魔国、首都・緋州郊外にある教会。
古ぼけた二階建ての建物に、ギルド“魔獣の巣”の面々が集まっていた。
戦争管理官───精強な魔族の集まる東魔国においても、別格というほかない人外魔境の強者たち。
巣には、常に10人の戦争管理官が在籍しており、任務の際には、教父と呼ばれる上役から指示を受ける決まりだ。
教会内部には円卓が一つ。
その席には三名の人影があった。
空席の目立つ円卓の左端から、時針剣のクオン、炎人狼のアカガネ、黒蜘蛛のイヴェイルといずれ劣らぬ超越者たちが並んでいる。
彼らが集まったのは、教父から、緊急招集を受けたからだ。
戦争管理官は国内外のあらゆる戦争の管理者であるため、つねに任務に赴いている。
今回、招集に応じたのは王都近辺で任務に当たっていたものたちだ。
「それにしても、我々を呼び出すほどのことが起きたのでしょうか」
時針剣のクオン。
黒髪を短く切り揃えた目つきの鋭い女で、灰色の着古した軍服のコートを身に纏っている。彼女は端麗な顔立ちに疑念を浮かべていた。
「さあな、だが、緊急招集なんざ、ここ15年ほど無かったことだぜ。こうやって、俺たちが顔を合わせるのだって何年振りだ? なあ、イヴェイル」
炎人狼のアカガネが鷹揚に言いながら、円卓の上に足を乗せる。
名前の通り、赤い鋼の色の髪をした筋骨隆々の男で、茶色い革のジャケットとズボンという動きやすそうな軽装に、髪に巻いた色とりどりの飾り紐が特徴的だ
「あら、アタシは合同任務が多いからそこまでご無沙汰じゃないわ、クオンちゃんとは三年前にご一緒したもの」
───長身の優雅な物腰の男性。
黒いレースで飾られたピッタリとしたスーツに、首元にはこれも繊細な襟飾りをつけている。黒蜘蛛のイヴェイルが、ため息をついた。
ちょうど、その時、教会の入り口のドアが軋む音を立てて開いた。
三人が目線を交わす。
室内に緊迫した雰囲気が交わされる。
現れたのは教父と呼ばれる、上役である。
まるで影のような男だった。
均整の取れた体つきに、黒い長髪を背で束ね、襟元まである黒の司祭服めいた服に身を包む姿は、死神のようだ。
滑るように教父が足音一つ立てず、円卓へと向かう。
彼は、この場に集った戦争管理官を睥睨すると、唐突に口を開いた。
「旧トルガム領の殲滅戦において、屍肉喰いレイヴンが死亡した」
室内に声にならない驚愕が走る。
屍肉喰いレイヴンとは、黒竜の名だ。
教父は淡々と続けた。
「トルガム跡地より南西にて、焼死体を発見。死体にかけられた認識票は、レイヴンのものであると確認した。この戦闘の前後、南西の方角の空域に、尋常ならざる爆発を見たという証言がいくつか。それ以外は、いまだ謎に包まれている。やつの抱えていた案件を急ぎお前たちに振り分ける、アカガネとイヴェイルは、組んでゲオルク公の暗殺にあたれ」
「そんなっ、何かの間違いです」
クオンが席から立ち上がり抗議する。
教父はそれ以上は言わず、鷹のような目つきを向けた。
黙れという意味だ。
───ここで、これ以上の問答は無用。
クオンはそう悟って、席につく。
「クオンは待機。追って任務を下す。屍肉喰いの席が空いたな。後任はいずれ決めよう」
それだけを言い終えると、男は、来た時と同様、足音もなく、影のように歩き去る。
教会の木製のドアが閉まり切るのを待って、クオンはつぶやいた。
「信じられません、あの先輩が、死ぬなんて」
アカガネがぶっきらぼうに言う。
「なに考えてんのかわかんねえ、気取ったいけすかねえやつだったよな。ここらで死んでも、年貢の納め時ってことだろ」
「なんてことを言うんですかっ、先輩が死んだんですよ」
クオンが声を荒げる。
アカガネは両手を肩のあたりでひらひらと振った。殺気だつクオン。
一触即発の雰囲気を制したのは、黙って話を聞いていたイヴェイルである。
「そうねえ、レイヴンちゃんが死んだのは大変なことよね。死んだのが本当ならね。あの子が、そうそう倒れるなんて思えないわ」
アカガネは瞳に真剣な色を宿しながら言った。
「そうだぜ、クオン。キレてんじゃねえぞ。あいつがくたばるわけねえだろ。見つかった死体っていうのもいかにも偽装じみてるぜ。あいつがその程度で死ぬタマかよ。炎精霊焼夷弾の嵐に突っ込んで無傷の男だぞ」
クオンは二人の言葉に、落ちつきを取り戻す。
「そうですね、軽率でした。ですが、それなら、なぜ帰ってこないのです。死んだのでなければ、任務放棄などありえません。先輩にかぎっていうなら、それだけは絶対にありえない」
彼女は神妙な面持ちでいう。
クオンにとってのレイヴンとは、高潔な精神を持ち、東魔国に忠誠を尽くす無私の男である。
アカガネもそれには嫌々ながらも同意した。
「たしかにな、任務を失敗するっていうのも信じられん話だが、やつが生きていれば、帰ってこないはずはねえ。どんな負け戦だろうとケロッと帰ってきて、次の戦場にはいの一番で出陣するやつだ。あいつはイケすかねえやつだが、そこだけはオレも認めてる」
アカガネが訝しむ。
「レイヴンちゃんだって人間よ。死ぬときもある。問題にすべきは、何が起きたか、よ」
「どういう意味です、イヴェイル」
「本当に死んだのか、帰れない理由ができたのか。彼ほどの仕事熱心な人間はいないわ。どちらだとしても、あの子でも対処できないことが起きたのよ。私たちも、この事態を看過できないわ」
「先輩が、対処できない事態、ですか」
「そうよ。でも、これ以上は、情報を待つしかないわ」
イヴェイルが無念そうに首を横に振った。現在は打つ手なし、ということだ。
───先輩が死んだ。いや、死ぬはずはない。
クオンは拳を握りしめる。
───では、どこかで生きているということだ。
どこにいようと必ず見つけ出して見せる。
クオンは固く決意した。
*
廃棄都市イルミナとは、西央魔導教国のはるか西、人っこひとり住み着かない砂漠の真ん中に突如として蜃気楼めいてそびえる都市である。
僕の自宅のある場所だ。
かつてそこは科学文明が栄えた大都市であったが、3000年ほど前に起きた人類との大戦争で滅び、現在では広大な廃墟が広がっている。
廃棄都市はその名の通り、あらゆる国から見捨てられた土地であるため、故郷でやらかして帰れなくなったはみ出し者や無法者が最後に行き着く場所でもあるが、長居するものはほとんどいない。この廃棄都市にはかつての大戦によって使用された兵器や魔力物質の残滓が色濃く漂い、命あるものには有害な影響を及ぼすからだ。
それでもこの都市に棲み着くものはいる。
魔界のどこにも属せず逃げこんできた逃亡者か、得体のしれない転職志願者か。
その得体のしれない転職志願ドラゴンであるところのレイヴンはかなり機嫌がよさそうであった。
「それで、アルビレオ、三日ぶりだな。どこで何をやってたんだ? 心配したぞ」
甘い声音で囁く黒髪のイケメン、レイヴンだ。
今はいつもの暗い目つきは鳴りをひそめ、キラキラっとしている。
「あのね、ラボで少し研究をしていたんだ、そしたら時間を忘れてしまって」
僕は答えた。場所はイルミナ上層、地上部から数えて数千メートルのあたりに建てた僕の“屋敷”である。イルミナの空間をいじり回して構築したので、外装は西央風の洋館だが、実質は次元構造体である。
その洋館のリビングの一室で、ドラゴンの様子がおかしかった。
テレビ前のテーブルに座り、彼はこっちに爽やかな笑みを向けてくる。こうしてみると、整った顔立ちではある。
僕は人の美醜はよくわからないのだが、彼を見てイヤな気持ちになる人はいないんじゃないかな。美男子というやつだ。
「そうか、研究熱心なんだな、そういうところも魅力的だが、もっと俺に目を向けてくれてもいいんじゃないか」
なんかこいつイキイキしてるな。
そんなに転職したかったのか。
「ああ、いや、確かに君を放置した僕が悪かったが、なんか距離が近くないか」
レイヴンが僕の肩に手を伸ばす。彼は、グッと僕の体を自分の方に引きよせると、あごを持ち上げて、僕の顔を上に向かせる。
彼は僕の目をのぞきこむと言った。
「綺麗な瞳だ。エメラルドの色だな」
「エメラルドとかってなんなんだ、いきなりなんだ、君は」
イラっときた。
レイヴンが真顔に戻る。目が死にはじめている。
こいつの瞳の輝きって持続しないんだ。
「なにって、口説いてみてるんだが。俺とお前は使い魔とその契約者になるんだからな、早いか遅いかの違いだ」
「何が早くて何が遅いのかは今は聞かないよ。それで、なんで口説く必要があるんだ」
レイヴンが僕のあごを掴んでいた手を離す。
それでようやく僕は体の自由を取り戻した。
レイヴンが完全にいつもの死んだ目に戻って、口を開いた。
「使い魔契約について、互いの見解を擦り合わせようと思ってな」
「なに、いきなり」
急に落ち着き払われると、こっちがかしこまってしまう。
レイヴンが神妙な顔で言う。
「お前は使い魔に俺をほしいと言った。東魔国でお前を八つ裂きにした夜だ。覚えてるか」
「……ふむ、それは確かに言ったね」
思い出したくない記憶だ。思い出したくなさすぎて、今の今まで忘れていた。
「使い魔の意味はわかるか? 仕事や日常のみならず私生活を共にするパートナー、という意味だ。人生の共有だ。親しい友人や家族よりも。つまり、魔族にとって婚姻より重い意味を持つ、ということは?」
レイヴンが言うことは、僕もある程度は知っている。
魔導士にとって使い魔は、最も身近な存在だったという。
しかし、イマドキそんなことを義理堅く守っている連中は、古風な価値観を持つ魔族くらいだ。
つまりレイヴンくらいだ。
「……古くさい慣習だ。その手の意味合いのほうは忘れてくれて良い。僕が君に求めるのは給与相応の働きだ」
「そういう考えなら、あの不躾な誘いもうなずける。デリカシーがなさすぎるやつだと思っていたが……言っておくが、俺はそのつもりで受けたぞ」
どういうつもりだとしても、僕に関係があるだろうか。
選帝侯が使い魔を持つということは、レイヴンの知らない重大な意味を持つことだ。
これも魔導協会の秘密の一つだ。
そして僕は彼にこの条件を明かす気はない。ついでに使い魔を持つ気もない。
そういうわけで僕は答えた。
「好きにしたまえ」
「そうさせてもらう。まずは、俺たちは、お互いのことを知るべきだろうな。お前、年は」
レイヴンが聞く。
長いつき合いになるかどうかは、ともかく、僕は正直に答えた。
「……16」
「16……!?」
はじめてレイヴンが素っ頓狂な声を出した。
「なんだよ、悪い? 16だよ」
「い……いや……魔術師には実年齢と見た目の年齢が離れているやつも多いというから、お前もそれかと思ってたんだが」
レイヴンがうめいている。
なにをそんなに驚いているんだろう。
だいたいレイヴンは僕を何歳だと思っていたんだ、こいつ。
「極光位の魔術師なんだろ? てっきり、100歳は超えてるのかと思ってたんだが……、人間の成人って何歳だ?」
僕を100歳越えの老人だと思っていたのか、こいつ……!?
いや、それも不自然な話ではない。
長命なものの多い魔族と人類では、年齢への考え方もかけ離れている。
僕は一応、やつに宣言しておくこととした。
「魔術は年齢じゃない。どれだけ真理に到達できるか、だ!」
レイヴンが頭を抱えている。
なんで、こいつがここまでショックを受けてるんだ。
なんか、意味がわからないなりに腹が立つな。
「だいたい、僕のことを言うなら、君だってどうなんだ、名前、年齢、経歴、誕生日! どれも怪しい情報じゃないか」
「俺か? 俺は……お前の方が詳しいだろう」
「王家に深く信頼されているってことはね。君の出自は、ペラペラの経歴書が一枚しか見つからなかった、レイヴン・アシュフォードって嘘だよね、偽名だよね、西央風すぎるだろ、いくらなんでもさ!」
「それは今の本名だ。俺の名前はテキトーなんだ。竜の姿の時のカラスっぽい見た目からレイヴンだ。一番、長く呼ばれた名前になる、馴染みがあるからこちらで呼ぶといい、こだわりはない」
「テキトーすぎる、僕の名前の方が上だね! なんせ僕は自分で決めたもの!」
「その話、詳しく聞かせてくれ」
僕は胸を張った。
これこそ僕の誕生秘話である。
「いいだろう、聞かせてあげよう。あれははるか16年前のこと、こっちで僕が目覚めた最初の日のことだ」
「待て、16歳だろ、16年前って何歳だ」
「さあ、何歳だったかな。でも肉体年齢に変化はない」
少なくとも、今の僕の体に変化はない。
そのときには、肉体的には、12歳程度だったと記憶しているが、今も身長、体重にまったく変化なし。
僕の肉体はどうやら、普通の人類とはちがうらしく、実際の年齢は、僕にもよくわからないのだ。
これは魔術の真髄を極めた魔導士───極光魔術を編み出した魔導士にはありがちなことだ。
協会には千歳の選帝侯もいるほどだ。魔導界の常識だ。
レイヴンがテーブルに突っ伏した。
「ああ、いつものやつか。年齢も当てにならないってわけだな。ネジが外れてやがる」
「僕はネジなんて使わないけど?」
「いい、いい。こっちで拾っといてやるから」
「君、ネジが好きなのかい」
「締め直してやりたいよ、できればだな。ナットとスパナでな」
「む、侮辱だな! まあ、いいさ、それで、君の経歴は?」
「王宮警備兵だ。よく知ってるだろ?」
レイヴンがうっすら笑う。
僕が調べた彼の経歴と一致。ふむ、嘘はないようだ。
それに職歴なんかには、僕はぜんぜん興味がない。だいたい、そんなことで嘘をつく理由ってなにかある? よっぽど危ない仕事についていたとかじゃないと……。
だめだ、興味がない。
僕は早々にレイヴンの前職についての興味を失った。
そんなことよりも、最も大事な質問はこれだ。
「それで、誕生日はいつ? 人生で最も大事な日だよ! これがなくちゃ、始まらないんだ、誕生日パーティーさ!」
僕は断言した。一年で最も大事な日と言えるだろう。
この日は、絶対に、絶対に、絶対に、誕生日パーティーを開かねばならない日だ。
「パーティー、やるつもりなのか」
レイヴンが呆気に取られた顔をしている。
すごく喜んで言葉も出ないってかんじだ。
そうだろう、そうだろう。僕は従業員の心を深く理解しているのだ。
「やるとも。僕は従業員の福利厚生にも手厚い雇用主でありたい」
「俺の? 悪夢だ……」
「なにを言う。すばらしい一日だよ、みんなが君を祝福するんだ! 生まれてきてくれてありがとう、レイヴン! ってな具合にね。どーだ、感動で涙が出てきただろう」
レイヴンが無音で僕の額をはじく。
無拍子によるデコピンである。
衝撃。軽く頭がゆれる。
「ぎゃっ、なっ、なにをするっ」
「すまん、正気かどうか確かめたかった。この頭にはなにが詰まってるんだ、本当に」
「な、なにを考えてるんだ、この人間凶器、自分の強度を考えて行動しろ! 言っとくけど、通常の人類である僕は豆腐のように脆いんだ!」
額がジンジンする。軽いデコピンだったのだろう。
しかし、かなり凶悪だ。
こいつが本気を出せば僕の頭はスイカのように吹き飛ぶが、今のだって相当だ。
「まったく、不快だね! 君の誕生日なんてどうでもいいよ!」
「そりゃ、よかった。まともに話ができるようになったか?」
「今までだってまともだったろ!」
僕は一気に不機嫌になってしまった。当然である。新たなギルドメンバーにたいする、僕なりの歓迎のつもりだったというのに、こうまで無下にされては気分も落ち込む。
「さて、落ちついたところで、なぜ廃棄都市にすんでるんだ? 西央所属じゃないのか」
「西央にすむと協会のじいさんどもがうるさいんだ。協会内部の政治にも関わりたくはない。廃棄都市には、追手も簡単にはやってこれないしね」
「追手ってなんだ。追われてるのか? ああ、相棒がほしかった理由がそれか。あちこちで敵を作ってそうだもんな」
レイヴンが1人で質問し、1人で解決している。
心外だ。
「そっちはどうなんだ。僕よりも君の方が敵が多いはずだろ!」
レイヴンは東魔国では悪評の方が多い男だった。
それもそのはず、僕が見た限りでは旧トルク領の攻防戦において城砦を陥としたりしていた。
そもそも、こいつ、転職とか言っていたが、そんなに簡単に元の職場を辞めれるものなのだろうか?
僕は軍人には詳しくないからわからないのだが……。
レイヴンが考えこむように言う。
「俺は……向こうでは死んだことになっている、はずだ」
「はず?」
「しばらくは猶予がある」
「なんの猶予」
「バレちまったら、そのときはそのときだ。ケースバイケースで臨機応変に対応していく」
「よくわかんないけどさぁ、そういうの見切り発車って言わない?」
ぼくは肩を落とした。
ようはこいつも何かに追われているということだ。
「はあ、まったく、前途多難だね。ま、いいさ。とりあえず、これ」
僕は、ジャケットのポケットから小切手と携帯を取り出した。
今日、ラボを出て、ひさしぶりにリビングにやってきたのは、これを渡しておくためだ。
「当座の活動資金と、通信端末だ。使い魔は持たない主義だから、僕の連絡には必ず出ること。これさえ守ってくれるなら、どこに住んでもいいよ。イルミナを出るつもりなら、魔導協会の司祭を紹介する。手続きに力を貸してくれるはずだ。もちろん、監視機構員には屋敷の客室を貸し出しているから、こちらに住んでもいい」
「ここでいい」
僕は頷いた。椅子から立ち上がる。
「わかった。では、君の客室に案内するよ。ついてきたまえ、プロトコルを守れば、安全だ」
「待て、プロトコルってなんだ、とても建物内を案内するときに使う用語じゃないだろ」
僕は真面目な顔をして、レイヴンに向き直った。
「この屋敷は、次元構造体になっていて、決まったルート、決まった手順を守らないと、構造と構造の歪みに落っこちて、二度と帰って来れなくなる」
「なんで、そんな危険な場所に住んでるんだ、お前」
「なんでもなにも自宅だからだ。君も住むなら、ちゃんと手順を覚えないと、死ぬよ」
「死ぬような危険のあるところに住むな」
レイヴンが何かぐちぐち言っているが、僕は無視した。
*
難解な手順に従って、俺を客室まで案内すると、アルビレオは挨拶もそこそこに、サッと消えてしまった。
ラボとやらに戻ったらしい。
やつは空間転移のような術を使って、屋敷の中を移動しているようで、アルビレオが今どこにいるかは不明だ。
だが、それもたいした問題ではない。
用事があるときは携帯端末から連絡が入り、目的や行動を指示されるはずだからだ。
兵器としての仕事の方は、つつがなく行えるだろう。
それなら、なにも問題はない。
───とはいえ、家主がいないのでは暇である。
俺はひとまず屋敷の中を探索することにした。
魔術的な仕掛けがあちこちに施された家であるため、俺が見たところで理解できない箇所も多いのだが、アルビレオの護衛という役割を果たすためには、物理的な建物の配置を頭に入れておく必要がある。
───というのは、たんなる口実。ただの好奇心だ。
俺の新たな主人となる予定の魔導士は何かと謎が多い。
年齢に、出自、人類かどうかすら怪しいものだ。
選帝侯とはいうが、俺のような一般ドラゴンには魔導協会の内情は詳しく伝わってこない秘密である。
そんな魔導士の秘密がこの屋敷───ダンジョンと呼んでいた自宅には隠されているかもしれない。
というわけで、俺はやつのいないことをいいことにあちこちを探索することにした。
なに、どうせ、やつとはこれから長いつき合いになる、というか、長いつき合いに、する、のだから、お互いについての理解を深めるのはいいことだ。
アルビレオから教えられた手順に従いつつ、古めかしい洋館の廊下を辿り、階段の位置や部屋の配置を覚えながら、長く入り組んだ通路を歩く。
アルビレオが次元構造体と呼んでいた自宅は、手順に従ってうろつくかぎり、これといった変哲のない、ごく普通の西央風の邸宅といったところで、30分ほど歩くと、元いた場所、自室の前へと戻ってきた。
───いや、ごく普通ってわけじゃないな。
俺は頭を横に振った。
自室に戻るのに、30分も歩くというのは普通の邸宅にしては広すぎる。
どこかの廊下でループしていたのだろう。さっきだって、まっすぐに廊下を歩いていたはずなのに、いつの間にか廊下を一周して、自室へと帰ってきていた。
空間が歪んでいる。
アルビレオの言っていたことを思い返す。
やつは言っていた。
プロトコルに従わないと死ぬ。
どうやら冗談ではなさそうだ。
背筋に寒気が走る。
アルビレオの自宅兼次元構造体の探索はしばらくやめておいた方がいいだろう。
下手をすると屋敷の中で遭難しかねない。
俺は自室のドアを開けて、おとなしく中に入った。
───さて、困った。
これで他に、することがなくなった。
俺は自室を見渡す。正面に窓がひとつ。
寝台にテーブルと椅子が1脚、壁際にクローゼット。
ごく普通のありふれた寝室だ。
とりあえず、窓のそばの椅子に座る。
窓の外を見る。
飛竜が空を飛んでいる。
俺は遠い目になる。
───ずいぶん、遠いところまで来ちまったな、俺は。
基本的に、飛竜のような魔物は市街地には発生しないものだ。
そもそも廃棄都市イルミナってなんだ。あいつはこんなところに住んで、頭がおかしくならないのか。あ、もう、なってるのか。
あの風変わりな魔導士のことが頭をよぎる。
胸ポケットから携帯を取り出し、テーブルに置く。
俺は連絡を待った。
15分経過。
窓の外を飛んでいく飛竜が二匹になる。
30分経過。
こうしていると、わかったことがあるのだが、俺はやることがない。
暇だ。
俺の当面の仕事はアルビレオの護衛だ。だが、あいつだっていつも、危険な目に遭っている、というわけではないようだ。
こういうふうに仕事のない日は、俺は、いったい何をすればいいのだろう。
考えてみるがまったく思いつかない。
あてどなく時間が流れていく。
鳴らない携帯を待っているうちに、俺はあることに気づいた。
椅子から立ち上がる。
とりあえず、今すぐ、やるべきことは単純明快だ。
───まずは腹ごしらえだな。
部屋を出て、階段を降りた先にあるキッチンへと向かう。
キッチンの戸口で立ち止まり、少しの間、逡巡する。
腹が減ってはなんとやらとはいえ、人の家である。
勝手に台所を漁ってもいいものだろうか。よくないだろう。
俺はさっそく、連絡用の携帯を取り出して、目的の番号にかけてみた。
電話口の機械音が数分、鳴り響き、突然、プツッと切れる。
どうやら、あの雇用主は、こちらからの連絡に応える気はないようだ。
常々、思っていたことだが、あの魔導士、イイ性格をしている。
携帯を上着の胸ポケットに戻し、考えこむこと数秒。
───とりあえず、アルビレオとは、長いつき合いになるのだし。
だから、まあ、いいだろう。
そう結論を出すと、キッチンに足を踏み入れる。
人気のないキッチンは寒々《さむざむ》しく、そして、非常に汚い。
シンクの中にはなにやらべったりと汚れた皿が山と積まれ、コップがいくつもの塔を形成している。
俺は、思わず眉をひそめた。この様子では、掃除はたいそう骨が折れそうだ。
とりあえずそちらは後回しにし、冷蔵庫へ向かう。家主には悪いが、何か食べられるものでもあるだろう。そう期待してみたが、期待はあっさりと裏切られた。
───冷蔵庫を開けて、絶句する。
冷蔵庫に入っていたものは想像を絶する量のケーキだった。クリームの乗ったものから、チョコレートケーキ、チーズケーキや、タルト、ザッハトルテやモンブラン、その他、茶菓子の数々。中でも棚を圧迫しているのはホールケーキだ。こどもが誕生日に用意されるタイプのもので、ハッピーバースデーとチョコレートの文字が躍っている。
それが五つほどある。
これをあの魔導士がすべて食べるのだとしたら、頭のネジだけでなく味覚も壊れてるんじゃないだろうか。
見ているだけで胸焼けしそうな冷蔵庫のドアをさっと閉める。
肉や野菜がほしいとはいわないが、せめて、レトルトのパウチや缶詰でもあれば、と思ったが無理だろう。
しかも、このキッチンには、フライパンや、鍋といった、調理に使う一式の道具も存在しない。
この家でまともに食べられそうなものはケーキだけだった。
こんな崩壊した食生活を続けて、あいつは本当に大丈夫なのか?
ふと、脳裏に最悪な疑念が浮かぶ。
───護衛をしても、しなくても、そのうち生活習慣病とかで、死ぬんじゃないだろうか。
冗談じゃない。
転職したばかりで、雇用主を失うかもしれない危機に直面するとは……。
しかも、病死。
なんとかそれだけは阻止しなくては……!
頭を抱えたくなったが、思考を切りかえた。
このままキッチンにいたところで、しょうがない。
出かけることにしよう。
とりあえず第一目標は、食料の確保。あればフライパンや鍋の調達。
それらが首尾良く手に入れば、あのイカれた魔導士にまともな食事を作ってやるのもよいだろう。
キッチンを後にして、玄関に向かう。
そちらには、アルビレオの用意した転移門がある。
アルビレオによると、転移門は廃棄都市イルミナ以外の街や国に繋げてある、という話だった。
一体、どこと繋がっているやら、わかったものではないのだが。
───だが、まあ、ここで暇をしているよりマシだろう。
俺は転移門を使用して、未知の場所へと転移した。
*
アルビレオが玄関に用意した外出用の転送門を使って、訪れたのは昼日中のどこかの港町だった。
転移先はアルビレオが設定したので正確な地名はわからない。
青い空に、爽やかな潮風がどこかから吹いてくる。最高のロケーションだ。
街の通りを少し歩くと市場が開かれており、俺はさっそく、そこで買い出しをすませることにした。
活気のある市場を歩きながら、考えるのはあの魔導士のことだ。
16歳といっていたが、本当だろうか。
───魔導士の実年齢はわからない。
魔導士としての最高位である極光位ともなると、不老の存在になるともいわれている。もしも、本当の年齢だとしたら、魔術の世界では天才というやつではないだろうか。魔術界のことには疎いが、東魔国の精鋭の呪師たちが束になっても敵わなかった相手だ。
魔術師の技倆としてはるか高みにいるのだろう。
しかし、実年齢だとすると問題が一つある。
その場合、やつはまだ雛鳥だということになる。ニワトリでいうとひよこ、ドラゴンでいうと、俺の初陣より一個うえ、ってことはまだほんのガキだな。
人間の成人って何歳だったか……、50歳くらいだろうか?
頭の痛すぎる問題だ。
まあいい。
やつと使い魔契約を結べば、どうせ長いつき合いになる。使い魔契約とは生涯を賭けるものだ。だから、年齢はたいした問題ではない。
50歳くらいまで待てばいいし、なんなら、それまで子守をしてやるのも悪くない。
だが、問題はそこではない。
今、一番の問題は、やつが生活習慣病でうっかり死ぬ可能性があるってことだ。
あの冷蔵庫の中身。
アルビレオはどうやら異常な食生活を営んでいるらしい。
このままでは長いつき合いになる前に、早晩、あいつは健康リスクで死ぬだろう。
そうなると俺がこまる。
ゆゆしき事態だ。
もしかしたら、普段の食事は外食に頼りきりで、あの屋敷にはほとんど寄りつかないのかもしれないが、常識的に考えればそうだが、非常識なやつのことだから、実態はわからない。
わからないことだらけだ。
だが、不思議と気分は悪くない。
どうしてだろうな。
雇い主にはいまだに謎が多く、しかもかなりの偏食で、俺の転職先は、順風満帆とはいかない出だしだというのに。
市場ではある程度のものが手に入った。
新鮮な魚、野菜と果物、驚いたことに小振りなフライパンも、金物を扱っている一角で手に入れた。
これで満足とはいかないまでも人間らしい食事にありつける。
ふるさとでは料理をすることは滅多になかったが、できないわけではない。以前、仲間内で振る舞ったことのある俺の料理はけっこう評判だった。
戦闘以外にも腕を振るう機会があるのはうれしいことだ。
戦場を一時離れて、俺は心が軽いんだな。
そう、思った。
しばらく雑踏を歩く。
───誰かの視線を感じる。
はじめは、勘違いかと思い、次の瞬間、否定する。
やはり何者かによって追跡されているようだ。
直感は確信に変わる。気配のする方を気取られないように視線でうかがう。
雑踏の人通りの中、距離をおいて歩く男が四人。
体つきや足取りから訓練された者だとわかる。四人は互いに視線を交わしたりはしなかったが、チームなのだとすぐに見てとれる。
───統制の取れた動きだ。
気づかないフリをして、市場の屋台に目を遣り、果物の山の中から形のいい林檎を選ぶ。
店の人間に声をかけて林檎を一つ購入。
ポケットから小銭を出して、店主に手渡す。
そうしていると、尾行するものたちも足取りをゆるめる。
───はたして、誰を追ってきたものか。
一つは、自分。
任務を放棄して、脱走したことが東魔国側にばれたか。
可能性はあるが、それにしては早すぎる。
もう一つは、あの魔術師だ。
東魔国での自由奔放で非合法なふるまいを見るからに、追われている相手にはこと欠かないだろう。
その場合、考えるべきことは、なぜ俺を追跡対象に選んだか、だ。
アルビレオとの付き合いは浅い。
だというのに、自分とアルビレオの繋がりが追跡者たちにわかるだろうか?
───追跡者の目的は何か、まずはそれを知るべきだ。
歩きながら方針を決め、足を速める。
追跡者たちも足を速める。
こちらが尾行に気付いたことを、彼らも気付いたのだろう。
走り始めた追跡者の一人に手に持っていた林檎を投げつける。
直撃。
気を取られた隙に走り出す。
目的は逃げることではなく、一人、確実に捕まえることだ。
後ろをチラッと見て、あとから追ってくる三人の姿を確認する。
いきなりのことに走り出すタイミングはばらばらだ。
彼らの中で足が一番速いものが最初に追意ついてくるだろう。
あとはそいつから情報を取ればいい。
曲がり角をいくつか走り抜ける。
市街地は入り組んだ昇り坂になっていて、白い岩でできた住宅がまばらに点在している。太陽の光のまぶしい観光にも最適な街だ。その家と家の間に細く伸びる道を曲がり、角に少し入ったあたりで足を止める。
幸いなことに人通りの少ない一角だ。
背後からやって来た追跡者が角を数歩行った先で足を止め、分かれ道に左右に視線を走らせる。
そこに腕を伸ばし、後ろから首に手をまわし、口を塞ぐ。
少々、手荒だが、意識を失ってもらおう。
*
ラボ内で僕は、魔導演算端末WANDの画面にむかい、眉をよせていた。
液晶には黒いスズメのような鳥が写っている。
それと、街を走り回っているレイヴンの姿だ。
どうやら、彼は追跡されているようだ。
───いや、正確には僕が何者かによって追跡されている。
東魔国を出国する際のゴタゴタで、つけられていることに気が付かなかった。
───敵の術者は、ほどほどに優秀だ。
僕が油断していたとはいえ、僕本人を探知の対象にとらなかったことは褒めてもいい。僕は常に防御障壁を張っている。どんな魔術師だろうと、直接、僕を追跡すれば障壁で精神が崩壊するだろう。
今回、追跡者が追ってきたのは、僕ではなく、僕が頻繁に使う魔術、空間転移だ。
空間転移は、術者の魔力残滓をその場に残す。本来は複数で使うものだが、僕はこれを単独で使う。すると、その場に残るのは僕の魔力残滓ということになる。
この点に気づくところはすごい。普通は誰がどんな術をよく使ってるかなんてことをいちいち気にしたりはしないものだ。
───僕に対する強い執着を感じる。
───向こうは変態だな。
空間転移する際の微小な魔力残渣を探知して追跡するとは、凝った仕様だ。
しかも、精密な探知のわりに、使用しているのは東魔の古典的な魔物の使役術だ。画面に映ったスズメのような鳥は、そいつの使役する魔物だ。
東魔の魔物の使役術とは、魔力で造られた魔物に自らの血を与え、術者の望み通りに操るというもので、操作感がマニュアルになる分、微細なデータを追跡し続けるのは難しい。だというのに、高精度の探知能力で、ずっと僕を追いかけている。おそらくだが、西央の魔導記述式を魔物のコントロールに使用しているんだろうな。そうすると、東魔の術式の不安定な出力が常時フラットになって扱いやすいというわけだ。
なかなかそつのない相手だ。
そこで僕は一計を案じた。
レイヴンである。
僕はラボにこもって、追跡者に偽の情報を与え続けている。
かれこれ三日ほど前から、レイヴンの今いる街にたいして、転移術の複数の使用を行った。
もちろん、実際のモノを転移させるわけじゃなく、その地点に対する空の情報を送ったようなものだ。それでも、魔物たちはその反応につられて、この街にやってくるだろう。魔物の高い探知能力をこちらも利用させてもらったというわけだ。
───おそらく追跡者はこう思うはずだ。
僕が、その街に何度も行ったことがあるのだと。
そして、こうも思うだろう。
この街を注意深く見張っておくべきだと。
実際は行ったこともないのだが、そこでレイヴンだ。
彼が使う転送門の出口はもちろん、この街に設定した。
転移術の反応が、彼からはたっぷり出るはずだ。
すると、追跡者の注意は、彼が一人で引き付けてくれる。
───その間に、僕は彼を囮にして、逆に向こうの居場所を割り出してやるのだ。
そして、向こうの居場所が割れたところで、呪詛を返す。
僕は通信端末を手に取った。
東魔国の古臭い呪術に対抗するには、こちらも古臭い手を使わなくてはならない。
詠唱魔術。
魔力とは、心理領域に満ちるものだ。
心理領域とは簡単にいうと心のことだ。
心理領域から発される魔力を、魔導記述式で世界に刻みこむ。
───これが魔術だ。
詠唱魔術は魔導記述式を音声によって刻むもの。
魔導士の心とは、すなわち魔導を行使するための器官である。
*
手際よく1人目を倒した俺は、彼から紳士的に話を聞くことにした。
その最中に、残りの連中もこちらを見つけたが、そちらにも1人目と同様に拳で語らせてもらった。
この程度で情報を吐くとは、専門の訓練を受けたやつらではない。
俺を追ってきたわけではない、ということだ。
彼らと綿密な拳による会議をした結果、俺は、15分後にはほしい情報を手にしていた。
彼らが口々に喋ったことによると、身元は東魔国の兵士であるらしいが、任務は偵察のみで直接的な害意はないこと。
───追跡対象はアルビレオであること。
彼らの任務はたんなる偵察だが、それはアルビレオ本人を狙ってのことではなく、これからアルビレオと戦うことになる東魔国の呪師を支援するためだという。
事態は錯綜しているが、ようはこういうことだ。
東魔国の中央魔導院に所属する呪師───なんでもそいつは魔導五家という呪師の名門の出なのだという話だったが、そいつは勇敢にも、アルビレオに挑むつもりらしい。
理由は、不可解だ。
アルビレオに挑むことで、己の実力を証明する、だとか、なんとか。
無謀な挑戦である。
東魔国所属の有望な呪師はセレモニーの際の魔術戦に敗れている。彼らの中にはもちろん、鬼人有数の呪詛の使い手というオーランド老など有名なものもいたが、彼も精神が崩壊し、今は東魔の日当たりのいい病院で静養中だ。
───今回も、儚く敗れ去るのがオチだろう。
俺は意識を失った兵士たちを手頃な路地に放置して、歩き出した。
元・同僚のよしみもあるので、殺しはしない。
───それにしても、面倒なことになったもんだ。
兵士たちから聞いた話によると、その呪師は、アルビレオの転移用門を使って現れた俺を狙っているようだ。
人違いだ。
とはいえ、俺を狙っているというのは、手間が省けていい。
このまま街中を目立つように歩いて行けば、向こうから仕掛けてくる。
俺は、市場の方角へ戻るのはやめて、人通りの多い大通りへと向かった。
外国人向けのブティックや金融機関が立ち並び、行き交う人々で混雑している。
───対魔術師戦というものは予測が難しい。
相手が何をしてくるかわからないから、基本的には対症療法的なものになる。
今回のように、これからなにか仕掛けてくると、わかっている場合はまだいい方だ。
悪くすると、初見殺しのハメ技、という場合もあるのだから、こまったものだ。
まずは相手が自分に仕掛けてくる攻撃を待ってみるしかない。
通りを歩いてみる。
とくに異変なし。
こちらが無防備に、相手の追跡に気付いていないように見せるために、あえて適当な店に入ってみることにした。
通りに立ち並ぶ華やかな店舗の数々、そのうちのひとつに目が止まる。
大通りの角に立つ水色の壁の店、高級そうな菓子店だ。
───アルビレオのやつは甘味をたいそう好んでいる、そこに決定だ。
店に入る。
客層はまばらで、店内にはウエイトレス姿の店員が接客していた。
ガラスケースに並んだ菓子を品定めしつつ時間をつぶす。
なんか土産でも買って帰ろうか、いやいや、あいつはこれ以上、糖分を摂ってはいけない、などと考えこんでいると、ふと、気づいた。
通りに面する窓ガラスに、小さな動物のようなものが落下してくる。
いや、衝突、といったほうがいいのかもしれない。
硬質な音とともに、それ、は二、三度、衝突を繰り返す。
小さな鳥のようにも見えた。
黒いスズメのような鳥。
よく見れば、尋常のものではない。
頭部にあたる箇所には目はついておらず、魔法陣のようなものが張りついている。
これは東魔で見たことがある。
呪師たちがよく使う式神───呪師によって使役される魔物である。
見ていると、幾度も、ガラスに衝突することを繰り返していた鳥の魔物は、次にぶつかることはなかった。
ぬっと嘴がガラスをすり抜ける。
ガラスから飛び出すやいなや、羽ばたきながら俺のほうに向かってくる。
それを片手で掴み取る。
ガラスをすり抜けた挙動以外はただの鳥のようだ。
捕まえた魔物をジロジロと観察していると、また同じ音が聞こえた。
コツンという硬質な音。
しかし、今度は数が多い、雨粒のように店内に音が響く。
店内が一瞬、暗く翳る。
視線をあげると、窓の外に魔物の大群が雲霞のように押し寄せる。
雲に見間違うほどの、鳥の大群だ。
そいつらがガンガン、ガラス窓にぶつかってくる。
追跡者は、俺の場所を把握したので一気に仕掛けることにしたようだ。
事態に気づいた店内の客や店員がざわめきはじめる。
俺は手に掴んだ鳥を放り投げ、足で踏みつぶす。
それは、黒い煙をあげて消えた。命のある生命ではないのだ。
術により生み出された動く魔術。使役獣はそういったものだ。
俺は店から出ることにした。
このままこの店にいると、迷惑をかけてしまうことになるからだ。
食料の入った紙袋を片手で抱え、走りつつ、考える。
背後からは鳥の群れが追いかけてくる。
───追いつかれるのは時間の問題だ。
一匹一匹はたいした力を持たないが、たかられると目立ちすぎる。
居所も敵から丸見えになる上に、うっとおしい。
魔力で形作られた獣であるため、殺したところで、術者を倒さないかぎり再生するだろう。
───この鳥たちの術者を倒すのが一番、手っ取り早いのだが。
さて、どうやって、探したものか。
その時、コートの胸ポケットが音を鳴らした。
端末を片手で操作し、耳にあてる。
アルビレオからの連絡だ。
「今、取りこみ中だ」
言うと、連絡先の相手は不機嫌そうに言った。
『僕もだよ。そっちの状況は把握してる。君はいい中継地点なんだ』
どうやらアルビレオも、この事態に気がついていたようだ。
それにしてもタイミングのいいことだ。
「俺は何をすればいい?」
『僕の転移術から向こうは君を見つけたが、僕は君を通じて向こうを見つけた。このまま通話を続けたまま走り続けてくれ』
「どこまでだ?」
『どこでもいい。僕が逆探知し終わるまで、鳥に捕まらなければいい。あとは僕が対処する。不快だったんだ、東魔国から僕をつける不出来な術。何度も障壁にアタックをしかけてきて、うっとおしい。ここで仕留めるよ』
「つまり、時間を稼げばいいのか?」
『そういうこと』
「捕まったらどうなる?」
『別にどうもならない。君が痛いだけだ』
いやな未来を想像した。無数の鳥についばまれる未来だ。
この程度の魔物についばまれようと痛くも痒くもないが、鳥の大群にたかられながら買い物をする男は悪目立ちしすぎるだろう。服を買いに行く服がない状態より、もっと悪い。
───怪奇鳥男の完成である。
足を止めるわけにはいかないようだ。
携帯端末を通話中のまま胸ポケットに戻し、紙袋を道路の隅の方に置く。
刀から鞘を取り去る。
一閃。
背後に紙切れ一枚ほどにまで迫っていた鳥の一群を切り払う。
一時、黒い雲が晴れるように、光が差すが、ほんの数秒で新たな鳥に覆い尽くされるが、時間が稼げればそれでいい。
ついでに、啄まれずにすむならもっといい。
鞘に、刀をもどし、走る。
竜の体は人間以上の身体能力を持っている。
───竜とは、獣の中の獣。
───魔物の中の魔物であり、上位魔族の貴種であり、人の知性を兼ね備えた生命体。
地を蹴って、飛び上がる。
空中に力場を張って、そこに足をかける。
魔力で作った見えない階段だ。
俺は一気にビルの5階分の高さを駆け上がる。
見下ろすと、獲物を捕らえようと、こちらに一直線に上がってくる群れに、再び鞘を抜く。
───白刃が夕日を受けて閃いた。
落下する力とともに地上へ向かって切り裂く。
地上へ着地。
半分ほどに数を減らした群れが、モヤのように集合し、増殖しようとする直前、携帯から声が聞こえた。
『見つけた』
ぞっとするほど冷酷な声だ。おもしろい玩具を壊す瞬間のこどものように、あの蠱惑的な唇は笑みを浮かべていることだろう。
胸ポケットから聞こえる音声が変化する。声は変わらない。
だが、その質が、違う。
二重に三重に、重なって聞こえる声。琴の弦をつま弾くように、この世ならざる法則によって振動し、音律を象り、反響する。
魔力を帯びた言葉によって、魔術がこの世に実行される。
『【魔の鳥よ、汝の住処に還るがいい】』
歌のようにも聞こえるそれは、音声による詠唱魔術だ。
魔術はすみやかに世界にたいして実行される。
それそのものがこの世にあらわれることを望むかのように。
この世の条理を覆すため。
『【時計の針は巻き戻るがいい。命は乱れよ、術は解けよ、汝の主人の胸へと還れ】』
アルビレオの詠唱によって、空を覆うような鳥の群れは一瞬、空中で停止し、それからひとかたまりになった。黒い生き物が解け合い、形を無くし、巨大な球形のボールのようなものに変貌する、と思った次の瞬間には急に捻れ、引っ張られるように細く伸びると、長い槍のような形状へと変貌する。
それは、瞬く間に発射された。
宙を、弾道を引きながら飛翔。
あっという間に空の彼方へと消え去った。
俺の耳につまらなさそうな声が届く。
『児戯だ。つまんないね』
いつもの調子だ。
こどもっぽく、不安定な声。
「術者は殺したのか?」
俺は聞いた。
『殺す? なんで?』
不思議そうに聞き返される。
俺はどう説明したものか躊躇した。
今の術者にはこちらが何者かが見られている。
放っておけば、今回の魔術戦で得た情報を共有するはずだ。そうすると、元・職場から絶賛逃亡中の俺がアルビレオと共にいることまで芋蔓式にバレるかもしれない。
───殺すのが最善だ。
しかし、アルビレオがそうしているところは考えたくない。
俺の立場としては、殺した方がいいと、アドバイスするべきでもあるのだが、それも、どうにも気がすすまない。
甘いことだ。
『こんなのただの遊びだよ。実力があれば、生きているんじゃないかな。そんなに強い術じゃなかったし。放たれた魔術を返しただけだから』
アルビレオの言葉に、ほっとしたというわけでもなく、ひたすらに苦い気持ちが胸に広がる。
───今日の俺は、役目を果たせていない。
兵器としては無能すぎる。
使い魔としては、雇用主に、有能なところをアピールしておきたかったものだが……。
「そろそろ帰る」
言うと、あっけらかんとした返答がかえってきた。
『あっそ。どうでもいいけど……』
口ごもる。
それから、彼は言いにくそうに切り出した。
『えっと、今日はありがとう、君のおかげで助かった』
礼を言われるが、まったく心あたりがない。
俺は首をかしげた。
*
港町・イサリオ市内のとあるアパートの一室。
照明の落とされた暗い部屋には、テーブルや椅子といった家具は一切ない。
代わりに、室内の床には、魔法陣が描かれていた。
魔法陣───幾何学的な図形と魔導術式の羅列──それは血で描かれた、西央式魔導記述式。
魔法陣の中心で、一人の青年が倒れた。
「く、くそがっ……俺が、俺の魔術が返されただと……!」
胸を叩き、幾度か吐血する。
彼の胸には、白く輝く槍が突き刺さっている。
アルビレオによって返された呪詛、その幻視だ。
───彼の名は、楠。
東魔国アスラ王家に代々使える魔道五家の青年である。年の頃は、17ほどに見える。 やや痩せぎすな体躯に、肌は不健康そうに青白い。
彼の額からは、鬼人である証───額から生える角があったが、彼のそれは不揃いで、形はこぶのように見栄えが悪い。
一目で鬼と人の混血児とわかる姿。
先ほどの魔術戦で返り討ちにあった男は、自らが放った呪詛によって悶え苦しんでいる。
「かわいそうなお兄様」
のたうち回る青年の背後、室内に蔓延る闇の中から、そっと一人の少女が歩み出る。
「つ、椿」
青年──楠が少女の顔を怯えたように見上げる。少女の額には、小ぶりながらも、二本の形のいい真珠のような角が並んでいる。
純血の鬼人───少女は、アスラ王家、第二王子エンファのそば近くに仕える呪師である。
艶やかな黒髪を肩のあたりで切りそろえ、雅やかな朱色と金色の絹の衣装に身を包んだ少女。
椿は、血の色の唇に、花のような笑みを湛えた。
花とはいっても、血に濡れる毒々しい花だ。
「あわれなお兄様……、独断専行をした上で、術まで返されるとは、さぞ、お心が痛むことでしょう」
「うるさい! お前なんかに俺の気持ちがわかるか! あと一歩だったんだ、あと一歩で、俺でもやれるって証明できたのに……!」
青年が自分より一回りも年下の妹にわめき散らす。
椿と呼ばれた少女は、柔和な微笑みを絶やさず口を開いた。
「お優しいエンファ様は、この度のことを咎めないと仰せです。お兄様はお戻りになって、お体を休めねば」
「うるさい!」
青年が少女の体を突き飛ばそうとする。
しかし、その手は少女に触れる直前で止まった。
青年は一度ぎくりと体を震わせ、それから崩れおちるように少女の腕の中に倒れてゆく。
アパートの一室は、いつの間にか甘い香の匂いで満たされていた。
少女の扱う術によるものだ。
少女が腕の中で昏睡する兄へと、嘲るように囁いた。
「かわいそうなお兄様……。まさかアルビレオ様と、いい勝負ができたとでも思ってらっしゃるのかしら? 結果は目に見えているというのに。せめて、この度のことはお忘れになって」
少女は兄の胸元を撫でた。
鼓動の音が聞こえている。
───そこは先ほど、白く輝く槍が突き刺さっていた箇所である。
少女は、兄の体を撫でながら、兄の胸を穿った魔術の痕跡を調べた。
指で魔力の反応を辿る。しかし、兄以外の魔力の痕跡は感じ取れない。
───自らの放った術をただ逆方向に向けられただけ。
椿は思う。
アルビレオ───かの人は、魔導士にしてはやさしい。
まるで、おさなごのように。
少女はそう考える。
彼以外の魔導師であれば、兄は生きてはいない。
その気になれば、いともたやすく兄を殺す力があったにもかかわらず、彼はそうしなかった。
「うらやましいわ、アルビレオ様。わたくしも選帝侯の座に登ることがあれば、エンファ様を王にしてさしあげられるのに」
彼女はつぶやいた。
そして、こうも思う。
第二王子であるエンファ様を使い魔に望むなど、わたくしごときではおこがましいわ。
西央の選帝侯は皆、いずれも魔導士としての最上の位を極めたものたちだ。
彼らほどの実力があって、はじめて、魔王の契約者たりうる。
13人の選帝侯、13人の仮の玉座。
椿は、もう少しだけ、彼について、思いを馳せた。
───妬ましくもある、しかし、憧憬の気持ちも真実だ。
彼でなくても、選帝侯であるならば、誰に対してもそのように感じる。
なぜなら、選帝侯たる魔導士は、王とともにあるものだからだ。
*
帰宅したレイヴンに僕はこってり絞られた。
追跡者を逆探知するために、レイヴンを囮にしたのがバレたのだ。
「そういうことは早く言え」
レイヴンがチクチクした口調で言う。
場所は屋敷のリビング。
テレビでは、イサリオという港町で、謎の鳥の群れが人々を襲ったというニュースが流れている。
僕はうなだれつつ、三十分前のことを思い出した。
───レイヴンは、帰るなり、いきなり、僕にこう聞いた。
今日のことは、どう考えてもタイミングが良すぎたが、もしかしてお前の仕込みか?
僕は答えた。
その通り! 察しがいいね! 大正解!
───それで僕はその後きっちり詰められて、反省させられている。
さすがに無断で人を囮につかったのは許されなかった。
「悪気はなかったんだよ、悪気は」
悪気はなかった。僕をつけ狙うストーカー呪術がうっとおしかったのは本当だし、いずれ対処すべきだとは思っていたが、ちっぽけな鳥の魔物群を僕自身の手で焼き払うのは面倒だった。
───スリッパで、ゴキブリを叩き潰したくない、そういう心理だ。
できれば穏便に自ら帰ってもらいたい。
そこで呪詛を返すために、ストーカーの身元が必要になったのだが、これを割り出すためには、ゴキブリを自ら捕まえる必要がある。なんかいやだ。
どうしようかと迷っているうちに、レイヴンが屋敷をうろつき始めたので、これ幸いと思って、僕は彼を目的の街に送り出したのだ。
渡りに船ってやつだ。
レイヴンに向かって殺到する追跡魔術は、僕を感知しない。
レイヴンががんばっている間に僕は術者の身元を割り出した。
それから携帯でレイヴンと通話したら、あとは回線を通じて、その場に呪詛返しの詠唱魔術を発動するだけだ。
ゴキブリ群は自らの意思で、主人の元に帰って行った。
───スッキリ爽快な結末だ。僕らの住む屋敷の中は清潔になった。
僕の顔を、レイヴンがじっとりと見つめた。
「そういう必要なことは俺に命じればいい。そのために俺がいるんだ」
「でも、結果は変わらないでしょ。君がその街にちょっとお使いに行ってくれればいいだけなんだから」
「結果が変わらないのは、相手が格下だったからだ。しかも、取り逃したぞ。どうするんだ、東魔の呪師相手にもう俺が生きてるってバレたんだぞ、はやすぎだろ」
「君が生きてるってバレたらダメなことでもあるの?」
「ぐっ……」
レイヴンは唸る。
なんかこいつ、探られたら痛いところがあるみたいだな。
レイヴンがグッと堪えて言った。
「とにかく、今回は格下だったから良かったが、これが、もっと手強い敵だったら困ったことになったかもしれない、そういう時は、こっちにも事前に情報をよこしてほしい。知っているか、いないかでは、現場の判断が変わってくる。ゲームの勝率も、前線の動きによって変わってくるだろ?」
「そんなもんなの?」
「そんなもんだ」
重々しく頷く。
彼の言うことにも一理ある。
世界監視機構は、これまでは僕1人のギルドだったけど、レイヴンが加入してからは、2人になったのだ。
今まで通りのやり方ではうまくいかないこともあるだろう。
「僕、いつも1人だったからな、今度から気をつけるとするよ」
「そうしてくれ」
「それで、君は、何を買ってきたの?」
僕はレイヴンの手元に目をやった。
彼は紙袋を持ち上げた。
中にフライパンが入っている。
「食料品だ、そのほか入りようなもの」
「食べ物……? なんでそんなものが必要なの?」
「ここには、ろくな食いもんがないからだ」
レイヴンが言う。
僕は憮然とした。
「あるだろ。チョコレートケーキ」
「普通の人間はケーキばっか食わない」
「そんなことはないよ、バースデーケーキは毎日食べたっていいくらいだ。毎日が祝福すべき日なんだよ。毎日が誕生日だから、毎日ケーキを食べるんだ、なんでもない日なんて一日だってないよ」
「なに言ってるんだ、誕生日は一年に一回だろう」
レイヴンがキッチンに消えていく。
それからすぐに帰ってきた。
「待て、今、なんか変なこと言ってたな。毎日、ケーキだって? いっておくが、普通の生命体はバランスの取れた食事が必要なんだ、わかるか、栄養価だ」
「ケーキが食事だよ。僕は毎日コレなんだ」
テーブルに置いた、チョコレートケーキの皿を見せる。
レイヴンが呆然としている。
「嘘だろ。体、こわすだろ、それじゃ」
「これで不調になったことはない」
「そんな馬鹿な……」
頭を抱えている。
なんだか複雑な悩みを抱えているようだ。
僕はケーキをフォークでつついた。
レイヴンはおかしなことを言うものだ。
───僕の体は、普通の人間の体とはちがう。
僕は、とくに食べなくても、不調は覚えない体だ。
一体いつからそうなったのかは、覚えてないけど、覚えてないってことは気にしなくてもいいってことだ。
あきらかに僕は異常だ。
だが、僕にとって不都合はない。
食事というものは、全部これでいいと思っている。
レイヴンが動揺をかくせないように口走る。
「と、とにかくだ、今から食事を作るが、お前も食べろっ。飯を食え、普通の飯を」
「やだね」
「やだねじゃない、わがまま言うなっ」
「絶対やだ!」
低レベルな口論を交わしつつ、イルミナの夜が更けていく。




