第9話 魔導詠唱初級講義
休日。
世間の人間のいうところの仕事を休む日のことだ。
俺は休日に、アルビレオとカフェテラスでのんびりしていた。
今日も快晴。場所はラング公国という西央魔導教国の隣国。
小国ではあるが、人類の魔導士たちの多い平和な場所だ。
歴史も古く、特に西央の庇護を受けた人類貴族たちの憩いの社交場。
東魔国をはじめとしたそのほか諸々の魔族領域諸国に色こく残る戦禍の痕はここには影も形もない。
たださわやかな風が吹き、やわらかな陽光があたりを照らす。
ビーチに面する高台にあるカフェ・トロットのテラス席からは青く輝く海を眺めることができる。
アルビレオは、この店のチョコレートタルトを気に入っているらしく、ちょうど近場まで寄ったので、休憩がてら立ちよることになったのだった。
それにしても、穏やかな一日だ。
波の音や、観光客の騒ぎ立てる声に耳をかたむけつつ、考える。
こんな休日は何年ぶりだろう。心の中にまで陽気が忍び寄ってくるようだ。
───いいや、こんなふうに休日を過ごすことになると、想像したことなどなかった。
彼に会うまでは、一度も。
椅子の背にもたれて、向かいを見る。
明るい金髪が風に少し揺れている。彼は先ほどから一抱えほどある大型の書物を読み耽っていた。ページを一枚めくり、つぶやく。
「最近の解析士たちの頭脳環は面白い」
「さっきから読んでる、それってなんなんだ」
聞けば、頭を本に埋めるようにして読み耽っていた少年が、緑の眼をあげてこちらを見る。
アルビレオは、何をどう説明したものか少し考えてから、口を開く。
「これはね、魔術の記録だよ。えーと、魔術師の頭の中、つまり心理領域を解析士と呼ばれる専門職が読み取って、本の形に仕上げたもの。人の頭脳を環のように切り取るから、頭脳環記録媒体【レコード】」
「それは、どういう時に必要なものなんだ?」
「魔法というのは、千差万別。個人の発想によって大きく変わり、術者が死ぬと永遠に消える危険性がある。でもこの解析士たちの本があれば、どんな魔術師の魔法も保管できるんだ」
「そこまでして、保管したいものなのか? 魔術って」
アルビレオは説明を続けた。
「生前の意思による。昔は魔導書って言ってたんだけど、人が書くよりずっとそのままだから。音程とか音階とか、微妙に都度都度、変化する環境とか、魔導術式の設定とか、その人の練度やセンス、状況判断、そういうのを詳細に読み取って抜き出すんだ。社会的な貢献のために脳みその全てを読みこませる人もいれば、解析士たちとの契約で部分だけを抜き出す人もいる。魔導士たちの業績の証なんだよ。最も広く読まれたものは『戦闘における詠唱魔術・全属性版』という1000年ほど前の魔導士レイ・ダリウスという人のものだろうね。彼は英雄魔術師と呼ばれるほど、戦闘に抜きん出ていたんだ。全92巻。初級魔導士の基礎の基礎となっていて、今でも、君たち魔族が戦闘時に使うちょっとした詠唱魔術なんかはこれを元にしているんだよ」
アルビレがつらつらと説明する。魔導士による魔術の解説はかなり役に立つものだ。
俺はためしに聞いてみた。
「たとえば凍結魔術とか?」
「そうそう。凍結魔術は簡単な詠唱で空気中の水分を凝縮したり、液体から固体へと状態を変化させれるから壁にしたり、氷の礫にしたり、水鏡といって幻影魔術への派生もあったりと、色々と使い勝手が良くて……水精霊たちも人間に親和的だから精霊魔術の難度も低い上に威力高くて、手数が多いから相手にすると厄介……」
「どうした」
楽しげに語り出すアルビレオだったが、ふと口をつぐむ。気まずそうによそ見をして、うつむく。
「……語ってしまって、すまない」
「なんで謝るんだ? もっと教えてくれ。参考になる」
気恥ずかしそうに本のページを弄っている。
「と、とにかく、頭脳環と呼ばれる記録媒体装置は、僕ら魔導士にとっての研究対象だから、これを読むのが僕は好き。これは写本で、オリジナルレコードは、ラング公国の解析士図書館にしかなくて、えっと……だから、今日はここに来たんだよね」
今日はラング公国の解析士図書館にいくというアルビレオの護衛のために、俺はここにいるので、それ自体には特に思うところはないのだが、アルビレオ本人はなぜか恥ずかしそうだ。
「ふむふむ、今読んでるのは?」
「グレアフィールドの医療魔導大全。高名な医療魔導士で、闇医者で活動していたこともあるらしい。慈善家で、いろんな戦地に赴いては無免で医療業務を行っていて……」
すごい経歴だ。世の中にはいろんな人種がいるものだ。
アルビレオの話はためになる、ような、ならないような、その中間くらいだが、彼が話す言葉は聞いていても飽きがこない。
不思議な感覚だ。なぜそう思うのかは、いまだに不明だ。
「勉強家だな」
素直な感想を口にすると、アルビレオはさらに照れてしまったようだ。
再び、本に顔を向ける。
「僕は、治癒魔術は得意じゃない。変な怪我しないでね」
「医療魔術と医療と治癒魔術って違うのか?」
何気なく聞く。
彼は律儀に答えた。
「違う。治癒術師と病院に勤務する医療術師たちは、精霊術師と魔導士くらいの違いがある。魔導と科学は密接に絡みつきつつも、実は科学からは深く拒絶されているのが魔導だ」
「ふむ、深い断絶があるんだな。俺は専門外だから、よくわからんが、面白いならよかった」
チラッとアルビレオがこちらを見る。
「レイヴン、別についてこなくていいんだよ。ここは西央魔導協会の隣国の小さな国だけど、こんな場所でバカをやらかすような奴はいないから。魔導協会所属の解析士たちのお膝元だよ」
「いや、最近は物騒だからな。護衛の仕事にいらない日はない。それに、たまに出歩くのは楽しい」
これは本音だ。屋敷にいても特にやることはない。それくらいなら、アルビレオのそばにいた方が有意義だ。もちろん護衛の仕事も兼ねているので全くの休日というわけでもない。
めずらしく、彼が人を気遣ったような顔をしているのも、楽しい。
雇用主の新しい一面の発見だ。
「でも、もう少し、読みたいな。暇じゃない? 嫌じゃない?」
「暇じゃないな。気にするな。俺はお前を見てると飽きない」
これも本音だ。
アルビレオを見ていると本当に飽きない。面白いことだ。
彼は、納得していない顔つきながらも、読書に戻る。こどもの小さい手がページをめくる。風が髪を揺らす。サイダーの氷が溶けて音を立てる。
こういうのも悪くない。
サイダーを飲んだり、海を見たり、アルビレオを観察したり、ぼんやりとしていると1時間くらいはあっという間に過ぎていた。
血とか、煙とか、汚物や骨や弾丸や、銃撃戦による騒音も炎精霊術による爆撃の轟音とも無縁の、まるで別世界で過ごすような一日。
悪くない。
世界中がここと同じくらい平和なら、俺の存在は不要なものだが、あいにく世界はそうじゃない。
観光客に紛れるようにこちらに近づく人影。
歳のころは18くらいか?
よく見れば額に不揃いな角が見える。長さも形もまちまちで、ツノというよりは、皮膚に浮き出る固いしこりのようなもの。
これは血の薄い混血児だな、と容易に判別できる。成人の鬼人の角は、湾曲し、硬質な輝きをもつものだ。
何者かは知らないが、こちらに並々ならぬ敵意を向けていることはわかる。アルビレオただ一人を見つめていることも。
俺は椅子から立ち上がって、アルビレオとその不審者の間にたつ。
「ほらな、すぐ必要になった」
ベルトに吊り下げた刀を意識しつつ、アルビレオに声をかける。
*
僕は声をかけられて目線を上げる。
レイヴンがなにやら戦闘モードに入っていて、僕は声を上げた。
「なんだ、物騒だな。ラング国で刀を抜くな、ここは魔導士の国なんだぞ。魔導戦には優しいが、殺傷事件には厳しい、そういうとこなんだ」
「なんだそれ、治安悪くないか」
「この魔界に治安のいいところなんてあるわけないだろ。カフェ・トロットみたいにばか高い魔導災害保険に入ってるとこだけが、この国で商売ができるんだ!」
「うーん、やっぱ魔界って野蛮」
レイヴンがぼやいている。
今さら、何を言ってるのかわからないが、ラング公国や西央魔導協会といった魔導士の国では魔法戦は大目に見られる。街中で銃撃戦が始まるようなものでも、使っているものが魔導術式によるものならお咎めなし。人類領域で比較的穏やかとはいえ、魔族の魔導士も多く在籍するため、どこにも平和なんてものは存在しない。魔族の好戦的な感性は本能なので、どうにもならない。とはいえ、この区画で大きな抗争が発生しないのは、魔導協会のお膝元であることと、そこら中に高位の魔導士たちがゴロゴロいるからだ。
とにかく性格が悪い連中で、若者たちの魔導による決闘を見ては、即日、ネットのおもしろ動画の仲間入りになる。
最低の国である。
「とにかく、席にもどれ。ここで刀を抜くと、僕が、協会の爺さんたちに小言を喰らわされるんだ。使い魔の躾ができてないですね、とか、そろそろ正式な使い魔を持てとか、うんざりだ」
「それで俺を連れ歩くの渋ってたのか?」
「それもある、あるけど、きみ、魔術に興味ないだろ! つまんないかと思ってるのはほんとだけど」
「あるぞ、興味、バリバリだ。極光位アルビレオから聞く魔術解説は値千金だ。この先どんな魔術師にあっても、対応しやすいだろ。魔術師どもは初見殺しのハメ技が好きだから、初手から殺すのが正解なんだ」
「純粋な知的好奇心とは違うだろ、それ! 不純!」
席に戻れと言われたので、男がすごすごと戻る。僕の言うことを聞いたようだが、彼の視線は鋭く一点を見つめていて、戦闘モードは解けていないことがわかる。
不審者は、五メートルほど距離を空けて、止まる。
レイヴンの扱う力場の魔術は、これくらいの距離ならたやすく弾き飛ばせるだろう。彼が大人しく席に戻ったのは、この距離が戦闘解除に当たらないからだ。
ドラゴンの体格に合った射程範囲だ。
実際のところ、力場の射程に関してはレイヴンは、他者に悟らせないように振るまっているので、この僕の目をもってしても、見抜けていない。こういうところが異常に用心深く、僕がこいつをイマイチ信用しきれない点だ。
「えーと、何あの、えーと、君の知り合い?」
「いや、全然」
レイヴンに質問を投げるが、首を横にふる。
青年がこちらに声を上げる。
「貴様が、アルビレオか」
「そうだよ、君は誰? 僕ら、知り合い?」
聞くと、青年は顔を上げた。血の気の薄い顔だ。黒髪に、額の生え際には小さい角が生えていて、神経質そうな顔立ち。体型は痩せ型で、いたって普通の青年だ。全く見おぼえがない。そして、なんだかすごく怒っている。
「挨拶は抜きだ。アルビレオ、貴様の腕前、見せてもらおうか!」
「うえっ、なんでっ? 君だれ、どういう状況?」
まったく状況がつかめない。
青年は額に青筋を立てて、怒号のような叫びをあげた。
「問答無用だ、喰らえっ! 【絶えざる炎の精霊よ】【今、我が敵を灰燼に帰せ】【炎霊弾】!」
つまんない詠唱だ。
男が火炎魔術を放つ。これはオーソドックスな火炎魔術で、炎精霊の力を借りて炎の弾丸を放つというもの。
僕は本を閉じて、トランクケースにしまう。
図書館から借りた本が汚れたら大変だからだ。
僕らの席に着弾する前に炎が消えた。
「な、なに、なんだとっ。くそ、【天より堕ちよ災禍の獣】【雷獣矢】!」
次は雷の魔術。これは狙った地点に雷撃を矢に見立てて落とすというもので、術者の魔力量に大きく依存している。
魔術が消失。
「つ、次こそは…【闇より来たりし暗黒の…】」
「マナー違反だよ」
詠唱の途中だが、僕は介入した。最後まで見る価値がないからだ。
属性魔術は短い詠唱で発動できる。この世にありうる事象を再現する魔術は簡単で、戦闘中の合間に使ったりする人もいる。内容も似通ったものだ。魔術というのは使う前に術式を組んでおくもので、この術式に何が起こるか、どんな魔術か、威力はどれくらいかといった細かな指定をしておく。詠唱によって組まれた術式に魔力を通す。そういうもので、戦闘中に使われる魔術の形式は概ね一定だ。戦闘の際には一分一秒の判断の方が優先されからだろう。馴染みの深い術を瞬時に発動できるほうが強いため、戦闘時につかわれる魔術は単純化されている。
なので、簡単にキャンセルできる。
キャンセルというのは発動された魔術を上書きしているということだ。消すべき術文がわかっているので、慣れてしまうと楽だ。こういうわけで、詠唱魔術と無詠唱魔術なら、どんな魔法を使うか悟らせない方が有利に立ち回ったりする。無詠唱でも組んでいる魔導術式は同じなので、練度が違うと発動をキャンセルできる。
今回は息をするように簡単だった。
レイ・ダリウスの『戦闘における詠唱魔術・全属性版』の第一巻の内容である。
つまり、魔導学院の初級学生たちの習う内容だ。
「それで、君は誰だろう? 人に初対面で、戦闘用魔術を当てるのは、とても無礼だと思うけど」
「くっ、な、何をした、今のは…」
「ええ、僕が名前を聞いているのに。えーと、今のは君の使ってる魔術を上書きした。詠唱魔術で即時発動タイプの場合は、術文を後からオーバーライドできるんだよ。これがキャンセルという技術で、これを防ぐにはその場で完成させる魔法じゃなくて、すでに出来上がった完成品を発動させるのが対策として考えられるよ。でもそこまですると、詠唱魔術の利点である即興性が失われるから、リアルタイムの戦闘には向かなくて……」
「アルビレオ、答える必要はない」
レイヴンが釘を刺してくる。僕はハッとする。
「そうだった。僕が聞いているんだった」
話が脱線していたのでありがたいところだ。
「くっ、出直すか……おぼえてろよっ!」
言って、青年は踵を返して、走り出す。
逃走。
足は早い。
彼はあっという間にテラス席のある通りを抜けると、見えなくなってしまった。
「い、今のなんだったんだろ」
僕が呆気に取られていると、
「追うか?」
と、レイヴンが聞く。
僕は却下した。
「いい。とりあえず、ココアを飲んで落ち着くよ」
「そうしろ。いきなり不審者に出くわすとは、災難だったな」
レイヴンが僕の手元にココアの入ったカップを寄せる。
頭脳環を読んでる間、わきに置いていたものだ。
「びっくりしたなぁ」
言って、ココアのカップに口をつける。ちょっと冷めていたが、甘くて美味しい。
特になにごともなく済んだので、別段騒ぎにもなっていなかった。
観光客の人たちも、避難すらしていない。
和やかな雰囲気のままだ。
レイヴンがチョコレートタルトの乗った皿を手渡してくるのを受け取りつつ、僕は今さっきの出来事を思い返した。
一体、なんだったんだろう。
*
僕はココアを飲みつつ、チョコレートタルトをつまみ、先ほどの出来事について考えていた。カフェ・トロットはラング解析士図書館から歩いて15分の距離にあり、この店で出している菓子類の類は絶品だ。それなので僕はこの店に何度か足を運んでいる、のだが、先ほどの不審な人物は、僕の行動をそこまでくわしく把握しているのだろうか。
「なんで、僕の場所がわかったのかな」
ココアをスプーンでくるくるとかきまぜる。
彼の魔術は稚拙だった。単純すぎる戦闘用詠唱魔術。西央式魔導記述式は覚えたて、といった雰囲気だったのに、それにしては、僕の居場所をピンポイントに特定した、というのが違和感だ。
僕が今いる場所を特定できる人間は限られている。
協会所属の13選帝侯、もしくは魔導協会所属の高等魔導師たち、クレオら在野の極光位たち、そんなものだ。僕の方から、居場所がバレるような動きをしたのでなかったら、そうそう見つけられるものではない。最近、変な懸賞サイトに応募したり、変な広告に引っかかったりもしていないし、となると、考えられる可能性は……。
レイヴンが言う。
「あれは鬼人だ。混血児。鬼の呪師だな」
「君、鬼人の魔導士と関係は?」
「ある。というか、軍を離れる際、荷物は全て置いてきた、俺を割り当てるのは、中央魔導院の呪師なら簡単だ」
「たしかめてみよう」
僕はトランクケースを開けた。中から、青い正八面体のサイコロのような魔石デバイスを取り出す。これは、中に、魔導術式で構成されたラットが入っていて、探知や索敵を行うものだ。戦闘詠唱術と異なり、こちらは事前に僕が組んだ完成品のプログラムなので、詠唱を行う必要はない。サイコロの頂部を2回叩き、起動。蓋が外れるように、サイコロが分割され、中から、10匹の青白い魔力光で光るネズミが飛び出ていった。
「それは?」
「鼠だ。魔導術式でできた擬似魔法生物で、今、相手の探知用呪術を追わせてるところ。レイヴン、君が探知されているとしたら、あれかな。以前、僕が返した不出来な魔物使役術、あれは東魔国から君をスカウトしてすぐだったよね」
「……ああ、よくおぼえてたな、そんなに昔のこと」
「あの時は、呪詛は返したし、たんに協会の魔導士にいやがらせをしたかったんだと思ってたんだよね。僕を追ってくる意味がわからなかったし、でも、今回もそうだとすると、君と僕が一緒にいるって、向こうはわかってるんだね。いやがらせにしてはしつこいし、今回の探知術は、僕に気取らせないほど巧みだ。術者は先ほどの彼、ではないのは確実」
「悪い。十中八九、俺のせいだ」
「いいんだ、これは僕の落ち度。1回目の時に対策すべきだったんだけど、まさか、君をそこまで追うとは思わなかった。普通、任務を放棄したといっても、探知魔術まで使って居場所を探り当てたりしないよ。それにさ、たかだか一兵士をここまで執拗に追いかける理由なんてある? 君さ、東魔国で何をしていたの?」
「王宮警備兵だ」
レイヴンが即答する。
いつも無表情な彼がめずらしく爽やかな笑みを浮かべている。
「本当に?」
「本当だ」
レイヴンがうなずく。
その顔は嘘を言っていないように見える。
そもそもレイヴンが僕に嘘をつく正当な理由があるだろうか?
僕はちょっと考えた。
特にない。
いつも真面目な彼がそういうのなら、本当なのだろう。
「それなら、そうなんだ!」
「そうそう。それに、東魔国では足抜けは大罪なんだ。任務放棄は死刑でもおかしくはないぞ」
レイヴンが冗談めかしていう。流石にそれはレイヴンの嘘だろう。
死刑なんて大げさだ。
僕は思わず少しだけ笑ってしまった。
「へー。大変。僕のとこに誘っちゃって悪かったかな。知らなかったとはいえ、東魔国って僕が思っているより福利厚生とか、退職の自由とか、ないんだね」
「ないな。ないない。そんなものはあの国には存在しない。ブラック企業ならぬブラック国だよ」
「そうなんだ? それでも、たまには帰りたいって、思ったことない? なんと言っても、君の故郷なんだし」
サイコロをテーブルに置いて、ココアのカップの取っ手をいじる。中身の液体はミルクとチョコレート部分がぐるぐる混じり合っている。
レイヴンにとってあの国は故郷で、故郷というのは僕には理解できないが、郷愁を抱かせるものらしい。しかも、僕はあの時、気まぐれに、いや、認めよう、かなり衝動に駆られて誕生日プレゼントがほしかったものだから、今から思うと、彼の迷惑なんて一つも考慮しなかった。
もしかして、僕の勧誘は、あの時の彼にとっては結構、大迷惑だったのではないだろうか。
「思わない」
レイヴンがはっきり断言する。
「そ、そう? 帰りたくなったら、いつでも言って。なんとか折り合えるように、こっちからも手は尽くしてみるけど……魔導協会は、政治的な存在だから交渉できなくもない」
レイヴンが射抜くような目で僕を見る。
居ごこちが悪い。
ココアのカップをおいて、手を引っこめようとする。その手をレイヴンが掴む。
「アルビレオ、お前は俺の主人だ。俺がそう決めたんだ」
「あ、主人って、まだそれ言ってるのか。僕は、そういうつもりじゃない。雇用主と非雇用者の関係だよ。ビジネスライクにいこう」
強い力で掴まれているわけでもないのに、レイヴンの手はふり解けない。逃げ場が一つずつ塞がれていっているような気まずさに、僕は今すぐこの場から逃げ出したくなる。
「いい機会だから、一度、言っておこう。帰るつもりで故郷を捨てるほど馬鹿じゃないし、甘くもない。ビジネスの関係に徹するつもりは……」
レイヴンが、なにか言いかける。
それと同時に、鼠がテーブルに乗り上げてくる。
「あっ、探知完了だ。こいつめ! ご苦労さま!」
これこそ天の助けというやつだろう。僕はレイヴンとの話を強引に切り上げた。
青白く光る鼠は、口に、蝶のような虫を咥えている。
これが敵の探知用魔術だろう。
血統呪術による血を媒介にしたモンスターの使役術。
僕の鼠の方が強くて優秀だったので、向こうのモンスターを持って帰ってきたのだ。
僕はこの結果にかなり満足した。
「話は終わっていないんだが」
レイヴンが憮然とした声を出している。
僕は無視した。
「そんなことより、今は目の前のことだ。今度はこっちから出向いて、敵の思惑を確かめに行こう」
僕は鼠に新たな指令を与える。
蝶を咥えたラットがテーブルから降りて、走り出す。
こちらがついてくるかを、振り向いて確認しつつ、止まる。
術者のもとへの道案内だ。
血を媒介にした魔物使役による探知術。
気配を悟らせないほど、精度の高い術だったけど、一度タネが割れてしまえば、魔術的に重要な因子である血液を使っているだけに、術者の居場所はすぐにわかる。
僕は、トランクケースを持って、テーブルから立ち上がる。
とにかく、この謎の追跡者の正体と目論見を暴く必要がある。
事件は複雑怪奇だ。
この事件の謎を解くためには、レイヴンとのきまずい関係なんかにかかずらっている余裕はない。
僕は名探偵のつもりになって、今だけ、レイヴンのことは頭から追い出した。
追跡調査開始だ。
*
東魔中央魔導院に在籍する魔術師は、血統が全てだ。
鬼人の魔術は血によるもの。純血の鬼こそ強力な呪師となる。
そのため、血を薄れさせぬように純血の鬼族のみで中央魔導院は構成されており、名門と呼ばれる家柄は五つある。
魔導五家。いずれ劣らぬ血筋を誇る、東魔の魔導防衛の要である。
魔導五家のうちの名家ラガ家の次男・クスはラング公国の路地裏を逃げるように走っていた。
「くそっ、くそっ、一体なんだっていうんだ、あんなやつ、俺は認めないぞっ」
頭によぎるのは、あの少年のことだ。
魔導協会の魔導士・アルビレオ。最年少で協会の最高幹部へと上り詰めた天才にして、奇跡の存在。
実際に、この目で見ても、信じられなかった。矮小で、脆弱な、ちっぽけなこどもの姿───とても、なみいる魔導士たちの頂に君臨する存在だとは信じられない。
以前、クスは鳥型モンスターによる使役術を返された時、初めて“彼”という存在を知った。
彼はいとも容易く遠隔で呪いを術者へと返してみせた。
はっきり言って、離れ業だ。
嫉妬と、それよりも強い羨望が同時に胸の内で渦巻いた。
東魔国に綺羅星のごとく現れた彼の操る西央式魔導記述式は優美で、洗練されていて、それ自体がこの世に二度、現れないかのような芸術品であった。
それまでは西央の魔導士の存在を、クスは話に聞くばかりだった。
以前、彼の訪れたセレモニーでは中央魔導院の高位の呪師が参席するのみで、鬼人と人の混血であるクスには、“彼”を間近で見る権利すら与えられない。
だからこそ、セレモニーの終了した機を狙い、東魔国から出た彼を呪術で追跡することにした。
あの時以来、クスの心には日に日に、彼と西欧式魔導術というまだ知らない魔導体系に狂おしいまでの関心が募るばかりだ。
───だが、どうだろう。
胸に思いおこされるのは今日のことだ。
満を持して、彼を見た。本当のアルビレオを。
クスは愕然とした。
いたって平凡な子供ではないか。
とても信じられなかった。
魔導士アルビレオというのは、卓越した神秘を纏う存在ではなかったのか。
あんな間抜けな顔をしたこども。そうだ、しかも、人間だ。東魔では純粋な人類は脆弱な種族として蔑視される。
だからこそ、クスは彼の実力を確かめることにした。
だが、付け焼き刃の西欧式戦闘術では、彼に届くことはなかった。火炎も雷光も、闇属性の召喚術に至っては、詠唱すらすることなく、魔術はクスの手から失われていた。
実際に、彼がなにかしたのだとはわかる。彼は、それをキャンセルと語っていた。クスの知らない技術が、おそらく戦闘詠唱術には存在する。
それをもう一度、確かめるためにも、あれが必要なのだ。
裏路地を出て、駅へと向かう。駅地下にあるコインロッカーから預けていたバックパックを取り出すと、ラング駅の裏路地を抜けた先にある公園へと向かった。
人通りの少ない公園には、景観保護のための植樹と、休憩するためのベンチが二つ。そのうちの一つに腰かけてバックパックを漁る。
「ないっ、なんで、なくなってるんだ」
ここに入れておいたはずの本がなくなっている。
「探しているのは、これ?」
背後から、少女の声がする。
「あわれなお兄様。これがあれば、あの方に勝てるとでもおもっていらっしゃるのかしら」
鈴を鳴らしたように可憐な声音の隅々にまで、隠しようのない侮蔑がこめられている。
楠が勢いよく背後を振り返る。
そこにいたのは、妹のツバキである。
彼女は革装丁の本を胸元に持ち上げてみせた。
レコード、と呼ばれる魔導士の頭脳記録媒体装置。それはクスが密かに収集していた写本だ。
「ツ、ツバキ、なぜここに」
15ほどの見た目の色白の少女───椿という名と同じ花の柄の民族衣装を身につけ、黒髪を肩で切りそろえている。
彼女の眼差しは昏く、冷たい。
ラガ当主である父は、鬼人の正妻以外に人間の愛妾を持っていた。
その人類との混血がクスで、正妻の純血の子は姉と、妹───ツバキの二人。
血を媒介にする魔術において、彼女たちはクスを生まれながらに凌駕している。
常に、彼女たちは、混血の兄を憐れみの目で見てきた。
「できそこないのお兄様がどこでなにをしても、お見通しですわ。これ以上、家の名に泥をつけぬよう、忠告しに参りました」
「お前のいうことなど聞くか、ツバキ! そっちが家に帰ってろ!」
「まあ、わたくしにお説教? ふふふ」
ツバキは兄に近づくと、無造作に手に持った本で青年の頬を殴りつけた。
「ぐわっ!」
ベンチの上にクスの体が投げ出される。
「バカ! バカなお兄様! 西欧式魔導術など、一体どんな愚かな夢を見てらっしゃったの? これがあれば、まさか、新しい学問があれば、血の差を埋められるとでも? 浅はかですわね。鬼の魔術はどこまで行っても鬼のもの。人間の学術も、魔導も、その差を埋めるものではありません」
彼女はいたぶるように、転がった兄の体を蹴り付ける。
鬼人は暴力に酔うものだ。
「少々、おいたがすぎますわ。協会の魔導士への追跡呪術はお姉様のものでしょうに。それをお借りして、なおかつ、そこまでの醜態を晒すとは」
「ツバキ、待て、これには訳が」
妹から逃れようと地面を後退る。
懇願するクスを前に、ツバキは懐から三寸ほどの針をとり出した。
少女は針を指につきさす。血の玉が膨れて、地面へと滴り落ちる。
瞬間、あたりに濃密な魔力の香りがたち込める。
百合のような、水仙のような、甘い香り。
鬼人の使う血の魔術───その魔力香。
「お仕置きね」
静かに言って、佇むツバキの足元から、伸びる影。
影は一人でに蠢きだし、しばらくすると影のうちより、それは姿を現した。
鬼蜘蛛───見上げるほどの巨体の蜘蛛が三匹、連なって姿を現した。
*
鼠を追いかけて、ラング公国の観光客向けのエリアから駅を通過して、僕らは地元民向けの公園にやってきていた。
───名探偵の活躍の時間だ。
レイヴンに運んでもらった公園の木の上から、僕は一部始終を見た。見てしまった。
「愚かなお兄様! 今回は、さすがに容赦いたしません! 姉上の公務の邪魔をなさるなど、反省なさって!」
「ツバキ、や、やめてくれっ」
このやりとりを僕らは見ていた。
僕の眼下では、三体の蜘蛛型モンスターが青年を突いてまわって転がしている。
逃げ惑う青年。蜘蛛の上顎に生えた牙や鋭く強靭な足で引っ掻かれた傷なんかが見る間に増えて、無惨な有様だ。
血みどろな人間がボールみたいに転がされている。
レイヴンが木の下で、何を考えているかわからないぼんやりとした口調で言った。
「おしおきらしいぞ。ずいぶんアブノーマルな家庭環境だな」
「すごい複雑な家族関係。こういうのって、家庭内DVっていうんだよね」
「そうかもな」
まだぼんやりしている。
レイヴンは探偵業務に乗り気ではなさそうだ。
「うええ、かわいそうだよ、なんかさ。血もいっぱい出ちゃってるしさ」
「鬼人はあれくらいでは死なん。そのうち気が済んだら終わるだろ」
冷酷な一言。
「だからってさぁ……見てらんないよ」
僕は木から飛び降りた。
「おい、待てっ」
レイヴンが驚いている。
僕は落下してる間に、詠唱した。
「【天より堕ちよ災禍の獣】【雷獣矢】」
着地。同時にピカッと雷光が閃く。
僕のはなった雷獣矢が、狙った場所に着弾。
雷撃の束が、天頂からモンスターへと突き刺さる。
遅れて轟音。
雷光が蜘蛛のモンスターの一体を貫通して、焼き焦がす。
微妙にエビっぽいこげる臭いがあたりに充満する。
僕は、ツバキという少女と、さっきのクスとかいう不審人物の中間くらいに降り立った。
どちらからも、なんだこいつはという目線を向けられている。
たしかに僕は、この二人と全く面識はない。
他人の家庭事情に首をつっこむなんて、はっきり言って、もしかしたら僕は場違いかもしれない。
ちょっと恥ずかしくなってきたので、慌てて説明した。
「えーと、そこの君を追ってきたら、グロテスクな場面に遭遇したので、さしでがましいけど、とめに来たよ。家族だからって、やりすぎじゃない? 家族というものは傷つけあうものじゃない、愛し合い、互いを助け合うものだよ!」
ビシッと僕はいう。言ってやった。だが、返答はない。二人とも、僕を見つめて、黙っている。
二体になった蜘蛛も、今し方一体仕留めたばかりの僕を警戒しているのか、動きはない。
公園は今、シーンと静まり返ってしまった。
僕は挫けそうな心をふるいたたせて、綺麗な紺色の民族衣装の、白い肌で黒髪の妹さんに顔を向けた。
「あとモンスターの使役は、往来では迷惑だからね、やめてね。モンスター1匹逃すと、30匹。ここらへん魔力多いから、増えるスピードもすごい。魔力量多い人も狙われるし、通りがパニックになっちゃうかもだし、あの、ええと、聞いてもらえてるかな」
答えがないのが不安になってきた。
僕が聞くと、ようやく青年の方が口を開いた。
「な、なぜここに」
「そりゃあ、追跡したからだよ。僕の鼠は、そこらの探知魔術より強い!」
いつの間にか僕の放った十匹のラットたちが帰ってきている。
僕の周りに青白い鼠がウロウロしている。
「姉上の追跡魔術を食っているのか」
青年が、口に蝶を咥えているラットを見つけて言う。
「食っているだなんて、そんな……。動物的な行動は僕が与えた模倣にしかすぎなくて、これはたんなる趣味。本質的にはこれはコードを食うコード。つまり結界破りの……」
公園への道案内に使った鼠だけでなく、他のやつらもみんな思い思いに虫っぽい何かを貪っている。
あらかた、僕らを探知していた魔術は掃除し終えたらしい。
僕がこのラットたちに与えた機能について説明しようと口を開こうとする、その前に、少女の声に制される。
「アルビレオさま、私は東魔国中央魔導院に仕える呪師・ツバキです。お目にかかれて光栄ですわ」
「君は、蜘蛛を使役している人だよね? ええと、丁寧にどうも初めまして、アルビレオです、それでだね」
意外にも女の子の方はフレンドリーだ。もっと剣呑な対応をされると思っていたのに、やわらかく微笑まれると、対応に困ってしまう。というか、僕はここでようやく自分のおかれた状況に気がついた。
年頃の女の子は喋りにくい。とはいえ、不審な年上の青年にもどう話しかけていいのかわからない。
急に降って湧いた難題だ。
どっちとどういうふうに喋ればいいのかわからない。
「ええと、ここから、どうしよう、レイヴン! 考えてなかった」
木陰にいる知っている大人に声をかけて助けを求める。
彼ならスマートなコミュニケーション方法を教えてくれるはずだが、返ってきたのは非情な一言だった。
「俺に助けを求めるな。考えなしに動くからそーなるんだぞ」
助けは期待できそうにない。
僕は必死で考える。なんでこんな行動をしたんだっけ。
「ち、違う、衝動的な行動なんかじゃない、深謀遠慮だよ。そう……僕には君たちに怒る正当な権利が、ある! 一つは、僕の休日に不審な攻撃をしかけてきたこと! それで、もう一つは、そう、探知魔術だ! プライバシーの侵害だと思う!」
びしっと指を突きつけると、ツバキという名の少女が言った。
「アルビレオ様におかれましては、お怒りのほどごもっともですわ。すべては、そこな愚兄のしでかしたこと。探知用魔術によって貴方様の身の回りを騒がせたのは、我ら、中央魔導院の本意ではありません。彼が勝手に、盗み出して使ったのです」
「へー、そうなんだ。違う、だからって、なんで僕を追跡するんだ? っていうか、僕の従業員を追跡するのもやめてほしい! これは後から魔導協会側から敵対的行為として警告を出すレベルの行為だからね」
僕はしどろもどろになりつつ、なんとか威厳を持って言い切った。
女の子は、困ったように眉根をよせた。
「あらあら、まあ、どうするの? こうならないように身内で処分しようと思っていたのに」
「処分って何を」
「それ」
彼女が指をさした先を見る。
「この人?」
「クスだ」
僕の背後にいる青年が答える。
「君のお兄さんを処分するの? なんで?」
「大切なものを傷つければ、それだけ誠意があらわせるでしょう? では、アルビレオ様のお怒りをなだめるために、もっと懲らしめて差し上げましょう。愚兄のほとばしる血でもって、この度のご無礼はお許しくださいませ」
「えっ、えっ? なんで?」
まったく状況が掴めない。
───もしかして僕が介入したことで状況はより悪くなったのか。
後ろを見ると、蒼白だった半鬼人の顔がさらに青ざめている。
「まったく不出来なお兄様のせいで、すべてが散々《さんざん》」
彼女は胸元から扇を取り出した。一振りすると、血の香の香りがあたりにふわっと広がる。
魔族の血液には魔力があり、濃密な魔力がモンスターを刺激する。
「でも、いいわ。王の魔術師というものがどういうものか、この目で見られるのは、僥倖ね。とても得難い幸運だわ。あなたの魔法をこの目でみられるというのは、誰も望んでもできないことですもの」
「そんな、望んでないんだけど、流血で解決とか! 流血で解決か…韻踏んでる。はっ、違う! 僕は血が好きじゃないっ! 誤解しないでほしい! 平和的に、話し合いで、うわっ、増えた!」
蜘蛛が増えた。彼女の影の中から新しい一匹がまた這い出てくる。
「お手並み拝見ですわ、アルビレオ様、そして、さよなら、お兄様」
彼女は言って、影のように消え去る。
鬼の歩法による特殊な移動法だ。初めて見たけど、霧のように去っていくのは少しかっこいい。レイヴンに聞いたら教えてくれるだろうか。
そんな余計なことを考えていたので、僕はちょっと対応が遅れた。
巨大な蜘蛛が三匹。ジリジリと距離を詰めながら、僕と僕の背後にいるクスとかいう青年に襲い掛かろうと鎌のような腕を持ち上げた。
*
僕は後退る。さっきは気にしなかったけど、近くで見ると、巨大な蜘蛛型モンスターというのは醜悪な見た目だ。足にはびっしりと針金みたいな毛が生えているし、エビっぽい八本足はやたらと器用に交互に動く。
「うっ、グロい、キモい、最悪最悪最悪」
「アルビレオ、貴様、なぜ兄妹喧嘩に首をつっこんでくる。俺を助けたつもりか?」
僕は後ろを見る。
ようやく彼の顔をまじまじとみる。
「こ、これが兄妹喧嘩? 脇腹、裂けてるよ? えっ、血だ、血は、僕は嫌い」
冷静になって考えてみると、ひどい傷だ。
クスの脇腹は蜘蛛の牙で切り裂かれたのか血が滴っている。
「血が嫌いなら引っこんでいろ、ツバキは俺も、貴様も殺す気だ、このままだと貴様もやられるぞ」
「えっ、えっ、事実関係がわからないっ。君は、その、さっき僕に挑みかかってきた不審者で、多分、あの子の姉? お姉さんの魔術を借りて僕を探知して、それで、なんで妹が襲いかかってくるんだ? 家族ってもっといいものじゃないのか?」
「人の家の事情だ。くそっ、どけっ」
クスはよろよろと立ち上がると僕を押しのけて前へ出た。
「ツバキ、あの魔女め。くそっ、俺を見下しやがって、だが今日こそ、やる、やってやる!」
彼は身体中から滴っている血を擦るように、手のひらにつける。
僕は、おとなしく背後に下がって、彼のやることを観戦することにした。
クスが血のついた手で、地面をなぞる。
周囲に蔓延する血の匂いとは別の、鉄っぽい錆びた匂いが鼻を刺激する。
「あー、血の匂い、ああ、大量出血してるから今なら有利か」
僕の見ている前で、クスは何ごとか血で文字を地面に書きはじめた。
「【鬼呪結印・水血】【我が血に宿りし鬼の異能よ】【今、形を成して我を覆う水の蛇と…】、うがっ」
文字を書いている途中で、突進してきた蜘蛛に跳ねられちゃった。
「うーん……」
僕が思うに、彼は大量に出血したことによる魔力で、おそらく水の召喚精霊的なものを呼ぼうとしたのかな、と推測したけど、やはり血に宿る魔力量が足りていない。
おまけに、西央式の魔導術式だ。
彼は大きな召喚術を組んできてはいるが、即席の戦闘術に消化するにはまだ洗練されていない。魔導術式は事前に組み上げ、魔力詠唱によって発動させるのが一般的だ。
その速度は練度による。
練度はコードの内容でいくらでも補助できるが、彼の発動させようとした魔術だと、やっぱりまだ研究不足は否めないかな。魔導術式というのは、本来なら世界に刻まれる魔力による発動式で、これを読み取ることをスキャンとか解析とか色々な言葉で言うけど、魔力によって描くものであるから、量が足りなければ終わりまで書けないというか。
魔力というのは魔導士の心理領域に備わる力だ。
鬼人の呪法は、魔族特有の魔力の蓄えられた血を術式とすることで、心理領域をスキップする。
相反する性質の技術だ。
魔術を構成する最小単位───魔導術式は、魔術師個人の魔力の質が関係していて、その人個人を識別もできたりしてとても綺麗なものだ。
本来、コードというのは、文字だけでなく、音声だったり、絵だったり、そのほか諸々《もろもろ》の芸術だったりする。
魔術とは、言葉であり、音楽であり、絵画であり、科学であり、錬金術である。
空間であり、光であり、影であり、位相である。
世界そのもの。
ありとあらゆる手法による創造性の発露、それがコードだ。
だから、さっきのクスとかいう人の発動しようとした魔術についての僕の見立てはこうだ。
うーん。
彼のやりたいことはわかるけど、やれるレベルに達していないというのが僕の正直な評価だ。
「落第かな」
「ぐわーっっっっっっ!!!!!!」
クスは悲鳴をあげた。
公園のフェンスに吹っ飛ばされて、蜘蛛に掴み掛かられている。
彼に覆い被さった蜘蛛に、右肩が食いちぎられたりしている。
「はっ、死んじゃうっ」
僕が人の魔術を講評している間に、大怪我を負っている。
「しょうがないなぁ。よし、君に講義してあげよう」
僕はクスの方にゆっくり近よった。
半分鬼人の青年は、痛みのためか、うめき声をあげている。
「えーと、こほん。アルビレオ君の魔法教室だ」
「貴様、まだっ、がああっ、逃げていなかったか……」
不思議なことを言っている。逃げる? 僕が? なんで?
蜘蛛型モンスターを見る。この程度は危険でもなんでもない。
僕は彼に聞いた。
「まだ、生きてる? 生きているなら、まだ研鑽の余地がある。いや、死んだらないけど、生きていたら修練を積むことができる。魔法はたゆまぬ進歩の結果だ。では、ちょっとご清聴ください」
「こっ、ゴフっ、この状況で何をするきだ?」
彼が盛大に吐血しながら、疑念の声を発する。
僕は、無詠唱魔術の【追跡凍結】を起動。このコードは超単純。凍結魔術をロックオンしたターゲットに打ち込むというもの。
蜘蛛三体の足に向けて、合計24の足に向けて、氷の矢が放たれ、足を止める。
完全に動きが止まった蜘蛛の前で、僕は解説をはじめた。
「詠唱魔術のよさっていうのは、呪文一個で発動できる即興性なんだよね。同じ炎の呪文だとして、その範囲、威力、追加効果とかは詠唱時に魔力をどれだけこめるかとかいうので決めるんだ。小さい範囲で良ければ、魔力は少なめ、大きい威力がほしければ魔力多め、敵を追尾したければ適宜詠唱で効果を付加する。リアルタイムで戦闘に使う魔術だから、状況に応じた即興性が求められるんだ。発射タイミングは制御で決めるものだよ。それで、そこに魔術師自身の技倆がとわれる。たとえば、人一人殺したい時に、対戦車並みの火力は必要ないし、馬鹿でかい魔術しか放てないなら、技倆が足りていない。思った通りに魔術を使える、というのが魔術師の強さを表している。だからやっぱり練習が大事なんだよね、毎日の積み重ね。つまり基礎練だよ!」
足が凍結して、動けなくなった蜘蛛が僕に向かって糸玉を吐き出す。
白くてネバネバで、汚い。
さっき発動した氷の矢がオートで糸玉を落とす。
僕はさらに続ける。
「たとえば、僕の【炎霊弾】は、こうなる、魔術師の技倆が圧倒的に上だと、同じ魔力を込めても、出せる火力の範囲は拡大するってことも教えておくね。あと僕、精霊魔術、好きじゃないから、変形するね」
グッと手に、魔力を込める。
魔力の本質というのは、血筋ではなく、何かを為さんとする意志だ。
「【絶えざる破壊の流星よ】【今、我が指先に従うべし】【炎霊弾】!」
僕は詠唱し、手を横にむける。
英雄魔術師レイ・ダリウスが遺した偉大で初歩的な戦闘魔術。
空中に綺羅星のごとく【炎霊弾】がずらりと並ぶ。
それはまるで満点の星空のように。
僕は手のひらを下にかざす。
炎の矢が一斉に地上目がけて放たれる。
公園に圧倒的な破壊の炎が降り注ぎ、瞬間、あたりが明るくなる。
凄惨で強大な力だ。
蜘蛛三体に降り注いだ炎があっという間に、モンスターの体を燃やし尽くし炭化させた。ついでにあたり一体に充満していた血の匂いもかき消した。植木や、花壇なんかも燃えているが、そこはご愛嬌。
ラング公国ではありがちな魔導災害だ。
僕は炎に包まれかかっているクスの前に行くと、彼を見下ろした。
「まあ、これが魔術師アルビレオなんだって覚えておくといいよ」
彼は目を丸くして、僕を食い入るように見つめている。
やりすぎただろうか。
ちらっと周りを見る。公園は大炎上してるし。あたり一体、鬼の血どころか焦げ臭いし。
大火事だ。
ちょっと僕は気恥ずかしくなって、こほんと咳払いした。
*
アルビレオは咳払いをすると、指を鳴らした。
「すこし派手すぎたか。消火しよう」
瞬時に、今まさに公園を燃やし尽くそうとしている炎が掻き消える。
焦げついた木の幹や、土が剥き出しになった植え込み、融解した鉄製のベンチなど、焼き尽くされた破壊の跡はそのままに、鎮火。
なにごとかの魔術の働きによるものだ、とそこまではクスにも理解できたが、一体なにをしたものかはわからない。
アルビレオの魔法は一瞬で、世界の全てを塗り替えたかのようだ。
「ええと、立ち上がれるかい。よければ、治癒魔術を使おうか」
先ほどまでの困惑ぶりが嘘のように、落ち着きはらった態度だ。
クスの見たかぎり、彼は、血に怯えていたり、ツバキの使役する鬼蜘蛛に戸惑っていたりと、言行の端々にこどものような稚拙さを滲ませていた。 アルビレオの過剰に幼い素振りに、内心、クスは失望していた。
───やはり、アルビレオは俺が期待していたほどの男ではなかったのだ、と。
しかし、今、目の前で見せられた彼の実力。彼の真価は、まぎれもなく奇跡だ。
認めざるを得ない。
類まれな神秘をまとう天才魔導士、クスの憧れたアルビレオはこの眼前にいる人類のこどもなのだと。
アルビレオが手を差し出す。
クスは彼の手を取らずに、訊いた。
「な、なぜだ。なぜ、俺を助けた」
「ただのなりゆきだよ。助けたつもりはないけど、なぜかそうなっていた、なんで?」
アルビレオはまた、幼い口ぶりに戻っている。
「ふざけるなっ、貴様の手など借りないっ」
手を払いのける。
こどもは不思議そうに目をぱちぱちとさせた。
「くっ、貴様も俺を嘲笑っているのだろう。鬼のできそこないだと。半端者だとっ!」
「たしかに、君の魔術は未熟だったね」
アルビレオは首肯する。残酷な真実だ。しかし、彼がいうなら、否定することはできない。
劣等感に苛まれているクスに、幼子が無邪気に言った。
「でも、なんで、それで君を笑うの? だって、君、西央式魔導記述式は最近、学んだばかりでしょ? みんなレイ・ダリウスの魔導書から始めるんだ。魔法学院の一年生も、学院で教鞭を振るう魔導教授もね」
言葉を失う。
クスが西央式魔導記述式を学び始めたのは、アルビレオという存在を知ってからだ。魔導体系の違う東魔国では学ぶことすら難しく、基本的な魔導書を手にいれることすら至難の技だった。
だが、なぜ、それがわかるのだろう。
まるですべてを見透かしたかのような発言だ。
「憐れまないのか、西央式魔導記述式は、魔族の血の薄い俺の実力を埋めるために縋ったものだというのに」
思わず、本音を吐露していた。
屈辱と劣等感の苦い味が舌に上る。
ラガ家の血統において、正統な後継である姉や妹に敵わず、それでも術の探究を続けた。
やめることはできなかった。
東魔式呪術で、どれだけ鍛錬を積んだところで彼女たちを超えることはできない、限界は目に見えている。だとしても、それを学ぶことをやめられなかった。東魔をこえて、ついには異邦の魔導体系にも手を出した。
浅はかな考えだと嘲罵され、自身でも無駄な足掻きだと理解しながら、人類の魔導学問に縋り続けた。
無様で惨めな鬼人の出来損ない、それが自分だ。今も公園の地面に這いつくばり、無様な醜態を晒している。
胸中を吐き捨てる青年に対し、少年魔導士がごく自然に、まるでそれがなんでもないことかのように、口にした。
「それの何がいけないの? 血が薄いのって、そんなに悪いこと? 新しい魔法を試してみるってたのしいよね!」
少年の鮮烈な光を宿す瞳が、クスを見下ろす。
「それに、最後のは悪くなかったよ! 血統魔術を西央式魔導記述式で模倣しようとしたんだよね! まだまだ課題はたくさんあるけど、発想自体は悪くない」
アルビレオは、自分の考えに集中しているように、続けた。
「着眼点はいいと思う。でも、実用化できるかどうか、そもそもやるほどの価値があるかどうか、新規性があるかないか、学術的な価値はあるかないか、全部別の話だから。僕が言いたいのは、結果ではなく過程、つまり」
アルビレオの口調が、こどものものから、理知的なものとなる。
冷徹な魔導士のそれだ。
「これでわかるのは君が君なりに努力をしていたということだ。魔族の血による呪術体系から、まったく別系統の魔導系統への転換。純血の魔族の魔術を別のアプローチで再現するのは、最も魔術師的な行為だよ。一つの魔術を、解析し尽くし、理解するってことだ。それ自体はすぐにうまくいくものじゃないけど、失敗したからって、それが何? 魔術の歴史は絶え間ない進歩の歴史だ。失敗なんていくらでもある。大事なのは、研鑽をやめず歩み続けること。その歩みを止めない人を、なぜ、見下す必要があるんだ? なにが劣っている?」
彼がクスの目をのぞき込んだ。
まるで誘惑するように。
狂気的な熱を孕んだ瞳がクスを射抜く。
「僕は君を歓迎する。君はこれからもずっと魔導に身を捧げるべきだ。不出来だろうと、失敗だろうと、果てのない道を歩き続けろ。その先にこそきっと、僕ら魔導士の求める真理がある」
言って、微笑んだ。
蠱惑的な微笑みだ。
彼のいう真理の探究。
それこそが魔導士の命題と語る、アルビレオの思想は、クスにはまだ到底、理解の及ぶ範疇ではない。
だが、たしかに、どうしようもなく惹かれる心がある。
これが、あの時、東魔国で存在を知った魔導士───そして、今、彼の存在そのものに魅了される。
目の前が眩むようだ。
幼いこどもと理知的な魔導士という二面性を持つ存在。
クスがアルビレオへと無意識に手を伸ばす。
その手を途中で遮るものがあった。
黒髪の大柄な男が、二人の間に割ってはいる。
「いいところだが、そこまでだ。アルビレオ。そろそろ治癒魔術を使わないと、そいつ、死ぬぞ。さすがに失血死だ」
アルビレオは彼をみる。
彼は驚いたように叫んだ。
「レイヴン! 君、どこにいってたんだ」
「ずっといたぞ? 新手が来ないかどうか見張ってたんだが、警戒する必要はなさそうなんで、こっちに来た。そしたら、怪我人が死にかけていたので、口を出すことにしたってわけだ」
男は言うと、二人から一歩、離れる。
アルビレオは慌てて言った。
「それもそうだった! ごめんね! すぐに治癒魔術を使うからね」
心配そうな口ぶりも、顔つきも、すでに幼いものに戻ってしまっている。
朦朧として薄れゆく意識の中、半鬼人の青年は確信を得た。
自分の歩み───どこに辿り着くか、アルビレオのいう真理に辿り着けるかどうかすら不明瞭な歩みは、間違っていなかった。
そして、魔導士アルビレオに惹かれる心───それは、おそらく抑えきれない魔導への探究心だ。
魔導士としての資格。それが自らの胸の内にも芽生え始めていることに、クスはようやく気がつき、安らかな満足感と共に瞳を閉じた。
*
治癒魔術による回復を、自然な生命が当たり前にもつ回復力ではないとして、拒む層もいる。宗教上での理由や、たんなる生理的嫌悪感が理由だ。
僕は治癒魔術を行使する前に、事前に了承をとった。
ボロボロになって、さっきの僕の【炎霊弾】のせいでちょっと焦げ付いてもいる青年は特段、こだわりがある方ではなかったようで、力無くうなずいて了承。
「ちょっと痛むよ。【癒しの水よ】」
僕は治癒魔術を起動した。
治癒魔術というのは、医療とは違って、身体の自然な回復ではない。
魔力による治療箇所の強制的な修復。
今回、僕が使用したのはその中でも、簡単なものだ。身体の失われた血液や、修復箇所を大まかに補てんする魔術。
見る間に傷が治っていく。
水精霊の力を模した魔術で、僕が精霊が嫌いだというのは、精霊が気まぐれで、奴らの気分次第で威力が変わる点だ。しかし、奴らの魔術を模した術なら、威力はいつでも同じ。あらかた血が止まり、皮膚がつながった所で、僕は術を終了した。
「よーし、こんなところだね。痛みはどう?」
聞くと、クスとかいう名の青年が体を起こした。
体のあちこちを触って、動くかどうかを確かめたりした後、彼は僕を見ると言った。
「すごい力だ、本当に、あなたがあのアルビレオなんだな」
「本当にってなに。最初から最後まで、本物の、狂える星のアルビレオだよ! 僕は世界でただ1人さ!」
そう言って、わきに立つレイヴンを見上げる。
男が静かに深く首を縦に振る。
なんかいやみっぽいな、こいつ。
クス君が地面に武士っぽく座り直した。
これは、おそらく東魔式の相手に誠意を見せる時の座り方らしい。
「貴様……いや、アルビレオ殿……すまなかった、今日のことは全て、俺の至らなさのせいだ。今までの非礼の全てを謝罪する。この通りだ」
「アルビレオ殿? 急にあらたまってどうしたの?」
頭を深く下げる彼に、僕はかなり動揺する。
展開が急スピードだ。
「今日のことで目が覚めた。実力不足の魔術であなたに勝負を仕掛けるなど……とにかく、見苦しい場面をお見せした。本当にすまない」
「みんな、はじめはそんなものだから。それに、僕も魔術について、ついつい話しすぎてしまったよ。魔術について、聞かれることってあんまりないから…はずかしいな……」
「この後に及んで謙遜か……、完敗だ。高位の魔導士とは、人格的にも優れているってことか」
「そ、そんなことを言われたのははじめてだ」
僕の人格について、普通の人間に褒められたことはない。
人格的な欠点についてあげつらわれたことは、かなりある。
いわく、気まぐれ、子供っぽい、支離滅裂、短絡的で怒りっぽくて精神的に問題をきたしているとか……etc.
しかも、なんか、クスくんが僕を見る目はなんだか、熱がこもっているというか。
なんか真剣を通り越して、僕を、きれいなものでも見るみたいに見つめている。見つめすぎだ。
うーむ、これは。
まあ、生まれてはじめて見る超級の魔導士の腕前に、ちょっとばかり驚いてしまったのかもしれない。それも無理もない。
なんといっても、基礎の基礎、詠唱魔術一つとってもこれほどの隔たりがあるのだから、いきなり達人クラスの初級魔術を見せられたらびっくりもする。
当然の反応だ。
しかも、そんな最高峰の魔導士から薫陶を受けたのだし、僕のことを尊敬なんかしちゃってもしかたがない。
僕から未熟な魔導の徒に言えることはこれくらいだ。
僕は一つ咳払いする。
それから言った。
「まあ、いろいろあると思うけど、これからも魔導研究をがんばってね!」
「アルビレオ殿!!」
「うわっ……」
この僕なりの激励に、感極まってしまったらしいクスくんが僕の方に手を伸ばす。はげしく握手を求められているようだ。
すごい勢いだ。
「こら、触るな」
レイヴンが割って入った。
僕の手を取ろうと伸ばされたクスくんの腕を、レイヴンが掴んで止める。
「……レイヴン、ありがとう」
ちょっとドキドキしながら、僕は彼に礼を言う。
レイヴンは護衛なので、僕に危害が及ばないように、いつでも間に入れるように準備をしているらしい。こういう時には頼りになる男だ。
いやでも、蜘蛛が襲ってきてた時には僕のことを放置していた気もする……。
なんなんだ、こいつ。
僕は涼しい顔をしているドラゴンを横目でにらむ。
クスくんがレイヴンの手を振り解く。
彼はレイヴンをチラと見ると、なにかに気づいたような顔をした。
「お前が、レイヴンか。そうか。アルビレオ殿、あなたに言っておくことがある」
「なに?」
「姉は常時、その男を探査している」
「なんで?」
素朴な疑問だ。
クスくんは言葉を選びつつ答える。
「もちろん、理由はいくつかあるが、一つは選帝侯を手中に入れることだ」
「手中にって、なんで? 魔王の座を狙ってるの? 今では有名無実な空っぽの玉座を?」
「そのまさかだ。現国王陛下は東魔国による、世界制覇を狙っている。その御意志のためだ。実際は、どうかはわからないが、姉が、探知魔術を放っていることは事実だ。姉上はお前を狙っている。身辺に気をつけた方がいいかもしれない」
ありえるか、ありえないかでいくと、十分にありえる話だ。
選帝侯を手にいれることができれば魔界統一に大きくリードする、という考えの人もいる。
僕にとってはどうでもいい話だ。
僕はこの争いに本当に興味がないので、僕を手にしたところで望みの結果が得られるとは思えないけど、とはいえ、東魔中央魔導院に在籍中のクスくんがそう言うのなら、信頼のおける情報だ。
それだけに心配にもなる。
「なんで、そんなこと教えてくれるの? 君の身が危ないんじゃない?」
彼の立場としては、僕に警告を与えるなんてもってのほかだ。
しかも東魔中央魔導院で僕を探査している姉の情報をバラすなんて、裏切り者もいいところだ。
彼は首を横に振った。
「俺は、俺はいい。自業自得だ。だが、その、今日の礼だ。ありがとう」
「どういたしまして。魔法の話ができてうれしかったよ、僕こそありがとう」
彼はたちあがる。
何かを探していたが、焦げついたベンチの下から落っこちていたバックパックを取り上げる。彼の持ち物なのだろう。奇跡的に燃えていなかった。すごい幸運だ。
僕は聞いた。
「君は、帰るの?」
彼は、こちらを一度向いて、頷いた。
「ああ、一度は東魔に帰る。今回のことを謝罪し、責を負う。許されるかどうかはわからないが、もし、生きていたら、新しい道を考えるつもりだ」
そう言って、彼は公園の出口に向かう。
僕は考えた。
今日のあの女の子───ツバキとかいう子の様子だと、お仕置き、というか制裁はドギツイものになるだろう。家庭内での叱責では済まないかもしれない。
もしかすると、公的に処罰されることになるかもしれない。
レイヴンが職場に告げずに退職したせいで、今もまだ追いかけられていることを考えると、クスくんの未来も推してしるべしだ。
去り行く背中に向けて、何か言おうかと迷っていると、彼はこちらを振り向いた。
「アルビレオ殿、また、いつか、魔導探究の道の先でお会いしよう」
彼は晴れやかな笑みを浮かべていた。
「う、うん、またね。またいつか、どこかで」
僕はぎこちなく手を振る。
彼はもう未練もないのか、振り返らずにさっと歩いていってしまった。
なんとなく、僕は取り残されてしまった。
そんな気がしていると、レイヴンが僕に手を差し出した。
「俺たちも帰ろう。風が冷たくなってきた」
僕はその手を取る。
歩き出す。
公園はすっかり暗くなっていて、レイヴンの言う通り、風も冷たい。
僕は今日一日の出来事を思い返す。
頭脳環記録媒体を図書館に借りにきて、カフェでのんびり読書をしていたら、不審な青年に魔術勝負を仕掛けられ、事件解決のために乗り出した僕だったが、見つけ出した事件現場ではDVが始まり、蜘蛛型モンスターが襲ってきたり、それでクスくんが改心したり……。
なんという一日だろう。僕は首を捻った。
人の心は複雑怪奇。
とても僕には解けそうにない。
名探偵は、やめにすることにしよう。
僕はそう決意して、ラング公国の夜を後にした。
*
夜。イルミナ上空に一匹のドラゴンが飛翔している。古代の廃墟を睥睨し、一棟のビルの上に止まる。
遠目には、屋根の上に止まるカラスのようにも、塔の先端から辺りを見下ろすドラゴンのようにも見える。
夜の闇に溶け込むような黒い翼、胴体には鋼の鱗、強靭な膂力を備えた四肢には、禽獣の鋭い爪が生え、尾を長く垂らし、悠々とくゆらせるその姿。
レイヴンである。
正式名称は黒鴉竜という。
竜に鴉の混じった姿は、レイヴンの魔族としての本来の姿だ。
高位の魔族の中には魔物としての体を得るものもあり、これを持つものが純粋な魔族と呼ばれる。
魔物としての姿は、その魔族の力の強さの証だ。
強大な魔族になるほど、魔物としての別の側面を持つ。
壊滅したビル群の上部から、レイヴンは己の足元を見下ろした。
夜空の月以外に光源のない都市の中、一点だけ明るく輝く場所がある。
屋敷のリビングから漏れ出る灯りである。
アルビレオの構築した次元構造体は複雑怪奇な迷宮となっており、廃棄都市のいろいろな場所とつながっている。
リビングからつながるバルコニーを出ると、すぐにここ───構造センターとアルビレオが名付けたビルの外側へと出るのだった。
窓は開け放たれているため、暗闇に沈む都市の中で、唯一あたたかい光をはなつ場所だ。
レイヴンは、足元の明かりを眺めてから、ぐっと嘴を持ち上げて、月を見る。この姿になると、視力が強化され、ドラゴンであるため夜目もきく。
遠くから、敵襲でもありはしないかと、しばらく警戒を続けていた彼だったが、やがて、翼を背中に折りたたんで、深く息をついた。
そして、彼は思う。
───今日、なんで俺こんなに昂ってるんだろ。
ちょっと落ち着こう。
後脚で頭部の角のあたりを掻く。
尾をゆっくり数度ビルの外壁に打ち付ける。
今日一日、厄介なことがありすぎた。
一つ一つの出来事を整理してみる必要があるだろう。
まず一つ目。
これはやはり探知魔術の件だろう。薄々《うすうす》、クオンが客船に現れた件で察していたことではあるが、やはり東魔の呪師たちは追跡を続行しているらしい。
今日の半人半鬼の男と、純粋な鬼人である妹の複雑な家庭環境の兄妹は、見たところ、単独で、しかも個人的な理由でアルビレオを追ってきたようだった。
やつらの行動はともかく、呪師たちがこちらに興味を失っていないと知れたことはラッキーなことのひとつだ。
アルビレオは、屋敷に戻るとすぐに、追跡防止用のタリスマンでも作ろうかと、ぼやいていたのもあって、こちらはすぐに対策が可能だろう。
二つ目はそのアルビレオのことだ。
今日の半鬼人のいうことには、東魔国の王陛下が望んでいるという話で、それ事態は、意外でもなく周知の事実だ。
極光位の魔導士の扱いは微妙な駆け引きの上に成り立っている。
懐柔するか、殺すか。この二択だ。
選定権のことでもそうだが、手中に入れられるのなら厚遇するが、そうでないなら将来の憂いの種を摘み取るためにも殺しておきたい、というのが基本的な路線である。セレモニーのおり、アルビレオを八つ裂きにしておいたのは、危険因子であるなら抹殺すべし、という立場にあったからだ。
東魔国は苛烈な鬼の国。とてもアルビレオがやっていける場所ではない。
今度は、8つ裂きどころか16裂きの目にあうだろう。
───そんな目にあわせるわけにはいかない。
3つ目は、呪師たちが戦争管理官の集うギルド“魔獣の巣”と組んでいるのかどうか、という問題だ。
東魔の呪師と戦争管理官に組まれると厄介だ。
今日出会った、あの間抜けな兄妹は、私的な感情だけでアルビレオへの追跡魔術をバラした、という間抜けな自己申告を鵜呑みにするのもどうかと思い、しばらく、新手の襲撃を警戒していたが、特段、そういうことはなかった。本当にただの間抜けな兄妹だったらしい。
兄の方はともかく、妹の方は刺客を差し向けてきてもおかしくなかったが、そっちも特になし。
年齢も見た目通り、まだ子供なのだろう。
ラング公国内で兵隊を動かすのを忌避した可能性もあるが、戦争管理官を采配できるだけの職位ではない。
とはいえ、いずれはありうることだ。警戒しておくに越したことはない。
───いずれは。
───いずれはクオンとやりあうことになる。
アルビレオの作るタリスマンによって、呪師たちの追跡を阻止したところで、古巣である“魔獣の巣”の追跡の手は止まない。
先日の豪華客船の件ではうまく躱わせたが、いつまでも逃げ続けられるはずもない。
元同僚であるクオンとはいずれ戦うことになる。
場合によっては、クオン以外の古巣の面子、その全員と。
ふむ。
少し考える。
やってやれないことはないだろうな。
気は進まないが、ためらうほどでもない。俺は誰でもやれるだろう。異常なし。
まったく、考えることがいろいろある。
だが、今日の出来事からわかることを一つずつ確認してみても、それほど大きな変化はない。東魔中央魔導院の件や間抜けな兄妹の件、自分への追っ手、どれもすでに知っていたか、薄々《うすうす》、勘づいていた問題だ。依然、現状維持。状況が悪くなっているわけではない、というのに、なぜこうも苛立っているのだろうか。
イライラする。
感情は無駄な物だが、いまだに制御しきれない。
過去を捨てたつもりだった。逃げきれないことも理解していた。その上で、故郷を捨てた。かつての同胞も、友も、何もかもをだ。
だというのに、名も、身分も、必要のないはずのものが、いつまでも追いかけてくる。
それがイラつく。
はじめから、アルビレオの誘いを受ければ、いずれはこうなるとわかっていたはずだ。
遅かれ早かれ、戦争管理官ども全員と殺し合うことになる。
それが古巣を裏切るということだ。
わかっていたはずなのに、なぜ……俺は、アルビレオと共に来たのだろう。
クオンにも、なぜ、東魔国を離れたのかと問いかけられたが、答える言葉がなかった。
わからないからだ。
胸の内に燻るなにかが、ひどく不快だ。
今すぐどっかで発散したい。
月が浮かぶ空のあたりに、ストレス解消にちょうどいい魔物や敵影が見えやしないかと目を凝らしていると、足元から声が聞こえた。
「レイヴン、寒いよ、中に入ろうよー」
アルビレオの声だ。バルコニーに続く窓の中から聞こえてくる。
窓を開けっぱなしで出てきたから、アルビレオが文句を言っている。
急速に気分が和らいでいく。
今日、知れたことの中で、いいことが1つある。
───アルビレオは魔導オタクである。
彼の魔導の話は好きだ。目を輝かせて、魔導の話をしている時の彼は、生き生きとしている。しかも、本人はわずかに自制心が残っているらしく、自制しようとつとめているのに、結局は、話したい気持ちに負けている。あれはいいものだ。
いつも、やつは狂気に負けている。狂える星は、今日も普通に様子がおかしかったが、それでも星は星。輝くものだ。人を惹きつけてやまない輝き。
それとは別に、今日のあの半人半鬼のガキは気に食わないという気持ちもある。最後あたりは見る目が違っていたし。まったく腹立たしい。
今日は休日だというのに、古巣の因縁のせいで、よからぬ輩を呼びよせた。
しかし、本当に腹を立てているのはそんなことではなく、いまだにアルビレオに、ビジネスのつもりで一緒にいるわけではない、と伝わっていないことだ。
とはいえ、それこそ、信頼で応えていくもの。
まあ、いいか。
翼を広げ、踏み切る。滑空しつつ落下。
バルコニーの手すりに足をかける瞬間には、人の姿に戻る。
開け放たれた窓の中に入る。リビングの暖かな光。その向こうに、彼が見える。
最高の休日。その終わり。




