第7話
晴嵐は、シュウシュウと蒸気を上げながら制服にアイロンをかけている夜雨を振り返った。
学校で授業を受けているか本を読んでいる彼女の姿しか知らない。それなのに、今目の前でとアイロンをかけている彼女がいつもとは違って見えても、不思議と違和感はなかった。
「なに?」
やっとアイロンをかけ終えて制服をハンガーにかけながら、夜雨はじっと突っ立っている晴嵐を見た。
「皆実さんはもっと人見知りするのかと思っていた」
「だって相楽君は知らない人じゃないでしょう?」
「そうだけど、あまり話したことないでしょ?ただの顔見知りと同じ」
「……そうだね。なんでだろ」
夜雨はちょっと考えるように宙を睨んだ。形のよい赤い唇がきゅっと結ばれている。その横顔は、秀麗で知的な美少女そのものだった。
「基本的に人と接するのは苦手。でも、相楽君はなんか他の人とは違うから」
「違うって何が?」
「なんていうのかな、周りの空気っていうか、かもし出している雰囲気っていうか。とにかくそういう目に見えない感覚的なこと」
「そう?オレはただの元気な中学二年のサッカー少年だよ?」
「でも、サッカーの話をしていても、どのチームが好きとかどの選手がいいとか聞いたことない」
「球転がしは好きだけど、憧れの選手とかがいるわけじゃないから」
「じゃあ、別にサッカー部でなくてもよかったの?」
「そう。とりあえず何か部活に入っておけば、放課後の時間つぶしにはなるから」
「そういうこと……」
夜雨はソファに腰をおろし、細くて長い指を伸ばして紅茶のカップを持ち上げた。赤い唇を小さくすぼめ、熱い紅茶を吹いてひとくち口に含む。
彼女の長いまつげを見つめながら、晴嵐はちょっときわどいところをつつかれたと感じていた。
育った環境や、そこで身についた考え方のせいなんだろう。
子供にしては妙に人当たりがよく、妙に醒めている。――その自覚が十分にある。
もちろんそれを卑下しているわけではない。だからといって、「オレはオレが好きだ!」と言えるほど幸せ者でもないけれど。
ただ、現実問題として、自分はちょっと周囲から浮いているような気がしているだけなのだ。だけど、それは普段から誰にも気付かれないよう、うまく隠してやり過ごしているつもりだった。
しかし、彼女は続けた。
「相楽君って、よくぼんやりしていて先生に注意されているけど、あれって、何にも考えていないわけじゃなくて、本当はぼんやりしているようで、その裏で色んなことを考えたり想像したり計算しているんじゃないの?」
――ご名答。そしてそれを見事に見抜いた彼女はやっぱりただ者ではない。
週に一回ある校庭での全校朝礼の最中に、貧血で倒れてしまう女の子がクラスに一人や二人いる。みんな皆実夜雨もそんな女の子の一人だと思っているけど、それは大きな間違いだ。炎天下のもと、全校生徒が校長先生の長話にやっつけられて倒れてしまったとしても、彼女だけは、相変わらず涼しげな顔で汗ひとつかかずに立っていそうだ。
あまりにも図星を突かれたので、ちょっと動揺してしまったのか、晴嵐は思っていたことを不意に口にしてしまった。
「皆実さんも似たようなものだよ。」
「わたしが?」
「そう。本当はこんなに可愛いのに、それをわざと隠している。わざと野暮ったい格好をして目立たないようにしている。違う?」
「……どうしてそう思うの?」
「なんとなく。これでも人を見る目はあるほうなんだ」
夜雨は少しぬるくなった紅茶に再び口をつけた。
言い過ぎたかな。彼女も痛いところをつつかれたのかもしれない。
人には人それぞれの考えや理由がある。むやみに詮索されるのは好きではないし、詮索するのも好きではない。
それなのに、彼女には言ってしまった。彼女のその行動の理由が知りたいと思ってしまった。
「……違わない、かな。多分」
やっと聞き取れるほどの小さな声で夜雨が言った。
「でも、理由を言うつもりはない。だって相楽君には関係のないことでしょう?」
「そうだね。だけど、オレが本当は何を考えているのかってことも、皆実さんには関係のないことだ」
夜雨は黙ってしまった。
彼女の凛とした横顔を見ながら、晴嵐はちょっと後悔していた。本当はこんなことを言うつもりはなかった。彼女がこんなことを言いだすなんて思ってもみなかった。
仲のよい友達が気付かない晴嵐の本質を、なぜ彼女が見抜いているのか不思議だった。
「ごめん、言い過ぎた。昼飯食べよう」
晴嵐は夜雨の前に出来上がったばかりのパスタの皿を置いた。しかし、晴嵐が食べ始めても、彼女は手をつけようとはしない。大きな切れ長の瞳を伏せてテーブルの上をじっと見据えているようだった。
これは気まずい。晴嵐はちょっと情けない気持ちになった。
女の子にこんな顔をさせてしまうなんて、ママに知れたら何と言われるやら。ママは、女を泣かせる男はただのクズだ、と豪語している人なのだ。
晴嵐だって女の子にはやさしくするべきだ(もちろんそれに値する女の子に限るのだけど)と思っている。
それなのに……
「わたし……」
やっと夜雨が口を開いた。
「たぶん、相楽君が思っているより相楽君に関心があるんだと思う。詮索はよくないって思うし、そういうのは私も好きじゃない。でも、相楽君がなんで“ただのお気楽”みたいな振りをしているのか気になった。本当はもっと色んなことを感じて、色んなことを考えているのでしょう?自分を隠して取り繕うのってしんどいから、相楽君にはどういう理由があるのかなって思ったの。」
晴嵐はなんだか急に彼女のことがすごくいじらしく感じてしまった。愛おしくすらある。
彼女は何かから自分を守るために、自分を隠して目立たないようにしているのだろうか。
それでもすべてを抑えきれずに、時折見せる気の強そうな瞳やしゃんと伸びた背筋、凛とした横顔から彼女の本質が漏れてしまっているのだ。
ミチル、これはただのムシよけじゃないみたいだぞ。
まだ布団の中で熟睡しているであろうミチルに向かって、晴嵐は呼びかけた。
皆実さん、君はいったい、なにを抱えているんだ?
「オレも思うけど、皆実さんが思っているよりも、オレは皆実さんに興味があるよ?いつもは隠しているけど、皆実さんがすごい美少女だってこと、オレは知っている」
夜雨はぷっと吹き出した。
やっと笑った。キリッした表情もいいけど、やっぱり彼女は笑顔の方が断然かわいい。
「そういうふうに言われたの、初めて。相楽君が言うと、ちょっと嘘っぽいけど」
「それはまた心外。オレはいつだって本気なんだけど」
夜雨はやっとパスタに手を伸ばした。気持ちがほぐれたのか、さっきまで真っ白だった頬にも少し赤みがさしている。
「おいしい。これもおばあさん仕込み?」
「まさか。ただのレトルト。ちょっと味付けしたけど」
「そうなんだ」
そう言って、皆実はペロッとたいらげてしまった。一見、食の細い女の子に見えるのに、そうではなかったらしい。
ご飯をおいしそうにもりもり食べる人を見ると、こちらまで幸せな気持ちになる。




