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Bird—囲い慣らされた鳥  作者: ミウ・イトノ
飛べない鳥の夢
15/17

第15話

 その少年の存在が気になり始めたのは、二年生の一学期も半ばを過ぎたころだった。

 

 いつも元気で、男女関係なく仲良くはしゃいでいる彼のことは、同じクラスになった当初から知っていた。


 彼のことは、何も考えず楽しそうに毎日を送っているだけの、ただの元気少年だと思っていた。勉強もそこそこできて、教師受けもいい。自分とは違う人間だと判断して、夜雨は関わろうとはしなかった。

 

 偶然にも、彼とはずっと席が離れていたので、会話をする機会もなかった。


 その考えが変わったのは、割と仲の良い真中愛子から、彼の祖母が数ヶ月前に亡くなった話を聞いた時だった。彼は親戚に引き取られて転校したものの、すぐに叔母に引き取られて戻ってきたらしい。

 

 その出来事は二年生になる前のことで、そのころはまだ彼の存在感を知らなかった。だから、夜雨は当時の彼の様子を知らない。

 

 自然と耳に入ってくる話では、彼の様子に大きな変化はなかったようだ。

 

 多少普段と違うところはあったにしても、そんなことが起きていたなど、おくびにも出さなかった、というのが皆の感想だった。

 

 だから、彼自身そんなに気に病んではいないのだろうと、誰もが口を揃えた。


 ――そんなこと、本当にあるのだろうか。


 どんな人間だって、大切にしていた人が死ぬのはつらい。親戚をたらい回しにされるのだって、何とも思わないことはないだろう。それを表に出すかどうかの違いなだけだ。

 

 だけど、見かける限り、彼はいつも楽しそうにしている。それを考えると、実は本当に無神経なのか、それとも精神的に強い人間なのか、わからなくなってしまう。


 どちらにしても、いつの間にか夜雨は、その少年の存在が気になっていた。





 二年生になってクラス替えがあったとき、小学からずっと同じクラスだった入野かさねと別々になってしまった。そのせいで、夜雨は本気で学校に行くのをやめようかと悩んだ。

 

 そのくらい学校は夜雨にとって苦痛な場所だった。学校というより、人と関わること自体が夜雨にとって億劫だった。

 

 どこの組の誰々君が好きだとか、なんとか部の何々先輩が格好いいだとか、化粧品はどのメーカーがいいとか……。そんな話、夜雨にはどうでもいいことで、それを楽しそうに話す同級生の輪に入っていくことができなかった。

 

 入野かさねもどちらかというと夜雨に近い方で、おっとりした性格の彼女は、そんな女の子たちの輪の中でいつもニコニコと話を聞いていた。

 

 二人の時は、会話よりも沈黙の方が多かった。けれどもお互いにそれを気にすることもなく、むしろ心地よく感じていた。

 

 そんなかさねと離れ離れになってしまい、夜雨はますますクラスになじめなくなる予感がしていた。幸いにも、それなりに話ができる友人ができ、覚悟していたほどクラスで浮くことはなかった。それでも、誰かと関わることが煩わしいことに変わりはなかった。

 

 適度に輪に加わり、必要以上には関わらず、露骨に避けていると思われない程度に距離を取る。そのために、夜雨は真面目な生徒に見せようと長い髪をおさげにした。黒縁のダテ眼鏡をかけ、教室内の喧騒とは関係ない顔をして、本を読みふける。

 

 おかげで誰も必要以上に話しかけてくることはなく、夜雨の方から関わっていく必要もなくなった。



 だが、それでも――。

 

 夜雨は教壇の一番前の席に座るその少年の背中を見つめた。

 

 隣りの席の女の子と談笑していた彼は、教師に注意されて首をすくめている。教室の中には小さな笑い声が漏れていた。彼はこのクラスの皆から好かれている存在なのだ。

 

 二年に上がってから、他学年の女子にも告白されていたと、愛子が話していた。教師たちの受けもいいらしい。そういう、皆に無条件で好かれてしまう人間もいるということだ。

 

 周囲のことにあまり興味のない夜雨だったが、彼の心のありようが不思議でなんだか気になっていた。身近な肉親をすべて失い、親戚をたらい回しにされてもなお、これまで通りに明るく振舞っていられる、相楽晴嵐という少年のことが。

 

 クラスメイト達は、彼のことを単純でお気楽な人間だと思っているみたいだ。だが、それは本当に彼の本質なのだろうか。

 

 真に単純な人間など、存在するのだろうか。誰だって何かしら抱え、笑顔と同じだけ涙もあるのではないか。

 

 それを片鱗も見せないことのほうが、むしろ恐ろしい気がした。何かを抱え込んだまま、その上から明るさを丁寧に塗り固めているみたいで。

 

 だがそれでも彼はいつも楽しそうだった。そこには卑屈さも陰りも見えない。だからこそ、余計に気になった。



 


 期末試験の範囲が張り出されたその日、夜雨は陰鬱な気持ちで帰宅した。試験についての心配事ではない。勉強するのは割と好きなので、試験や成績を気にしたことはあまりなかった。

 

 玄関のドアを開けると、普段はあるはずのない男物の大きなスニーカーが目に入ってきた。見覚えのある黒と白のスニーカーに、夜雨は内臓が石のように重たくなるのを感じた。


「お帰り、夜雨ちゃん」

 

 スニーカーの持ち主は、リビングで母と楽しそうに話し込んでいた。夜雨が顔を出すと、ソファから振り返って明るい笑顔を見せてきた。

 

「――ただいま」

「遅かったわね。二宮先生、待ってらしたのよ」

「ホームルームが長引いたから。すぐ着替えてくる」

 

 そう言って夜雨は二階に上がった。下から母の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

 

 夜雨は制服をハンガーに掛ける手がわずかに震えているのに気づいた。その手をぎゅっと握り、唇をかみしめる。そして、大きく深呼吸をしてゆっくりと着替え始めた。


 二宮浩一は中学に入ったときから母につけられた家庭教師だった。大学の教育学部に通う彼は、将来は教師を目指しているのだと言っていた。学費と経験を積むために家庭教師のアルバイトをしているらしく、母の知人の紹介だった。その知人の子供が、彼のおかげでワンランク上の高校に受かったらしい。

 

 その実績と見るからに誠実そうな雰囲気に、母はすっかり彼のことを気に入ってしまった。そして、自分の娘にもと、家庭教師をお願いしたのだ。

 

 通常は週に二回、テスト前は時間と回数を少し増やしていた。今日も家庭教師の日ではないのだが、期末試験対策の計画を立てるためにやって来ている。


 そのとき、ドアをノックする音が聞こえ、夜雨は自分でも驚くほど身体を強張らせた。

 

「夜雨ちゃん、もう着替え済んだ?」

 

 二宮の声だった。

 

 まだだと返事をしようとしたのに、息が苦しくて声が出ない。

 

 夜雨が返事をする前にドアが開き、トレーを持った二宮が部屋の中にするっと入ってきた。

 

「何だ、まだ着替え中か」

 

 そう言って二宮はトレーを机の上に置くと、着替えを持ったまま凍りついている夜雨を振り返って、にやりと笑った。

 

「まあ、脱がせる手間がはぶけてよかった」

「――いやだ……」

 

 二宮は逃げかけた夜雨の腕をつかみ、もう片方の手で口を覆って耳もとに口を寄せてきた。嗅ぎ慣れないタバコの匂いに吐き気がする。

 

「お母さん、ちょっと買い物に出てくるってさ。オレ、ずいぶんと信用されているみたいだよ」

 

 耳元でささやく二宮の声が更に低くなった。


「試験勉強もあるし、さっさと済ませようぜ」


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