第14話
「それで、連れて来たの?」
見晴らしのよい窓際のベッドの上であきれた声をもらしたのは、前触れもなくいきなり深夜に意識を取り戻したミチルだった。
まだ体を起こすのはきついらしく、横になったまま、晴嵐とその隣にいる皆実夜雨を交互に見比べている。
「すみません。私がどうしてもって頼んだものだから……」
恐縮したように夜雨が言うと、ミチルはくすりと笑ってひらひらと手を振って見せた。
「気にしなくていい。晴君が私に女の子を合わせるなんてないことだから。面白い物を見せてもらって感謝してるくらいよ」
三途の川を渡りそこねたせいか、毒舌ぶりにさらに拍車がかかっている。
晴嵐はそっとため息をついた。
晴嵐からママやミチルの話を聞いた夜雨は、どうしてもミチルに会いたいと言い出した。うっかり晴嵐がミチルのお見舞いに行くと言ってしまったものだから、自分もついていくといって、昨夜は結局そのまま晴嵐の部屋に泊まってしまったのだ。
そうして、学校をサボって晴嵐にくっついてミチルの見舞いに来たのだ。
意識が戻ったとはいえ、ベッドの上のミチルはさすがに青白い顔をしている。受付で部屋の場所を聞いたとき、看護師から長時間の面会はまだ無理だと言われていた。
それでも、左の胸を一突きされていたのにミチルの怪我が比較的浅くてすんだのは、手術して埋め込んだばかりのバスト九十センチにもなる豊満なシリコン(入りの胸)のおかげだった。
シリコン万歳。防弾チョッキ顔負けの活躍ぶりだ。
「ちっともよくないわよ!」
キッとしてミチルが叫んだ。
「手術したばかりだったのよ。高かったんだからこの胸」
「でもそのおかげで助かったんだからさ。慰謝料もらってまた手術すればいいでしょ」
「慰謝料もらえるまでに時間がかかるじゃない!それまで片方だけぺしゃんこなんて耐えられないのよ」
どうやらミチルは、自分の命よりも、手術して手に入れた豊満な胸の方が大事らしかった。
「あたりまえでしょ。女にとって体は資本なんだから」
うーん。
お見舞いのメロンを食べながらそれでもミチルはぷりぷりしている。
「ところで」
メロンをほおばりながら、ミチルは晴嵐の隣で彼女の暴言ぶりにさすがに驚いている夜雨に目を向けた。
「夜雨ちゃんだっけ?晴君の彼女になったの?」
「そう」
「ともだちです」
両方同時に答えた。
「どっちよ。」
ミチルは綺麗に整えられた眉をひそめた。こんな時でも手を抜かないのが彼女らしい。おおかた病院の医師の誰かをゲットしようと企んでいるのだろう。
「どっちでもありどっちでもない。そんなところ」
「ようするにセックスフレンドってヤツね」
怪我を負って病院のベッドに寝かされていてもミチルの毒舌は休むことがない。
しかし、そんなにはっきり言わなくてもいいではないか。晴嵐が顔をしかめていると、夜雨が横からさらにしかめっ面で晴嵐を見上げた。
「そういう話までしていたの?」
やばい。
気まずそうに晴嵐はミチルを見た。
ミチルはしてやったりといわんばかりの顔でにやりと笑った。昨日まで死にかけていたなんて、ウソのようだ。もしかしたらママは動転して大げさに晴嵐に伝えたのではないだろうか。つい本気でそんなことを考えてしまった。
しかし、意外にもミチルはあっさりと否定した。
「違うわよ。晴君がね、本当はすごく可愛いのに、すごく野暮ったい格好をした女の子がいるって話していたの。何でかなあって。晴君がそんなふうに女の子の話をするのは初めてだったから気になっていたのよ。そうしたら、突然つれてきたものだから、つい下世話な想像をしちゃったの。気を悪くしたらごめんなさいね」
「野暮ったいって……」
夜雨が呟いた。
ああ、ミチルめ。そんなことまで言わなくてもいいではないか。
晴嵐はホッとした反面、あとでどう皆実夜雨に説明しようか考えていた。
晴嵐の部屋に泊まった足でそのままミチルの見舞いに来た夜雨は、ジーパンに黒のシャツといういでたちだ。もちろんおさげではなく、真っ直ぐな黒髪をそのまま下ろしている。どう見たって、野暮ったいとはほど遠い、いやむしろ颯爽とした美少女にしか見えない。
これは、あとでまたミチルに何か言われるだろうなと思いながら腕時計を見ると、看護婦さんに言われていた面会時間をとうに過ぎていた。
「また来るよ」
「次に来る時は、メロンじゃなくてビールにして」
それだけ元気があれば大丈夫だ。人智をこえるミチルの回復力に驚きながらも、晴嵐は心から安堵していた。憎まれ口こそききはするけど、ミチルは晴嵐にとってよき友人でありよき理解者だ。時にはママと共に人生のしるべとなってもくれる。そのミチルを失うことにならなくて本当によかった。
「わたし、いつ相楽君の彼女になったの?」
病院をでるなり夜雨がそう言ってきた。
――言われると思った。
昨日とはうって変わってからりと晴れた青空を仰ぎ、晴嵐は彼女に気づかれないようにそっとため息をついた。
今日はやけにため息ばかりついている気がする。
「そう言っておいたほうがあれこれ聞かれないと思ったからだよ。友達だって言ったら、皆実さんがお見舞いに来たのはただの興味本位だって思うでしょ?」
「そう言われればその通りだけど……」
「気に障ったのならごめん」
「そんなんじゃ、ないの」
夜雨は立ち止まって困惑したような表情を見せた。
おろした長い髪がふわふわと風に舞って気持ちよさそうだ。
昨日の夜、晴嵐の部屋に泊まった夜雨とセックスをすることは、晴嵐にはどうしてもできなかった。晴嵐がその気になればきっと彼女は拒まなかっただろう。
だけど、晴嵐の気持ちがどうしてもだめだった。まるで禁域の中にいる女神のように晴嵐には手を触れることさえ恐れ多いような気がしてしまった。
そんな感情は、今までどの女にも抱いたことがなかった。
きっとミチルならそれがどういうことなのかこともなげに言い当ててしまうのだろう。いや、本当は自分でもわかっているのかもしれない。ただ、それを認めたくないだけなのだ。
「嫌じゃ、なかった。相楽くんがあんなにあっさり肯定するとは思わなかったから」
こんなふうに困惑した彼女を見るのは初めてだ。
振り向いたままの姿勢で、晴嵐は妙に感動していた。
それにしても、嫌じゃないって言うのはどういうことだ?
「それって、事実でも構わないって意味?」
晴嵐の言葉に、夜雨は生真面目な表情になった。
「……相楽君は私を籠の中から出すことができる?」
なんの、と聞きかけて晴嵐は口をつぐんだ。きっと聞いたところで正直に教えてはくれないだろう。なにより彼女はそれが何なのか晴嵐に気がついて欲しいのではないのかと思った。
だけど皆実さん、そんな抽象的なものでは何のことなのか見当もつかないんだけどな。
晴嵐は小さく息をついた。
「――皆実さんが本気でそれを望めばね。多分オレはその手伝いしかできないよ。」
「どうして?」
「皆実さん自身のことだから。最後に自分を救うことができるのは、結局本人だけなんだとオレは思うよ?」
彼女の表情は変わらない。黒目がちの切れ長な瞳が晴嵐をみつめたままだ。
晴嵐はその先を続けたほうがいいのかそれとも黙って立ち去った方がいいのか、彼女を見返したまま迷っていた。
「――じゃあ、手伝ってくれる?」
夜雨が小さく言った。
何かを迷っているのか、ためらっているのか。彼女の表情はどことなく硬い。それでも凛とした目で晴嵐を見ている。
そんな風に見られたら嫌でも断れないではないか。もちろん、全然嫌ではないけど。
「いいよ。オレはなにをしたらいいの?」
「そうね……」
雨に洗われた澄んだ風を受けながら、夜雨は長い髪をそよがせ、宙を見つめていた。
「とりあえず、相楽君の部屋にときどき遊びに行ってもいいかしら?」
「そんなことなら、いつでも歓迎だよ」
晴嵐がそう言うと、夜雨はやっと笑顔を見せた。
「オレの部屋、気に入ったの?」
「うん。なんだか居心地いいから。本もいっぱいあるし、おいしいお茶もあるし」
「おいしいお茶って……それは、オレがいれてるんだけど。」
「今度は私がいれてあげる」
それは楽しみだ。小さく笑う夜雨を横目に、晴嵐もつられるように笑ってしまった。
どうせまた生真面目にお茶葉とお湯の分量をきっちり量りながら、真剣な顔で淹れるんだろう。まあ、それでも全然構わないんだけど。
籠の中の世界しか知らなかった皆実夜雨は、きっと籠の外にも別の世界がある事に気づいたのだろう。
ただ、ずっと自分を囲っていた籠から出る方法がわからなくて、でも助けも呼べずにじっとしていたに違いない。
彼女はやっと籠の格子の間から手を伸ばして助けを呼んだのだ。閉じ込められた籠から出たいと願うことができるようになったのだ。
皆実夜雨の抱える闇を、晴嵐はまだ知らない。それでも、彼女が伸ばしたその手を、離したくないと思っていた。




