第13話
結局、夕飯にありつけたのは、ずいぶん後だった。食べるころには空腹で力が抜けそうだった。
「なんだか家庭科の先生になって、生徒の調理実習を手伝っているみたいだった」
「次は一人でできる」
ほとんど晴嵐がつくった肉じゃがをテーブルに並べて、皆実は少し不本意そうな声で言った。
「相楽君は、何でも自分でできちゃうのね」
「そういうふうに育てられたからね。ばあちゃんは、自分がいつ死んでもオレが困らないようにって思っていたらしい。家事仕事に関してはかなりスパルタだったんだ」
「でもそれって、相楽君のこと本当に考えてくれていたってことだね」
「うん、今はすごく感謝している。おかげで、一人で生きていくのに困ることはほとんどないからね」
「世間から見れば、たった十四歳の子供なのに、そんなセリフ言えてしまうなんてすごいわね」
「人間を作るのって、どれくらい生きたかじゃなくて、どういう経験をしたかだと思うよ」
晴嵐がそう言うと、夜雨は少し驚いた表情を見せ、それからじっと晴嵐の顔を見つめた。
あまりにも真正面から見つめられ、晴嵐は少し照れくさくなってしまった。
「オレ、何か変なこと言った?」
夜雨は長いまつげを伏せて小さく首を振った。
「相楽君って、面白いね。学校にいるときとこうやって話しているときとでは、ぜんぜん違う」
「そう?皆実さんも、学校にいるときとは全然違うよ?」
「そうね。なんでだろ」
頬に手を当てるようにして、夜雨は考えるような表情をした。その表情に、ふと陰が差したような気がして、晴嵐は彼女の顔をじっと見つめた。
その時、カウンターの上に置かれたスマホが振動した。ママからの着信だった。
「桐嶋です」
‘桐嶋’は、この部屋の名義人のママの苗字である。晴嵐は未成年なので、電話の名義もママに借りているのだ。
『晴ちゃん? よかった……携帯にかけても全然つかまらないから、どうしようかと思った』
学校から帰ってきてからずっと放置していたので、マナーモードのままだ。
「なにかあったの?」
晴嵐はママの声がいつになくこわばっていることに気がついた。電話越しに感じられるママの緊張感に、心臓がざわついた。
夜雨を見ると、晴嵐の様子に気がついたのか、けげんなまなざしでこちらを見ている。
「それがね、ミチルが大変なの」
ママ自身、興奮しているのか、深呼吸するように言葉を切った。
「ミチルがどうしたの?」
「……刺されたの」
すぐには言葉が出てこなかった。ママの言葉の意味を必死に飲み込もうとした。
「あ、でもとりあえず、命に別状はないのよ。ただ、かなり重傷で、まだ意識がもどらないのよ」
「――刺されたって、誰に?」
自分の乾いた声すら遠くで聞こえているみたいだ。
「それが……うちのお店の、バーテンダーの子なの。晴ちゃんも知っていると思うけど、半年くらい前に入ってきた大学生の子」
あの男――。
晴嵐は思わず顔をしかめた。昨日、カウンターでミチルと話していたときに近くにいた、ミチルのお気に入りのバーテンダー。
「なんでそいつがミチルを?」
「晴ちゃんは知らなかったかもしれないけど、付き合っていたのよ。だけど、別れ話がこじれちゃって、彼が刃物を持ち出してきたの。ミチルは自分で119番して救急車を呼んで、そのあとすぐに彼が捕まったの」
「それ、今日のこと?」
「昨日のことよ。晴ちゃんにはミチルの意識が戻るまで言わないでおこうかと思っていたのだけど、この前、ミチルが倒れた時に晴ちゃんに怒られたから、電話したの。先生の話では、数日で意識は戻るでしょうって」
それを聞いて、晴嵐は張りつめていた息を吐きだした。しかし同時に、ミチルを刺したあのバーテンダーに対して強い憤りを覚えた。
別れ話がこじれたからって、刃物を持ち出すなんてどうかしている。相手を傷つけたところで、離れてしまった気持ちが元に戻るわけないのに。
それとも、狂うほどミチルのことが好きだったのだろうか。
「病院はどこ?」
「清水総合病院よ。前にミチルが入院していたところ。時間があったらお見舞いに行ってあげて」
「もちろん行くよ。連絡してくれてありがとう」
電話を切ったあとも、晴嵐はスマホから手が離せないでいた。
――ミチルが刺された。
命に別状はないと分かっていても、心臓が嫌なふうに脈打っていた。あのミチルのことだ、抵抗して余計にひどい怪我を負ったのかもしれない。
「相楽君、大丈夫?」
夜雨の手がそっと背中に触れた。
晴嵐は息を呑み、それからゆっくり息を吐いて唇をかみしめた。
「ごめん、大丈夫。ちょっと驚いただけ」
振り向いて笑おうとしたが、引きつってしまった。
夜雨は何も言わず、そっと晴嵐の頬に触れた。晴嵐はその手をつかみ、彼女の華奢な肩に額を預けた。
「――知り合いが、刺されたんだ。命に別状はないけど、まだ意識が戻らないって……」
「うん」
「参ったな。身近な人が死ぬのは、もう嫌だ」
「命に別状はないのでしょう?だったら、すぐに目を覚ますよ、きっと」
晴嵐の背中に腕をまわして抱きしめるように、夜雨は静かに言った。
――まるで、女神の言葉だな。
強ばっていた胸が、少しだけゆるむ。夜雨の手は暖かくてやさしい。晴嵐は自分も彼女の背中に腕をまわしてぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう。皆実さんがそう言うと、本当にそんな気がする」
夜雨の肩から顔をあげ、晴嵐は笑った。同じ目線の高さで、彼女も小さく笑う。
「約束どおり、バニラ・ティーをいれるよ」
食器を片付けながら、晴嵐は明日ミチルのお見舞いに行こうと考えていた。まだ目を覚まさないかもしれないけど、とりあえずミチルの無事な顔を見たかった。ついでにできることならミチルを刺したあのバーテンダーを何発かぶん殴ってやりたいところだ。
「ミチルさんって、すごく大切な人なんだね」
晴嵐の横で洗い物をしながら、不意に夜雨が呟いた。
「うん。大切な人。家族に近いかな」
「家族?」
夜雨が不思議そうな顔をしたので、晴嵐はミチルやママに出会ったいきさつを、バニラ・ティーを飲みながら語って聞かせることにした。
ママやミチルのことを他人に話すのは初めてだった。




